今日の文章はブログに書くには長すぎますが、書いておきたい本当の話です。隣の家に使用人としてやってきた、小さな少女ナシマのお話です。
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向かいの家の気さくな夫婦
私が住んでいる家は事務所にほど近いラルマティアというダッカの中流階級地域にある8階建てフラットの最上階にあります。一番上は暑いですが家賃が妥当なのと見晴らしがいいのが気に入っています。このフラットの中では私は唯一の外国人。エレベーターホールを中心に1フロア4世帯が入るフラットで、気さくなベンガル人のこと、皆外国人の私に声をかけてくれたり家に呼んでくれたりするので、同じフロアに住む人は皆顔見知りです。
向かいに住んでいるのは30代半ばの感じのいいベンガル人夫婦。彼らは結婚して間もなく二人でアメリカに渡り、それぞれガソリンスタンドやレストランのウェイトレスとして懸命に働き、ついには夫のほうはチェーンレストランのマネジャーになり、カリフォルニアに自分たちの家を買うまでになりました。しかし働きすぎがたたって二人とも相次いで身体を壊し、家族に説得されて帰ってきた、という若いながら苦労した経験をもつ人たちです。長くアメリカにいたので英語も流暢。夫のほうのナディムのお兄さんは日本で長く働いたことのある人で、日本語ぺらぺら。ナディムも日本に行ったことがあるそうで、初めて彼が銭湯に行ったときの体験談は、彼の妻のハシナと一緒に聞いて笑い転げました。ハシナはインテリアのセンスが抜群で、時々頼まれて家具のコーディネートの仕事をしています。彼女の弟は韓国人の女性と結婚して韓国に住んでいて、先日結婚以来初めて弟夫婦がバングラデシュに来たからと、私を家に呼んで紹介してくれました。二人は「私たちはひとりで外国に来て働いているあなたの苦労がよくわかる。何かあったらいつでもベルを鳴らしてうちに来ていいからね」と言ってくれ、本当に親切な人たちです。
彼らの家では小柄なおとなの女性がお手伝いさんとして働いていました。仕事が一段落ついたときは彼ら夫婦の横に座り込んでテレビを見たりもしていたし、わりと自由にやっている感じでした。それで私も「ベンガル人の中でもナディムやハシナみたいな人たちは子どもを使用人として雇ったりはしないんだろうな」と思っていたのです。
小さな少女がやってきた
しかし、1ヶ月半ぐらい前でしょうか。この家の台所で小さな女の子の姿をみかけるようになりました。あの子は誰だろう、と気にしていたら、ある日この子が台所の窓枠(こちらの家は高層フラットであっても、たいてい全ての窓に泥棒よけのグリルがはまっています)にしがみついて、こちらを見ているのに気がつきました。向かいの家の台所とうちの台所は2~3メートルぐらいの隙間を隔てて向かい合っており、ミラーガラスになった窓を閉めていれば中は見えないのですが、今のような暑い季節は窓を開けているので、お互い台所の半分ぐらいは丸見えです。ただし、窓辺に寄らない限り、向こうにいる人とこちらとがお互い作業をしながら話ができるほどには近くない、そういう微妙な距離です。窓辺でこの子が話したそうにしているので、私も窓に寄っていって声をかけました。
つい最近この家で働くことになったそうで、名前はナシマ。以前いたおとなのお手伝いさんは辞めてしまい、かわりに彼女が雇われたそうです。一張羅みたいな赤い花模様のワンピースを来て、賢そうな目と鈴を振るような声をした可愛い子です。出身地はノルシンディ県だそうで、ノルシンディのどこ?と聞いたら、「チョール(河の中洲)」と言います。「チョールってライプラのあの大きいチョール?」と聞くと「何で知ってるの?!行ったことあるの?」と興奮するナシマ。ライプラのチョールといえば、ノルシンディ県で活動するシャプラニールのパートナー団体のひとつ、PAPRIが今年から活動を始めた場所です。川で隔離され、病院もなく、学校に通う子どもも少なく、貧しく保守的な人々が洪水の被害などに苦労しながら暮らしているところです。ああ、あそこからこういう小さい子がダッカに使用人として来ているんだなあ、と思いました。
