シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2007年08月30日

 事務所の休日決めは気を遣う...

今日はショベ・バーラトというイスラム教の祝日で、政府はじめたいていの事務所はお休み。でも年度始めにつくった休日リストでは我が事務所は出の日にしておいたところ、朝のミーティングでスタッフの一人が文句を言い始めました。

「今日はイスラム教徒にとって重要な祝日。みんな休みなのにうちの事務所だけ出にするなんて!」

このスタッフは卒業した大学もイスラム系だし、事務所の中でもっとも敬虔なイスラム教徒なので、いつも休日リストをつくるときには、彼に意見を聞いています(実際にリストをつくるのは、ヒンドゥー教徒の総務担当と所長の私)。今年の分をつくるときもちゃんと相談して決めたのに、彼は覚えていない様子。

ショベ・バーラトの夜(前夜)は、敬虔な信者は一晩中起きていてお祈りをしたり、日中は断食をしたりします。夜中お祈りしていた人には、確かに翌日(イスラムの暦では1日は日没から始まるので、翌日といってもイスラム暦上は前夜と同じ日)に出勤するのはきついはず。それぐらいは私も知っていて休日リストをつくるとき確認したけど、それでも彼はこの日は出にしても大丈夫、と言ったはず。

口火を切った彼の言葉に乗っかって、他のイスラム教徒のスタッフも何人か「そうだ、今日はだいじな日だ」と援護射撃。ヒンドゥーのスタッフも、「そういえば今までショベ・バーラトが出勤日だった記憶はないな」などと言い出す始末。でもなんで今朝になって言うわけよ?休日リストをつくって配布してから9ヶ月もたっているんだぞ。もっと前に言ってくれれば他の休みと入れ替える方法もあったかもしれないけど、その日の朝出てきてから言ったってしょうがないじゃないか。

シャプラニールの規則では、金・土の週末休み以外のダッカ事務所の年間休日は20日間と決まっています。バングラデシュの国民の休日はもっとたくさんあるので、全部を休みにするわけにはいきません。また、ダッカ事務所の宗教別スタッフ構成は、現在イスラム教徒6名、ヒンドゥー教徒2名、キリスト教徒3名。このすべての宗教の休日に配慮しなければなりません。

毎年同じ日が休みなら簡単なのですが、ややこしいのは、年に2回のイードなどイスラム教の休日がイスラム暦を元にしているため、年々10日ぐらいずつ前にずれていくこと。通常はそれほど問題はないのですが、今年はたまたま前の犠牲祭のイードが年末年始にかかったため、1月から12月の間にイード休みが3回入ってくることになってしまいました。大型連休となるイード休みを削らないためには当然他の休みを削らなければなりません。それでめったに削ることのないショベ・バーラトの日が今年は出勤日になってしまったのでした。

スタッフ皆に気を遣い、事前に根回しもして休みを決めているこちらとしては、休みの当日になって「今日が休みじゃないのはおかしい、相談されてない」などと言われると腹が立ちます。つい、朝から「当日になって言われたってどうしようもないでしょうが!わたしゃちゃんとあなたたちの意見も聞いて決めたんだ。文句言うならもっと前に言いなさいよ!」と大きな声を出してしまいました。

朝はしばらくプリプリしていた私ですが、お昼時、プログラム・アシスタントのイルシャト(イスラム教徒)が自宅でつくってみんなのために持ってきたというハルワ(ショベ・バーラトのときに食べるお菓子。かぼちゃや人参などを使っていてやさしい味がする)を食べて、機嫌を直しました。イルシャトおいしかったよ。ありがとね。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:56 | | コメ ント (5) | トラッ クバック (0)

2007年08月28日

 外出禁止令解除

先週ダッカ大学に端を発した全国的な暴動のため、ダッカを含む6都市で出されていた外出禁止令は、昨夜から解除されました。一見したところ、街の様子はすっかり普通に戻っています。

しかし、ダッカ大学はじめ、学生の抗議行動が起こった国立大学の授業がいつ開始されるのかは不明なまま。私立大学は授業を続けていますが、国立大学の学生は寮からも追い出されたきり戻れずにいます。

騒ぎが広がった22日木曜日の夜、8時までに寮から出るように言われたダッカ大学の学生たちは、騒動のなか急に田舎に帰るわけにもいかず、多くが友人・知人の家を頼って居候しています。
わがダッカ事務所のスタッフの話を聞いても、「うちにも一人学生が居候してるのよね」「うちは学生の荷物を預かっている」といった調子です。

