シャプラニール=市民による海外協力の会
シャプラニール=市民による海外協力kの会
english page 携帯 地図 サイトマップ 検索
シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
メールでのお問い合わせ

 

 
 

メイン

2009年02月10日

使用人として働く少女たちの運動会&文化祭

ダッカで実施している「家事使用人として働く少女たち」支援活動では、ダッカ市内に3つのセンターを設置し、そこで少女たちが読み書き・計算や家事の基本のトレーニング、保健衛生や栄養について、性被害にあわないためにはどうしたらいいか、などについて学び、歌や踊り、お絵描きなども習っています。

今日はその3つのセンター合同の運動会&文化祭で、計約70名の少女たちがパイクパラ・センターに集まり、午前中はパイクパラ公務員住宅内のグラウンドで運動会、午後はセンター内で歌や踊り、ゲームなどの文化祭を楽しみました。

私は残念ながら他の仕事が色々詰まっていて、参加したのは終わりの1時間ぐらいでしたが、普段は別々のセンターに通う少女たちが皆打ち解けて、本当に楽しそうにしているのを見て嬉しく思いました。少女たちが披露した歌や踊りのレベルも予想以上に高くてびっくり。たいしたもんだ。相当練習したんでしょうね。

とくに今回よかったのは、コライル・センターに通う少女たちの雇い主の女性たちが数人少女たちと一緒に参加してくれたこと、そして新聞記者が取材に来てくれたこと。私たちが現地NGOのPhulkiを通じて運営するセンターは今は3つ。ここに通える少女たちの数は限られますが、バングラデシュ全国には何十万人もこういった家事使用人として働く少女たちがいます。なんとか社会にもっと大きなインパクトを与えるために、メディアへの働きかけを行ってきたところ、最近、少しずつ新聞や雑誌に記事を載せてもらえるようになってきました。今日来てくれたベンガル語紙の記者は若い男性でしたが、他にはない活動だとかなり関心を持ってくれ、フィーチャーとして大きく載せられるよう努力する、と言ってくれました。

今度はテレビだな、と思っています。これまで約3年続けてきた活動の中で蓄積してきた経験をもとに、これからどんどん発信していかなければ。

今日は内山駐在員がかなりビデオで動画を撮ってくれたので、そのうち何らかの形でウェブ上でもご紹介できると思います。

P1010530.jpg

1日のプログラムを楽しんだ少女たち。友だちに囲まれて1人の子どもとして過ごせる、こういう時間をもっともっと増やしてあげたい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年05月23日

稲刈りの季節

農村では乾期の灌漑稲作で作られるボロと呼ばれる稲の収穫の季節が終わりに近づいています。最近のバングラデシュでこの季節作られている米はほとんどがハイブリッドの高収量品種で、BR(Bangladesh Rice)28番、もしくは29番という種類の稲。在来種は少なくなる一方です。田植え、収穫ともやや早めのBR28番はすでに稲刈りが終了し、29番の稲刈りが今週山場を迎えていました。村人たちは稲を刈って束ねたり、脱穀したり、脱穀した籾を広げて日に干したり、脱穀したあとの藁を乾かして積み上げたり、という作業に大忙し。そんな村の様子の写真を何枚かご紹介します。いずれも今週マイメンシン県イショルゴンジ郡で撮影したもの。

P1000503.jpg
刈り取りを待つ稲

P1000507.jpg
稲を刈る人たち

P1000508.jpg
作業の手を休めてポーズ

P1000501.jpg
女性たちも籾を乾かす作業に忙しい

P1000513.jpg
子どもたちもお手伝い

今年はこの10年で一番の豊作とあって、村人たちの笑顔も明るく、稲束を担ぐ人々は嬉しそう。私たちが話を聞いた人たちも、これでなんとか数ヶ月は食べられそうだ、と安堵の表情を浮かべていました。

自分の田を持たない人たちも、今は稲刈りの仕事で現金収入があり、少し余裕がもてる時期です。イショルゴンジ郡の稲刈り労働の今年の相場は、三食つきで一日150タカ。悪くない金額です。もっとも最近は、日雇いの賃労働ではなく「この田んぼの稲を全部刈ったらいくら」という形の仕事も増えているそう。早く終えてもゆっくりやってももらえるお金は同じ。さっさと終わらせて次の仕事をやるべくがんばれば、それだけ収入も増える、というわけです。

食糧価格高騰のクライシスでマイクロクレジットの返済が滞りがちだった人も、少しずつお金が返せるようになっています。懸命に働く人々の今の努力が今年一年の穏やかな暮らしと次なる生活向上の機会につながりますよう。


| | コメント (3) | トラックバック (0)
2008年04月10日

お米の行列に並ぶ子どもたち

昨日、私たちがダッカで実施している「家事使用人として働く少女支援プロジェクト」の活動地のひとつであるコライル・スラムに行ってきたプログラム・オフィサーのサイフルが、「いやー、やっぱり大変だ。ヘルプセンターの女の子たちもみんななんだか痩せちゃってるよ」と言いながら帰ってきました。

コライル・スラムのヘルプセンターに通う少女たちは、スラムの親元で暮らしながらパートタイムで家事使用人(お手伝いさん)の仕事をしています。その子たちにサイフルが聞いてみると、多くの子が朝早くから安いお米を買うためにBDRマーケットに並んでいると答えたそうです。

「何時から並んでるの?」と聞いたら、「朝5時から」というのは序の口で、「3時から」という子もいたとか。朝3時から並び続けてお米が買えたのは朝9時半だというのです。いまやBDRマーケットは需要に比べ供給量が大幅に足りなくなっているらしく、早くから並ばないとお米がなくなってしまうのだとか。ひとり頭5キロまで、ということになっていますが、実際計ってみると5キロより少ないといいます。場所によってはひとり2キロまでにしたところもあるようです。

おじいさんと妹と.jpg「ファテマもなんだかやせちゃったよ。朝からおじいさん、おばあさんと行列に並んでいるらしいけど。」とサイフル。ファテマというのは昨年の夏期募金のお願いのとき紹介した女の子(写真右)で、とても活発ではっきりものを言う子です。「お米の値段は高いし、仕事はクビになっちゃうし、これじゃ食べていけないよ。どうしたらいいの、サイフルバイ!」と訴えられてしまったそうです。中流階級の家庭も台所事情が厳しくなってきているので、パートタイムの使用人を辞めさせる家庭も増えてきているらしいのです。

サイフルがヘルプセンターに行ったのは午後でしたが、朝早くご飯を食べたきり、夜まで食べられない、という子が8人もいたとか。こんな状況になる前はスラム暮らしでもなんとか日に3度食べていた家族が、今は日に2度に切り詰めているというケースが少なくないことが実証されました。

育ち盛りなのにろくにご飯も食べられない少女たち。こんな状況が続くようであれば何か対策を考えなければ...。


| | コメント (5) | トラックバック (0)
2007年06月28日

できたよ!の顔

自分が書いたもの、できるようになったものを見せるとき、子どもたちはとってもいい顔をします。
今日はそんな、「できたよ!」の顔をご紹介。

まずはストリート・スクール(青空教室)の子どもたちから。

1から100までの数字.jpgベンガル語.jpg

左の子は1~100までの数字、右の子はベンガル語の文字を「書けたよ!」と見せているところ。

続いては、家事使用人として働く少女たちのヘルプセンターで。

ししゅう.jpgアイロンかけ.jpg

左の子は刺繍ができたよ、と得意そう。右の子はここで習ったアイロンかけを実演しているところ。

小さな「できた!」の積み重ねが、子どもたちの自信になりますように。



| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年06月27日

果物の日

果物のお皿.jpgシャプラニールと現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュが運営しているストリートチルドレンのためのドロップイン・センター(以下DIC)では、年に何回か「果物の日」があります。普段から夕方4時半には1人一杯ずつ牛乳を飲ませているのですが、この「果物の日」には牛乳プラス季節の果物が食べらるので子どもたちはワクワクしてます。先週の土曜日、DICに行ってきたところ、ちょうどこの日が「果物の日」でした。

