シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
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2007年12月17日

 首都での人災 ビル崩壊

サイクロン救援の努力が沿岸部の被災地で続けられているさなか、首都ダッカの中心部で12月8日に取り壊し中のビル内部が崩壊、少なくとも13人の作業員が死亡するという事故がありました。

事故があったのはRangs Bhaban(ラングス・ボボン)、ダッカに住んでいる人なら誰もが知っている有名な(悪名高い)建物です。その昔ハイジャック事件があった旧空港横の交通量の多いT字路に建つ22階建てのビルで、長い間揉めた末に違法建築のため6階以上の階を取り壊すべしという判決が出、今年8月上旬から取り壊し作業が始まっていました。

首都での高層ビルの取り壊しというのはおそらくバングラデシュでは史上初のことで、しかも6階までは残すという中途半端な判決が出たため、いったいどうやって取り壊すのか誰もが気になっていました。結局安い人件費で雇った大勢の作業員による手作業で取り壊しが進んでおり、私もしょっちゅうこのビルの前を通るので、そのたびに見上げながら少しずつ小さくなっているビルを確認していました。

外側から見ると中の様子はよくわからず、作業はずいぶんゆっくり進んでいるように見えていたのですが、ビル内部はすでにほぼ空洞になっていたようです。8日の土曜日の夜、内部で大きな崩壊事故が起き、何人もの作業員が中に閉じ込められました。今朝の新聞によると、これまでに5人の遺体が運び出されましたが、いまだに少なくとも8人の遺体が中に放置されています。遺体回収作業も危険性が高いため、遅々として進まないらしいのです。

今日は事故が起きて既に9日目。帰らぬ父を探しに農村から出てきた息子が、ビルの中の高いところに自分が父にプレゼントしたルンギ(腰巻)を見つけ、あそこに父がいると号泣したというニュースなども伝えられ、人々は憤慨しています。ビル取り壊しの危険な作業を行っていた人々の多くは、今年二度の洪水に見舞われた農村部で食べていけなくなり、危険を承知で働きにきていた出稼ぎ農民でした。防護服も訓練もなく、腰巻姿でビル取り壊し作業をしていたのです。ビル取り壊しの責任者である首都開発公社(RAJUK)は死亡した作業員の家族に補償金として10万タカ(約17万円)を支給すると発表し、これはおそらくこの国ではかなり高いほうなのでしょうが、それにしても貧しい人々の命の値段の安さに暗然とします。

ビルの取り壊しのみならず、建築現場でも作業する人々は命綱もなくあまりにも無防備な姿で働いています。写真でしか見たことはありませんが、チッタゴン港での船舶解体現場で巨大船を手作業で取り壊す人々も同様です。事故があっても声を上げる力もない貧しい遺族は補償金をもらってあとは沈黙するしかない、という状況です。政府や企業が末端の作業員の安全と生命にも責任をもち、それができなければ罰せられる仕組みがつくられなければ、これからも多くの命が奪われるでしょう。

サイクロンという大きな自然災害の被害者救済のため、日夜懸命な努力を続けるバングラデシュ人たちが大勢いる一方で、ビル取り壊しという危険な仕事を二束三文で貧しい出稼ぎ者たちにやらせ、何日も遺体を放置して平気な人々もいる。いたたまれない思いがします。




投稿者: shaplaneer 日 時: 13:25 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年12月13日

 アッラー・バチャエセ

P1000317.jpgサイクロン被害でたくさんの人が亡くなったショロンコラ郡を訪れて、何度も耳にした言葉があります。

「アッラー・バチャエセ (アッラーが生かされた)」

おとなの頭上を超える水の中で奇跡的に助かった小さな子どもや赤ちゃんの話をするとき、人々はこの言葉をつぶやくように言うのです。アッラーによって生かされた命だと。

写真=ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンで見かけた赤ちゃん




投稿者: shaplaneer 日 時: 23:11 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)

2007年12月11日

 北東からの風

バゲルハット県、ゴパルゴンジ県のサイクロン被災現場を訪問し、昨夜帰ってきました。見たこと、感じたこと、いろいろあるのですが、今日は主に風の話。

被災地の倒木は、バゲルハットでも、ゴパルゴンジでも、みな同じ方向に倒れていました。サイクロンの暴風は北東から吹いてきたことがわかります。今回バングラデシュを襲ったサイクロン、SIDRはバングラデシュ南西部に上陸して北上し、途中で北東に方向を変えて抜けていったのですが、サイクロン自体は左回りに回転しながら移動していったので、現地では強風は北東方向から吹いていたわけです。