国立大学は先週末から試験が始まるはずでしたが、それも中断されたまま。学生たちは勉強したくてもできない宙ぶらりんの状態におかれたままま、大学再開の知らせを待っています。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:34 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年08月27日

 配給の思い出

わがダッカ事務所のお昼ご飯は、事務所の食堂でみんなで一緒に食べます。昼食時はみんな喋る喋る、食べながらよくこんなに喋るもんだと思うぐらい喋るのですが、そんな中で時々、珍しい話が聞けます。

例えば今日も話に出たのですが、独立戦争前後の混乱の時代の配給の思い出。

スタッフS:昔配給でさあ、大豆油を始めて食べたんだよね。
スタッフD:そうだね、大豆油なんて見たことなかったものな。
S:マスタード油以外の油なんて食えるのかと思ったけど、使ってみたらけっこうおいしくてね。
D:今は大豆油がずいぶん広まったもんだよねえ。
ふじ:その前は大豆油ってなかったの?
S,D:なかったよ。配給で入ったのが最初だったと思うよ。
D:あと椰子油も来たねえ。マレーシアからさ。
S:ああ、あれはあんまりおいしくなかったねえ。
S:あと日本製の布地ねー。シャツ用のさ。
D:券持って並んだよなあ。あの生地もらうのにね。
S:ぼくは子どもだったけど、欲しくておとなと一緒に並んでたらもみくちゃにされてさ。兄貴にしかられたなあ。
ふじ:それって、出来合いのシャツとかじゃなくて布地だったの?
S:そうそう。でもすごく品はいいものだったよ。みんな日本製の布地がほしくて殺到したんだよ。

こんな話をふむふむと聞きながら、いつもお昼を食べています。同じ話をよく繰り返すスタッフもいて、内心、「その話はもう何度も聞いたよ...」と思うこともありますが、貴重な体験をしてると思います。

昔の学校の教科書の話なんかも面白いんですよね。べつの機会に書きます。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:07 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年08月25日

 タゴールソングのさよならコンサート

明日は外出禁止令が朝5時から夜11時まで解除されることになりました。昨日は朝8時から夜10時まで、今日は朝6時から夜11時までだったので、少しずつ解除の時間が長くなっているわけですが、一気に完全解除とはいかないようです。しばらくこの状態が続くのでしょうか。

今日はJICAの専門家として3年5ヶ月滞在され、間もなく帰国されるK先生の奥様、ミセスKの、お別れ会を兼ねたタゴールソングのコンサートがありました。ふわっとした雰囲気で、シックなサリーをさりげなく着こなされているミセスK。タゴールソングと出会ってその素晴らしさに魅かれ、音楽学校の門をたたき、こちらの先生に弟子入りされたそうで、今日はその先生方と一緒に11曲のタゴールソングを披露されました。耳に心地よい、のびやかなお声で、ベンガルの農村風景や、雨や風、おさげ髪をたらした村の少女の姿が目の前に広がるような、タゴールの世界に引き込まれました。きっとずいぶん歌いこまれたのだろうと思います。1曲ごとに朗読のように日本語で詩の解説をされたのもよかったです。

詩聖、ラビンドラナート・タゴール(ベンガル語読みではロビンドロナート・タクール)が残したタゴール・ソングとよばれる歌は千曲以上あるといいます。その歌はベンガルの自然や生命の輝きを讃えるものや、神への思い、人生の悩みや歓びを歌ったものなど、タゴールの深い精神世界を反映しています。シンプルで滞りのない流れをもつベンガル語の詩は、歌のタイトルを読むだけでも、なんてきれいな響きなんだろう、と感じます。

私は恥ずかしいことに、最初から最後までちゃんと歌えるベンガル語の歌がろくにありません。童謡でさえも。今日は何曲ものタゴールの歌、それも深い哲学的な詩をもつ歌の数々を、気持ちよさそうに歌っていらっしゃるミセスKを見てとても羨ましく思いました。

私は以前インドのデリーに住んでいた頃は、近所の子どもたちに交じってインドの歌を習いにいったりしていたこともあるのですが、インドの歌のレッスンには楽譜がないことにまず面くらい、かなりご年配の女性の先生の気まぐれな教え方にもリズムが合わず、そのうち他のことに忙しくなって足が遠のいてしまいました。普段の練習は無伴奏でしたが、ほんの1、2回だけ、タブラーの伴奏でほかの子どもたちといっしょに歌ったことがあって、その気持ちよさはなんともいえないものでした。

