シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2009年03月12日

山羊・羊授与式

最近BDR事件のことばかり書いてますが、仕事もちゃんとやってますよーということで、今日のお仕事紹介。今日はマニックゴンジ県のパートナー団体、STEPのドウロトプール事務所で、おばちゃんたちへの山羊・羊授与式がありました。

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これはFAOのテレフード・プログラムにシャプラニールが応募して実現したもの。テレフードというのはFAOが実施する反飢餓キャンペーンで、FAOが集めた募金がバングラデシュのように栄養不足の人が多い国での農作物や家畜など、食糧増産のプロジェクトに使われるものです。そのプログラムで今回シャプラニールは山羊と羊の購入資金をもらいました。FAOには前にもじゃがいもの種芋や牛の購入資金をもらったことがあります。

このマニックゴンジ県のドウロトプール郡というところは、川の浸食により移住してきた貧しい人が多いところで、とくに夫が亡くなったり、出て行ってしまったりして女性が世帯を背負っている家庭が多いのです。そういう女性世帯主としてがんばっているおばちゃんたち80人にこのテレフードの資金で山羊もしくは羊を4匹ずつ買って渡し、山羊や羊の育て方について研修をし、病気になったりしないようにフォローアップします。この山羊や羊はタダであげるわけではなく、少しずつその代金を返してもらうのですが、山羊や羊をうまく太らせて高く売ったり、子どもが生まれればそれがおばちゃんたちの利益になります。返してもらったお金でまたさらに多くの女性たちに山羊・羊を配ることができます。

今日はその山羊・羊の手渡しセレモニー、というわけで、地域行政のエライ人やFAOダッカ事務所の職員、郡の獣医さんなどが挨拶をし、最後におばちゃんたちに山羊・羊を手渡しました。

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会場は事務所の庭に張ったテントの中だったんですが、これが暑い。そしてテントの裏ではつながれた山羊や羊がメーメーうるさい。来賓は遅れてくるし、おばちゃんたちは暑い中待たされてるし、山羊や羊は炎天下に長くおいてたら死んじゃいそうだし、気が気じゃなかったけど、まあなんとかつつがなく終わってよかったよかった。

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こちら羊を受け取ったおばちゃん。立派な羊ですなー。

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こちらは山羊。

山羊にするか羊にするかはおばちゃんたちの希望次第だったのですが、山羊のほうが多かったですね。でも山羊より羊のほうが大きくて立派でした。一人当たりの購入費は同じはずなので、羊のほうが割安だったということですかね。

今日手渡された山羊・羊のなかにはすでにお腹に赤ちゃんがいるメスもかなりいました。皆さん、がんばって丈夫に育ててどんどん増やしてね。まず最初の難関は雨期と洪水の時期をどう乗り越えるか。STEPのスタッフのみんな、しっかり家庭訪問してフォローしてね。


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2009年02月09日

農村出張の夜

ノルシンディ県のパートナー団体、PAPRIのナラヤンプール事務所に一泊二日で来ています。来年度以降新たに3年間PAPRIと一緒に実施する予定の活動のPDM(プロジェクト・デザイン・マトリックス)づくりをPAPRIのスタッフたちやダッカ事務所から参加の2人のスタッフも一緒に夜9時までがんばり(でもまだ終わらず明日も続行)、晩御飯を食べて水浴びをしてあとは寝るだけ、というところ。

ダッカではもう寝るとき毛布も要らないぐらいの暖かさで、たまに扇風機を回したりさえするぐらいなのに、ここはまだ寒いです。今夜綿布団一枚で寝てる間に寒くならないかなあ、と心配なぐらい。今、部屋の中ではフリースの上着を着ています(寝るときも着て寝よっと)。ダッカ事務所のスタッフも1人はもう暖かいと思ってセーターや上着を持ってこなかったので夕方寒さに震えていました。ダッカと農村は車で2時間程度の距離でもかなり気候が違います。

しかし自分で不思議なのは、こういう日に水浴びしても村でだとあまり寒く感じないこと。人間て環境に慣れるんですよね。それに無いと無いなりに諦めがつくし。湯沸かし器のあるダッカの自宅だと、寒くなくてもシャワーからお湯が出ないと嫌なのに、村だと寒い日に冷たい水でも平気。水浴びする直前まで「寒いなあ、水浴びどうしようかなあ」なんて考えているんですが、いざ水浴びすると決めて、バスルームに入って裸になると、その瞬間心身ともに覚悟が決まるんですよね。よし!これから冷たい水浴びるぞ、っていう。そうすると水を浴びても冷たく感じないんです、ほんとに。しかも冷たい水を浴びたあとは、身体がじわーっと温かく感じて、それはけっこう気持ちいいです。でもまあ、村の寒い夜には髪は洗わないほうがいいですけどね。風邪引かないためには。

あ、ちなみに3月のスタディツアーに参加を検討されてる方、心配ないですよ。3月末はもう暑いですから。フリースを着るような寒さは村でも2月半ばぐらいまでですかね。

さて...では蚊帳を下ろして布団かぶって寝るとしますか。おやすみなさい。

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文章と直接関係ないですが...。ビー玉で遊ぶチョールの子どもたち。


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2009年01月26日

村の少女グループのスタディツアー

今日からパートナー団体のPAPRIとSTEPの少女グループ(注)の選抜メンバー計20名が、ジナイダ県のNGOの少女グループを訪ねる2泊3日のツアーに出かけています。それぞれの団体から引率のスタッフ、3-4名、ダッカ事務所からもスタッフ2名とドライバー1名が参加の大集団です。

これまでも村の少女グループの遠足や相互訪問はありましたが、2団体の連合チームで遠くの別の団体へ行く、というのは初めて。私はダッカで留守番しながら、今どの辺りかなあ、みんな元気にしてるかなあ、と気を揉んでいます。村の少女たちにとって、他県へ泊りがけで出かける、というのは大変なこと。とくにPAPRIからの参加者10名のうち5名は、ノルシンディ県ライプラ郡のメグナ河のチョール(中洲)の子たちで、バスどころかリキシャも見たことない、という子たちです。彼女たちにとってジナイダまで行くというのは、東京の子がブラジルに行くぐらいの大冒険じゃないだろうか、と想像します。

バスでゲーゲーする子たちが何人も出ることを想定して、ポリ袋に紙袋を入れたエチケット袋や酔い止めの薬なども用意しています。

ジナイダ県はダッカからでも車で最低6時間ぐらいはかかるところ。普通はマニックゴンジ県のアリチャガットでフェリーに乗ってポッダ(ガンジス)川を渡っていくのですが、昨日からひどい霧でフェリーの運行に支障を来たす事態になってしまいました。

昨日は朝から「こんな霧じゃ明日からのツアー、どうしよう」とスタッフたちと頭を悩ませ、結局フェリーガットを避けてジョムナー橋を渡るルートで行くことを決断。遠回りですが、トイレや食事の場所などはこのルートのほうがたくさんあります。また、当初は各チーム、12人~14人乗りのマイクロバスで別々に行く予定だったのですが、「慣れないマイクロバスは霧の中で事故を起こすかもしれないし、道に迷うかもしれない。いつもこのルートを行き来しているハイウェイバスを借りて一緒に行ったほうがよい」というスタッフたちの主張で、ダッカの1ヶ所に集合して皆がバスに乗り込み、一緒に行くことに。