写真左上はこれから配る果物のお皿。マンゴーとジャックフルーツがのっています。数が多いので壮観。

そして、下の写真は、果物を食べる子どもたち。夢中で...というか大事そうに食べています。ご飯や炒り米によく熟れたマンゴーやジャックフルーツをのせ、牛乳をかけたおやつはバングラデシュの人たちの大好物。子どもたちもそれをやっている子が多いですね。男の子グループと女の子グループに分かれております。

女の子グループ.jpg男の子グループ.jpg

この日の果物はプロジェクトで出したものですが、最近はたまにDIC周辺の地域の人たちからも、「子どもたちに食べさせて」と果物の寄付をもらったりするようになりました。DIC開始から数えて今年は7年目。かなり地域に溶け込んだ存在になりました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年03月28日

子ども議会

P1020303.jpg今日はオポロジェヨ・バングラデシュと共同運営している路上で働く子どもたちのためのドロップイン・センターで、年に1回のイベント、「子ども議会」を開催中。私も午前中ちょっと様子を見に行ってきました。

こういった「子ども議会」はいろいろなNGOが開催していて、ローカルレベルのもの、全国規模のもの等いろいろありますが、今日行われているのはダッカ市内のこのプロジェクト地を中心にしたローカルレベルのもので今回が4回目。最初の2回はドロップイン・センターやストリート・スクールの子どもたちの中だけで行いましたが、昨年から近隣の学校に通う子どもたちも一緒に子どもたちが直面している問題などについて話し合っています。

P1020300.jpg昨年の外部の学校からの参加は7~8校でしたが、今年は、近隣の18の学校と他のNGOのプロジェクト1ヶ所、計19ヶ所から子どもたちが集まりました。参加校が増えたので、1ヶ所からの参加は2人ずつ。オポロジェヨのプロジェクトからは7人で、計45人が、9人ずつ5つのグループに分かれて話し合いをしています。

こういった場で、オポロジェヨの子どもたちが、臆せず堂々と発言したり、グループのまとめ役を上手にこなしているのを見るのは嬉しいものです。彼らのほうが普通の子たちよりかえってこういったミーティングの場数を踏んでいるから、ということもありますが、とくに古株の子たちには普通の家庭の子たちに負けず劣らず自分たちはできるんだ、という自信を感じます。

P1020298.jpgだんだん近隣の学校の校長先生や地域の人たちにもこの催しが知られ、各校の校長先生や近所の人たちも足を運んでくれるようになりました。バングラデシュの公立学校の中には、教師による体罰が当たり前だったり、子どもたちが自分の意見を発表する場がなかったり、というところも少なからずあるようで、去年初めて「子ども議会」に生徒を参加させた先生の中には、「ドロップインセンターや青空学校の教師から、私たちが子どもへの接し方を学ばなければ」という意見も出たそうです。

ここしばらく来れなかったので久しぶりに訪れたドロップイン・センター。子どもたちの成長は早く、顔見知りの子がちょっと見ないうちに背が高くなっていたり声変わりしていたり。最後の発表までは見届けられずに戻ってきてしまったけど、この「子ども議会」が今年も子どもたちにとって、そして周囲のおとなたちにとって、よい学びの機会となりますよう。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年03月26日

独立記念日のミーティング

今日はバングラデシュの独立記念日で祝日。この国がパキスタンから独立して36年がたちました。

朝から自宅近くの学校で子どもたちが歌う歌や、独立の詩を朗読する声、先生のスピーチなどが聞こえてきました。空には国旗をつけたヘリコプター。
今日は軍のパレードや軍用飛行機のパーフォーマンス、歌や踊りなど、独立記念日を祝って様々なイベントが行われ、テレビでも独立時の出来事を題材にしたドラマを各局でやっていました。
(最近軍用機がよく飛んでいたのは、今日のための練習だったのかも...)

新聞も独立記念日特集号。昨年は、「独立の頃の希望や夢から我々はなんと遠いところにきてしまったんだろう」というちょっと悲観的な記事が多かったように記憶していますが、今年は「今こそ独立の理想を実現するとき」という希望を感じる記事が多く見られました。英字紙デイリー・スターの独立記念日特別付録紙は、記事すべてを若い世代の執筆に任せたもの。表紙も笑顔の少女たちの写真でした。

発言する女性雇用主.jpg私は午後からダッカ市内の中流階級の多い住宅地、ミルプールのパイクパラ公務員住宅内で行われた、使用人として働く少女たちの雇用主の女性たちとのミーティングに出席。自分の家庭で使用人として働く少女を私たちがはじめたセンターに送っている女性、これから送ろうかどうか考えている女性など、祝日にも関わらず10数人の参加がありました。女性たちの構成は教師や看護士など勤めをもつ女性と専業主婦の女性が半々ぐらい。反応は思っていたより好意的でした。「習ったことを少女たちが実行できているか、家庭訪問もしてほしい」「この年頃の女の子は出入りの運転手や店の男などと恋愛して駆け落ちしたあげく、男にはもう2人ぐらい妻がいた、ということが多い。そういうことにならないような教育も必要」など、いろいろな意見が出されました。センターに通っている少女たちも何人か姿を見せ、雇い主と一緒にちょっと照れくさそうに座っていました。

写真=ミーティングで発言する雇用主の女性

女性雇用主とのミーティング.jpg最初にこのプロジェクトを企画した頃は、女性の雇用主たちに意見交換のために集まってもらうことなど、本当にできるのか半信半疑だったので、こういう会が実現できたことは嬉しかったです。地域の人たちとここまで信頼関係を築いてプロジェクトを形作ってきたパートナー団体のPhulki(フルキ)に感謝。今日はお腹をこわしてややよれっとしていた私、挨拶のあとはPhulkiのスタッフたちの采配にすっかり任せていましたが、安心して見ていられました。こういう場では下手に外国人が口出さないほうがかえっていいのよね、たぶん。Phulkiのスタッフの皆さん、祝日のお仕事ご苦労様。いろいろ気を遣うことの多いプロジェクトだけど、少女たちの笑顔と幸せを増やせるよう、これからもがんばりましょう。

写真=ミーティングにて 中央が私、両端はPhulkiのスタッフ


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年03月06日

雛祭り前日に散った少女たち

3月3日の土曜日、そういえば今日は雛祭だな、と思いながら当地の英字新聞、Daily Starを見ていたら、こんな小さな記事が目に留まりました。

----------------------------------------------------------------

●2人の家事使用人の遺体収容される

警察は昨日、ダッカ市内のうウットラとダンモンディで、2人のティーンエイジャーの家事使用人の遺体を収容した。
ウットラの政府職員住宅のアブル・ハスナット宅から収容された遺体は、ナズマ・アクタル、17歳、キショルゴンジ県のクドゥス・ミアの娘。遺体は職員住宅3階のメイド部屋で、天井の扇風機に首を吊った形で発見された。この家で働くもう一人のメイド、ロージーの話によると、彼女とナズマは前夜、夜10時に就寝したが、朝ロージーが目を覚ますとナズマが首を吊っていたという。雇用者のハスナットによると、ナズマはこの家で使用人として7年働いていた。
また、ダンモンディ警察はバングラデシュ医科大学病院で昨日午後べつの家事使用人の遺体を収容した。ダンモンディのドクター・モスタク・ラジャ・チョウドリの家で使用人として働いていたアルポナ、14歳は、モスタクの家族の話によると、トイレの中のパイプに自分のスカーフで首を吊り、自殺を図った。アルポナがトイレに鍵をかけて籠もったまま長時間出てこないので、午後1時45分にドアをこじ開けたところ、中で首を吊っていたという。雇用主家族はバングラデシュ医科大学病院に彼女を担ぎ込んだが、医師に死亡を宣告された。
 遺体はそれぞれダッカ医科大学病院の検屍室に解剖のため運ばれ、2つのケースはそれぞれ不審死亡事件としてウットラとダンモンディ警察に報告された。

