シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
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東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
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2009年3月12日

山羊・羊授与式

最近BDR事件のことばかり書いてますが、仕事もちゃんとやってますよーということで、今日のお仕事紹介。今日はマニックゴンジ県のパートナー団体、STEPのドウロトプール事務所で、おばちゃんたちへの山羊・羊授与式がありました。

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これはFAOのテレフード・プログラムにシャプラニールが応募して実現したもの。テレフードというのはFAOが実施する反飢餓キャンペーンで、FAOが集めた募金がバングラデシュのように栄養不足の人が多い国での農作物や家畜など、食糧増産のプロジェクトに使われるものです。そのプログラムで今回シャプラニールは山羊と羊の購入資金をもらいました。FAOには前にもじゃがいもの種芋や牛の購入資金をもらったことがあります。

このマニックゴンジ県のドウロトプール郡というところは、川の浸食により移住してきた貧しい人が多いところで、とくに夫が亡くなったり、出て行ってしまったりして女性が世帯を背負っている家庭が多いのです。そういう女性世帯主としてがんばっているおばちゃんたち80人にこのテレフードの資金で山羊もしくは羊を4匹ずつ買って渡し、山羊や羊の育て方について研修をし、病気になったりしないようにフォローアップします。この山羊や羊はタダであげるわけではなく、少しずつその代金を返してもらうのですが、山羊や羊をうまく太らせて高く売ったり、子どもが生まれればそれがおばちゃんたちの利益になります。返してもらったお金でまたさらに多くの女性たちに山羊・羊を配ることができます。

今日はその山羊・羊の手渡しセレモニー、というわけで、地域行政のエライ人やFAOダッカ事務所の職員、郡の獣医さんなどが挨拶をし、最後におばちゃんたちに山羊・羊を手渡しました。

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会場は事務所の庭に張ったテントの中だったんですが、これが暑い。そしてテントの裏ではつながれた山羊や羊がメーメーうるさい。来賓は遅れてくるし、おばちゃんたちは暑い中待たされてるし、山羊や羊は炎天下に長くおいてたら死んじゃいそうだし、気が気じゃなかったけど、まあなんとかつつがなく終わってよかったよかった。

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こちら羊を受け取ったおばちゃん。立派な羊ですなー。

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こちらは山羊。

山羊にするか羊にするかはおばちゃんたちの希望次第だったのですが、山羊のほうが多かったですね。でも山羊より羊のほうが大きくて立派でした。一人当たりの購入費は同じはずなので、羊のほうが割安だったということですかね。

今日手渡された山羊・羊のなかにはすでにお腹に赤ちゃんがいるメスもかなりいました。皆さん、がんばって丈夫に育ててどんどん増やしてね。まず最初の難関は雨期と洪水の時期をどう乗り越えるか。STEPのスタッフのみんな、しっかり家庭訪問してフォローしてね。


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2009年2月 9日

農村出張の夜

ノルシンディ県のパートナー団体、PAPRIのナラヤンプール事務所に一泊二日で来ています。来年度以降新たに3年間PAPRIと一緒に実施する予定の活動のPDM(プロジェクト・デザイン・マトリックス)づくりをPAPRIのスタッフたちやダッカ事務所から参加の2人のスタッフも一緒に夜9時までがんばり(でもまだ終わらず明日も続行)、晩御飯を食べて水浴びをしてあとは寝るだけ、というところ。

ダッカではもう寝るとき毛布も要らないぐらいの暖かさで、たまに扇風機を回したりさえするぐらいなのに、ここはまだ寒いです。今夜綿布団一枚で寝てる間に寒くならないかなあ、と心配なぐらい。今、部屋の中ではフリースの上着を着ています(寝るときも着て寝よっと)。ダッカ事務所のスタッフも1人はもう暖かいと思ってセーターや上着を持ってこなかったので夕方寒さに震えていました。ダッカと農村は車で2時間程度の距離でもかなり気候が違います。