今朝はダッカ事務所のスタッフから「今、PAPRIのチームが来てバスに乗りこみましたっ!」「STEPチームも来ましたっ!」「これから出発します!」と何度も電話が入り、さっき昼休み中に電話したら「ジョムナ橋を無事に渡ってみんなでお昼食べてます。今のところ異常なしです!」と聞いてほっとひと息。みんな近代的で大きなジョムナ橋を初めて渡って、興奮冷めやらぬ頃でしょう。

一行は今日、ジナイダのNGO事務所などに泊まり、明日4つのグループに分かれて現地NGOの少女グループの活動を見学、夜は歌やお芝居などの文化プログラムを楽しんで、あさっての朝帰途につく予定です。

今回の交流でSTEPとPAPRI、そして訪問先もあわせ3団体の少女たちがますますパワーアップして今後の活動を盛り上げてくれることを期待しています。どうか病人が出たり事故にあったりしませんように...。全員が無事旅を終えて家に帰りついたという知らせを聞くまで、落ち着かない気持ちです。

今頃、村で待つ少女たちの家族はもっと心配しているでしょう。少女たちがたくさんの土産話を持って帰って、家族や村の人たちを楽しませたり感心させたりすることができるといいな、と思います。

追記:その後、夕方4時半過ぎに「ジナイダに着きました!」と電話が。早い...6時ぐらいになるかと思ってたのに。いったいどういうスピードで行ったんだ?帰りも気をつけてよね。でも無事着いてよかった...。

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踊りを披露するSTEPの少女グループメンバー。

注)少女グループ: 13歳から17歳ぐらいまでの村の少女たちが地域ごとにグループをつくって定期的に集まり、リプロダクティブ・ヘルスやリーダーシップの研修を受けたり、文化プログラムを楽しんだり、地域のためにボランティアをしたりするプログラム。現在、PAPRIの活動地に60グループ、STEPの活動地に22グループ、こういった少女グループがあり、メンバー総数は1500人を超えます。JJSと一緒に復興支援活動実施中のシドル被災地、バゲルハット県のボクルトラ村でも6つの少女グループが結成され、活動を始めています。


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2008年10月25日

ポイラ高齢者の集い

10月1日は国際高齢者デー(International Day of Older Persons)。シャプラニールはマニックゴンジ県で活動するパートナー団体、STEPと協働して、3年ほど前から毎年この日にちなんで高齢者の集いを開催しています。今年は10月前半にイスラム教のイード休みやヒンドゥー教のドゥルガー・プジャ休みが続いたので、ちょっと遅れて10月20日の開催となりました。

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写真はポイラ事務所の庭にテントを張った会場に集まったお年寄りたち。150人ぐらいはいたでしょうか。前のほうに女性たち、後ろのほうに男性たちが座っています。おばあちゃん優勢。

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ポイラ事務所近くのテロスリー村の少女グループのメンバーも、お年寄りに「国際高齢者デー STEP高齢者集会」と書かれたキャップをかぶせてあげたり、参加者名簿をつくったり、ボランティアとして甲斐甲斐しくお手伝い。

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集いはまず、「国際高齢者デー」と書かれた垂れ幕を持っての行進からスタート。ポイラ事務所から近所のテロスリー小学校までの短い距離の往復ですが、数十人のお年寄りが参加しました。この日は日中の最高気温が30度を超える暑さだったので、お年寄りにはなかなか厳しいものがありましたが、参加した人は楽しんでいたようです。歩くのがしんどい人は会場でお留守番。

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行進終了後は会場の前方に用意したマイクの前に披露したい芸がある人、話したいことがある人が次々と出てきて、文化プログラム開始。

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ハルモニウムを弾きながら自慢の喉を披露する人あり...

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訥々と語るおばあちゃんあり...

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昔、村芝居で鳴らしたというおじいさん二人による、迫力あるチャンバラ・シーンの披露あり...

ということで皆さんなかなか芸達者。その後、10数える間に短い紐を使っていくつ結び目をつくれるか?などというゲームも行われたりして、これら文化プログラムの参加者には賞品のコップが渡されました。

この集会には来賓として地域のエリートも参加。郡の行政のトップであるUNO(郡令)や郡の警察のトップなども訪れて参加者に挨拶しました。最近ギオール郡に配属されたUNOとは初めてお会いしましたが、彼は「皆さんを目の前にすると、故郷に残してきた老いた両親を思い出し、すぐにでも休みをとって故郷に帰りたい気持ちになります」とスピーチ。もったいぶったカタイ挨拶をする役人が多い中、なかなかハートのある人だな、と思いました。

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その後、参加者のうちとくに足が悪くて貧しい20人のお年寄りに杖の贈呈。写真で贈呈しているのは、そのハートのあるUNO氏です。

この杖の贈呈が終わるか終わらないうちから、なんとなく会場はざわざわ。立ち上がって事務所の建物内に移動する人たちが目立ちます。

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それはお医者さんが到着し、事務所の中で無料の健康診断が始まったため。時間もマンパワーも限りがあるので、簡単な診療と基本的な薬の処方しかできませんが、これを一番の目当てに来る人も多いのです。

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杖の贈呈が終わるとちょうどお昼。椅子を取り払い、ジュートの敷物の上に皆並んで座って、一緒にお昼ご飯です。この日のメニューはチキンカレーとじゃがいものカレー、そしてダール豆のスープ。200人分の昼食はポイラ事務所の調理スタッフ、ユスフが2人のアシスタントを使って朝の4時からがんばって用意したもの。

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ごく基本的なメニューではありましたが、味はなかなかのもので、来賓にも、参加したお年寄りたちにも好評でした。

朝10時過ぎから始まった集いは2時半ごろにはお開きとなり、その後、STEPが今年から行っている高齢者への巡回訪問の対象者2人を訪ねました。これまでは年に1度の高齢者集会を行うだけだったのですが、農村のお年寄りの困窮状態をみるにつけ、高齢者のための活動の必要性を感じ、今年から試験的に開始したものです。1年目は事務所から比較的近くに住んでいて困窮度合いが大きく、家族がいるお年寄り20人を選んで、STEPのスタッフが毎月家庭訪問しています。「家族がいるお年寄り」をまず選んだのは、STEPがお年寄りに直接サービス提供するというより、家族や地域の人々に働きかけてお年寄りの状況をよくしていく、というアプローチをとろうとしているからです。

この日訪問したのは2人ともバグディというヒンドゥーの被差別カーストのおばあさん。村の中でもとくに貧しいバグディであることに加え、高齢であること、夫に先立たれた「未亡人」であることで、さらに弱い立場におかれている人たちです。この村でもっとも弱い立場にある人、といってもいいかもしれません。

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最初に訪ねたクムディニさんは体調を崩して横になっていました。STEPのスタッフのシリンが「今日の集会に来てなかったから心配したのよ。でも今日は暑かったし体調が悪かったんなら無理に来ないのが正解だったわよ」と話しかけます。「行きたかったんだけど咳が止まらなくてね...」とクムディニさん。