ナシマに「歳はいくつ?」と聞いてみると「10歳か12歳か...もしかしたらもう少し上かな。わからない。」と言います。見たところせいぜい12歳ぐらい。学校に行ったことは?と聞くと、残念そうに「行きたかったけどお父さんが行かせてくれなかった」とのこと。どんな仕事をしているの?と聞くと、「料理も洗濯も掃除もぜーんぶだよ!」と言います。あんたそんなにちっちゃいのに全部ひとりでやってるの?と聞くと、「ぜんぶやってるよ。ひとりで。」と胸を張りました。来て1週間目ぐらいで、この頃はまだナシマも張り切っていたのでした。確かに料理をしている後ろ姿を時々見かけると、その手つきやしぐさはテキパキと堂にいっていて、12歳そこそこの子どもとは思えませんでした。
元気をなくしたハイジのように
ナシマのことが気にかかりながら私も忙しくしていて2週間ぐらいたち、ある夜出張から帰ってくるとフラットの屋上で派手な音楽が鳴っています。その日は疲れていて、なんだろうと思いつつ寝てしまいました。翌日休みだったので台所で遅い朝食を作っていると、またナシマが向かいの台所の窓にはりついています。「元気?」と声をかけると、「あんまり元気じゃない」という答え。「昨日うちのサーとマダムの結婚記念日のパーティだったんだよ。屋上でやったの。すごくたくさん人が来て、高そうなプレゼントをたくさんもらってたよ。」と言いながら、ナシマは疲れきった表情です。たぶん彼女も昨日はとても忙しかったんだろう、と思いつつ、そうか昨日屋上で聞こえた音楽は彼らの結婚記念日パーティだったのか。私がいつも出張やら来客でバタバタしてたから、ナディムとハシナとも疎遠になってきちゃったな...と頭の一方で考えていました。
「あなたの家にはブア(お手伝いさん)はいないの?」とナシマが聞くので、「いるよ。でも朝来てお昼過ぎには帰るし、金曜日はお休みなの。土曜日も時々休みだよ。」と言うと、「いいなあ...お休みがあって」とため息をつくナシマ。「お休みないの?」と聞くと「ない」。なんとなく目の光が弱々しくなり、元気がありません。アルプスからフランクフルトに連れて行かれて夢遊病になってしまったハイジみたいだ、と思いました。しばらくとりとめのない話をしていると、ナシマが暗い決意のこもった目をして「私ここ辞める」と言います。「辞めるってどこに行くの?」「どこか別の家」。ちょうどその話をした時、家の呼び鈴が鳴り、ナシマは慌てて「またね」と飛んでいきました。
ついに脱走
あの子が急に飛び出してしまったら危ないなあ、と思いながら、私の仕事のほうでもいろいろあり、休日も家で落ち着く暇のないまま数日が経ちました。ショベ・バーラトの夜には「ハルワ(お菓子)をもらったの」と嬉しそうに食べているのを見たし、時々窓の向こうに姿を見かけていたので、まあ大丈夫みたいだと思っていたら、2日ほど彼女を見かけない日がありました。そのすぐ後、朝ごはんを食べながらうちのお手伝いさんのイラと話していたら、イラが「あのお向かいの子は逃げ出して連れ戻されたのよ」といいます。「えっ?逃げたってどこに?」と聞くと、別の家に行こうとしてモハマドプールに行っていたらしい、といいます。
そういえば以前、私の事務所はモハマドプールだと言ったら、モハマドプールにはおじいちゃんがいて、門番の仕事をしているんだとナシマが言っていました。ナディムのお兄さんの家はモハマドプールだから、たぶんそこで長年ナシマのおじいちゃんが門番をしていて、そのつてで孫娘がナディムとハシナの家に来ることになったのでしょう。
「そうか逃げたか...」と連れ戻されたナシマを哀れに思いながらも、路上で悪い奴に捕まったら本当に危なかった、と一方では少しほっとしました。こういう女の子が町をうろうろしていてかどわかされ、国内やインドの買春宿に売られてしまうということは現実に起こっていることです。
帰ってきたナシマ
