チョール(中洲)の活動の3年目
先週13日から16日まで、パートナー団体のPAPRIとともにノルシンディ県ライプラ郡のチョール(大河の中洲)で実施している活動の評価のため、現場に行ってきました。シャプラニールのダッカ事務所から私を含めた4人、PAPRIから7人、計11人が3チームに分かれ、プログラムの対象者の人たちとあらためてグループ・ディスカッションやインタビューをし、活動の進捗状況や成果、課題などについて情報収集しました。
ポッダ(ガンジス)川、メグナ川、ブラフマプトラ川などの大河のデルタ地帯にあるバングラデシュ。大河の中には大小様々なチョール(中洲)があり、そこにも多くの人々が住んでいます。私たちがPAPRIを通じて活動を行っているチョールはメグナ川の中にあり、かなり大きなものです。

チョールにはノウカと呼ばれる船で渡ります。竹で編んだ屋根の上に座るとまわりが見渡せて気持ちよいです。雨が降ったりやんだりなので、レインコートを着込んでます。

こんな小さな島みたいなチョールにも人は住んでいます。私たちが活動しているのはこの先のもっと大きなチョール。

目指すチョールに入ってきました。もうすぐ上陸。
このチョールでは2年半ほど前から、子どもの補習教室、思春期の少女たちのための識字教室、少女グループ、最貧困層グループの活動を行っています。川で隔てられ、他の地域からの行き来も不便だし電気も来ていないチョール。ここで活動するNGOも少なく、行政サービスもまったく行き届いておらず(というより見捨てられているような状況)、いろいろな意味で取り残されています。

識字教室で学ぶ少女たち。この年齢になるまで、一度も学校へ行けなかった子たちばかりです。こういう子がまだまだたくさんいます。長いあいだ学校へ行きたいと思い続けて、やっと学ぶ機会が得られた少女たち。真剣なまなざしで学んでいます。

補習教室で学ぶ3年生のアブドゥッラーくんとお母さん、弟。アブドゥッラーくんは家が貧しく、政府の学校への入学もままならなかった子どものひとり。2年半前、PAPRIはこういった貧しくて出生登録もしておらず、小学校からもはじき出されている子どもたちを計150人出生登録させ、小学校に入学させました。この子たちが学校に行く前後の時間に学ぶ補習教室がこのチョール内に5カ所あります。アブドゥッラーくんも放っておけば学校に行くチャンスを失っていたかもしれませんが、今はクラスでトップの成績だそう。
家庭訪問してお母さんに話をきいてびっくりしました。彼ら家族はダッカのスラムにも家があるというのです。それも、私たちが使用人として働く少女のための活動をしているダッカ最大のコライル・スラム。ダッカで茶店をしているお父さんと縫製工場で働く兄二人、姉一人はこのスラムの家に住み、お母さんとアブドゥッラーくん、弟はこのチョールの家に住んでいます。チョールに家族全員で住んでいてはやっていけないから、数年前から別居生活をすることにしたそうです。年に2-3回、お父さんが帰って来て少しの間お母さんと交代するそうです。お父さんと上の3人がダッカで働いていればかなり収入にはなりそうですが、スラムの家賃などダッカでの高い生活費、行き来する交通費もかかるので生活は苦しいとのこと。

最貧困層グループの女性たち。チョールは平野部以上に子沢山の家庭が多く、子ども7-8人はざらです。このグループは比較的子どもの数が少ないな...と思ったのですが、はっと思って子どもを亡くした経験のある人は何人いるか聞いてみたところ、17人の女性のうち9人までもが1人以上の子どもを出産時や幼いときに亡くしていました。中には5人子どもを亡くしたという女性も。教育もなく、衛生状態も悪く、医療機関もない中で、何のトレーニングも受けていないお産婆さんや近所の女性の介助で自宅出産する女性がほとんどということもあり、死産や流産も絶えません。「それでも昔よりはだいぶよくなったんだよ」と女性たちは言っていましたが...。出産時に逆子だったりヘソの緒が子どもの首に巻きついたりして危険な状態になったら??「ノウカを借り切って県庁所在地の病院に行けるぐらいの金持ちならいいけど、そうじゃなかったら死ぬしかないよね。運が悪かったらおしまいだね」と淡々と語っていました。そもそもノウカで1時間ぐらいかけて本土に渡っても、そこから県庁所在地まではまだまだ距離があります。緊急時にはとても間に合わないでしょう。夜中だったりしたらお手上げです。