しかし自分で不思議なのは、こういう日に水浴びしても村でだとあまり寒く感じないこと。人間て環境に慣れるんですよね。それに無いと無いなりに諦めがつくし。湯沸かし器のあるダッカの自宅だと、寒くなくてもシャワーからお湯が出ないと嫌なのに、村だと寒い日に冷たい水でも平気。水浴びする直前まで「寒いなあ、水浴びどうしようかなあ」なんて考えているんですが、いざ水浴びすると決めて、バスルームに入って裸になると、その瞬間心身ともに覚悟が決まるんですよね。よし!これから冷たい水浴びるぞ、っていう。そうすると水を浴びても冷たく感じないんです、ほんとに。しかも冷たい水を浴びたあとは、身体がじわーっと温かく感じて、それはけっこう気持ちいいです。でもまあ、村の寒い夜には髪は洗わないほうがいいですけどね。風邪引かないためには。

あ、ちなみに3月のスタディツアーに参加を検討されてる方、心配ないですよ。3月末はもう暑いですから。フリースを着るような寒さは村でも2月半ばぐらいまでですかね。

さて...では蚊帳を下ろして布団かぶって寝るとしますか。おやすみなさい。

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文章と直接関係ないですが...。ビー玉で遊ぶチョールの子どもたち。


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2009年1月26日

村の少女グループのスタディツアー

今日からパートナー団体のPAPRIとSTEPの少女グループ(注)の選抜メンバー計20名が、ジナイダ県のNGOの少女グループを訪ねる2泊3日のツアーに出かけています。それぞれの団体から引率のスタッフ、3-4名、ダッカ事務所からもスタッフ2名とドライバー1名が参加の大集団です。

これまでも村の少女グループの遠足や相互訪問はありましたが、2団体の連合チームで遠くの別の団体へ行く、というのは初めて。私はダッカで留守番しながら、今どの辺りかなあ、みんな元気にしてるかなあ、と気を揉んでいます。村の少女たちにとって、他県へ泊りがけで出かける、というのは大変なこと。とくにPAPRIからの参加者10名のうち5名は、ノルシンディ県ライプラ郡のメグナ河のチョール(中洲)の子たちで、バスどころかリキシャも見たことない、という子たちです。彼女たちにとってジナイダまで行くというのは、東京の子がブラジルに行くぐらいの大冒険じゃないだろうか、と想像します。

バスでゲーゲーする子たちが何人も出ることを想定して、ポリ袋に紙袋を入れたエチケット袋や酔い止めの薬なども用意しています。

ジナイダ県はダッカからでも車で最低6時間ぐらいはかかるところ。普通はマニックゴンジ県のアリチャガットでフェリーに乗ってポッダ(ガンジス)川を渡っていくのですが、昨日からひどい霧でフェリーの運行に支障を来たす事態になってしまいました。

昨日は朝から「こんな霧じゃ明日からのツアー、どうしよう」とスタッフたちと頭を悩ませ、結局フェリーガットを避けてジョムナー橋を渡るルートで行くことを決断。遠回りですが、トイレや食事の場所などはこのルートのほうがたくさんあります。また、当初は各チーム、12人~14人乗りのマイクロバスで別々に行く予定だったのですが、「慣れないマイクロバスは霧の中で事故を起こすかもしれないし、道に迷うかもしれない。いつもこのルートを行き来しているハイウェイバスを借りて一緒に行ったほうがよい」というスタッフたちの主張で、ダッカの1ヶ所に集合して皆がバスに乗り込み、一緒に行くことに。

今朝はダッカ事務所のスタッフから「今、PAPRIのチームが来てバスに乗りこみましたっ!」「STEPチームも来ましたっ!」「これから出発します!」と何度も電話が入り、さっき昼休み中に電話したら「ジョムナ橋を無事に渡ってみんなでお昼食べてます。今のところ異常なしです!」と聞いてほっとひと息。みんな近代的で大きなジョムナ橋を初めて渡って、興奮冷めやらぬ頃でしょう。

一行は今日、ジナイダのNGO事務所などに泊まり、明日4つのグループに分かれて現地NGOの少女グループの活動を見学、夜は歌やお芝居などの文化プログラムを楽しんで、あさっての朝帰途につく予定です。

今回の交流でSTEPとPAPRI、そして訪問先もあわせ3団体の少女たちがますますパワーアップして今後の活動を盛り上げてくれることを期待しています。どうか病人が出たり事故にあったりしませんように...。全員が無事旅を終えて家に帰りついたという知らせを聞くまで、落ち着かない気持ちです。

今頃、村で待つ少女たちの家族はもっと心配しているでしょう。少女たちがたくさんの土産話を持って帰って、家族や村の人たちを楽しませたり感心させたりすることができるといいな、と思います。

