ダッカじゃまだ「今日も暑いね。雨降らないかねえ」などという挨拶をしていますが、日本では「読書の秋」ですよね?ということで今日は本のご紹介。「<女中>イメージの家庭文化史」清水美知子著(世界思想社)という本です。
ここ数日時代小説ばかり読んで頭が江戸深川べらんめえ調の世界になっていた私。昨夜「こう小説ばっかり読んでちゃあ仕方あるめえ」と思って、ナナメ読みのままだったこの本を読み直したらいやー実に面白かった。
この本は帯にあるとおり、明治時代は<下婢><下女>、その後<女中>、そして<お手伝いさん>と呼ばれるようになった住み込みの家事使用人女性のことを通して、近・現代日本の家庭生活を浮き彫りにした本です。明治から昭和までの新聞や雑誌はじめ膨大な文献から<女中>に関する情報が引用されていて、随所に「へえ、そうだったのか」と唸ったり「これじゃまるで今のバングラデシュと同じじゃないか」と思うような話がいっぱいあるんです。
例えば、明治42年に週刊『婦女新聞』に載ったという「下女と奥様の苦情くらべ」という記事など、去年私たちがダッカで行った調査で使用人として働く少女たちや雇用主から聞いた話ともうまったく同じ。そのまま翻訳したのかと思うぐらい。
孫引きになりますが、この記事の要約として著者が紹介している部分を引用します。
...女中から雇主である奥様(主婦)への苦情を要約すると、①休日や休憩時間など少しも約束通りにしてくれない、②家族の人数などの条件が聞いていたのと違う、③「口に入るものであれば何でもよいのか」というくらいに食事が粗末、④むやみに人を追い使うことばかり考えている、⑤二言目には「のろいのろい」と言う、⑥女中を不正直と決めつけ少しも信用しない、などの声があがった。
もちろん、女中の態度や行動にまったく問題がなかったわけではない。主婦の側からは①見かけは気が利きそうだが、使ってみると役に立たない②皿を壊したり食物を無駄にするなど不注意で仕方がない、③すぐに嘘をつき信用できない、④用事が多いときにかぎって外出するなど、肝心なときに頼みにならない、⑤面倒を見てやっているのに嬉しそうな顔をせず可愛げがない、といった苦情が寄せられた。(P.39)
もうほんとに同じなんですよねえ、このほとんど全部が。
大正時代に、日本基督教婦人矯風会が女中夜学校をやっていたとか、昭和初期に愛国婦人会が、地方出身の娘が就職先の宛のないまま上京し、淪落の道をたどるのを防ごう、と女中養成所をやっていたというのも興味深い話です。この女中養成所でどんなことをやっていたかというと、
入所した女性たちは1週間の泊まりこみで終日、都会での女中としての心構えと必須事項について、講義と実習を通して学ぶ。-中略- ガス・水道・電気の使い方、基本料理の講義、配膳と後片づけ、銃器の手入れと保存法、ガラスの拭き方、風呂の焚き方、市場での買いだし実習、衣類の手入れと保存法、言葉遣いと電話のかけ方、来客への応対、押し売りへの対処法にいたるまで多岐にわたっている。修了者には「実習証」が授与された。(P.127)
だそうです。昭和4年に「社会立法協会」は東京市およびその近郊の家庭女中6千人を対象にアンケート調査を実施して、その労働状況と「つらく思うこと」「こうして欲しいと思うこと」などを調べたそうで、この結果に基づき、昭和5年に以下のような待遇改善の決議を行ったそうです。(P.132)
一、原則として一日八時間の睡眠時間を確保し、少なくとも一ヶ月一日の割合をもって休日を与ふること
一、少なくとも一日二時間の自由時間を与へ、これを教養に利用することを奨励すること一、一人につき一畳を下らざる採光通風の適当なる女中部屋を供し、十分かつ清潔なる寝具を給すること
一、給金は現金をもって毎月これを支払うこと
一、家族の通常食と同等の食糧を供すること、呼称につき差別的取扱ひを為さざること
一、雇い主の都合により解雇する時は、相当の解雇手当を給すること
一、雇用中の病症に対しては相当療養の処置を講ずること
今のバングラデシュでもこれと同じ決議が必要だと頷いてしまいます。
ほかにも、大正から昭和前期にかけて、朝から晩まで自由もなく雇主に隷属しなければならない女中よりも、時間で給金をもらえる縫製工場の女工のほうが気が楽だと、女工志願者が増え、主婦たちが「女中難」に悩むようになった、という話も今のバングラデシュとよく似ています。
この頃、平塚らいてうが『婦人公論』で、女中がなかなかみつからなくて仕事ができないと嘆き、「これは、最も実際的な家庭問題であり、社会問題であります。」といっていた一方、与謝野晶子は「女中を解放せよ」というエッセイを書いて、「今後の女中は卑屈な奴隷の位置から契約労働の自由職業に移り、女中の個人性が尊重されて、八時間乃至六時間の労働以外には、自己の収容と享楽のために費やす時間を有し、労働の報酬も一日の最低賃金一円を標準とするに至るであらうと思ひます。-中略-之なら女子の職業として一つの安全な職業と云ふことが出来ますが、また一方では家庭で無闇と女中を雇はない事にもなるでせう」(P.84)と述べていたという話には、あっぱれ与謝野晶子、と拍手したい思いでした。本質的なことが見えていた人だったんだなあ。日本社会でこれが実現するのは50年後の話ですからね。
さらに、『婦人之友』の主宰者である羽仁もと子は、創刊当初より衣食住をできるだけ手のかからないように改良して家事を軽減するいっぽうで、主婦が率先して働くとともに家族にも家事を分担させ、女中に頼らない生活をめざすことを提唱していた(P.88)とのこと。当時こういう考え方はきわめて異例だったそうです。
『婦人之友』はさらに、「下婢」や「下女」にかわって使われるようになった「女中」という呼称も差別的な意味合いを感じさせるようになってきたということで、「女中」に代わる言葉を懸賞つきで募集しています。そこで「助婦」「お手伝」「家事婦」の3つが最後に残り、検討を重ねた結果一等に当選したのが「お手伝」だったということです。(P.92)「お手伝いさん」という言葉はこうして生まれたのですね。
何もかも今のバングラデシュの状況とそっくりの昔の日本の「女中」さんの話ですが、これは大きく違うなあ、と思ったことが二点あります。
ひとつは、昔の日本では「教育程度が低い農村の子女」と言ったって、小学校ぐらいは出ているひとがほとんどで、年齢も小学校を出るぐらいの歳にはなっていたということです。バングラデシュの少女たちは、うちの隣のナシマを見てもわかるように小学校すらいっていない子、今まさしく小学校に行かなければならないような年頃の子がたくさんいるのです。
あともう一点は、少女たちを雇う側の女性たち自身による議論がバングラデシュではあまり見られないことです。この二点目のほうは実はあるのだけれど私が拾えていない、という可能性もありますが。
またまた長い文章になってしまいました。でもまだ紹介しきれない面白い話、考えさせられる話がたくさんありますのでぜひこの本、読んでみてください。
こういう本が英語に訳されたら、ダッカやインドで使用人として働く少女や女性たちのプロジェクトを一緒にやっているNGOの人たちにもぜひ読んでもらいたいのになあ、と思います。よい経験も悪い経験も含め、日本の過去の経験がほかの国の問題解決のヒントになることはたくさんあると思います。