----------------------------------------------------------------
Star Weekend Oct 6.2006.jpgああ、またか...と暗い気持ちになりました。バングラデシュでは使用人として働く少女たちの不審な死や明らかに暴力を受けたことによる怪我などが後を立ちません。新聞でこの手の記事が目立つようになってきたのは、必ずしもこういったケースが増えたわけではなく、以前からあったけれど隠されていたものが社会の意識の変化により表に出るようになってきたのだ、という見方もありますが、中には医師や弁護士宅で拷問されたという事件もあり、新聞記事を見てまさかここまで酷いことが、と目を疑うようなことも少なくありません。家庭という外部から隔絶されたプライベートな空間で起こることだけに、真相もなかなか判らず、事前にこういった事態を食い止めることも難しいのです。

写真=6階の窓から雇い主に突き落とされた10歳の少女。雇用主は銀行の重役だった。(Star Weekend Magazine 2006年10月6日号)

シャプラニールはこういった家庭の使用人として働く少女たちを対象にした実験的なプロジェクトを2006年7月から現地NGOのPhulki(フルキ)と共に開始しています。スラムの中にひとつ、政府職員住宅の中にひとつ、使用人として働く少女たちのためのセンターを設置し、インフォーマル教育や家事の基本、保健衛生教育、性暴力を防ぐための性教育などを行っていますが、最初のうちは雇用主を説得して少女たちをセンターに寄越してもらうこと自体が大変でした。フルキの担当スタッフは、目の前でバン!とドアを閉められたことも何度か。とくに経済的に下の方の階級の人たちより中流より上の人たち、中でも女性の雇用主を説得するのが大変でした。今も家庭訪問の努力は続けられていますが、先に始めたスラムの中のセンターに40人、後から最近始めた政府職員住宅の中のセンターに20人弱の少女たちが通ってきています。 

Korail Center.jpg今日もスラムにあるこの少女たちのセンターを訪問してきました。ここに来ている子たちの多くは、近くの政府職員住宅で使用人として働いています。これまで一人きりで他人の家の中で働いていた少女たち、「ここに来るとみんなに会えて勉強したり歌ったりできてほんとに嬉しいの!金曜日はセンターがお休みだから1日が長くて..」と話してくれました。
写真=スラム内のセンターに通う少女たち

本当ならこの子たち全員、すぐに仕事を辞めさせ、学校に行かせたい。でも、少女たちの家庭の状況、社会状況から言って、それはとても困難です。今は少女たちが基本的な読み書きやスキルを身につけ、少しでもよい状況で生活できるようになること、怪我や性暴力から身を守る術を教えること、奪われている子ども時代の楽しみをできる限り返してあげること、雇用主を説得し、彼女たちの休息や学びの時間を確保することなどを目指して活動をしています。もちろん最終的な目的は、子どもが使用人として働かされることのない社会を作ることであることは言うまでもありません。でも、それは一朝一夕にできる事ではなく、使用人として子どもを使っている雇用主や親たちの意識が変わらなければ実現しないでしょう。法を強化することも重要ですが、弁護士や国会議員が当たり前のように子どもを使用人として働かせている状況なのです。

ダッカだけで30万人と言われる使用人として働く子どもたち。その約8割は女の子と言われます。日本では女の子の健やかな成長を願う雛祭の日の新聞に、10代で命を絶つ少女の悲しいニュースが載るようなことがなくなるよう、社会全体を変えていく動きのきっかけを作ることができたら、と願っています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年02月14日

去っていった「DICの期待の星」

今日、ダッカは雨のバレンタイン・デー。なんとなく、どんより。
思い出すのは、ある若いカップルのこと。今、どうしているんだろう。つい重いため息が出てしまいます。

日本出張から帰ったあと、都市事業担当のスタッフから、「Kが結婚した」という知らせを聞きました。
「K」というのは、私たちが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと一緒に運営しているストリート・チルドレンのためのドロップイン・センター(以下DIC)に長くいた少女です。

DICには、ひとりで家を飛び出してきて路上で働き、路上で暮らす、身寄りのない子どもと、近くのスラムなどに家があって親ははいるけれども路上で働かなければならない状況にある子どもの両方がいます。Kは後者でした。スラムに母親がいますが、貧しさのためKは小さいときから路上で働かなければなりませんでした。

KはDIC開所のころからいた子で、今14歳ぐらい。つまり、7~8歳のときからいたことになります。頭のいい子で、リーダーシップもあり、DICから学校にも通っていました。演劇でもだいじな役を演じ、子どもたちとスタッフからなる「合同マネジメント委員会」の委員もやり、ピア・エデュケーターとして年少の子どもたちの面倒も見、子どもの性搾取に反対する若者チームのメンバーとして会議でも発言するなど、目覚ましく活躍していた少女でした。あれじゃ忙しすぎるんじゃないか、と心配になって、スタッフにあまり彼女にばかり役を振るなと注意するぐらいでした。いってみれば「DICの期待の星」のひとりだったのです。

小さかった子どもたちがだんだん大きくなって思春期を迎え、最近DICでは子どもたちの恋愛問題にスタッフが苦慮している、というのは耳に入っていました。日本で言えば中学生ぐらいの難しい年頃。しかも、小さい時から自分たちで働き、厳しい状況を生き抜いてきた、普通の同年代の子よりある意味「おとな」の子たちです。異性や性的なことに関心を持つ年頃になれば、子どもたちの揺れ動く感情をコントロールするのは大変なことです。

Kは気の強い子で、相手が誰だろうと、思ったことをはっきり言う子でもありました。彼女は、同じDICから巣立った青年Mと恋に落ち、結婚すると宣言してDICを飛び出してしまったのです。スラムに住む彼女の母親の話では、実際に結婚式もしたそうです。母親は「式に出なければ勝手にやって出て行く」と娘にタンカを切られ、どうしようもなかったと。

同じDICの出身者同士、祝福してやればいいではないか、と思われるかもしれませんが、Kはまだ14歳で学校に行っていたのです。しかも、相手のMはすでに結婚しており、子どももいます。KとMはみつからず、どうやらコミラへ行ったらしい、というのですが、Mの妻子はダッカに出てきているらしく、わけがわかりません。

私が初めてDICを訪れたとき、DICの中を案内してくれ、グループワークをしている子どもたちが今何をやっているのか、私にわかるようゆっくりしたベンガル語でひとつひとつ説明してくれたのはKでした。オポロジェヨ・バングラデシュの本部に打ち合わせに行くと、Kをはじめ何人かの少女たちも来ていて、「今日は私たちもミーティングなの!」と誇らしげに言っていたものです。KはDICの子どもたちのロールモデルになるはずでした。でも、恋して、思いつめて、衝動的に出て行ってしまった。

相手のMのことはよく知りません。でも、賢いKがずっと一緒にやっていける相手ではどうもないような気がします。私には今からもう、Mに愛想をつかし、シングルマザーとしてやっていこうとする数年後のKの姿が見えてしまうのです。

できる子だからとおとなの期待を背負わせすぎて、窮屈だったんじゃないだろうか。それともいつもお手本の優等生だっただけに、年上の青年から「きみはかわいい、甘えていいよ」と言われたらふらっとなってしまったんだろうか。

恋する14歳の気持ち、ずっと昔のことだけど、私だって忘れてないよ、Kちゃん。純粋な想いのどこが悪いのか、一緒にいたい人といるのが何がいけないのか、おとなに諭されれば諭されるほど、意地になってしまうことも。でもね、そんなに急がなくてもよかったんじゃない?あなたには恋以外にもいろんな未来があったのに。

結婚して「おとな」の世界に飛び込んでしまったK、当分戻ってはこないでしょう。戻ってきたとしても、もう「DICの子ども」にはなれないでしょう。どうすればよかったのか、私たちに何ができたのか、考えると落ち込んできます。ずっと彼女を育ててきたDICのスタッフたちは、もっと重い気持ちでしょう。知らせを受けたのはおとといのことで、まだ話し合うことができていないのですが、まだほかにも思春期の子どもたちは何人もいます。中には麻薬の売買をする身内に利用されそうになっている、要注意な子もいると聞きます。