追記:その後、夕方4時半過ぎに「ジナイダに着きました!」と電話が。早い...6時ぐらいになるかと思ってたのに。いったいどういうスピードで行ったんだ?帰りも気をつけてよね。でも無事着いてよかった...。

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踊りを披露するSTEPの少女グループメンバー。

注)少女グループ: 13歳から17歳ぐらいまでの村の少女たちが地域ごとにグループをつくって定期的に集まり、リプロダクティブ・ヘルスやリーダーシップの研修を受けたり、文化プログラムを楽しんだり、地域のためにボランティアをしたりするプログラム。現在、PAPRIの活動地に60グループ、STEPの活動地に22グループ、こういった少女グループがあり、メンバー総数は1500人を超えます。JJSと一緒に復興支援活動実施中のシドル被災地、バゲルハット県のボクルトラ村でも6つの少女グループが結成され、活動を始めています。


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2008年10月25日

ポイラ高齢者の集い

10月1日は国際高齢者デー(International Day of Older Persons)。シャプラニールはマニックゴンジ県で活動するパートナー団体、STEPと協働して、3年ほど前から毎年この日にちなんで高齢者の集いを開催しています。今年は10月前半にイスラム教のイード休みやヒンドゥー教のドゥルガー・プジャ休みが続いたので、ちょっと遅れて10月20日の開催となりました。

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写真はポイラ事務所の庭にテントを張った会場に集まったお年寄りたち。150人ぐらいはいたでしょうか。前のほうに女性たち、後ろのほうに男性たちが座っています。おばあちゃん優勢。

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ポイラ事務所近くのテロスリー村の少女グループのメンバーも、お年寄りに「国際高齢者デー STEP高齢者集会」と書かれたキャップをかぶせてあげたり、参加者名簿をつくったり、ボランティアとして甲斐甲斐しくお手伝い。

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集いはまず、「国際高齢者デー」と書かれた垂れ幕を持っての行進からスタート。ポイラ事務所から近所のテロスリー小学校までの短い距離の往復ですが、数十人のお年寄りが参加しました。この日は日中の最高気温が30度を超える暑さだったので、お年寄りにはなかなか厳しいものがありましたが、参加した人は楽しんでいたようです。歩くのがしんどい人は会場でお留守番。

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行進終了後は会場の前方に用意したマイクの前に披露したい芸がある人、話したいことがある人が次々と出てきて、文化プログラム開始。

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ハルモニウムを弾きながら自慢の喉を披露する人あり...

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訥々と語るおばあちゃんあり...

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昔、村芝居で鳴らしたというおじいさん二人による、迫力あるチャンバラ・シーンの披露あり...

ということで皆さんなかなか芸達者。その後、10数える間に短い紐を使っていくつ結び目をつくれるか?などというゲームも行われたりして、これら文化プログラムの参加者には賞品のコップが渡されました。

この集会には来賓として地域のエリートも参加。郡の行政のトップであるUNO(郡令)や郡の警察のトップなども訪れて参加者に挨拶しました。最近ギオール郡に配属されたUNOとは初めてお会いしましたが、彼は「皆さんを目の前にすると、故郷に残してきた老いた両親を思い出し、すぐにでも休みをとって故郷に帰りたい気持ちになります」とスピーチ。もったいぶったカタイ挨拶をする役人が多い中、なかなかハートのある人だな、と思いました。

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その後、参加者のうちとくに足が悪くて貧しい20人のお年寄りに杖の贈呈。写真で贈呈しているのは、そのハートのあるUNO氏です。

この杖の贈呈が終わるか終わらないうちから、なんとなく会場はざわざわ。立ち上がって事務所の建物内に移動する人たちが目立ちます。

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それはお医者さんが到着し、事務所の中で無料の健康診断が始まったため。時間もマンパワーも限りがあるので、簡単な診療と基本的な薬の処方しかできませんが、これを一番の目当てに来る人も多いのです。

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杖の贈呈が終わるとちょうどお昼。椅子を取り払い、ジュートの敷物の上に皆並んで座って、一緒にお昼ご飯です。この日のメニューはチキンカレーとじゃがいものカレー、そしてダール豆のスープ。200人分の昼食はポイラ事務所の調理スタッフ、ユスフが2人のアシスタントを使って朝の4時からがんばって用意したもの。

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ごく基本的なメニューではありましたが、味はなかなかのもので、来賓にも、参加したお年寄りたちにも好評でした。

