シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

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2006年08月07日

タゴールの命日

Coffee House.jpg


今日(これを書いているのはバングラデシュ時間では8月6日)は広島原爆の日ですね。
そして...今日がタゴールの“65thDeath Anniversary”ということで、新聞の文化面は全部タゴール特集。テレビもタゴール記念番組がいろいろ放映され、ダッカ大学や町中でもタゴールソングや戯曲の上演など、タゴールにちなんだ催しが。

だからてっきり私は今日がタゴールの命日だと思って、「そうかタゴールの命日のちょうど4年後に原爆が落とされたのか...」と感慨にふけっていたのですが、よく調べたらタゴールの命日は今日じゃなくて明日8月7日みたい。英語でDeath Anniversaryというときは、命日の1日前までで数えるものなんですか?それともバングラデシュ社会全体がタゴールの命日を1日間違えてるのか?そんなはずはないですよね...。うーん、しかし釈然としないな。

それはまあよいとして、とにかくベンガルが生んだ巨人、詩聖タゴールが亡くなって65年であります。生涯に数千にのぼる詩や歌(インドとバングラデシュの国歌含む)、戯曲や小説を残したタゴールは、今も国境の両側にまたがり、ベンガルの人々の心の宝です。(上の写真はコルカタ大学近くにある有名なコーヒー・ハウス。もう100年以上はたっている建物で、昔も今も知識人や文化人、学生たちの語らいの場です。壁にかかっているのはタゴールの肖像。)

シャプラニールが支援する、バングラデシュの村の貧しい子どもたちの補習教室でも、思春期の少女たちのグループでも、タゴール作詞・作曲の国歌、「アマル・ショナル・バングラ」(わが黄金のベンガル)はよく歌われます。伴奏もないことが多いし、子どもたちの歌は調子っぱずれなので、最初のうちは聞いてもメロディーがよくわからなかったのですが、ゆるやかな、ベンガルの豊かな自然への憧れに満ちた歌です。

命日にちなんでタゴールの人生を少し振り返ろう、と思って、手元の森本達雄著「ガンディーとタゴール」(第三文明社レグルス文庫)のページをめくってみました。持ってはいたけどちゃんと読んでいなかった本のひとつです。(恥ずかしながら私の手元にはそういう本がいっぱい)

この本はNHKラジオで語られたお話を元にまとめられているので、ですます調の語り口の中に、著者の森本氏のタゴールやガンディーへの思いが溢れていて、タゴールやガンディーの命日や誕生日に読むにはよい本です。

あらためて知ったのですが、タゴールがアジアではじめてノーベル賞を受賞したときの他の候補にはフランス文壇の大御所アナトール・フランスや、哲学者のアンリ・ベルグソンもいたんですね。タゴールの推薦書は詩人イェイツの友人がまったく個人の資格で出したただ1通のものでしたが、詩集『ギタンジャリ』を読んだ選考委員たちは深く心を動かされ、この当時西欧社会では無名だったインドの詩人を受賞者に選んだのでした。「当時、『白人』でない詩人に賞が贈られたことに、西洋社会はいたく驚きとまどった」のだそうです。んー、そうでしょうなあ。
でもタゴールは自分の作品が「国境や言語や肌の色を越えて」理解されたことを素直にとても喜んだそうです。

「生来の自然児」であったタゴールは、イギリス式の学校の詰め込み教育に耐えられず、ついに学校の卒業証書はひとつも手にしておらず、教育はすべて家庭で受けています。8歳のときから詩を書き、21歳のときに「世界の普遍的な光」と自己の合一の歓びを感じる体験をし、生涯を通じて大自然と生命の中にある「永遠なるもの」を賛美し続けたタゴールは、30代のとき10年間を農村で暮らし、さまざまな「農村開発」の方法を試みた人でもありました。

この本によるとタゴールは「無力な農民の力を結集すべく、農業共同組合的な自治組織を設立、悪質な高利貸しの魔手を排除するための頼母子講を導入、農閑期の副業としての織物・染物・皮細工などの家内工業の振興と市場の開発に奔走」「自ら家庭医学書を読みあさり、だれにでもできる基本的な病気の治療法や薬草の知識の普及にも努めました」とあります。

これって今シャプラニールやいろいろなNGOがやっていることと、基本的にあまり変わらないですよね。
非常に裕福な家の出のエリートだったとはいえ、自身がベンガル人であるタゴールが100年以上前に「農村開発」に取り組んでいたことを思うと、今のバングラデシュの状況は進歩しているんだかしていないんだかよくわからなくなります。