チョールでの現場訪問を終えたあと、PAPRIの事務所でチームごとの発表とディスカッション。今までの活動で達成できたこと、やれていないこと、これからやらなければいけないことを話し合いました。チョールは保守的で迷信を信じる人も多く、また住民の中での勢力争いも絶えません。「女性や子どもたちの状況をよくしていくためには、おとなの男性たちへの働きかけが不可欠」「少女だけでなく男性の若者たちも活動に巻き込むべきでは」「学校の教師や宗教リーダーと定期的にミーティングをして活動にもっと関わってもらう必要がある」などなど、さまざまな意見が出されました。
不便な場所だけに、「簡易トイレの普及もしなければ」「自前の船があればいざというとき救急車がわりにもなるのに...」「子どもの教育支援はもっと規模を広げないと」と、サービス提供のニーズをあげればキリがありません。でもサンタさんのように一方的に「あげる」ばっかりの支援活動を行うわけにもいきません。課題は山積み。でも私たちのリソースは限られています。そんな中で最大限の成果をあげられる活動、成果が持続する活動とは...。住民たち自身の「地域を変えていく力」を引き出す支援とは...。
PAPRIとの現行の3ヵ年計画は今年度いっぱいで終了。来年度からの新たな活動に向けて、PAPRIとの議論は続きます。
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1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。
ぎりぎりまで様子を見て、もし道路封鎖が解除されなかったら、夜中から明け方走って帰ろう、とほぼ決め、当地の某旅行会社社長の入れ知恵で、万一抗議行動の群集に出会った場合に逃れやすいよう、車に海外ジャーナリストを装った貼り紙をし、市場で車につける垂れ幕(ベンガル語で「海外プレス」と書いてあるもの。費用は70タカ=約120円ナリ)までつくってスタンバイしていました。しかし、ラッキーというか拍子抜けなことに15日(水)の夜、市民の生活の便宜のため、木曜から日曜まで封鎖プログラムを一時休止するという宣言が出、垂れ幕を使うことなく普通に翌日帰ってくることができました。
村の中に入ってしまえばそれほど問題はないと思うのですが、問題はマイメンシンとダッカを結ぶ幹線道路が封鎖されたり、路上で暴動があったりしてダッカに戻れなくなること。出張者は帰りの飛行機もあることだし、戻れなくなったら大変。まあよっぽど無茶苦茶に荒れない限り、裏道を通って夜中に走ればまったく帰ってこれないこともないとは思うんですが、どうにも状況が読めません。
ダッカの町は本当に人が多いです。普通の家々には程度の差はあれトイレがちゃんとついてますし、スラムの中にもNGOがつくったトイレなどがありますが、リキシャ引きや物売りの人たちのように、一日中路上で働いている人たちが使えるような、まともな公衆トイレというのは町中で見たことがありません。
シャプラニールは農村部では簡易衛生トイレの普及をずっとやってきています。地方行政や他のNGOも簡易トイレ普及の活動をしているところは多いので、農村部のトイレの普及はかなり進んできたといっていいと思います。かつてはただ穴を掘っただけ、とか、池に張り出した桟橋みたいなものの先に囲いがしてあって、直接池に落ちるような方式になっているトイレを使っている人が、今よりもっともっと多かったのです。(今も少なくはないですが...)
シャプラニールが都市での事業として行っているストリート・チルドレンのための青空学校でも、今年からはじめた使用人として働く少女たちのためのプロジェクトでも、トイレの確保は重要。とくに女の子が安心して使えるトイレ、というのはとても大事です。ストリートチルドレンの青空教室では、バスターミナルを管理しているところと交渉して、トイレを子どもたちのために使わせてもらえるようにしています。トイレとしてだけでなく、トイレの洗面所の水を水浴びに使うようなことも許可してもらっています。





