朝10時過ぎから始まった集いは2時半ごろにはお開きとなり、その後、STEPが今年から行っている高齢者への巡回訪問の対象者2人を訪ねました。これまでは年に1度の高齢者集会を行うだけだったのですが、農村のお年寄りの困窮状態をみるにつけ、高齢者のための活動の必要性を感じ、今年から試験的に開始したものです。1年目は事務所から比較的近くに住んでいて困窮度合いが大きく、家族がいるお年寄り20人を選んで、STEPのスタッフが毎月家庭訪問しています。「家族がいるお年寄り」をまず選んだのは、STEPがお年寄りに直接サービス提供するというより、家族や地域の人々に働きかけてお年寄りの状況をよくしていく、というアプローチをとろうとしているからです。

この日訪問したのは2人ともバグディというヒンドゥーの被差別カーストのおばあさん。村の中でもとくに貧しいバグディであることに加え、高齢であること、夫に先立たれた「未亡人」であることで、さらに弱い立場におかれている人たちです。この村でもっとも弱い立場にある人、といってもいいかもしれません。

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最初に訪ねたクムディニさんは体調を崩して横になっていました。STEPのスタッフのシリンが「今日の集会に来てなかったから心配したのよ。でも今日は暑かったし体調が悪かったんなら無理に来ないのが正解だったわよ」と話しかけます。「行きたかったんだけど咳が止まらなくてね...」とクムディニさん。

クムディニさんの食事や身の回りの世話は同じ敷地内に住む次男一家がしています。少し経済状態のよい長男夫婦も同じ敷地の一番いい家に住んでいるのに、クムディニさんには知らんぷりだとか。次男の妻やその娘はクムディニさんをよく手伝っているそうで、夜トイレに行くときも孫娘がつきそっているそうです。トイレは盛り土した家の敷地の外側にあるので、そこに行くには土手をおりていかなければなりません。農村の夜、外は真っ暗です。夜中に用を足すことがお年寄りにとってはどれだけ大変か。

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次に訪問したのは同じくバグディのテニバラさん。この日は高齢者の集いでもらった杖を手に、新しいサリーをこざっぱりとまとって笑顔を見せてくれましたが、実は彼女は日頃はクムディニさんよりずっと辛い状況におかれています。

テニバラさんの息子夫婦はテニバラさんを非常に邪険に扱い、母屋の中に同居させず、軒先を囲っただけのスペースに住まわせているのです。実は去年の高齢者集会でもテニバラさんは杖をもらったのですが、その杖は息子が子どもをたたくのに使って折ってしまったとのこと。ひどい話です。

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3ヶ月ほど前からSTEPのスタッフが通うようになり、雨漏りし放題のテニバラさんの居場所についてなんとかするうように言い続けたため、かろうじて雨漏り防止のビニールシートが屋根にかけてあります。しかし、これからだんだん寒くなったら大変です。

テニバラさんに「ご飯はちゃんと食べられますか?」と尋ねたら、小さな声で「いいえ。粗相してしまうから食事はたくさんは食べられないの」という答えが返ってきて、胸が詰まりました。手足の指が縮んだように曲がってしまっているテニバラさんはひとりで歩いて用を足しにいくのは困難です。介助してくれる人がないために、サリーの中に排泄してしまうことも多く、そうすると息子夫婦はひどくなじるらしいのです。

母屋の中に入れず、軒先に寝かせているのも、「おもらしをして臭いから」ということなのでしょう。そうなることを恐れて、ろくに食事もとらずに我慢しているテニバラさんは本当に気の毒です。

まだ始まったばかりのSTEPの高齢者訪問ですが、毎月STEPのスタッフが様子を見に来て直接お年寄りと話をし、家族にもお年寄りの生活環境をよくするよう説得していく、という地道な活動の必要性を強く感じました。

それにしてもやっぱり身体の自由がきかないお年寄りにとっても、介助する家族にとっても一番切実なのはトイレですよね...。この地域は洪水常襲地なので、浸水したらますます大変です。大人用紙オムツなんてものはないですし。