晩年のタゴールは世界各地へ旅をし、世界平和と機械文明や商業主義への警告を訴え続けました。森本氏の本にはこう書かれています。

「こうしてタゴールは、いよいよ『世界市民』としての自覚と責任感を強め、以来彼は、その死までの晩年の歳月のほとんどを、『狭い国家主義の壁によってばらばらにされない』一つの世界の理想の松明をかかげて、ヨーロッパから南北アメリカ大陸へ、ソヴィエトから中国・日本・東南アジアや中東の国々へと、愛と平和の巡礼の旅を続けたのでした。タゴールほど、自分の頭上にかがやいたノーベル賞の栄誉を、人類に還元したノーべりストはいなかったと言えましょう。」

そして第二次大戦の悲劇に心を痛めながら、しかし、死に瀕してもなお「この世は味わい深く、大地の塵までが美しい-」で始まる生命賛歌の詩を残し、80歳の生涯を閉じたのでした。

タゴールが今生きていたら、ガンディーが今生きていたら、このいまだに不公平と争いに満ちた世界を見てどう思っただろう?と時々考えます。そして彼らが今の時代に生きていたら、どんな行動をとっただろう?

最後に、シャプラニールの評議員でもある、北星学園大学の萱野智篤先生・真理子さんご夫妻に教えていただいたタゴールの詩のひとつを紹介します。

危険から護られるよう祈るのではなく

危険から護られるよう祈るのではなく、恐れる事なく直面しよう。
わたしの苦しみの納まることを願うのではなく、それを克服する心をこそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのでなく、われわれ自身の力をこそ求めよう。
救われることを心配しながら求めるのではなく、わたしの自由を勝ち取る忍耐をば望もう。
わたしが、人生の成功のためのみにあなたの慈悲を当てにする卑怯者ではなく、
わたしの失敗のなかにあなたの手の握りを発見する勇者でありますよう。

ラビンドラナート・タゴール、「果物採取」より
川口正吉訳


目先の仕事だけにとらわれるのでなく、タゴールを生んだこのベンガルの大地で働けることの歓びを、時折タゴールの詩集をひもといて感じながら、日々を過ごしたいものです。

追記:またインド事業に関係ない話になってしまいましたが、次回こそ。



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2006年06月20日

コルポナ・ディディの結婚

昨年シャプラニールから独立した農村パートナー団体「COLI」の女性スタッフのひとり、コルポナさんが先週の金曜日に結婚しました。コルポナさんはヒンドゥー教徒。ここではムスリムの女性を呼ぶときはアパ、ヒンドゥーやほかの宗教の女性を呼ぶときはディディを名前の後ろにつけるのが普通です(でもなぜか私はえみこアパですが)。なのでコルポナさんは皆に「コルポナ・ディディ」と呼ばれて親しまれています。

コルポナ・ディディと寡婦グループ.jpg

コルポナ・ディディは、COLIが独立する前、シャプラニールの地域活動センターだった時から長く勤めているスタッフで、イショルゴンジ3地域事務所で女性ショミティや寡婦グループなどの担当をしています。彼女の活躍は昨年会報でも紹介したので、会員の方は覚えていらっしゃるかもしれません。

写真 は寡婦グループの人たちとのミーティングで、メンバーの女性たちを椅子に座らせ、自分はどかっとゴザに座ったコルポナさん。COLIのマネジャーたちと村へ行くと、ショミティ・メンバーなどが気をつかって椅子を出してきてくれて、私たちはそこに座らされ、ショミティの人たちはゴザに座る、というパターンになってしまうことが多いのですが、逆をやっちゃうコルポナさんはいい感じだなあ、と私は初めて会ったときに思っていました。

COLIのスタッフや担当している寡婦グループのメンバーなど、みんなの「あねご」として親しまれてきたコルポナさんは7人きょうだいの一番上。妹さんの縁談をまとめるときには奔走したそうですが、ご自身は未婚でした。その“かまわなさかげん”は「コルポナ・ディディは人のことには一生懸命だけど、自分のことはいつも後回しだから...」と皆が口にするぐらいだったのですが、このたびジョソールのガーンディー・アーシュラム(ガーンディーの思想を受け継いだヒンドゥー系の社会福祉施設)で働いているお相手と、晴れて結婚することに。ダッカ事務所でもその知らせを聞いて皆喜びました。

コルポナさん.jpg

式の3日前にダッカ事務所に電話がかかってきて、「シャプラニールの皆さんもぜひ招待したいの。料理も私が自分でつくるのよ!あと3日あるからがんばらなきゃ」と話していたコルポナさん、元気いっぱいでうれしそうでした。