小さいときは小さいときで大変だけれど、思春期を迎え、またべつの危機に直面する子どもたち。DICで育ってきた子どもたちを守るにはどうすればいいのか、真剣に話し合わなければなりません。


| | コメント (3) | トラックバック (0)
2006年12月21日

路上から母の元へ帰った少女

P1010897.jpg先週から今週にかけて、ダッカで一緒にストリートチルドレン支援事業を行っているパートナーNGO、オポロジェヨ・バングラデシュのスタッフと共に、「家に帰ったストリート・チルドレン」たちの追跡調査をしています。親に虐待されたりして家に帰せるような状況でない子も多いですが、中には住所がわかれば親元に返せる子たちもいるのです。先週はネットロコナ県とダッカで、昨日から今日にかけてはクルナ県で、ドロップイン・センターや青空教室から家に戻った子どもたちとその家族を訪ねました。

詳しくは、シャプラニールの会報『南の風』2月号でご報告する予定なので、ぜひそちらを読んでいただきたいのですが、今回、クルナでは予定外の出来事がありました。オポロジェヨのクルナのドロップイン・センターを訪ねたら、ちょうどチッタゴンのセンターで保護されていたクルナ出身の少女の住所がわかり、チッタゴンのオポロジェヨ・スタッフがその子を家族に戻すために連れてきていたのです。

まだ9歳ぐらいの少女ですが、チッタゴンで使用人として働かされていた家から路上に放り出され、警察を経てオポロジェヨのセンターに保護されたのでした。写真は彼女が家に帰り着き、お母さんの胸に飛び込んだ瞬間。行方不明になって数ヶ月ぶりに戻った娘を抱きしめてお母さんは大泣き。こちらももらい泣きしそうでした。


| | コメント (1) | トラックバック (0)
2006年11月05日

たかがトイレ、されどトイレ

さっき事務所からリキシャで帰ってきたんですが、空のリキシャに「おーい!(ベンガル風にいうと「エイ!」)と声をかけようとしたらドライバーがいないんです。ん?と思ったらそばのドブ際にしゃがみこんで用を足していました。ダッカではよくあるパターン、よくみる光景です。

一外国人女性としては、以前から「やだなあもう、この国の男性たちはどうしてこうあたり構わず立ちションならぬ座りション(失礼)をするんだろ」と思っていたのですが、今日、ふと「でもリキシャ・ドライバーの立場になってみれば...たしかにほかにするところないよな」と気がつきました。お店のトイレを借りるわけにもいかないでしょうし。女性には共感しやすいのですが、男性の立場になって考えてみることは実はあまりない、という自分にも気がつきました。

P1010003.jpgダッカの町は本当に人が多いです。普通の家々には程度の差はあれトイレがちゃんとついてますし、スラムの中にもNGOがつくったトイレなどがありますが、リキシャ引きや物売りの人たちのように、一日中路上で働いている人たちが使えるような、まともな公衆トイレというのは町中で見たことがありません。

写真=池に面して囲いをつくっただけの地方都市スラムのトイレ

お隣のインドでは、Sulabh(スーラブ)という元々清掃人カーストの人たち(いわゆる不可蝕民とされてきた人たち)の地位向上を目的として始まったインド最大といわれるNGOが、せっせと公衆トイレやスラム内のトイレをつくっていて、ニューデリーにもSulabhがつくったすごく立派な公衆トイレが人の多く集まるところあちこちにありました。ここバングラデシュもバザールの中や駅などにトイレがないことはないんですが、非常にお粗末だし汚い。女性が安心して入れるような公衆トイレはまずないと思ったほうがいい、という状態です。(最近、幹線道路沿いのガソリンスタンドなどにはきれいなトイレのあるところも増えてきてはいますが...。)

P1010790.jpgシャプラニールは農村部では簡易衛生トイレの普及をずっとやってきています。地方行政や他のNGOも簡易トイレ普及の活動をしているところは多いので、農村部のトイレの普及はかなり進んできたといっていいと思います。かつてはただ穴を掘っただけ、とか、池に張り出した桟橋みたいなものの先に囲いがしてあって、直接池に落ちるような方式になっているトイレを使っている人が、今よりもっともっと多かったのです。(今も少なくはないですが...)

写真=シャプラニールの支援で作られた農村部の簡易トイレ

ただ、普段家のトイレとして使うものとはべつに、出先でどうしても仕方なく用を足さなければならない、という場合、農村で原っぱや畑でする分には逆にまだ許せるのですが、舗装された道路の側溝がそこらじゅうトイレ代わりに使われているダッカの状況はなんとかならないもんかなあ、と思います。

P1000779.jpgシャプラニールが都市での事業として行っているストリート・チルドレンのための青空学校でも、今年からはじめた使用人として働く少女たちのためのプロジェクトでも、トイレの確保は重要。とくに女の子が安心して使えるトイレ、というのはとても大事です。ストリートチルドレンの青空教室では、バスターミナルを管理しているところと交渉して、トイレを子どもたちのために使わせてもらえるようにしています。トイレとしてだけでなく、トイレの洗面所の水を水浴びに使うようなことも許可してもらっています。

写真=バスターミナルの青空学校。この子たちが使えるトイレがターミナル内にあります。

また、農村パートナー団体のひとつ、STEPがバザール(市場)でものを売る女性たちの支援の一環として、何カ所かのバザールに設置した「女性のための販売コーナー」では、バザール内で女性が使えるトイレ確保もセットにして行いました。

この先シャプラニールが都市部で公衆トイレをがんがんつくるような活動を直接行うことはまずないと思いますが、ストリートチルドレンやリキシャ引き、路上の物売り、セックスワーカーの女性たち、こういった無視されがちな人々の立場や生活の視点から、何が足りないかを把握し、自分たちの活動や都市のインフラ整備に関する日本のODAなどに反映させていくことは、NGOとして重要な仕事だろうと思います。 

そのためには「汚いなあ、やだなあ」レベルで留まらず、「自分がこの人みたいに1日中路上にいたらトイレはどうする?」という視点を失くさないようにしないといけませんね。

反省をこめて、今日はトイレの話でした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年09月25日

隣のナシマ

今日の文章はブログに書くには長すぎますが、書いておきたい本当の話です。隣の家に使用人としてやってきた、小さな少女ナシマのお話です。

                 *  *  *

向かいの家の気さくな夫婦

私が住んでいる家は事務所にほど近いラルマティアというダッカの中流階級地域にある8階建てフラットの最上階にあります。一番上は暑いですが家賃が妥当なのと見晴らしがいいのが気に入っています。このフラットの中では私は唯一の外国人。エレベーターホールを中心に1フロア4世帯が入るフラットで、気さくなベンガル人のこと、皆外国人の私に声をかけてくれたり家に呼んでくれたりするので、同じフロアに住む人は皆顔見知りです。

向かいに住んでいるのは30代半ばの感じのいいベンガル人夫婦。彼らは結婚して間もなく二人でアメリカに渡り、それぞれガソリンスタンドやレストランのウェイトレスとして懸命に働き、ついには夫のほうはチェーンレストランのマネジャーになり、カリフォルニアに自分たちの家を買うまでになりました。しかし働きすぎがたたって二人とも相次いで身体を壊し、家族に説得されて帰ってきた、という若いながら苦労した経験をもつ人たちです。長くアメリカにいたので英語も流暢。夫のほうのナディムのお兄さんは日本で長く働いたことのある人で、日本語ぺらぺら。ナディムも日本に行ったことがあるそうで、初めて彼が銭湯に行ったときの体験談は、彼の妻のハシナと一緒に聞いて笑い転げました。ハシナはインテリアのセンスが抜群で、時々頼まれて家具のコーディネートの仕事をしています。彼女の弟は韓国人の女性と結婚して韓国に住んでいて、先日結婚以来初めて弟夫婦がバングラデシュに来たからと、私を家に呼んで紹介してくれました。二人は「私たちはひとりで外国に来て働いているあなたの苦労がよくわかる。何かあったらいつでもベルを鳴らしてうちに来ていいからね」と言ってくれ、本当に親切な人たちです。