クムディニさんの食事や身の回りの世話は同じ敷地内に住む次男一家がしています。少し経済状態のよい長男夫婦も同じ敷地の一番いい家に住んでいるのに、クムディニさんには知らんぷりだとか。次男の妻やその娘はクムディニさんをよく手伝っているそうで、夜トイレに行くときも孫娘がつきそっているそうです。トイレは盛り土した家の敷地の外側にあるので、そこに行くには土手をおりていかなければなりません。農村の夜、外は真っ暗です。夜中に用を足すことがお年寄りにとってはどれだけ大変か。

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次に訪問したのは同じくバグディのテニバラさん。この日は高齢者の集いでもらった杖を手に、新しいサリーをこざっぱりとまとって笑顔を見せてくれましたが、実は彼女は日頃はクムディニさんよりずっと辛い状況におかれています。

テニバラさんの息子夫婦はテニバラさんを非常に邪険に扱い、母屋の中に同居させず、軒先を囲っただけのスペースに住まわせているのです。実は去年の高齢者集会でもテニバラさんは杖をもらったのですが、その杖は息子が子どもをたたくのに使って折ってしまったとのこと。ひどい話です。

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3ヶ月ほど前からSTEPのスタッフが通うようになり、雨漏りし放題のテニバラさんの居場所についてなんとかするうように言い続けたため、かろうじて雨漏り防止のビニールシートが屋根にかけてあります。しかし、これからだんだん寒くなったら大変です。

テニバラさんに「ご飯はちゃんと食べられますか?」と尋ねたら、小さな声で「いいえ。粗相してしまうから食事はたくさんは食べられないの」という答えが返ってきて、胸が詰まりました。手足の指が縮んだように曲がってしまっているテニバラさんはひとりで歩いて用を足しにいくのは困難です。介助してくれる人がないために、サリーの中に排泄してしまうことも多く、そうすると息子夫婦はひどくなじるらしいのです。

母屋の中に入れず、軒先に寝かせているのも、「おもらしをして臭いから」ということなのでしょう。そうなることを恐れて、ろくに食事もとらずに我慢しているテニバラさんは本当に気の毒です。

まだ始まったばかりのSTEPの高齢者訪問ですが、毎月STEPのスタッフが様子を見に来て直接お年寄りと話をし、家族にもお年寄りの生活環境をよくするよう説得していく、という地道な活動の必要性を強く感じました。

それにしてもやっぱり身体の自由がきかないお年寄りにとっても、介助する家族にとっても一番切実なのはトイレですよね...。この地域は洪水常襲地なので、浸水したらますます大変です。大人用紙オムツなんてものはないですし。

ポイラ事務所に戻った後、STEPのスタッフたちと日本とバングラデシュのお年寄りの状況や家族の状況について雑談になりました。「日本では核家族がほとんどなんでしょう。お年寄りの世話は誰がしているの?」という質問にぐっと詰まりました。私も介護が必要な父を母にまかせてバングラデシュに来ているからです。私も、妹も、弟も両親とは同じ家で暮らしていない、と言うと「え、じゃあご両親だけなの?」と目を丸くするので、後ろめたい気持ちになりました。ちょくちょく一時帰国して様子を見に行ってはいるものの、日頃の父の介護は母にまかせっきりですから...。

日本の介護保険やケアマネジャー、デイケアセンターなどのシステムについて話すと、女性スタッフのひとりは「日本はいいねえ。バングラデシュの政府がそんなシステムをつくれるのはいったいいつの日になることか...」とため息。

大家族制度が壊れつつあるといわれるバングラデシュ。高齢者の困難はこれからますます深刻になっていくでしょう。日本に親をおいてバングラデシュくんだりまで来ている私にとっても、いろいろ考えさせられる1日でした。


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2008年07月22日

チョール(中洲)の活動の3年目

先週13日から16日まで、パートナー団体のPAPRIとともにノルシンディ県ライプラ郡のチョール(大河の中洲)で実施している活動の評価のため、現場に行ってきました。シャプラニールのダッカ事務所から私を含めた4人、PAPRIから7人、計11人が3チームに分かれ、プログラムの対象者の人たちとあらためてグループ・ディスカッションやインタビューをし、活動の進捗状況や成果、課題などについて情報収集しました。

ポッダ(ガンジス)川、メグナ川、ブラフマプトラ川などの大河のデルタ地帯にあるバングラデシュ。大河の中には大小様々なチョール(中洲)があり、そこにも多くの人々が住んでいます。私たちがPAPRIを通じて活動を行っているチョールはメグナ川の中にあり、かなり大きなものです。

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チョールにはノウカと呼ばれる船で渡ります。竹で編んだ屋根の上に座るとまわりが見渡せて気持ちよいです。雨が降ったりやんだりなので、レインコートを着込んでます。

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こんな小さな島みたいなチョールにも人は住んでいます。私たちが活動しているのはこの先のもっと大きなチョール。

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目指すチョールに入ってきました。もうすぐ上陸。

このチョールでは2年半ほど前から、子どもの補習教室、思春期の少女たちのための識字教室、少女グループ、最貧困層グループの活動を行っています。川で隔てられ、他の地域からの行き来も不便だし電気も来ていないチョール。ここで活動するNGOも少なく、行政サービスもまったく行き届いておらず(というより見捨てられているような状況)、いろいろな意味で取り残されています。

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識字教室で学ぶ少女たち。この年齢になるまで、一度も学校へ行けなかった子たちばかりです。こういう子がまだまだたくさんいます。長いあいだ学校へ行きたいと思い続けて、やっと学ぶ機会が得られた少女たち。真剣なまなざしで学んでいます。

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補習教室で学ぶ3年生のアブドゥッラーくんとお母さん、弟。アブドゥッラーくんは家が貧しく、政府の学校への入学もままならなかった子どものひとり。2年半前、PAPRIはこういった貧しくて出生登録もしておらず、小学校からもはじき出されている子どもたちを計150人出生登録させ、小学校に入学させました。この子たちが学校に行く前後の時間に学ぶ補習教室がこのチョール内に5カ所あります。アブドゥッラーくんも放っておけば学校に行くチャンスを失っていたかもしれませんが、今はクラスでトップの成績だそう。

家庭訪問してお母さんに話をきいてびっくりしました。彼ら家族はダッカのスラムにも家があるというのです。それも、私たちが使用人として働く少女のための活動をしているダッカ最大のコライル・スラム。ダッカで茶店をしているお父さんと縫製工場で働く兄二人、姉一人はこのスラムの家に住み、お母さんとアブドゥッラーくん、弟はこのチョールの家に住んでいます。チョールに家族全員で住んでいてはやっていけないから、数年前から別居生活をすることにしたそうです。年に2-3回、お父さんが帰って来て少しの間お母さんと交代するそうです。お父さんと上の3人がダッカで働いていればかなり収入にはなりそうですが、スラムの家賃などダッカでの高い生活費、行き来する交通費もかかるので生活は苦しいとのこと。