私は残念ながら行けなかったけれど、きっとCOLIの仲間たちに祝福され、宴は盛り上がったことでしょう。「しばらくは夫とは別居でお互いに仕事を続けるつもり」とのこと、バングラデシュではめったにない結婚の形ですね。

でも、二人のお互いへの理解と信頼があればきっとうまくいくでしょう。私も夫を置いて単身赴任だけどなんとかなってるしね(笑)。応援してるよ、コルポナ・ディディ。今度お連れ合いの写真見せてね。


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2006年05月15日

インドの家政婦ベイビーの「普通じゃない人生」

久しぶりに昔住んでいたインドのニューデリー(今は猛暑!)へ行ってきました。5月11日から13日は、ダッカ事務所は祝日含め3連休。何をしようかなーと思っていたところ、デリーでフェミニズム出版社Zubaanを営む敬愛する友人、ウルワシー・ブターリアから新しい本の出版記念イベントの知らせがメールで舞い込みました。(出版社Zubaanのウェブサイトは、http://www.zubaanbooks.com/)

A life less ordinary.jpg


その新しい本というのは、デリー近郊で家庭の使用人(家政婦)として働く女性が、幼い頃からの苦難の人生を自分で記した本。6年生までしか学校へ行っておらず、12歳で結婚させられ、13歳で最初の子どもを産んだ彼女が、現在の雇い主である大学教授の励ましを得て、毎夜仕事の後ノートに向かい、書き上げた本なのでした。タイトルは“A Life Less Ordinary”、直訳すれば「あまり普通じゃない人生」。元は彼女の母語であるベンガル語で書かれたものを、雇用主の大学教授がヒンディー語に翻訳し、それをさらにウルワシーが英語に翻訳したわけです。(ベンガル語版もあとから出版されています)


当日は著者であるベイビー・ハルダールさんが出てくる短いドキュメンタリー・フィルムの上映後、ベイビーさんと、アクティビストとしても知られる女優のナンディータ・ダスさんのトークがあるとのこと。デリー往復のエアチケットはちと高いけど、ダッカの自宅で3日間だらだらしているより、えいっと行っちゃおう!デリーの友人たちにも会いたいし、と思い立ち、行ってきて正解でした。


ベイビーとナンディータ.jpg

ベイビーは今30代前半。たくさんの聴衆を前に相当緊張していましたが、控えめな中にも知性を感じさせるひとでした。ウルワシーが持ちかけたこのトークへの参加を二つ返事で引き受けたというナンディータはインドでは誰もが知っている有名な女優さん。本のフレーズを時々読み上げて紹介しながら、ベイビーの話をうまく引き出し、トークをまとめる知性と美しさに惚れぼれ。才色兼備とはこういうひとのことを言うのだなあ。(ナンディータのことをもっと知りたい人は彼女のオフィシャル・ウェブサイト、http://www.nanditadasonline.com/を見てください。広島にも来ているし、津波のときはスリランカにも行っています。)

photo:思いを語るベイビー(左)とナンディータ 


私はもうヒンディー語をすっかり忘れており、ベンガル語でベイビーさんに質問しました。今の雇い主である大学教授は、あなたが本を書くにあたってどんな風に励ましてくれたのですか?今あなたの前に家庭の使用人として働く小さな少女がいたら、その子になんと言ってあげたいですか?

ベイビーさんは考え考えこのように答えてくれました。「大学教授の私の雇い主は、ずっと教育に携わってきた人なので、人の中にあるダイヤモンドを見つける才能があるのだと思います。そうやって私の中のダイヤモンドを見出し、それを磨くように励ましてくれました。」「使用人として働くほかの少女たちには、家の仕事をするだけでなく、何かひとつ、自分ができるほかのことをみつけなさい、と言いたいです。」


少女時代悲惨な人生を送ってきたベイビーですが、今の雇い主に出会え、才能を見出されたことは本当に幸運でした。今は家政婦の仕事をしながら2冊目の本を執筆中とのこと。

ウルワシー、ベイビー、ナンディータ.jpg


今年からシャプラニールは使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカで、家政婦として働く女性たちのためのプロジェクトをインドのコルカタで始めます。コルカタの女性たちも村から早朝ローカル列車に揺られて通勤し、少ない賃金で酷使されて相当大変なのですが、ダッカで使用人として働く少女たちは小さな子どもなだけに悲惨です。ベイビーさんの本はバングラデシュでは残念ながらまだ出版されていないようですが、ベンガル語版が出せれば、バングラデシュで使用人として働く少女たちも小学校4年生ぐらいまで行った子なら、読むことができるでしょう。