彼らの家では小柄なおとなの女性がお手伝いさんとして働いていました。仕事が一段落ついたときは彼ら夫婦の横に座り込んでテレビを見たりもしていたし、わりと自由にやっている感じでした。それで私も「ベンガル人の中でもナディムやハシナみたいな人たちは子どもを使用人として雇ったりはしないんだろうな」と思っていたのです。

小さな少女がやってきた

しかし、1ヶ月半ぐらい前でしょうか。この家の台所で小さな女の子の姿をみかけるようになりました。あの子は誰だろう、と気にしていたら、ある日この子が台所の窓枠(こちらの家は高層フラットであっても、たいてい全ての窓に泥棒よけのグリルがはまっています)にしがみついて、こちらを見ているのに気がつきました。向かいの家の台所とうちの台所は2~3メートルぐらいの隙間を隔てて向かい合っており、ミラーガラスになった窓を閉めていれば中は見えないのですが、今のような暑い季節は窓を開けているので、お互い台所の半分ぐらいは丸見えです。ただし、窓辺に寄らない限り、向こうにいる人とこちらとがお互い作業をしながら話ができるほどには近くない、そういう微妙な距離です。窓辺でこの子が話したそうにしているので、私も窓に寄っていって声をかけました。

つい最近この家で働くことになったそうで、名前はナシマ。以前いたおとなのお手伝いさんは辞めてしまい、かわりに彼女が雇われたそうです。一張羅みたいな赤い花模様のワンピースを来て、賢そうな目と鈴を振るような声をした可愛い子です。出身地はノルシンディ県だそうで、ノルシンディのどこ?と聞いたら、「チョール(河の中洲)」と言います。「チョールってライプラのあの大きいチョール?」と聞くと「何で知ってるの?!行ったことあるの?」と興奮するナシマ。ライプラのチョールといえば、ノルシンディ県で活動するシャプラニールのパートナー団体のひとつ、PAPRIが今年から活動を始めた場所です。川で隔離され、病院もなく、学校に通う子どもも少なく、貧しく保守的な人々が洪水の被害などに苦労しながら暮らしているところです。ああ、あそこからこういう小さい子がダッカに使用人として来ているんだなあ、と思いました。

ナシマに「歳はいくつ?」と聞いてみると「10歳か12歳か...もしかしたらもう少し上かな。わからない。」と言います。見たところせいぜい12歳ぐらい。学校に行ったことは?と聞くと、残念そうに「行きたかったけどお父さんが行かせてくれなかった」とのこと。どんな仕事をしているの?と聞くと、「料理も洗濯も掃除もぜーんぶだよ!」と言います。あんたそんなにちっちゃいのに全部ひとりでやってるの?と聞くと、「ぜんぶやってるよ。ひとりで。」と胸を張りました。来て1週間目ぐらいで、この頃はまだナシマも張り切っていたのでした。確かに料理をしている後ろ姿を時々見かけると、その手つきやしぐさはテキパキと堂にいっていて、12歳そこそこの子どもとは思えませんでした。

元気をなくしたハイジのように

ナシマのことが気にかかりながら私も忙しくしていて2週間ぐらいたち、ある夜出張から帰ってくるとフラットの屋上で派手な音楽が鳴っています。その日は疲れていて、なんだろうと思いつつ寝てしまいました。翌日休みだったので台所で遅い朝食を作っていると、またナシマが向かいの台所の窓にはりついています。「元気?」と声をかけると、「あんまり元気じゃない」という答え。「昨日うちのサーとマダムの結婚記念日のパーティだったんだよ。屋上でやったの。すごくたくさん人が来て、高そうなプレゼントをたくさんもらってたよ。」と言いながら、ナシマは疲れきった表情です。たぶん彼女も昨日はとても忙しかったんだろう、と思いつつ、そうか昨日屋上で聞こえた音楽は彼らの結婚記念日パーティだったのか。私がいつも出張やら来客でバタバタしてたから、ナディムとハシナとも疎遠になってきちゃったな...と頭の一方で考えていました。

「あなたの家にはブア(お手伝いさん)はいないの?」とナシマが聞くので、「いるよ。でも朝来てお昼過ぎには帰るし、金曜日はお休みなの。土曜日も時々休みだよ。」と言うと、「いいなあ...お休みがあって」とため息をつくナシマ。「お休みないの?」と聞くと「ない」。なんとなく目の光が弱々しくなり、元気がありません。アルプスからフランクフルトに連れて行かれて夢遊病になってしまったハイジみたいだ、と思いました。しばらくとりとめのない話をしていると、ナシマが暗い決意のこもった目をして「私ここ辞める」と言います。「辞めるってどこに行くの?」「どこか別の家」。ちょうどその話をした時、家の呼び鈴が鳴り、ナシマは慌てて「またね」と飛んでいきました。

ついに脱走

あの子が急に飛び出してしまったら危ないなあ、と思いながら、私の仕事のほうでもいろいろあり、休日も家で落ち着く暇のないまま数日が経ちました。ショベ・バーラトの夜には「ハルワ(お菓子)をもらったの」と嬉しそうに食べているのを見たし、時々窓の向こうに姿を見かけていたので、まあ大丈夫みたいだと思っていたら、2日ほど彼女を見かけない日がありました。そのすぐ後、朝ごはんを食べながらうちのお手伝いさんのイラと話していたら、イラが「あのお向かいの子は逃げ出して連れ戻されたのよ」といいます。「えっ?逃げたってどこに?」と聞くと、別の家に行こうとしてモハマドプールに行っていたらしい、といいます。

そういえば以前、私の事務所はモハマドプールだと言ったら、モハマドプールにはおじいちゃんがいて、門番の仕事をしているんだとナシマが言っていました。ナディムのお兄さんの家はモハマドプールだから、たぶんそこで長年ナシマのおじいちゃんが門番をしていて、そのつてで孫娘がナディムとハシナの家に来ることになったのでしょう。
「そうか逃げたか...」と連れ戻されたナシマを哀れに思いながらも、路上で悪い奴に捕まったら本当に危なかった、と一方では少しほっとしました。こういう女の子が町をうろうろしていてかどわかされ、国内やインドの買春宿に売られてしまうということは現実に起こっていることです。

帰ってきたナシマ

イラに脱走の件について聞いた翌日、久しぶりにナシマと窓越しに話をしました。彼女が逃げた話には触れずに「元気?」と聞くと「元気」と言います。あのパーティの翌日に比べるとだいぶ落ち着いた様子。逃げ出したことで少しナシマの待遇も変わったのでしょうか。そうだといいのですが。

それからまた数日たった今日、先ほど窓越しにまた話をしました。「明日からロジャ(断食月)だから大変だよ。夜中に起きてまた料理しなきゃいけないよ。うちのアパたちは買い物、買い物で外に出っぱなし。あー大変。」ナシマはせっせと手を動かしつつ歌うように喋りながら元気なようです。断食月にはイスラム教徒は日の出から日の入りまで食を断ちますが、日の出直前と日の入り直後に特別な料理を食べます。その支度をするのもナシマの役目なのでしょう。

たくましい少女。日本ならまだ小学校6年生か中学1年生ぐらいの歳で、たった一人で他人の家に住み込み、自分の身の回りのことはもちろん雇い主の全ての家事をこなし、学校にも行かず、自由に外にも出られないナシマ。でも信心深いナシマにとって、断食月の準備は思わず張り切ってしまうことのようです。少し前、「この家の人たちはあんまりお祈りしない」と不満そうでしたから。

近いうちに久しぶりに、ナディムとハシナを玄関から訪ねよう、と思います。ナシマのこともきっと話題になるでしょう。外国人の隣人である私が彼らの家庭内のことについて出過ぎたことを言うことはできませんが、彼らのことだから気さくに自分たちからナシマのことを話してくるかもしれません。でも、もしかしたら私がナシマと時々窓越しに話をしていることについて、多少気を悪くしている可能性もないとはいえません。