ポイラ事務所に戻った後、STEPのスタッフたちと日本とバングラデシュのお年寄りの状況や家族の状況について雑談になりました。「日本では核家族がほとんどなんでしょう。お年寄りの世話は誰がしているの?」という質問にぐっと詰まりました。私も介護が必要な父を母にまかせてバングラデシュに来ているからです。私も、妹も、弟も両親とは同じ家で暮らしていない、と言うと「え、じゃあご両親だけなの?」と目を丸くするので、後ろめたい気持ちになりました。ちょくちょく一時帰国して様子を見に行ってはいるものの、日頃の父の介護は母にまかせっきりですから...。

日本の介護保険やケアマネジャー、デイケアセンターなどのシステムについて話すと、女性スタッフのひとりは「日本はいいねえ。バングラデシュの政府がそんなシステムをつくれるのはいったいいつの日になることか...」とため息。

大家族制度が壊れつつあるといわれるバングラデシュ。高齢者の困難はこれからますます深刻になっていくでしょう。日本に親をおいてバングラデシュくんだりまで来ている私にとっても、いろいろ考えさせられる1日でした。


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2008年7月22日

チョール(中洲)の活動の3年目

先週13日から16日まで、パートナー団体のPAPRIとともにノルシンディ県ライプラ郡のチョール(大河の中洲)で実施している活動の評価のため、現場に行ってきました。シャプラニールのダッカ事務所から私を含めた4人、PAPRIから7人、計11人が3チームに分かれ、プログラムの対象者の人たちとあらためてグループ・ディスカッションやインタビューをし、活動の進捗状況や成果、課題などについて情報収集しました。

ポッダ(ガンジス)川、メグナ川、ブラフマプトラ川などの大河のデルタ地帯にあるバングラデシュ。大河の中には大小様々なチョール(中洲)があり、そこにも多くの人々が住んでいます。私たちがPAPRIを通じて活動を行っているチョールはメグナ川の中にあり、かなり大きなものです。

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チョールにはノウカと呼ばれる船で渡ります。竹で編んだ屋根の上に座るとまわりが見渡せて気持ちよいです。雨が降ったりやんだりなので、レインコートを着込んでます。

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こんな小さな島みたいなチョールにも人は住んでいます。私たちが活動しているのはこの先のもっと大きなチョール。

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目指すチョールに入ってきました。もうすぐ上陸。

このチョールでは2年半ほど前から、子どもの補習教室、思春期の少女たちのための識字教室、少女グループ、最貧困層グループの活動を行っています。川で隔てられ、他の地域からの行き来も不便だし電気も来ていないチョール。ここで活動するNGOも少なく、行政サービスもまったく行き届いておらず(というより見捨てられているような状況)、いろいろな意味で取り残されています。

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識字教室で学ぶ少女たち。この年齢になるまで、一度も学校へ行けなかった子たちばかりです。こういう子がまだまだたくさんいます。長いあいだ学校へ行きたいと思い続けて、やっと学ぶ機会が得られた少女たち。真剣なまなざしで学んでいます。

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補習教室で学ぶ3年生のアブドゥッラーくんとお母さん、弟。アブドゥッラーくんは家が貧しく、政府の学校への入学もままならなかった子どものひとり。2年半前、PAPRIはこういった貧しくて出生登録もしておらず、小学校からもはじき出されている子どもたちを計150人出生登録させ、小学校に入学させました。この子たちが学校に行く前後の時間に学ぶ補習教室がこのチョール内に5カ所あります。アブドゥッラーくんも放っておけば学校に行くチャンスを失っていたかもしれませんが、今はクラスでトップの成績だそう。

家庭訪問してお母さんに話をきいてびっくりしました。彼ら家族はダッカのスラムにも家があるというのです。それも、私たちが使用人として働く少女のための活動をしているダッカ最大のコライル・スラム。ダッカで茶店をしているお父さんと縫製工場で働く兄二人、姉一人はこのスラムの家に住み、お母さんとアブドゥッラーくん、弟はこのチョールの家に住んでいます。チョールに家族全員で住んでいてはやっていけないから、数年前から別居生活をすることにしたそうです。年に2-3回、お父さんが帰って来て少しの間お母さんと交代するそうです。お父さんと上の3人がダッカで働いていればかなり収入にはなりそうですが、スラムの家賃などダッカでの高い生活費、行き来する交通費もかかるので生活は苦しいとのこと。