イラに脱走の件について聞いた翌日、久しぶりにナシマと窓越しに話をしました。彼女が逃げた話には触れずに「元気?」と聞くと「元気」と言います。あのパーティの翌日に比べるとだいぶ落ち着いた様子。逃げ出したことで少しナシマの待遇も変わったのでしょうか。そうだといいのですが。
それからまた数日たった今日、先ほど窓越しにまた話をしました。「明日からロジャ(断食月)だから大変だよ。夜中に起きてまた料理しなきゃいけないよ。うちのアパたちは買い物、買い物で外に出っぱなし。あー大変。」ナシマはせっせと手を動かしつつ歌うように喋りながら元気なようです。断食月にはイスラム教徒は日の出から日の入りまで食を断ちますが、日の出直前と日の入り直後に特別な料理を食べます。その支度をするのもナシマの役目なのでしょう。
たくましい少女。日本ならまだ小学校6年生か中学1年生ぐらいの歳で、たった一人で他人の家に住み込み、自分の身の回りのことはもちろん雇い主の全ての家事をこなし、学校にも行かず、自由に外にも出られないナシマ。でも信心深いナシマにとって、断食月の準備は思わず張り切ってしまうことのようです。少し前、「この家の人たちはあんまりお祈りしない」と不満そうでしたから。
近いうちに久しぶりに、ナディムとハシナを玄関から訪ねよう、と思います。ナシマのこともきっと話題になるでしょう。外国人の隣人である私が彼らの家庭内のことについて出過ぎたことを言うことはできませんが、彼らのことだから気さくに自分たちからナシマのことを話してくるかもしれません。でも、もしかしたら私がナシマと時々窓越しに話をしていることについて、多少気を悪くしている可能性もないとはいえません。
まあ案ずるより訪ねてみるがよし。お菓子でも持ってドアをノックしてみましょう。
使用人として働く少女のためのプロジェクト
シャプラニールは、現地NGOのフルキをパートナーとして、ナシマのように使用人として働く少女たちのための実験的なプロジェクトをダッカで始めたばかりです。今はダッカ市内の2ヶ所でしか始めておらず、そのうち一つはまだ地域住民と交渉している段階ですが、少女たちが集まれるヘルプ・センターを開き、最低限の読み書きや保健衛生、思春期の身体の変化のことなどについて学び、同世代の少女たちと子どもらしい遊びの時間を持つことができ、さらに技術研修もしてよりよい給料、よりよい仕事で働けることを目指しています。つまり少女たちが少しでも子ども時代を取り戻しつつ、自分に付加価値をつけ、競争力を持ち、より人生の選択肢の幅を広げることができるように、というプロジェクトです。
この子たちを仕事から切り離し、学校に行かせることができればそのほうがいいに決まっていますが、バングラデシュに最低30万人はいるという使用人として働く子どもたちを、全て仕事から切り離して養うことなど、どんなNGOにも現実的なことではありません。すぐに仕事を辞めさせることはできないけれども、それでも少女たちや雇い主、親や地域社会に働きかけて、少しずつ少女たちの状況をよくしていくこと、この子たちはまだ子どもであって、遊んだり学んだりする子ども時代が必要だということを理解する人をこの社会の中に増やしていくことを目指しています。
日本でも貧しい家の子どもは他人の家に住み込みで働きに出された時代がありました。しかし、社会の変化に伴い、だんだんとそんな状況はなくなっていきました。バングラデシュもそうなるための「社会の変化」をどうすれば起こしていけるのか、が今の私たちのテーマです。
ただし、シャプラニールやほかの様々なNGOや国際機関などが努力しても、社会の変化には時間がかかります。そもそもバングラデシュの人たちが「変えよう、変わろう」と思わなければ、本当の変化は起こらないでしょう。
目の前に「プロジェクトの対象」そのものの少女が現れ、「隣の外人のおばさん」として彼女に関わってしまった私は、一個人としてとまどっています。時々彼女の話し相手になりながら、彼女がたくましく自分の人生を切り開いていくことを祈るほかに、私に何ができるのでしょう。
この子も同世代の子と遊ぶ時間が持てたら、学校で学ぶことができたら...と歯がゆく思いながら、隣のナシマの背中を見ています。