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最貧困層グループの女性たち。チョールは平野部以上に子沢山の家庭が多く、子ども7-8人はざらです。このグループは比較的子どもの数が少ないな...と思ったのですが、はっと思って子どもを亡くした経験のある人は何人いるか聞いてみたところ、17人の女性のうち9人までもが1人以上の子どもを出産時や幼いときに亡くしていました。中には5人子どもを亡くしたという女性も。教育もなく、衛生状態も悪く、医療機関もない中で、何のトレーニングも受けていないお産婆さんや近所の女性の介助で自宅出産する女性がほとんどということもあり、死産や流産も絶えません。「それでも昔よりはだいぶよくなったんだよ」と女性たちは言っていましたが...。出産時に逆子だったりヘソの緒が子どもの首に巻きついたりして危険な状態になったら??「ノウカを借り切って県庁所在地の病院に行けるぐらいの金持ちならいいけど、そうじゃなかったら死ぬしかないよね。運が悪かったらおしまいだね」と淡々と語っていました。そもそもノウカで1時間ぐらいかけて本土に渡っても、そこから県庁所在地まではまだまだ距離があります。緊急時にはとても間に合わないでしょう。夜中だったりしたらお手上げです。

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チョールでの現場訪問を終えたあと、PAPRIの事務所でチームごとの発表とディスカッション。今までの活動で達成できたこと、やれていないこと、これからやらなければいけないことを話し合いました。チョールは保守的で迷信を信じる人も多く、また住民の中での勢力争いも絶えません。「女性や子どもたちの状況をよくしていくためには、おとなの男性たちへの働きかけが不可欠」「少女だけでなく男性の若者たちも活動に巻き込むべきでは」「学校の教師や宗教リーダーと定期的にミーティングをして活動にもっと関わってもらう必要がある」などなど、さまざまな意見が出されました。

不便な場所だけに、「簡易トイレの普及もしなければ」「自前の船があればいざというとき救急車がわりにもなるのに...」「子どもの教育支援はもっと規模を広げないと」と、サービス提供のニーズをあげればキリがありません。でもサンタさんのように一方的に「あげる」ばっかりの支援活動を行うわけにもいきません。課題は山積み。でも私たちのリソースは限られています。そんな中で最大限の成果をあげられる活動、成果が持続する活動とは...。住民たち自身の「地域を変えていく力」を引き出す支援とは...。

PAPRIとの現行の3ヵ年計画は今年度いっぱいで終了。来年度からの新たな活動に向けて、PAPRIとの議論は続きます。


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2008年04月24日

農村で深呼吸

このところ暑さと停電のダッカでクサっていましたが、今日日帰りでマニックゴンジ県で活動するパートナー団体STEPのポイラ事務所に行ったら、なんだか生き返った気分になりました。

農村部も暑いことは暑いのだけれど、ダッカの息詰まるような感じとはやっぱり全然違います。田んぼやとうもろこし畑の上を渡ってくる心地よい風、池や川で牛を洗う人たち(そして洗われている牛のなんとも気持ちよさそうな表情!)、収穫間近のたわわに実った稲、荷物を積んだ馬車、そんな光景に行き帰りに触れただけでも、なんだかエネルギーを取り戻した感じがします。お昼に食べた地元の新鮮なキュウリもおいしかったし。

ダッカ事務所からポイラまでは今の時期だとだいたい片道2時間半。今日は朝びゅーっと行って、午前中から夕方までSTEPのスタッフとワークショップというかブレーンストーミングのようなことをし、終わってまたびゅーっと帰ってきたので、村の風景の写真を撮る余裕もなかったのがちょっと残念。

今月は人事関連の雑事などでなかなか事務所を離れられなかったのですが、月末はいくつか出張予定が入っています。この季節、ダッカから抜け出せるのは嬉しいな。やっぱり夏こそフィールドだ!来月はスタッフを送り込むだけじゃなくて自分でももっと村に行くぞ。


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2006年11月18日

道路封鎖休止、無事ダッカへ

結局、農村調査は決行することになり、11日にダッカからイショルゴンジに向けて出発、調査を終えて16日に帰ってきました。

想定していたとおり、12日からアワミ連盟率いる14党連合による選挙管理内閣への抗議行動として「無期限道路封鎖」が始まり、日中は幹線道路を通れない状態になってしまいました。農村の中にいれば静かなもので、調査自体にはまったく影響なかったのですが、問題はダッカにどうやって帰るか。

調査も終わりに近づいた15日、道路封鎖が終わらなければ夜中の3時ごろ出て朝着く時間帯で帰るのが一番いいだろう、ということになりました。バングラデシュ人スタッフは「抗議行動やってる連中も夜中は翌日に備えて寝るから、夜ピケを張ることはないよ。独立戦争のときだって夜中はみんな寝てたもんね」というのですが、一方でべつの問題が。こういう治安があまりよくない時期、夜中に人気のない道を走ると盗賊(ダカイツ)が出る危険があり、また朝晩急に気温が下がってきたこの季節、明け方辺りが真っ白になって見えなくなるほどの霧が出るのです。

IMGA0009.jpgぎりぎりまで様子を見て、もし道路封鎖が解除されなかったら、夜中から明け方走って帰ろう、とほぼ決め、当地の某旅行会社社長の入れ知恵で、万一抗議行動の群集に出会った場合に逃れやすいよう、車に海外ジャーナリストを装った貼り紙をし、市場で車につける垂れ幕(ベンガル語で「海外プレス」と書いてあるもの。費用は70タカ=約120円ナリ)までつくってスタンバイしていました。しかし、ラッキーというか拍子抜けなことに15日(水)の夜、市民の生活の便宜のため、木曜から日曜まで封鎖プログラムを一時休止するという宣言が出、垂れ幕を使うことなく普通に翌日帰ってくることができました。

写真は15日の夕方、撮ったもの。日暮れ時に慣れないカメラで撮ったらえらく暗い画面になってしまいましたが、ものものしい車の垂れ幕が見えるでしょうか?この垂れ幕、次の「いざという場面」に備えて車の中にしまってあります。

今回農村でどんな調査をしたかについてはまた後日。あさってあたりからまた交通封鎖が始まりそうでやれやれです。今のうちに食料品を買いこんでおかないといけません。


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2006年11月11日

明日から農村調査に...行けるかな?

明日から、2人の東京からの出張者やダッカ事務所のスタッフ数名と共に、5泊ほどマイメンシン県イショルゴンジ郡の農村に調査に行く予定。今荷造りしているところなんですが、政治状況が不安定な中、果たして行けるか、行っちゃって帰ってこれるか、どうも微妙な状況です。

というのは、アワミ連盟率いる14党連合が、大統領が主席顧問をつとめる選挙管理内閣の中立性を見極める、と言っている期限が明日までだから。彼らの要求を明日までに果たせなければ、あさって12日からまたダッカの囲い込みや道路封鎖などを決行する、と言っているのです。

明日までに選挙管理委員会の委員長が辞任するなど大きな動きがない限り、12日からまた荒れるのはほぼ確実。このところアメリカ大使やEUの代表などもBNPとアワミ連盟のトップを訪ねて「暴動は避けて平和で公正な選挙を」とプレッシャーをかけていますが、それがどこまで歯止めになるか。木曜日に大統領が、「今の内閣(選挙管理内閣)は大統領制内閣の形をとっている」といった意味のよくわからない発言をしたため、ますます暗雲がたちこめてきました。

村の結婚式の受付.jpg村の中に入ってしまえばそれほど問題はないと思うのですが、問題はマイメンシンとダッカを結ぶ幹線道路が封鎖されたり、路上で暴動があったりしてダッカに戻れなくなること。出張者は帰りの飛行機もあることだし、戻れなくなったら大変。まあよっぽど無茶苦茶に荒れない限り、裏道を通って夜中に走ればまったく帰ってこれないこともないとは思うんですが、どうにも状況が読めません。