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最貧困層グループの女性たち。チョールは平野部以上に子沢山の家庭が多く、子ども7-8人はざらです。このグループは比較的子どもの数が少ないな...と思ったのですが、はっと思って子どもを亡くした経験のある人は何人いるか聞いてみたところ、17人の女性のうち9人までもが1人以上の子どもを出産時や幼いときに亡くしていました。中には5人子どもを亡くしたという女性も。教育もなく、衛生状態も悪く、医療機関もない中で、何のトレーニングも受けていないお産婆さんや近所の女性の介助で自宅出産する女性がほとんどということもあり、死産や流産も絶えません。「それでも昔よりはだいぶよくなったんだよ」と女性たちは言っていましたが...。出産時に逆子だったりヘソの緒が子どもの首に巻きついたりして危険な状態になったら??「ノウカを借り切って県庁所在地の病院に行けるぐらいの金持ちならいいけど、そうじゃなかったら死ぬしかないよね。運が悪かったらおしまいだね」と淡々と語っていました。そもそもノウカで1時間ぐらいかけて本土に渡っても、そこから県庁所在地まではまだまだ距離があります。緊急時にはとても間に合わないでしょう。夜中だったりしたらお手上げです。

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チョールでの現場訪問を終えたあと、PAPRIの事務所でチームごとの発表とディスカッション。今までの活動で達成できたこと、やれていないこと、これからやらなければいけないことを話し合いました。チョールは保守的で迷信を信じる人も多く、また住民の中での勢力争いも絶えません。「女性や子どもたちの状況をよくしていくためには、おとなの男性たちへの働きかけが不可欠」「少女だけでなく男性の若者たちも活動に巻き込むべきでは」「学校の教師や宗教リーダーと定期的にミーティングをして活動にもっと関わってもらう必要がある」などなど、さまざまな意見が出されました。

不便な場所だけに、「簡易トイレの普及もしなければ」「自前の船があればいざというとき救急車がわりにもなるのに...」「子どもの教育支援はもっと規模を広げないと」と、サービス提供のニーズをあげればキリがありません。でもサンタさんのように一方的に「あげる」ばっかりの支援活動を行うわけにもいきません。課題は山積み。でも私たちのリソースは限られています。そんな中で最大限の成果をあげられる活動、成果が持続する活動とは...。住民たち自身の「地域を変えていく力」を引き出す支援とは...。

PAPRIとの現行の3ヵ年計画は今年度いっぱいで終了。来年度からの新たな活動に向けて、PAPRIとの議論は続きます。


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2008年4月24日

農村で深呼吸

このところ暑さと停電のダッカでクサっていましたが、今日日帰りでマニックゴンジ県で活動するパートナー団体STEPのポイラ事務所に行ったら、なんだか生き返った気分になりました。

農村部も暑いことは暑いのだけれど、ダッカの息詰まるような感じとはやっぱり全然違います。田んぼやとうもろこし畑の上を渡ってくる心地よい風、池や川で牛を洗う人たち(そして洗われている牛のなんとも気持ちよさそうな表情!)、収穫間近のたわわに実った稲、荷物を積んだ馬車、そんな光景に行き帰りに触れただけでも、なんだかエネルギーを取り戻した感じがします。お昼に食べた地元の新鮮なキュウリもおいしかったし。

ダッカ事務所からポイラまでは今の時期だとだいたい片道2時間半。今日は朝びゅーっと行って、午前中から夕方までSTEPのスタッフとワークショップというかブレーンストーミングのようなことをし、終わってまたびゅーっと帰ってきたので、村の風景の写真を撮る余裕もなかったのがちょっと残念。

今月は人事関連の雑事などでなかなか事務所を離れられなかったのですが、月末はいくつか出張予定が入っています。この季節、ダッカから抜け出せるのは嬉しいな。やっぱり夏こそフィールドだ!来月はスタッフを送り込むだけじゃなくて自分でももっと村に行くぞ。


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2006年11月18日

道路封鎖休止、無事ダッカへ

結局、農村調査は決行することになり、11日にダッカからイショルゴンジに向けて出発、調査を終えて16日に帰ってきました。

想定していたとおり、12日からアワミ連盟率いる14党連合による選挙管理内閣への抗議行動として「無期限道路封鎖」が始まり、日中は幹線道路を通れない状態になってしまいました。農村の中にいれば静かなもので、調査自体にはまったく影響なかったのですが、問題はダッカにどうやって帰るか。