P1000343.jpg第三次救援を実施中のゴパルゴンジはバゲルハットよりかなり内陸に入ったところで、ゴパルゴンジ県内でも北部はほとんど被害がなく、南部のトンギパラ郡、コタリパラ郡などで強風による被害がありました。今回救援を行っているコタリパラ郡の中でも南部の3つのユニオンでとくに被害が大きくなっています。サイクロンの進路と地図を見比べて見ると、おそらく南から北上してきたサイクロンはこのコタリパラ郡南部あたりで北東に方向を変え、コミラ方面に抜けたのではないかと思われます。

ここはショロンコラのように高潮の被害にあったわけではないので、水で何もかもさらわれてしまった、という状態ではないのですが、強風による家の破壊はかなり激しいものでした。この地域にはかなり広い湿原があるため、その湿原の南側にあたる地域では風をさえぎるものがなく、もろに家が北東からの暴風を受けてしまったようです。元々ヒンドゥーのアウトカーストの人々など、貧しいマイノリティの人たちの多いところなのですが、その中でも寡婦やお年寄りの世帯で家が潰れたところはいかにも大変そうでした。

元々貧しい人たちの家はひ弱だったためということもありますが、地震の後のように潰れた家々を見て、今回のサイクロンの暴風の強さをあらためて感じました。

写真=コタリパラ郡南部のシュワグラム・ユニオンにて12月9日撮影




投稿者: shaplaneer 日 時: 23:06 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年12月 9日

 VGFカードとトタンについて

先日VGFカードのこと、トタンの怪我のことについて書きましたが、その後自分で見て確認できたことがあるので書きます。

VGFカードをもらった人.jpgショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでは、すでに被災者にVGFカードが配布されていました。「明日あたり最初の米の配布があることになっている」と昨日聞いたので、今日配布があったかもしれません。1度にお米が5Kgもらえます。

昨夜のニュースでもサウスカリ・ユニオンでVGFカード配布、と伝えていましたが、どうも他の被災地に先駆けてまずここで配布されたようです。

写真:VGFカードをもらった人

それからトタンの怪我についてですが、昨日書いたサラムさんの家族はじめ、サウスカリで会った人たちは多かれ少なかれ、トタンで手足や額などに切り傷を負っていて、その傷を「ほらこんなに傷だらけでしょ」と見せてくれました。91年に比べればトタンによる大怪我は少なかったのだろうと思いますが、小さな怪我はやはり多かったのです。

P1000305.jpg短期間に住宅を再建するにはトタンが便利ではありますが、ショロンコラでの救援のパートナーであるJJSのスタッフたちは、「サイクロンの危険のある場所でトタンは配るべきじゃない。トタンの家を100つくるなら10でもコンクリートの家を作ったほうがいい」という考えだと言っていました。その家がいざというときには近隣の人々のシェルター代わりにもなるからです。

しかし、そういう場合、誰の家をコンクリートの家に選ぶのか?というところで揉めそうですよね...。

写真:トタンでできた学校の屋根も暴風でガタガタになっていました




投稿者: shaplaneer 日 時: 03:06 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)

2007年12月 7日

 暗い冷たい水の夢

今日はショロンコラの被災地で、シャプラニールとJJSの協力でつくった井戸やトイレ、清掃した池などを見て回りながら、未だサイクロンの爪跡が生々しく残るラエンダ・ユニオンとサウスカリ・ユニオンで被災した人たちに話を聞きました。

サイクロンの夜から20日たちましたが、多くの人たちが、「今も水の夢を見る」と語っていました。
サイクロンが来た夜9時半ごろ、真っ暗な中、暴風と一緒に川の水が溢れてきて、みるみるうちに家の中を水が上がってきた、といいます。このままでは家が潰れる、家の中にいたら死んでしまう、と思って、家の外に出て木につかまり、水をやり過ごした、という人が何人もいました。

人々が頭上を超える水の中で木などにつかまっていたこの2分から5分ぐらいの間が、命を分けることになりました。

サラムさん親子2.jpgサウスカリ・ユニオンのバレッショル河畔に住むサラムさんの一家は両親と弟家族と一緒に暮らしていましたが、このサイクロンでサラムさんの父や弟をはじめ、家族8人を失いました。サラムさんの一番下の娘はまだ2歳。水が来たとき、サラムさんはこの小さな娘を抱えて外に出、木につかまろうとしました。水の中でしっかり木につかまることは両手があいていないとできません。結局サラムさんは娘の服の襟を口でくわえ、噛み締めて持ち上げながら木にしがみついていました。小さな娘はそのおかげで助かりました。
写真:こうやって木にしがみついて助かった、と語るサラムさん。右後方に救援として設置した井戸のポンプがみえる。