まあ案ずるより訪ねてみるがよし。お菓子でも持ってドアをノックしてみましょう。

使用人として働く少女のためのプロジェクト

シャプラニールは、現地NGOのフルキをパートナーとして、ナシマのように使用人として働く少女たちのための実験的なプロジェクトをダッカで始めたばかりです。今はダッカ市内の2ヶ所でしか始めておらず、そのうち一つはまだ地域住民と交渉している段階ですが、少女たちが集まれるヘルプ・センターを開き、最低限の読み書きや保健衛生、思春期の身体の変化のことなどについて学び、同世代の少女たちと子どもらしい遊びの時間を持つことができ、さらに技術研修もしてよりよい給料、よりよい仕事で働けることを目指しています。つまり少女たちが少しでも子ども時代を取り戻しつつ、自分に付加価値をつけ、競争力を持ち、より人生の選択肢の幅を広げることができるように、というプロジェクトです。

この子たちを仕事から切り離し、学校に行かせることができればそのほうがいいに決まっていますが、バングラデシュに最低30万人はいるという使用人として働く子どもたちを、全て仕事から切り離して養うことなど、どんなNGOにも現実的なことではありません。すぐに仕事を辞めさせることはできないけれども、それでも少女たちや雇い主、親や地域社会に働きかけて、少しずつ少女たちの状況をよくしていくこと、この子たちはまだ子どもであって、遊んだり学んだりする子ども時代が必要だということを理解する人をこの社会の中に増やしていくことを目指しています。

日本でも貧しい家の子どもは他人の家に住み込みで働きに出された時代がありました。しかし、社会の変化に伴い、だんだんとそんな状況はなくなっていきました。バングラデシュもそうなるための「社会の変化」をどうすれば起こしていけるのか、が今の私たちのテーマです。

ただし、シャプラニールやほかの様々なNGOや国際機関などが努力しても、社会の変化には時間がかかります。そもそもバングラデシュの人たちが「変えよう、変わろう」と思わなければ、本当の変化は起こらないでしょう。

目の前に「プロジェクトの対象」そのものの少女が現れ、「隣の外人のおばさん」として彼女に関わってしまった私は、一個人としてとまどっています。時々彼女の話し相手になりながら、彼女がたくましく自分の人生を切り開いていくことを祈るほかに、私に何ができるのでしょう。

この子も同世代の子と遊ぶ時間が持てたら、学校で学ぶことができたら...と歯がゆく思いながら、隣のナシマの背中を見ています。

続きを読む "隣のナシマ" »


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年08月16日

子どもとおとな、初めての共同マネジメント委員会

DICのマネジメント委員会.jpg
今はダッカ事務所の昼休み。先ほど、現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュとシャプラニールが協力して運営しているストリート・チルドレンのためのドロップ・イン・センターから帰ってきました。今日の午前中何があったかというと、子どもたちとスタッフでつくる共同マネジメント委員会(ジョイント・マネジメント・コミッティー)の第1回のミーティング。ストリート・スクール(青空学校)でひとつ、ドロップ・イン・センターでひとつ、委員会を組織して、みんなの共通の問題について話し合います。それぞれの委員会のメンバーは5~7人の子どもと2人のオポロジェヨのスタッフからなり、子どもたちの代表は選挙で選びます。
(写真=ドロップ・イン・センターの共同マネジメント委員会。おとなの男性はオブザーバーとして参加したシャプラニールダッカ事務所スタッフ)

今までもこういう試みがなかったわけではありません。子ども会議や子どもとスタッフの共同会議はこれまでもやっていましたし、子どもたちが自分たちのルールを決めたりもしていました。でも、少し話が大きなことになると、子どもたちが出し合った意見をおとなが聞いて、おとなが決定するときの参考にするに留まっていました。また、下手をすると子どもたちがスタッフにいろいろな「要求」(部屋が暑いから扇風機をつけてほしい、など)を出す場になってしまうこともありました。

議長と書記.jpg
でも今年から始まったこの共同マネジメント委員会では、子どもたちにも委員としての権限があり、責任をもって意思決定に携わることになります。委員の子どもたちは皆、この委員会の目的や委員の役割を書いた紙をしっかり読み、理解して同意したらサインをします。議長や書記も子どもたち。おとなメンバーは必要なコメントはしますが、会議を仕切ってしまったり自分の意見を子どもたちに押し付けたりすることのないよう、注意深く参加しなければなりません。ただし、会議運営の経験が少ない子どもには、技術的なサポートも必要。議論が沸騰したあと、結論をどうまとめたらいいか迷っている議長の子どもに、時には助け舟を出す必要もあります。これにはかなりスキルが必要です。
(写真=ストリート・スクールの共同マネジメント委員会の議長と書記)

今日のドロップ・イン・センターの共同マネジメント委員会の議題は、6つありました。1.食べ物について、2.服の盗難について、3.勉強について、4.新しい仕事について、5.子ども銀行について、6.その他、です。どれも子どもたちにとって切実な問題ばかりでしたが、そのうちのひとつ、「2.服の盗難について」の議論の一部を再現してみましょう。

カハル(議長)「じゃあ、次の議題は服の盗難について。この議題について提案者のカジョリから説明してください。」
カジョリ「私たちはすごく苦労してお金をためて自分たちの服を買ってるけど、それを洗って屋上に干しておくと外から来て盗っていっちゃう子がいる。服を盗られたら学校に行くときも困っちゃう。だから私たち子どもたち何人かで服の見張り担当を決めて、順番に見張りをしたらどうかと思います。」
ラナ「そうだよね。僕たちは紙袋作りの仕事とかをしながらちょっとずつお金を貯めて服を買ってるけど、それを盗られたら困っちゃう」
モミヌル「見張りはナニ(掃除や子どもたちの世話をするスタッフ)にやってもらったら?」
ハシナ「それはダメだよ。ナニはもういっぱい仕事があるんだから、これ以上仕事を増やしたらパンクしちゃうよ。私たちの服なんだから見張りも私たちでやらなきゃ。」
スタッフ「外から来て服を盗っていっちゃう子はどんな子なのかな。その子たちはドロップ・イン・センターに来てない子なの?」
カジョリ「来てない子。でもその子たちも服がないんだと思う。親が買ってくれないとか。そうじゃなければ盗っていったりしないと思う。」
スタッフ「じゃあその子たちにも教えてあげないといけないよね。人の服を盗っちゃいけない、ってこととか」

結局、洗濯物を干しているときの見張り番を子どもたちの中から選ぶ方向で、ほかの子どもたちにも委員会から話をしよう、ということになりました。ドロップ・イン・センターの「子ども代表」は、10代半ばぐらいで学校に通っている子が多く、皆とてもしっかりしています。スタッフが口を出すのはほんのわずかでも、話し合いはとても活発に進んでいました。

SSのマネジメント委員会.jpg
隣の部屋で行われていたストリート・スクールの委員会のほうは、もう少し小さい子が多く、議長の少年はなかなか苦戦している様子。年下の子どもたちがなかなか発言しないのです。のぞいてみると、こちらはちょっとスタッフも口を出しすぎ、仕切りすぎ。こちらは議長役の子も、スタッフも「みんなが参加できる会議運営」のスキルをもっと身につける必要がありそうです。

(写真=ストリート・スクールの共同マネジメント委員会)

この子どもたちとスタッフの共同マネジメント委員会は、これから毎月実施されます。議題はほかの子どもたちとも話し合って決められ、決まったことはまたみんなにシェアします。

子どもの参加をより本当のものにし、子どもたちのマネジメント能力を高めていく試み、これからどんな風に進んでいくか、楽しみです。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年08月11日

「自分から変わろう」という人たちと仕事したい-その1

先日のインド出張、仕事の中身を書かないままでしたが、あれは今年から始まるインドプロジェクトのひとつ、「コルカタ周辺で家政婦として働く女性たちへの支援事業」を共に実施するパートナー団体、ポリチティ(Parichiti)との打ち合わせと契約書を交わすのが主目的だったのでした。

会員の方にはすでにシャプラニールの会報「南の風」でお伝えしているので、繰り返しになりますけど、会報に書いたのとはちょっと違うかたちでポリチティとそこに関わる女性たちのことを紹介したいと思います。