なんとかバングラデシュでも(そしてできれば日本でも)この本が出版されるように繋ぎをつけたいものです。


photo:左からZubaanのウルワシー、本を手にうれしそうなベイビー、ナンディータ

(2006年5月14日)


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2006年05月11日

ナスリーン・ホクさんを悼む

4月26日、バングラデシュでもっとも尊敬されていた女性NGOリーダーの1人、ナスリーン・ホクさんが悲劇的な事故で亡くなりました。47歳でした。彼女は国際NGO、アクションエイドのバングラデシュ代表をつとめていたのですが、それ以前にも女性の権利のためのNGOや障がい者支援団体などで活躍。とくに、過酷な人生を強いられた女性たちのために尽力した人でした。ジャイジャイディン ナスリン特集.jpg

彼女が亡くなった翌日から、シャプラニールのダッカ事務所のアドレスが登録されている様々なNGOのネットワークから追悼のメールが流れてきました。その分野は教育、障がい、災害対策など多岐にわたり、彼女がいかに広い分野で活躍し、信頼を得ていたかが伺えました。

私がナスリーンさんに会ったのは、彼女のお姉さんのシリーンさんの家で。シリーンさんも女性への暴力の問題などに取り組むアクティビストで、夫はゴノ・シャスト・ケンドロというバングラデシュでも草分けの医療NGOを創設したジャフルッラー氏。シャプラニールの大橋代表が彼らと親しいため私も紹介してもらい、何度かシリーンさんの家には晩御飯に呼んでもらったりしていたのです。

お会いした日のナスリーンさんは、1歳をちょっと過ぎた赤ちゃんを抱っこして、アクティビストというよりお母さんそのものの笑顔でにこにこしていました。「シャプラニールとアクションエイドは前にロヒンギャ難民の支援活動をいっしょにやったことがあるのよね。また何かあったらぜひ一緒に仕事したいと思っているのよ。」と話してくれました。

お会いしたのはただそのとき一度だけだったけれど、彼女の穏やかな笑顔と、赤ちゃんを抱いた幸せそうな姿が忘れられません。時折テレビなどで見る彼女は、凛として論理的に語っていたけれど、笑い声も豪快なお姉さんのシリーンさんに比べ、どちらかというと物静かな印象の人でした。

きのう、今年からシャプラニールと一緒に、使用人として働く少女たちのためのプロジェクトを始めるPhulki(フルキ)というNGOの事務所に打ち合わせに行きました。Phulkiの代表のスライヤさんは、もうお孫さんがいるようなお年の女性ですが、ナスリーンさんの話が出たとたん、「シリーンやナスリーンがやってきた仕事は私たちのバックボーンだった。ナスリーンとは気が合ってなんでもよく話したものよ。実質彼女はフルキのアドバイザーみたいなものだった。」と涙ぐんでしまいました。「彼女は声高に物を言うというより、黙々と仕事をして、そのあとで話し始めるタイプの人だった。自分はあまり表に出ずに陰からいろんな人や団体をサポートしていたのよ。今まで彼女がやってきた仕事、これからできたであろう仕事のことを考えると本当に辛いわ。」私たちは皆でしんみりしてしまい、なかなか打ち合わせに入れませんでした。

ベンガル語の週刊タブロイド紙、ジャイジャイディンの今週号は、「ロールモデル、ナスリン・ホク」と題した彼女の追悼特集です。様々な人が彼女の思い出を語り、彼女の最期のことも綴られています。ナスリーンさんが病院に運び込まれたとき、事故の知らせを聞いた人々が次々に病院の周りに集まってきました。NGO関係者やメディア関係者、友人たちももちろんいましたが、ごく普通の貧しい女性たち、男性からの暴力で顔や身体に硫酸をかけられたアシッド・サバイバーの女性たちや、障がいをもつ女性たちも集まり、彼女の容態についての知らせを息をつめて待っていたといいます。

ナスリーンさんがかつてアシッド・サバイバーの女性たちに語ったという言葉が紹介されていました。硫酸でただれた顔を隠して外出する女性たちを見て、こう言ったそうです。「なぜあなたが自分を恥じるの?恥じるべきなのはあなたたちに傷を負わせたこの社会なのよ。もっと顔を出して外へ出るの。バスにも電車にも乗って出かけるのよ。あなたが受けた傷を見て世の中の人は自分たちがいかに愚かかがわかるのだから。」アシッド・サバイバーの支援組織を立ち上げ、彼女たちを自宅に呼んで親身に世話をし、職探しに奔走した彼女だからこそ言えた言葉でしょう。

ナスリーンさん、もっとあなたとお話ししたかった。あなたのようなリーダーから学びたかった。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

(2006年5月10日)


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