一方でサラムさんの弟はこの水の中で生き延びることができませんでした。サラムさんの弟の妻は、暗闇の中で夫と離れ離れになり、8歳の娘と10歳の息子、二人の子どもを胸に抱えるようにして、水の中で木にしがみついていました。しかし、水はどんどん上がってきます。左側に抱えていた息子の服が裏返しになり、顔にかかってしまったのをはずしてやろうとしているうちに息子は手を離れて水にさらわれてしまいました。暗い水の中、必死で手探りしたけれど二度と息子に触れることはできませんでした。右側に抱えていた娘は助かりました。水が引き、翌朝明るくなってから、家のまわりの別々の場所で夫と息子の遺体がみつかりました。夫が抱いていた、赤ん坊だった娘は、ずっと遠くまで流されてモスクの近くで遺体がみつかりました。

もうかなりのお歳になるサラムさんのお母さんは、サイクロンで水が押し寄せた夜に夫を失いました。怪我をした腕の包帯が痛々しく、その日のことを語る声は震えていました。

夜になるとあの日の記憶がよみがえり、暗い中を水が押し寄せてくる夢に目覚めては、水が来ていないことを確かめる、と何人かの人が同じことを言っていました。子どもたちは一見明るそうに見えますが、夜になると「いまシグナルはいくつ?サイクロンシェルターに逃げなくちゃ」と怯えたりするそうです。

サラムさんの家の近くにも井戸をひとつ、トイレをひとつ設置しました。彼らが失ったものの大きさに比べるとささやかな支援ではありますが、「井戸は本当に助かります。水に苦しめられたけれど、水がなければ生きていけないから。どうもありがとう。また来てください」と言ってもらえました。




投稿者: shaplaneer 日 時: 23:54 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)


 助けて、と言えない中流階級の苦悩

今朝ダッカを出て、ゴパルゴンジ県のコタリパラ郡にちょっと寄り、それからクルナのJJS(バゲルハット県ショロンコラ郡を中心に救援活動を行っているパートナー団体)の事務所へ来ました。JJSのスタッフはサイクロン以来毎日夜中まで懸命に救援活動にあたっています。彼らの献身的な働きに感謝を表し、これまでやってきた仕事の状況について報告を聞きました。

そこでスタッフからこんな話を聞きました。

「ショロンコラでは食糧配布は今はだいたい行き渡り、ください、と言える人は何度ももらっている人もいる。でも、実は中流階級の人たちの中に、すべてを失ったのに何ももらっていない人がいる。彼ら・彼女らは施しを受けることが恥ずかしくて、困っていても自分から手をだして『頂戴』と言うことができないんだ。そんなことはしたことがない人たちだし、誇りがあるから。数日前の夜、僕たちが仕事をしているそばで黙って子どもの手を引いて立ってる女性がいたんだ。何か言い出そうとしながら迷っているから近づいていって、困っていることがあったら話してください、と言ったら、もう3日何も食べていないと言って泣き出した。でもだから食べ物をください、とは決して言わないんだ」

サウスカリ・ユニオンのような高潮の被害があった被災地では、すべてを失ったのはもともとある程度のレベルにあった人も、貧しかった人も同じなのですが、走り回って救援物資をかき集め、なんとかしのいでいるある意味逞しい人は、どちらかというと元々貧しかった人なのかもしれません。元の生活レベルとの落差、という点では中流階級(正確にはLower Middle Class)のほうが大きいわけです。

もっとステイタスが上のUpper Classの人たちは親戚などを頼ってどこかへ行き、元々貧しかった人たちは救援の列に並んで逞しくやっている間で、取り残されているのがこの場合Lower Middle Classだというのが彼らの観察です。なかなか複雑なものがあります。

今夜は打ち合わせだけしかできませんでしたが、明日、サイクロンから20日たったショロンコラの状況を見に行きます。




投稿者: shaplaneer 日 時: 02:48 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年12月 4日

 トタンによる怪我が少ない理由

今回のサイクロンの被害の中でちょっと不思議に思っていることがありました。1991年のサイクロンでは家の屋根などに使われているトタンが暴風で舞い上がり、それが空飛ぶ凶器となって多くの人が大怪我をしたり、亡くなったりしたと聞いていたのですが、今回はトタンで大怪我をした、という話をほとんど聞かないのです。91年に比べればバングラデシュ全土ではトタン屋根のの家は確実に増えているはずなのに、なんでなんだろう?