前の前の選挙、つまり10年前には、1ヶ月連続ホルタル(ゼネスト)などということもあったようだし、アワミ連盟は今回政権がとれなかったら2期政権から離れることになってしまうので、必死のはず。大統領はすでに軍のリーダーたちに「万一の場合」の協力を呼びかけていて、まあ何があってもおかしくはない状態。

うーむ1ヶ月イショルゴンジに足止め、なんてことになっても困るしなあ。ぎりぎりまで明日の状況を見て判断するしかないですが、先輩たちと農村泊り込み調査なんてなかなかない機会なので中止するのも悲しいし。この辺の判断はなかなか難しいところです。そもそも最初からこんな時期は避ければよかったのでしょうが、諸般の事情でこの時期しかできるときがなかったんですよねー。

イショルゴンジに行ってしまうと、テレビも国営放送1チャンネルしか見られないし、インターネットもできないので、情報収集は携帯電話が頼り。携帯の充電器を忘れないようにしなければ。


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2006年11月05日

たかがトイレ、されどトイレ

さっき事務所からリキシャで帰ってきたんですが、空のリキシャに「おーい!(ベンガル風にいうと「エイ!」)と声をかけようとしたらドライバーがいないんです。ん?と思ったらそばのドブ際にしゃがみこんで用を足していました。ダッカではよくあるパターン、よくみる光景です。

一外国人女性としては、以前から「やだなあもう、この国の男性たちはどうしてこうあたり構わず立ちションならぬ座りション(失礼)をするんだろ」と思っていたのですが、今日、ふと「でもリキシャ・ドライバーの立場になってみれば...たしかにほかにするところないよな」と気がつきました。お店のトイレを借りるわけにもいかないでしょうし。女性には共感しやすいのですが、男性の立場になって考えてみることは実はあまりない、という自分にも気がつきました。

P1010003.jpgダッカの町は本当に人が多いです。普通の家々には程度の差はあれトイレがちゃんとついてますし、スラムの中にもNGOがつくったトイレなどがありますが、リキシャ引きや物売りの人たちのように、一日中路上で働いている人たちが使えるような、まともな公衆トイレというのは町中で見たことがありません。

写真=池に面して囲いをつくっただけの地方都市スラムのトイレ

お隣のインドでは、Sulabh(スーラブ)という元々清掃人カーストの人たち(いわゆる不可蝕民とされてきた人たち)の地位向上を目的として始まったインド最大といわれるNGOが、せっせと公衆トイレやスラム内のトイレをつくっていて、ニューデリーにもSulabhがつくったすごく立派な公衆トイレが人の多く集まるところあちこちにありました。ここバングラデシュもバザールの中や駅などにトイレがないことはないんですが、非常にお粗末だし汚い。女性が安心して入れるような公衆トイレはまずないと思ったほうがいい、という状態です。(最近、幹線道路沿いのガソリンスタンドなどにはきれいなトイレのあるところも増えてきてはいますが...。)

P1010790.jpgシャプラニールは農村部では簡易衛生トイレの普及をずっとやってきています。地方行政や他のNGOも簡易トイレ普及の活動をしているところは多いので、農村部のトイレの普及はかなり進んできたといっていいと思います。かつてはただ穴を掘っただけ、とか、池に張り出した桟橋みたいなものの先に囲いがしてあって、直接池に落ちるような方式になっているトイレを使っている人が、今よりもっともっと多かったのです。(今も少なくはないですが...)

写真=シャプラニールの支援で作られた農村部の簡易トイレ

ただ、普段家のトイレとして使うものとはべつに、出先でどうしても仕方なく用を足さなければならない、という場合、農村で原っぱや畑でする分には逆にまだ許せるのですが、舗装された道路の側溝がそこらじゅうトイレ代わりに使われているダッカの状況はなんとかならないもんかなあ、と思います。

P1000779.jpgシャプラニールが都市での事業として行っているストリート・チルドレンのための青空学校でも、今年からはじめた使用人として働く少女たちのためのプロジェクトでも、トイレの確保は重要。とくに女の子が安心して使えるトイレ、というのはとても大事です。ストリートチルドレンの青空教室では、バスターミナルを管理しているところと交渉して、トイレを子どもたちのために使わせてもらえるようにしています。トイレとしてだけでなく、トイレの洗面所の水を水浴びに使うようなことも許可してもらっています。

写真=バスターミナルの青空学校。この子たちが使えるトイレがターミナル内にあります。

また、農村パートナー団体のひとつ、STEPがバザール(市場)でものを売る女性たちの支援の一環として、何カ所かのバザールに設置した「女性のための販売コーナー」では、バザール内で女性が使えるトイレ確保もセットにして行いました。

この先シャプラニールが都市部で公衆トイレをがんがんつくるような活動を直接行うことはまずないと思いますが、ストリートチルドレンやリキシャ引き、路上の物売り、セックスワーカーの女性たち、こういった無視されがちな人々の立場や生活の視点から、何が足りないかを把握し、自分たちの活動や都市のインフラ整備に関する日本のODAなどに反映させていくことは、NGOとして重要な仕事だろうと思います。 

そのためには「汚いなあ、やだなあ」レベルで留まらず、「自分がこの人みたいに1日中路上にいたらトイレはどうする?」という視点を失くさないようにしないといけませんね。

反省をこめて、今日はトイレの話でした。


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2006年09月11日

読める歓び、書ける愉しさ

若くて熱心な先生.jpg
ショミティ・メンバーを対象とした識字教室は、シャプラニールの農村の活動の中でもかなり初期から実施してきたプログラムのひとつですが、取り組みが本格化したのは80年代後半、現在使っているオリジナル教材の初版が出たのは1994年です。農村の活動地事務所が3つの現地NGOとして独立したあとも、各団体はシャプラニール・オリジナルの識字教科書を引き継いで使っています。
写真左=熱心な若い先生が丁寧に教えています

数字を書いてにっこり.jpg
識字教室が行われるのは、だいたい6月から10月の雨季の間。農作業が忙しい時期や出稼ぎが多い時期を避けてこの時期に定着したようです。かつては男性ショミティが多かったため、彼らが仕事を終えて参加できる夜間、ランプを灯しながら識字教室をやっていたものですが、今は女性ショミティのほうが増えたため、午後3時から5時ぐらいの時間に行うことが多くなっています。
写真右=ベンガル数字で91から100まで書けました!にっこり。

オーラルセラインの作り方を書く.jpg
マイメンシン県イショルゴンジ郡のCOLIの活動地で、今ちょうど実施中の識字教室を覗いてきました。このクラスは6月から始まり、来月の最終試験で終わります。今日習っているのは、「オーラル・セライン(経口補水液)の作り方」の課。「半セール(セールは重さの単位)の水にひとつかみの砂糖とひとつまみの塩を入れるとオーラル・セラインができます」という文章を、参加者が順番に黒板に書いていました。教科書の本文には、「下痢をしたときはオーラル・セラインを飲みましょう。セラインはバザールでも買えますが、自分でつくることもできます。」という文章に続き、オーラル・セラインの作り方が書いてあります。 
写真左=「オーラルセラインの作り方」を書いています