ポリチティの理事やスタッフは全員女性。組織の規模は小さいのですが、国際NGOのシニアスタッフや新聞の論説委員など、仕事を持って第一線で活躍している女性たちが中心になって立ち上げました。
そのうちのひとり、オンチタ(Anchita)は誰もが名前を知っている大きな国際NGOのマネジャーレベルの人ですが、まったくの個人としてポリチティの活動に関わっています。ドロン(Dolon)も西ベンガル州でよい活動をしている中規模NGOの副代表。彼女たちと最初に会って話を聞いたのは去年の9月だったから、もうすぐ1年たつんですね。

Parichiti.jpg

写真左=ポリチティ立ち上げの中心メンバーのうち3人。左から、ドロン、バシュワティ、オンチタ。バシュワティは英字紙の論説委員

ポリチティ設立の経緯について、Anchitaは言っていました。

「だいぶ前から、コルカタ市に隣接する南ポルガナ県とか北ポルガナ県の農村からコルカタの中流家庭の家政婦として通ってくる女性がどんどん増えてきたの。とくに早朝彼女たちを乗せてくるローカル列車は、Domsetic Worker Expressなんて呼ばれるようになった。彼女たちの状況はほんとにひどくてね。列車にはもちろん駅にも女性が使えるトイレなんかないし、日も昇らないうちから家を出て何時間もかけて通ってくるから、村で子どもたちの面倒を見る人もいないんだよね。そういう人たちの夫はたいてい仕事がなくて、生活は彼女たちの肩にかかってるから、女性たちは何件も家をかけもちして必死で働くの。早朝から午後2時とか3時までの間に3件ぐらいの家でものすごい量の仕事を超特急でこなして、また満員列車で帰るわけ。それでも家に帰りつくころには日が暮れちゃうんだけどね。彼女たちはほとんど休みもないし、食事をする場所もないし、雇い主の中には彼女たちをまともに人間扱いしないような人も多くて、トイレも使わせなかったりする。ちょっとでも遅れたらすぐクビにしたり、暴力を振るったりね。

農村に戻る列車.jpg
写真右=コルカタから農村へ向かう午後の列車の女性専用車

私たちはそういう女性たちの状況が気になっていて、NGO仲間の女性同士顔を合わせるたびに、ずっと『誰かが彼女たちのために何かするべきだよね』って話していた。でもこういう問題に取り組むNGOってないんだよね。あまりにも自分の生活に近すぎるというか。私たち中流階級のNGOスタッフも家ではほとんどの人がお手伝いさんの世話になっていて、だからこそ働けてるわけだからね。結局この問題に取り組むことは、自分とかすごく自分に身近な人の生活に真正面から向き合うことにならざるを得ないわけよ。NGO関係者でもそういう自分の私生活に返って来るようなことは避けたいって人が多いんだよね、正直なところ。」

「それで、私たちはついに決めたの。『誰かがやるべきだ』って言い続けて何もしないことはもうやめよう、って。それでお金はないけど私たちの給料の一部をつぎこみながら、この問題に取り組み始めた。これまでコルカタで家政婦の女性たちの問題に特化して取り組んでる団体なんてなかったから、そのうち何かあると他のNGOからも連絡が入るようになってきた。まだ10代前半の少女が、家政婦として働いていた家で不審な死を遂げた事件とかね。それで被害者本人や家族がそういう事件の訴訟を起こすときに裁判のモニターを手伝うことも始めたの。一度単発でアメリカの女性団体から助成金をもらったけど、それももう切れちゃうから、シャプラニールの支援は本当に有難い。これでやらなきゃと思いながらできなかったいろんなことができると思う。」

駅の相談コーナー.jpg

写真左=駅のホームの一角を囲ってポスターを下げたポリチティの相談コーナー。黄色いサリーの女性はポリチティのスタッフ

ポリチティは今、毎週火曜日にこういった女性たちが多く使うローカル列車の駅のひとつ、コルカタ南部の「ダクリア駅」に出向いて、女性たちの話を聞いたり相談にのっているほか、家政婦として働く女性が被害者となったケースの裁判の支援、彼女たちの状況改善のための地方政府への働きかけなどをしています。たとえば最近、あまりに超満員の列車から女性が落ちるという事故があったそうで、「女性専用車」を増やしてほしい、といった働きかけをコルカタ市当局にしているとのこと。

シャプラニールと一緒に始める新事業では、これまで彼女たちが自腹をきってやってきた仕事をサポートすると同時に、この駅の近くに女性たちが立ち寄り、トイレを使ったり、水を飲んだり、食事したり、休んだりできるようなドロップ・イン・センターの運営も始めます。

コムラーさんを訪ねて.jpg

写真右=ダクリア駅を使う女性のひとり、コムラーさんの家を訪ねた。農村とも言い難い郊外の荒れ地のような場所だった。

「でも、女性たちにサービス提供することが私たちの目的じゃないの。ゆくゆくこの女性たちが自分たちの組織をつくって、労働条件をよくするための交渉や社会への働きかけができるようになること、それが目的。だからドロップ・イン・センターでも、場所はもちろん使ってもらうけど、食事の提供をしたりする気はないの。そこで女性たちが集まってミーティングをしたり、ワークショップをやったりできる場にしたい。そういう場を提供することや、女性たちが力をつけていく手伝いをしたり、彼女たちの声が社会に聞かれるようにファシリテートしていくのが私たちの役目。こっち側の駅での活動だけでなくて、農村部でもやらなきゃいけないことはたくさんある。」とオンチタやドロンは言います。

私たちが日本で「南北問題の解決は日本など先進国で暮らす私たち自身が自分の生活をみつめなおすことなしにはありえません」と言っているのと同じことで、南アジアの都市問題の解決には、そこで暮らす中・上流階級の人たちが自分の生活を見直し、変えていくこと、自分たちの生活を支えながら困難な状況で暮らしている貧しい階層の人々の存在を意識することが不可欠だと私は思っています。

だからこそ、とくに都市のプロジェクトのパートナーは、「自分たちから変わろう」という人たちと仕事したい。「かわいそうな人に援助する」という考え方ではなくて、「自分たちが変わり、できることをすることで、世の中が変わっていく」という考えを持っている人たち、困難な生活を強いられる「当事者」の声を熱心に聞き、その人たちが力をつけて自ら立ち上がっていくことが重要だと考えている人たちと一緒にやっていきたい。 

ポリチティのメンバーは、駅を使う女性たちと相談しながら今ドロップインセンターの候補物件探しを進めています。ポリチティの団体としてのロゴも今までなかったのですが、これも家政婦として働く女性たちにどんなのがいいか聞きながら作ろうと思っているそう。

規模は小さいし、まだこれから始まる新プロジェクトですが、きっとこの活動にはシャプラニールのこれまでの経験も生かせるし、シャプラニールがこの活動を通じて学べることも多いはずだと信じています。そして、バングラデシュやネパールで同じような取り組みをしているNGOともぜひ経験交流の場を設けたい。都市の問題と農村の問題にバラバラに取り組むのでなくて、両側から同時に取り組むうちに都市と農村の関係や人の動きがみえてくる...そんな仕事もやっていきたい、と思っています。

私も何かできる形で関わってみようかな...そんな風に思ってくださる方がいらしたら、ぜひこちらから。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年07月06日

女性や子どもへの暴力のない社会のために

いま昼休みにこのブログを書いております。ダッカ事務所の昼休みは午後1時から2時。食堂でお昼を食べたあと、以前であれば庭に出てタイガーをかまったりするのがいい気分転換だったのですが、いまだに帰ってきません。悲しい。

さて、今日は都市事業担当のプログラムオフィサー、サイフルと一緒に、BNWLA(Bangladesh National Women's Lawyer's Association)という団体の代表のサルマ・アリさんを訪ねてきました。サルマさん自身もバイタリティ溢れる女性弁護士さん。この団体は代表も女性、メンバーの弁護士さんたちも全員女性で、女性に対する暴力への対応や政府への働きかけ、人身売買された子どもたちの救出などに携わっているパワフルな団体です。

私がバングラデシュに来てすぐの頃、新聞でよくこの団体やサルマさんの名前をみかけました。去年の今頃から数ヶ月にわたって、サウジアラビアでラクダのジョッキーとして働かされていたバングラデシュ人の少年たちが何度かに分けて100人以上帰国してきたのですが、彼らの帰国のために中心になって奔走した団体が、このBNWLAだったのです。