調査も終わりに近づいた15日、道路封鎖が終わらなければ夜中の3時ごろ出て朝着く時間帯で帰るのが一番いいだろう、ということになりました。バングラデシュ人スタッフは「抗議行動やってる連中も夜中は翌日に備えて寝るから、夜ピケを張ることはないよ。独立戦争のときだって夜中はみんな寝てたもんね」というのですが、一方でべつの問題が。こういう治安があまりよくない時期、夜中に人気のない道を走ると盗賊(ダカイツ)が出る危険があり、また朝晩急に気温が下がってきたこの季節、明け方辺りが真っ白になって見えなくなるほどの霧が出るのです。

IMGA0009.jpgぎりぎりまで様子を見て、もし道路封鎖が解除されなかったら、夜中から明け方走って帰ろう、とほぼ決め、当地の某旅行会社社長の入れ知恵で、万一抗議行動の群集に出会った場合に逃れやすいよう、車に海外ジャーナリストを装った貼り紙をし、市場で車につける垂れ幕(ベンガル語で「海外プレス」と書いてあるもの。費用は70タカ=約120円ナリ)までつくってスタンバイしていました。しかし、ラッキーというか拍子抜けなことに15日(水)の夜、市民の生活の便宜のため、木曜から日曜まで封鎖プログラムを一時休止するという宣言が出、垂れ幕を使うことなく普通に翌日帰ってくることができました。

写真は15日の夕方、撮ったもの。日暮れ時に慣れないカメラで撮ったらえらく暗い画面になってしまいましたが、ものものしい車の垂れ幕が見えるでしょうか?この垂れ幕、次の「いざという場面」に備えて車の中にしまってあります。

今回農村でどんな調査をしたかについてはまた後日。あさってあたりからまた交通封鎖が始まりそうでやれやれです。今のうちに食料品を買いこんでおかないといけません。


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2006年11月11日

明日から農村調査に...行けるかな?

明日から、2人の東京からの出張者やダッカ事務所のスタッフ数名と共に、5泊ほどマイメンシン県イショルゴンジ郡の農村に調査に行く予定。今荷造りしているところなんですが、政治状況が不安定な中、果たして行けるか、行っちゃって帰ってこれるか、どうも微妙な状況です。

というのは、アワミ連盟率いる14党連合が、大統領が主席顧問をつとめる選挙管理内閣の中立性を見極める、と言っている期限が明日までだから。彼らの要求を明日までに果たせなければ、あさって12日からまたダッカの囲い込みや道路封鎖などを決行する、と言っているのです。

明日までに選挙管理委員会の委員長が辞任するなど大きな動きがない限り、12日からまた荒れるのはほぼ確実。このところアメリカ大使やEUの代表などもBNPとアワミ連盟のトップを訪ねて「暴動は避けて平和で公正な選挙を」とプレッシャーをかけていますが、それがどこまで歯止めになるか。木曜日に大統領が、「今の内閣(選挙管理内閣)は大統領制内閣の形をとっている」といった意味のよくわからない発言をしたため、ますます暗雲がたちこめてきました。

村の結婚式の受付.jpg村の中に入ってしまえばそれほど問題はないと思うのですが、問題はマイメンシンとダッカを結ぶ幹線道路が封鎖されたり、路上で暴動があったりしてダッカに戻れなくなること。出張者は帰りの飛行機もあることだし、戻れなくなったら大変。まあよっぽど無茶苦茶に荒れない限り、裏道を通って夜中に走ればまったく帰ってこれないこともないとは思うんですが、どうにも状況が読めません。

前の前の選挙、つまり10年前には、1ヶ月連続ホルタル(ゼネスト)などということもあったようだし、アワミ連盟は今回政権がとれなかったら2期政権から離れることになってしまうので、必死のはず。大統領はすでに軍のリーダーたちに「万一の場合」の協力を呼びかけていて、まあ何があってもおかしくはない状態。

うーむ1ヶ月イショルゴンジに足止め、なんてことになっても困るしなあ。ぎりぎりまで明日の状況を見て判断するしかないですが、先輩たちと農村泊り込み調査なんてなかなかない機会なので中止するのも悲しいし。この辺の判断はなかなか難しいところです。そもそも最初からこんな時期は避ければよかったのでしょうが、諸般の事情でこの時期しかできるときがなかったんですよねー。

イショルゴンジに行ってしまうと、テレビも国営放送1チャンネルしか見られないし、インターネットもできないので、情報収集は携帯電話が頼り。携帯の充電器を忘れないようにしなければ。


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