識字教室の母と娘.jpg
識字教室に使う教科書は、学ぶショミティ・メンバーが関心を持ちやすく、また文字を学ぶだけでなく意識啓発にも役立つように、ということで、「木を植えましょう」とか、「結婚持参金は家庭に悲しみをもたらす」など、ショミティでの話し合いのトピックを意識した内容になっています。文字と同時に数字も習い、簡単な計算も学びます。
写真右=お母さんの教科書とペンを手に「その気」の女の子

今期COLIが開講している識字教室は女性の基礎クラスばかり29クラス。この日覗いた教室で学んでいた女性たちは、ほぼ全員が子ども時代にまったく学校で学んだことがない人たちでした。ペンやチョークを握り締め、ひとつひとつ文字を書く彼女たちは楽しそうで、毎日教室に通い、読み書きができるようになってきたことの歓びと自信が溢れていました。

働く子どもの夜間教室ー1.jpg
おとなの識字教室を見ても、働く子どもたちの教室を見ても思うことですが、学ぶ機会がこれまでなく困難な状況にあった人ほど、機会を得たときの学ぶ姿勢は真摯で、勉強することを本当に楽しんでいるようです。

COLIが夜間実施している働く子どものための教室も時々見にいきますが、子どもたちは元気いっぱいで圧倒されるほど。家具屋や茶店などで朝から晩まで、1日数十円の給料で働いている子どもたちですが、仕事の合間に2時間ほどの休みをもらってこの教室に来ている間、眠くなることなどまったくない、と言います。先生が計算問題を黒板に書き「誰か解ける人」と聞くと「ぼくが、ぼくが」と必死に手をあげ、我先に黒板の前に出ようとする姿は微笑ましく、同時に切ない気持ちにさせられます。
写真左=働く子どもの夜間教室の様子。このクラスは小学校の校舎を夜間使わせてもらっています。停電のためランプの灯りで授業中。

働く子どもの夜間教室ー2.jpg
本当ならまだまだ親に甘え、昼間近所の子たちと学校に行き、学校から帰れば思い切り走り回って遊びたい年頃なのに。好きな教科として子どもたちの多くがあげたのはベンガル語。詩や物語があるのが楽しいから、だそうです。

勉強は楽しい。心からそう言う子どもたち。夜9時に授業が終わると、何人かの子どもたちは店じまいを手伝うために、仕事場に戻っていきました。
写真右=元気いっぱいの子どもたち。また会おうね!


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2006年08月31日

少女たちの村芝居

バングラデシュの人たちは本当にお芝居が好きです。
テレビなどの娯楽が広まったため、以前に比べると本格的な村芝居はずいぶん減ってしまったそうですが、シャプラニールの活動地でも子どもたちのグループや思春期の少女たちのグループのメンバーが、早婚や持参金の問題やHIV/AIDSのことなど、メッセージをこめたお芝居を時々上演します。時には日本からのスタディツアーなどの来訪に合わせ、1週間ぐらいで新しいお芝居を作って上演してくれることも。
 
学校でも独立記念日の行事などでは、数人の選ばれた生徒が順に前に出て、独立のために戦ったフリーダムファイターや独立戦争で子どもを失って気がふれてしまった母親などの一人芝居を披露したりします。

テロスリー・メグラ少女クラブの劇.jpg

写真の少女たちはおととい紹介したテロスリー小学校のすぐ近く、テロスリー村のメグラ(雲)少女クラブによる村芝居。このグループの子たちはとても芸達者で、劇のレパートリーもすでに4つあるそう。脚本や配役は自分たちで話し合って決めるそうですが、だいたい「はまり役」というのがあるもので、男役がうまい子、お年寄りの役がうまい子、NGOワーカー役の子などは、毎回ほぼ似たような役をやっている模様。

劇の上演があるときは、近所の子どもたちやお年寄りも集まって、おかしなシーンでは皆がわっと笑います。深刻なテーマの劇でも何か笑える工夫がしてあって、おとなから子どもまでが楽しく見ています。

この日の劇は、マザコンの夫としゅうとめが、輸血が元でHIVに感染している疑いがある嫁をいじめて追い出してしまいますが、NGOワーカーがHIVについて正しい知識を説明し、離婚を思いとどまらせる、といったストーリー。孫であるこの嫁の身を案じておろおろする実家のおばあちゃんや、コビラージュ(まじない師)、ウワサ好きな近所の人、お医者さんなども登場。クラブのメンバーは10数人いますが、今日の「役者」は5人。ほとんどが一人二役をこなします。おばあちゃん役は髪をチョークで白くし、コビラージュは長いヒゲをつけ、男役は髪を帽子に入れてルンギ(男性の腰巻)姿...など、衣装もなかなか凝っています。

テロスリー・メグラ少女クラブの劇2.jpg

元々思春期の少女たちに、身体の変化や出産のしくみ、女性の権利などについての研修が必要、といったことから始まった少女グループですが、自分たちの新聞をつくったり、洪水のときガタガタになった道を直したり、小さな橋をつくったりと、村の中でのボランティア活動にも熱心な彼女たち。ポイラには今少女グループが16ほどありますが、このメグラ・クラブは比較的学歴の高い少女たちが多く、高校やカレッジに通っている子が大半。卒業後は教師になりたい、弁護士になりたい、警官になりたい、などと抱負を語ってくれました。

(そういえば最近、村の少女たちに警察官志望者がけっこういるんですよねー。警官志望の小学生の女の子に、なんで?と聞いたら、「テロリストをやっつけるの!」と言っていました...。)


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2006年08月30日

小学校の風景

8月も残すところあと2日。
日本の小学生たちは泣きそうになりながら夏休みの宿題をやっている頃でしょうか?
私もぎりぎりまでやらないほうだったなあ...。

バングラデシュの小学校の教室はどんな感じでしょう?
今日の写真はマニックゴンジ県ポイラユニオンのテロスリー小学校の教室の様子です。

テロスリー小学校試験中.jpg


これは先週、8月23日に撮ったもの。
この日はちょうど試験中。

おいおい、隣の子と相談しちゃだめだぞ!


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2006年07月03日

山羊の瞳

村の山羊.jpg

バングラデシュの農村の道をバイクで行くと、道の両側で草を食んでいる山羊たちが、驚いてメーメーと駆け出します。小さな仔山羊が、どこへ逃げたらいいかわからずバイクの前を必死で駆けていくことも。
仔山羊はなかなか可愛らしく、子どもたちもよくだっこしたりしています。

従順な羊に比べて山羊はなかなか頑固者らしいですが、放っておいてもその辺の草を自分で食べるので、育てるのにあまり手間がかからず、ショミティでマイクロクレジットのローンを借りた女性たちが最初に取り組む収入向上の手段として「山羊の飼育」は人気があります。

シャプラニールの農村パートナー団体が実施する識字教室修了者のための作文コンテストでも、人気の賞品は山羊。識字教室で学んで初めて字が書けるようになり、作文コンテストに入賞して山羊をもらい、その山羊が次々と産んだ仔山羊を育てて売ったお金で牛を買いました!といったサクセス・ストーリーも時々。

DSCF0020.jpg

さて、この山羊の瞳。明るいときよく見ると、横一文字の不思議な眼です。暗いところでは丸くなるようなのですが、明るいところで正面から見ると、目と目が離れていることもあってどうにも間抜けなお顔。

先日イショルゴンジ2の事務所の敷地に入ってきた仔山羊の顔を、前から撮ろうと思って追いかけ回していたら事務所の入り口横に茄子などを植えている小さな畑のネットに引っかかってしまいました。
顔が陰になっていまいち見にくいですが、向かって左の瞳を見てください。横に太い黒い一本線を引いたような目ですよね?