今日BNWLAを訪問した理由は、私たちが新しい現地パートナーNGOのフルキ(Phulki)と今年から始める、使用人として働く少女たちのプロジェクトの中で、少女たちへの法的支援が必要となった場合に、どんな協力が得られるか知りたい、とか、インドとバングラデシュの間の人身売買の問題についてどんな活動をしているのか知りたい、ということのほか、どんな分野にドナーが殺到し、どんな分野が必要なのに手付かずなのか、などについてサルマさんの意見を聞きたかったから。

人身売買の問題は非常に深刻。私たちもコルカタに出張したとき、あるNGOの施設で、バングラデシュから人身売買された少女たち約20名に会っています。彼女たちの帰還にもBNWLAは協力しています。この問題については実は海外の様々なドナーが注目しているようで、サルマさんも「みんな人身売買のことをやりたいっていうのよ。なんか競争みたいになっててうんざり」だそう。しかし、殺到しているのは既に被害にあった女性たちの支援であって、防止のための活動はまだまだ少ないようです。

スラムの少女たち.jpg

私たちがこれから行う使用人として働く少女のための活動も、「被害にあった子どもの救済」よりも、「子どもが被害に遭わないようにするための社会変革」を大目標にやっていきたいと思っているのですが、これはそう簡単な仕事ではありません。新たな悩ましい試行錯誤の始まりかも。 (写真=フルキとともに行った使用人として働く少女たちの調査で。スラムの少女たちに話を聞きました)

でもパートナーのフルキとも調査を行ったり話し合いを重ね、このプロジェクトのためのフルキ側の担当スタッフの顔ぶれも決まって、来週には結団式じゃないけどチームメンバーの最初のミーティングが行われる予定。まずは小規模なパイロットプロジェクトとしてですが、いよいよ都市新プロジェクトの始動!です。

社会の構造を変えていくような仕事はひとつのNGOでできるものじゃありません。既に様々なNGOや機関がそれぞれに努力しています。そんな中でシャプラニールが果たしていくべき役割は何なのか。

動きながら出会いながら時には失敗しながら考える、そのうちにもっとはっきり見えてくるはず。そう信じて進みます。

あら書いてるうちにとうに昼休みは過ぎてしまったわ。仕事に戻りましょう。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年06月07日

ルバルくんの死

その悲しい知らせは土曜日の朝入ってきました。
金曜日の夜、ルバルくんが事故で亡くなった、というのです。

ルバルくんは、シャプラニールが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと共に運営している、ストリートチルドレンのためのドロップ・イン・センターにいつも来ている子どものひとりで、シャプラニールの会報でも紹介したことのある少年でした。

小さい頃、トラック運転手だったお父さんが亡くなり、お母さんの実家のある村で暮らしていましたが、ある日お母さんと一緒におじさんの家に行く途中でお母さんとはぐれて帰れなくなってしまい、それから様々な経緯を経てストリートチルドレンとなり、ドロップ・イン・センターにたどりついたのです。

ルバルくん.jpg

ドロップ・イン・センターに来るようになってから、勉強や貯金も始め、子どもたちが最近上演した劇では、警官役の名演技で皆の喝采を浴びました。(写真右)年下の子どもたちの面倒見もよく、他の子どもたちからも人気がありました。まだ12歳そこそこの年齢でした。

そのルバルくんがどうして事故にあってしまったのか。
ドロップ・イン・センターのスタッフに聞いた話では、夜、走るトラックの荷台につかまっていて振り落とされたらしいのです。
なぜ、そんな時間にトラックの荷台につかまっていたのか。何をしようとしていたのか。今となってはわかりません。

やっと落ち着ける場所をみつけ、劇で自分を表現する楽しさも知り、これから自分の将来のためにがんばっていくはずでした。夢もあったでしょう。
持っている可能性をこれから開花させようという矢先のあっけない死が、残念でなりません。
ルバルくんはもっと残念でしょう。悔しかったでしょう。

新聞にも載らない、小さな少年の苦難の人生の終わり。
はぐれたまま、どこにいるかもわからない彼のお母さんは、まだ彼の死を知りません。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年02月14日

オポロジェヨの子どもたちと遠足!

バングラデシュでは暦の上では今日から春。
ベンガル暦というのは本当にここの気候に合っていて、暦が変わったらにわかに暑くなってきました。日本の季節感でいえば春というより「初夏」という感じでしょうか。

きのうは私たちが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュといっしょに運営しているストリートチルドレンのための青空学校とドロップインセンターの、年に1度の遠足でした。この日参加する子どもは150人。引率するスタッフたちにとっては大変な1日です。

はしゃぐ子どもたち.jpg

はしゃぐ子どもたち

遠足で向かう先は車で約1時間ほどのノルシンディ県にある「丘」。平らな低地が広がるバングラデシュでは、ちょっとした丘や林も珍しく、遠足スポットとなります。この「丘」にもべつに特別なものがあるわけではないのですが、田んぼがまわりに広がるのどかな風景の中、少し小高い丘の上が原っぱのようになっていて、子どもたちが遊ぶのにはいい場所です。

この遠足、日ごろゴミ拾いや物売りなどをして働いている子どもたちにとっては大イベント。子どもたちは数日前からドロップイン・センターの共有の洗い場でお気に入りの一張羅の服を洗ったり、アイロンかけをしたりして、この日に備えていたそうです。

遠足のバス.jpg

遠足のバス。垂れ幕とスピーカーつき。

当日は朝からバスのスピーカーで音楽をがんがん鳴らしながら出発。バスの屋根に外向きについている大きなスピーカーにはぎょっとしましたが、スタッフによれば「バングラデシュじゃピクニックというのはこういうもの」だそう。

ダッカに来て9ヶ月の私にとって、子どもたちとの遠足に参加するのは初めて。子どもたちと「かごめかごめ」をしたり、「アパ!おじぎ草をみつけたよ!きてきて!!」という女の子につれられて林にいったり、ちっちゃい男の子が「プレゼント」とセロハンをむいたぺとぺとしたアメをくれたり、自分のピン止めを髪から外して私の髪につけようとする子どもにされるままになってみたり...と、おおはしゃぎの子どもたちの小さな手に引っ張られっぱなしの1日でした。

お昼はランチボックスのお弁当(中身はごはんとチキンカレー)。食事時間になるとみんな黙々と食べるところが日本の子どもの遠足とはちょっと違う感じ。

お弁当の時間.jpg

お弁当の時間

かけっこやケンケン相撲に勝った子どもたちへのささやかなご褒美贈呈のあと、この日のクライマックスは子どもたちの演劇。劇のテーマは子どもの人身売買。ゴミ拾いをしている二人のストリートチルドレンが、ブローカーが子どもたちを売り飛ばそうとしている現場をみつけて、警官に知らせ、売られそうになった子どもたちが助かる、というストーリー。

草の上に座った子どもたちの輪の真ん中で劇が始まると、この近所の学校に通っているらしい子どもたちもたくさん集まってきました。居眠りしたり急にいばったりする警官を演じる子どものそれっぽい口調や、
ブローカー役の男の子のいかにもちんぴら風な仕草などに見ている子どもたちも大喜び。大拍手に包まれて演じた子どもたちも誇らしげでした。

ブローカーと子どもたち.jpg

右の男の子がブローカー役

日ごろゴミだらけのスラムや騒然としたバスターミナルで大変な生活をしている子どもたちにとって、草の上を思い切り走れる遠足はやっぱりとっても大事。この遠足が子どもたちの心にずっと残る楽しい思い出となりますように。

(2006年2月14日)


| | コメント (0) | トラックバック (0)
坂口事務局長のブログ
藤崎駐在員のブログ

小嶋駐在員のブログ



ストリートチルドレン支援に
ご協力を【詳細はこちら
ノースウエスト航空エアケアチャリティープログラム
バングラデシュ駐在員のブログ
 
 
©2006 Shapla Neer. All rights reserved 
| 個人情報の取り扱いについて | トップページ | 問い合わせ |