タゴールの命日

今日(これを書いているのはバングラデシュ時間では8月6日)は広島原爆の日ですね。
そして...今日がタゴールの“65thDeath Anniversary”ということで、新聞の文化面は全部タゴール特集。テレビもタゴール記念番組がいろいろ放映され、ダッカ大学や町中でもタゴールソングや戯曲の上演など、タゴールにちなんだ催しが。
だからてっきり私は今日がタゴールの命日だと思って、「そうかタゴールの命日のちょうど4年後に原爆が落とされたのか...」と感慨にふけっていたのですが、よく調べたらタゴールの命日は今日じゃなくて明日8月7日みたい。英語でDeath Anniversaryというときは、命日の1日前までで数えるものなんですか?それともバングラデシュ社会全体がタゴールの命日を1日間違えてるのか?そんなはずはないですよね...。うーん、しかし釈然としないな。
それはまあよいとして、とにかくベンガルが生んだ巨人、詩聖タゴールが亡くなって65年であります。生涯に数千にのぼる詩や歌(インドとバングラデシュの国歌含む)、戯曲や小説を残したタゴールは、今も国境の両側にまたがり、ベンガルの人々の心の宝です。(上の写真はコルカタ大学近くにある有名なコーヒー・ハウス。もう100年以上はたっている建物で、昔も今も知識人や文化人、学生たちの語らいの場です。壁にかかっているのはタゴールの肖像。)
シャプラニールが支援する、バングラデシュの村の貧しい子どもたちの補習教室でも、思春期の少女たちのグループでも、タゴール作詞・作曲の国歌、「アマル・ショナル・バングラ」(わが黄金のベンガル)はよく歌われます。伴奏もないことが多いし、子どもたちの歌は調子っぱずれなので、最初のうちは聞いてもメロディーがよくわからなかったのですが、ゆるやかな、ベンガルの豊かな自然への憧れに満ちた歌です。
命日にちなんでタゴールの人生を少し振り返ろう、と思って、手元の森本達雄著「ガンディーとタゴール」(第三文明社レグルス文庫)のページをめくってみました。持ってはいたけどちゃんと読んでいなかった本のひとつです。(恥ずかしながら私の手元にはそういう本がいっぱい)
この本はNHKラジオで語られたお話を元にまとめられているので、ですます調の語り口の中に、著者の森本氏のタゴールやガンディーへの思いが溢れていて、タゴールやガンディーの命日や誕生日に読むにはよい本です。
あらためて知ったのですが、タゴールがアジアではじめてノーベル賞を受賞したときの他の候補にはフランス文壇の大御所アナトール・フランスや、哲学者のアンリ・ベルグソンもいたんですね。タゴールの推薦書は詩人イェイツの友人がまったく個人の資格で出したただ1通のものでしたが、詩集『ギタンジャリ』を読んだ選考委員たちは深く心を動かされ、この当時西欧社会では無名だったインドの詩人を受賞者に選んだのでした。「当時、『白人』でない詩人に賞が贈られたことに、西洋社会はいたく驚きとまどった」のだそうです。んー、そうでしょうなあ。
でもタゴールは自分の作品が「国境や言語や肌の色を越えて」理解されたことを素直にとても喜んだそうです。
「生来の自然児」であったタゴールは、イギリス式の学校の詰め込み教育に耐えられず、ついに学校の卒業証書はひとつも手にしておらず、教育はすべて家庭で受けています。8歳のときから詩を書き、21歳のときに「世界の普遍的な光」と自己の合一の歓びを感じる体験をし、生涯を通じて大自然と生命の中にある「永遠なるもの」を賛美し続けたタゴールは、30代のとき10年間を農村で暮らし、さまざまな「農村開発」の方法を試みた人でもありました。
この本によるとタゴールは「無力な農民の力を結集すべく、農業共同組合的な自治組織を設立、悪質な高利貸しの魔手を排除するための頼母子講を導入、農閑期の副業としての織物・染物・皮細工などの家内工業の振興と市場の開発に奔走」「自ら家庭医学書を読みあさり、だれにでもできる基本的な病気の治療法や薬草の知識の普及にも努めました」とあります。
これって今シャプラニールやいろいろなNGOがやっていることと、基本的にあまり変わらないですよね。
非常に裕福な家の出のエリートだったとはいえ、自身がベンガル人であるタゴールが100年以上前に「農村開発」に取り組んでいたことを思うと、今のバングラデシュの状況は進歩しているんだかしていないんだかよくわからなくなります。
晩年のタゴールは世界各地へ旅をし、世界平和と機械文明や商業主義への警告を訴え続けました。森本氏の本にはこう書かれています。
「こうしてタゴールは、いよいよ『世界市民』としての自覚と責任感を強め、以来彼は、その死までの晩年の歳月のほとんどを、『狭い国家主義の壁によってばらばらにされない』一つの世界の理想の松明をかかげて、ヨーロッパから南北アメリカ大陸へ、ソヴィエトから中国・日本・東南アジアや中東の国々へと、愛と平和の巡礼の旅を続けたのでした。タゴールほど、自分の頭上にかがやいたノーベル賞の栄誉を、人類に還元したノーべりストはいなかったと言えましょう。」
そして第二次大戦の悲劇に心を痛めながら、しかし、死に瀕してもなお「この世は味わい深く、大地の塵までが美しい-」で始まる生命賛歌の詩を残し、80歳の生涯を閉じたのでした。
タゴールが今生きていたら、ガンディーが今生きていたら、このいまだに不公平と争いに満ちた世界を見てどう思っただろう?と時々考えます。そして彼らが今の時代に生きていたら、どんな行動をとっただろう?
最後に、シャプラニールの評議員でもある、北星学園大学の萱野智篤先生・真理子さんご夫妻に教えていただいたタゴールの詩のひとつを紹介します。
危険から護られるよう祈るのではなく
危険から護られるよう祈るのではなく、恐れる事なく直面しよう。
わたしの苦しみの納まることを願うのではなく、それを克服する心をこそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのでなく、われわれ自身の力をこそ求めよう。
救われることを心配しながら求めるのではなく、わたしの自由を勝ち取る忍耐をば望もう。
わたしが、人生の成功のためのみにあなたの慈悲を当てにする卑怯者ではなく、
わたしの失敗のなかにあなたの手の握りを発見する勇者でありますよう。
ラビンドラナート・タゴール、「果物採取」より
川口正吉訳
目先の仕事だけにとらわれるのでなく、タゴールを生んだこのベンガルの大地で働けることの歓びを、時折タゴールの詩集をひもといて感じながら、日々を過ごしたいものです。
追記:またインド事業に関係ない話になってしまいましたが、次回こそ。
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1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。