横から見た山羊.jpg

こちらは横から見た山羊。瞳の形が横長の長方形みたいな感じです。うーん、ちょっと寄りが甘いですね。もっとドアップに撮るんだった。

山羊の目がこんな形をしているのは、明るいときに瞳孔を細めても、広い視界を確保するためだとか。広角レンズみたいな目なんですかね。でも、そのわりにバイクが近づいても慌てて逃げるまでの反応が遅いし、逃げる方向も「なんでこの状況でそっちに逃げるかね?」というピント外れな方向だったりします。
せっかく目は広角になっていても、頭があんまりよくないということなんでしょうね。

おバカかもしれないけどなんとなく親しみを感じる動物、山羊。ときどき見かける身重の山羊はほんとにお腹が地面に着きそうで、足を外股に一歩一歩踏ん張りながら歩いています。山羊のお産はほとんどが日中なんだとか。一度仔山羊が生まれるところを見てみたいな、と思います。


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村訪問の風景

カメラのバッテリーを忘れて涙...というのは昨日書きましたが、坂口事務局長のカメラを借りて私が撮った写真のデータをもらったので、今回坂口・白幡の二人と行ってきたイショルゴンジの村(およびこの二人)の様子を写真でちょいとご紹介します。

白幡&坂口.jpg

【←写真左】今回出張してきた二人。左が白幡前ダッカ事務所長、右が坂口事務局長。時々、今回のようにプロジェクトの進捗状況などを見に東京事務所からやってきます。私と交代で帰国した白幡前所長は駐在経験2回、最初にバングラデシュに赴任してきたのは10年前なので、この間の変化について聞くと、なるほど...というような話がいろいろ出てきます。坂口事務局長も最初にバングラデシュに足を踏み入れたのは15年前??

二人が腰を降ろしているこの茶店は、きのうのブログに書いた「ワールドカップに備えてバッテリー充電中」のテレビがある茶店です。よーく見ると後ろにビスケットなどを売っているのがわかるはず。


村の子どもたち.jpg

【写真右→】バングラデシュの村に行くとどこでも出会う、子どもたちの凝視の視線。好奇心をまったく隠さず、じーっとみつめてきます。インドネシアなどでは、こちらも見返すと照れ笑いして視線を逸らしたりするんですが、こっちの子は照れることも目を逸らすこともあまりしないんですよね。ベンガル語で「学校ちゃんと行ってるの~?学校で英語習ってるならなんかしゃべってごらん」などと話しかけると初めてちょっと照れたりします。

小さい女の子.jpg

【←写真左】こんな小さい子も、この「凝視の視線」。じーっと何十分でも見ています。ちなみにこの子は女の子。バングラデシュでは女の子もよく上半身裸でブルマーをはいています。女の子でも小さいときは坊主頭が多いのですが、これは白幡職員によれば「頭を清潔に保つため」と「小さいときに髪を剃っていると丈夫できれいな髪の毛が生えてくるため」の2つ理由があるとか。

乾燥ジュートの葉.jpg

【写真右→】この家では庭でジュートの葉を天日に当てて乾燥させていました。これは乾燥させたあと、ビンなどに詰めて蓄えておく保存食。水で戻して料理に使うそうです。日本にもあるような「乾物」ですね。畑のジュートはすでにかなり大きく育っておとなの背を超えるような高さ。このジュートの茎を水に浸して腐らせ、繊維を取り出す作業もあちこちで始まっていました。

坂口・白幡、村の中で.jpg

【←写真左】村人に話を聞きながら家々を回っていると、あっという間に人だかり。この日話を聞いた村人の中には、パキスタンの被服工場に15年間出稼ぎに行っていて最近帰ったばかり、という人もいました。

プロジェクト視察と私たち駐在員や現地スタッフとの打ち合わせを終え、今夜はダッカ在住の会員さんたちとの夕食会も盛り上がって、出張者二人は明日はカトマンズに移動です。明日以降は藤崎駐在員のブログに登場するかも?


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2006年07月01日

村に普及するバッテリー

東京から出張してきた坂口事務局長、白幡前ダッカ事務所長と3人で、ノルシンディ県のパートナー団体PAPRI、マイメンシン県のパートナー団体COLIの活動地を視察して今日ダッカに戻ってきました。

この3日間、雨季のバングラデシュには珍しいほど真っ青な空で猛烈な暑さ。夜の星空は天の川もよく見えて見事なものでした。ナイスな写真をいっぱい撮ってくるはずが、間抜けにもカメラのバッテリーを忘れて全然撮れず。残念...。

村には行くたびにいろいろな発見がありますが、今回マイメンシン県のイショルゴンジで目に付いたことのひとつはバッテリー(車のバッテリーのようなシンプルなもの)が相当普及していること。イショルゴンジはシャプラニールの活動地の中でも最も電気事情が悪いといころで、まだ電気が来ていない村も多いし、来ていても夜はほとんど毎日停電、と言ってもいいぐらいなのですが、そんな中でテレビを見たり音楽のテープを聴いたりするために、家にバッテリーを持っていたり、借りたりしている村人がけっこういるのです。

今日訪問した最貧困層グループメンバーの女性の家にも、家自体は粗末ながら小さな古いラジカセがあって、これまた小さなバッテリーにつながれており、彼女はこれで時々ヒンディー音楽を聴くのよ、と言って実際に私にも聴かせてくれました。

そして今はバングラデシュ中で、男たちはあらゆる手段を使ってワールドカップを懸命に見ています。電線のまったくない村でも、家々にはテレビを見るための手作りアンテナをよく見かけます。立ち寄って話を聞いた茶店にもテレビがしっかり置いてあり、夜のワールドカップに備えてバッテリーを充電中。COLIのスタッフの話では、充電したバッテリーは一晩借りて50タカ(約90円)だそう。なるほどそれなら借りるよね、という料金です。電気の来ていない村の中で、発電機にいくつものバッテリーがつながれ充電されている様子に、前ダッカ事務所長の白幡職員も「こんな情景は初めて見た」とびっくり。

昨夜はバングラデシュで一番人気のアルゼンチンとW杯開催地のドイツが対戦する試合とあって、人々は夕方からそわそわしていました。COLIの事務所でもみんなで試合を見ようと白黒テレビの前で楽しみに待っていたのが、案の定、夜7時から12時まで停電でがっくり。

しかし、ご近所にはばっちりとバッテリーを充電してテレビ観戦を楽しんでいる村人がたくさんいたようで、夜中まであちこちから歓声が聞こえていました。


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2006年06月20日

コルポナ・ディディの結婚

昨年シャプラニールから独立した農村パートナー団体「COLI」の女性スタッフのひとり、コルポナさんが先週の金曜日に結婚しました。コルポナさんはヒンドゥー教徒。ここではムスリムの女性を呼ぶときはアパ、ヒンドゥーやほかの宗教の女性を呼ぶときはディディを名前の後ろにつけるのが普通です(でもなぜか私はえみこアパですが)。なのでコルポナさんは皆に「コルポナ・ディディ」と呼ばれて親しまれています。