被災地のバゲルハットから帰ってきたダッカ事務所のポリモールにこれについて聞いてみました。

ポリ「そういえば今回はトタンでの怪我ってほとんど聞かなかったね。それより今回は倒木による被害が大きいよね」
私「でもなんで?トタンの家は昔より増えてるはずでしょ」
ポリ「うーん、バゲルハットのショロンコラあたりのことでいえば、あのへんは元々トタンの家は少なかった、ということはいえるかもね」
私「トタンの重さは?昔と今と薄さが違うとか?」
ポリ「うん、いいところに気がついたね。そういえば昔のトタンてすごく重かったよね。僕が子どものころは1枚のトタンをおとな二人でようやく持ち上げてた記憶があるけど、今は4枚重ねてラクラク持ち上げられるからね。」
私「え?逆かと思った。昔のほうが軽くて簡単に飛んだんじゃないかと思ったんだけどそうじゃないの?」
ポリ「逆だよ。昔のトタンは重くて厚かったから、それが飛んで当たると大怪我して大変だったんだよ。今のトタンはペラペラだから、今回のサイクロンでも飛んで木にひっかかったりしてたけど、あれに当たってもそんなにひどい怪我はしないと思う」
私「ふーん、そうなのかなあ。木はどうなの?」
ポリ「今回被害が大きかったクルナ、ボリシャル地方は91年に被害が大きかったチッタゴン方面に比べると大木が多いんだよね。でもその多くは自然にそこに生えてる木じゃなくて移植した木なんだ。今回根こそぎひっくり返った木の根をいくつも見たけど、太い根っこの部分が短くて細い根ばっかりだった。ある程度苗が大きくなってから移植してるから、しっかり根を張ってない木が多かったんじゃないかな。」

以上はまだ昼休みの雑談レベルの話で、ちゃんと根拠を確かめたわけではないのですが、これからこういった事柄についての事実もだんだん明らかになっていくんじゃないかと思います。

バゲルハットとボルグナの被災地に行っていた2チームが戻り、ダッカでの私の調整業務もひと息ついたので、あさってからバゲルハットとゴパルゴンジに自分で行ってくることにしました。ノートパソコンとモデムつき携帯電話を持っていくので、うまくいけば「写真入り現場レポート」が送れるかもしれません。




投稿者: shaplaneer 日 時: 23:46 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年12月 3日

 VGFカードはいつになるのか

バングラデシュ暫定政府は南西部12県のサイクロンの被災者のため、VGF(Vulnerable Group Feeding)カードを今月から大量に発行し、4ヶ月の間対象者に米の配給を行うと宣言していたのですが、早くも「VGFカード発行、遅延の見込み」という記事が12月1日の新聞に出ていました。理由は「被災者のリストづくりが終わっていないから」。いつものパターンですが、人々が飢えているときのこの非効率さ、できもしないことを簡単に宣言する浅はかさには本当にがっくり来ます。

だいたいこの国で人々のリストというものを政府がつくるのに最初に宣言された期限どおりにできた試しはありません。約4千人と発表されている死者の数にしても、遺体が確認された人の数だけです。戸籍や住民票のシステムのないこの国では、そもそもどこに何人住んでいたかという正確な数字もないのですから、そこから何人いなくなったかも正確にはわからないわけです。沿岸部の島などでは数百人単位で人が波にさらわれた、と言われているところがたくさんありますが、政府の発表する数字にいったいどこまで含まれているのか甚だ疑問です。(というより、含まれていないと思います。)

VGFカードは被災者の数だけ、270万だろうが何百万だろうが発行するよう政府の主席顧問に進言した、と軍のチーフは数日前の記者会見で勇ましく語っていましたが、現実はこの有様。リストが完成してから配布を始めるなどと言っていたら、配給開始は早くても半年後になってしまうでしょう。リストが未完成だろうがなんだろうが、把握できたところから配り始めればいいじゃないか、と思うのですが...。

サイクロンが襲った日から2週間以上たちましたが、今も被害状況が正確に把握されていないのは本当にもどかしい思いです。いまだに沿岸部の田んぼの中から遺体がみつかったりしていますし、大きな被害がありながらほとんど救援が届いていない場所もまだたくさんあります。

被害が甚大でメディアなどの報道も多かった地域では、救援も集中し(もちろんその中でも遠隔地など救援が十分届いていない場所は多くありますが)、食糧支援はそろそろ収束、あとは毛布や子どもの教科書、家の再建、そして生計確保のための長期的な支援...という方向になりつつありますが、こういった「取り残された地域」では、今でも「とにかくまず食糧支援」という状況なのです。

こういった大災害時の救援の大きな流れ、そのスピードや移り変わりの傾向が、ここにいるとだんだん見えてきます。救援は被害が甚大で人がたくさん死んだところ、マスコミに多くとりあげられたところ、それでいて比較的アクセスがよく、通信手段の回復が早かったところにどっと流れるのです。また、国際機関などの多くは政府の発表する被害報告を元に救援内容を決めるので、政府発表自体が間違っていたり、漏れがあったりすると、救援も漏れてしまいます。

出生登録や住民登録といったシステムをこの国がきちんと整えることの重要性を災害時にあらためて感じます。その「画期的」手始めとして、暫定政権が進めている投票者リストと写真入り投票者カードづくりも、いつまでかかるのか...。このサイクロンで来年予定されていた総選挙もまた遅れるかもしれません。




投稿者: shaplaneer 日 時: 23:30 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)
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