コルポナ・ディディと寡婦グループ.jpg

コルポナ・ディディは、COLIが独立する前、シャプラニールの地域活動センターだった時から長く勤めているスタッフで、イショルゴンジ3地域事務所で女性ショミティや寡婦グループなどの担当をしています。彼女の活躍は昨年会報でも紹介したので、会員の方は覚えていらっしゃるかもしれません。

写真 は寡婦グループの人たちとのミーティングで、メンバーの女性たちを椅子に座らせ、自分はどかっとゴザに座ったコルポナさん。COLIのマネジャーたちと村へ行くと、ショミティ・メンバーなどが気をつかって椅子を出してきてくれて、私たちはそこに座らされ、ショミティの人たちはゴザに座る、というパターンになってしまうことが多いのですが、逆をやっちゃうコルポナさんはいい感じだなあ、と私は初めて会ったときに思っていました。

COLIのスタッフや担当している寡婦グループのメンバーなど、みんなの「あねご」として親しまれてきたコルポナさんは7人きょうだいの一番上。妹さんの縁談をまとめるときには奔走したそうですが、ご自身は未婚でした。その“かまわなさかげん”は「コルポナ・ディディは人のことには一生懸命だけど、自分のことはいつも後回しだから...」と皆が口にするぐらいだったのですが、このたびジョソールのガーンディー・アーシュラム(ガーンディーの思想を受け継いだヒンドゥー系の社会福祉施設)で働いているお相手と、晴れて結婚することに。ダッカ事務所でもその知らせを聞いて皆喜びました。

コルポナさん.jpg

式の3日前にダッカ事務所に電話がかかってきて、「シャプラニールの皆さんもぜひ招待したいの。料理も私が自分でつくるのよ!あと3日あるからがんばらなきゃ」と話していたコルポナさん、元気いっぱいでうれしそうでした。

私は残念ながら行けなかったけれど、きっとCOLIの仲間たちに祝福され、宴は盛り上がったことでしょう。「しばらくは夫とは別居でお互いに仕事を続けるつもり」とのこと、バングラデシュではめったにない結婚の形ですね。

でも、二人のお互いへの理解と信頼があればきっとうまくいくでしょう。私も夫を置いて単身赴任だけどなんとかなってるしね(笑)。応援してるよ、コルポナ・ディディ。今度お連れ合いの写真見せてね。


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2006年06月11日

水が来た

ダッカから見て北西方向にあるマニックゴンジ県ギオール郡のポイラ村は、シャプラニールが創設直後から活動してきた地域です。ここに置いていた地域活動センターは今は現地NGO、STEPとして独立し、シャプラニールとはパートナーという形をとって活動を行っています。

このポイラ村の事務所に今週水・木と出張に行ってきました。ここへ行くには途中に橋のない川があります(正確に言えば、橋はあったけれど洪水のとき落ちたのです。今新しい橋を建設中です)。乾期は水が完全になくなり、川底が砂地となるので、車でそのまま行くことができるのですが、雨季になると手前で車を返し、渡し船でこの川を渡り、リキシャなどで事務所まで行くことになります。


渡し場.jpg

先月出張したときにはまだ水がなく、車で行けたのですが、今回はかなり水が来て、しっかり川になっていました。STEPのスタッフによると、水は「先週の土曜日に急に来た」そうです。

金曜までは川ではなかったところが、土曜日に水が来て川になる、という感覚は、日本人の私たちにはわかりにくいものです。今年最初に水が来る瞬間をぜひ見たかったのですが、私が行ったときはもう川の状態でした。

バイクで渡し舟に乗る.jpg

渡し場で船賃(片道1タカ)を払いながら、STEPのスタッフと渡し場のおじさんが交わす会話は、「今年の水はどうかねえ。どれぐらい来るかねえ」といったもの。この地域はインドから流れてくる2つの大河、ガンジス(ポッダ)川とブラフマプトラ(ジョムナ)川が合わさる地点に近く、雨季になるとそこら中水浸しになります。適度な水浸し状態には住民は皆慣れており、小船で行き来できるようになるなど便利な面もあるのですが、度を越した水が来てしまうと、家々は浸水し大変なことになります。


脱穀作業1.jpg

村へ行くと、村人たちは稲を刈り取り、脱穀し、籾を蒸してから乾かす、という作業で忙しそうでした。最初に訪ねた村人は、庭に広げて乾かした籾を指して、「これは洪水のときに備えてとっておく米で、今は食べないんだ。洪水が来る前に作業をしてしまわないとね」と話していました。


脱穀作業2.jpg


脱穀は機械でやっている人もいますが、稲の束をござを敷いた地面に打ち付けたり、風で藁を吹き飛ばして籾と藁を分けたり、という昔ながらの方法で行っている様子が見られます。

しかし中にはこんな備蓄米をまったく蓄えられない貧しい村人もいます。次に訪ねた最貧困層グループのメンバーの村人の家には、他の家に見られるような籾を乾かす光景はありませんでした。


蒸した籾を乾かす.jpg

最近では2004年、バングラデシュのかなり広範な地域が大規模な洪水に見舞われ、シャプラニールも緊急救援活動をしています。昨年2005年は逆に通常より水が少ない年でした。
果たして今年はどうなるか、今から上流のインドの雨量などが気になります。あと2ヶ月後ぐらいにどれぐらい水が来ているかが問題ですが、今から予測するのは困難です。

いざ洪水、というときは一番に本当に助けが必要な人を支援できるよう、STEPのスタッフたちは日ごろから気を配りつつ、村を回っています。私たちも「その時」に備えて準備をしておかなければなりません。


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2006年04月25日

ショミティメンバーのきゅうり

シャプラニールの農村パートナー団体のひとつ、COLIとのミーティングとフィールド視察のため、きのう、おとといとマイメンシン県のイショルゴンジ郡に行ってきました。そこで今回見てきたもののひとつが家庭菜園のプログラム。これはショミティのメンバーを対象に野菜作りの簡単な研修を行い、小さな土地や家の周りで野菜を育て、自家用はもちろん、余れば市場で売って現金収入を得てもらおうというもの。

P1010445.jpg

ショミティメンバーになるには持っている土地が50デシメルまで、という制限があるので、そんなに大きな畑を持っている人はいませんが、積極的に野菜作りをしたい人には研修に使うデモンストレーション用の菜園として畑を使わせてもらいます。

今回訪ねた男性ションミティメンバーはそんなデモンストレーション菜園の持ち主。去年はカリフラワーをつくったそうですが、今年はきゅうりに挑戦。見事に立派なきゅうりがたくさんできました。

P1010444.jpg

カリフラワーとどっちが儲かるかと聞いたところ、まあどっちもどっちだね、という答え。でも去年も今年もそこそこ満足のいく儲けがあったようです。よく実ったきゅうりをほめると我が子をほめられたようにうれしそう。

隣で畑をやっているべつのショミティメンバーもやってきて、その場で収穫したきゅうりを輪切りにして塩といっしょにふるまってくれました。

P1010450.jpg

いやー、さすが畑で採りたてのきゅうりは美味しい。みずみずしくて甘みがあります。畑のわきでバリバリとみんなで試食。バングラデシュの野菜はどれもなかなかおいしいですが、きゅうりに関してはこれまで食べた中でこれが圧倒的にナンバー1でした。

(2006年4月24日)


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