ミセスKが通っていらした音楽学校は我が家から目と鼻の先にある女子カレッジの隣にあるそうで、金曜・土曜もクラスをやっていると聞いて、ちょっと心が動いています。この女子カレッジからはベンガル新年の日に学生たちのタゴールソングの歌声がずっと聞こえてきて、私はそれを独り自宅の窓を開けて聴いていたのでした(あとで聞いたらミセスKも「あの時私もあの中で歌ってたのよ~」とのこと)。タゴールソングは大勢の人が声をそろえて歌うと、大地から歌が湧いてくるように聴こえて感動的です。あの中に入って歌ったら気持ちいいいんだろうなあ...と思います。

あと1年あるんだから、ちょっとはベンガルの芸術に触れてみるのもいいなあ。でもやるならちゃんとやらないと中途半端な生徒じゃ先生も迷惑だろうし、休みの日はひっくり返って遅くまで寝てるような私じゃ無理かしら...。

現実は歌うどころか7月からの咳とカスカス声がまだ治らない私。コンサート会場で出会った知人・友人たちとお喋りしていたらますます声が出なくなってしまいました。ちゃんと続けて薬を飲まないからいけないんだ、タゴールソングに憧れる前にまずは喉の治療だ、と思ってコンサート会場からラーマン先生の病院に直行したのでした。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:56 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2007年08月24日

 外出禁止令、土曜日も「緩和」

明日25日土曜日も、朝6時から夜11時まで外出禁止令が「緩和」されることがニュースなどで流れています。「夜間のみ外出禁止」と言わずに、「早朝から深夜まで緩和」という表現をするところが戦略なんでしょうけど、なんだかもったいぶった感じですね。まあ要はおとなしくしている分には日中自由にしていいけど、何かあればまたすぐ強行手段をとる体制はくずしてないぞ、と言いたいのでしょう。

この知らせと同時に、今回の騒ぎで延期されていたHSC(12年生までの課程修了の共通試験)などの試験結果発表を26日(月)に行うことも流れているので、このままいけば来週は平常な日々が戻りそうな感じです。
 
週の休日である金曜日の今日は、朝8時から夜10時まで外出令禁止緩和、ということで、朝のうちは大雨のせいもあって人出は少なかったものの、午後や夕方は買い物などで出歩く人も多く、いつもの金曜日のようなのんびりムードが戻っていました。

ただし、外出禁止令の影響でただでさえ高騰している物価はますます上がり、バングラデシュの食卓には欠かせないカチャ・モリーチ(青唐辛子)が、キロあたり200タカ(約340円)もするほど。外出禁止令が続けばますます物価は高騰し、人々の不満も高まることを考えれば、政府もそうそう外出禁止令を続けることはできないでしょう。

一方、ダッカ大学、ラッシャヒ大学の教授が計5名治安部隊に連行され、まだ解放されていません。外出禁止令はそれほど続かないだろうと思われますが、大学の閉鎖はいつまで続くのか、今後も大学関係者が拘留されるのか、気にかかります。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:54 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
2007年08月24日

 外出禁止令一時解除

昨日の夕方4時から7時まで外出禁止令が一時解除されたのに続き、金曜日の今日も朝8時から夜10時まで解除されました。おかげでスタディツアーの一行は問題なく空港に向かえることになり、ひと安心。

しかし、ネットでは、ダッカ大学の教員2名(ひとりは学部長)が拘留されたというニュースも流れており、明日以降どうなるかまだ楽観できません。

私の家では朝から停電でもないのにケーブルテレビが全然つながらず、何も見られません。停電がらみのよくあるトラブル(普通数十分から1時間で元に戻る)かと思って待っていたのですが、いつになっても画面は砂嵐状態のまま。幸い携帯電話はつながっているので、外との連絡やネットを見るのも問題ないんですが、こういうときにテレビニュースが見られないのはこれまた困ります。小嶋駐在員やダッカ事務所のスタッフと連絡をとると、他の地域ではテレビが映っているようで、これはうちが加入しているケーブルTVだけの技術的な問題なんだと思いますが...。早く直してもらわないと困りますね。.

ただし、テレビが映っていてもTVニュースはかなり規制がかかっており、政府からの通達以外、外出禁止令の間の各地の様子などはほとんど報道されていないようです(昨夜もそうでした)。昨日比較的そのあたり自由な報道がされていたのはFMラジオ局のニュースで、ある局の午後のニュースでは、外出禁止令中でも各都市でかなりの人々が身分証明書を持参してオフィスや学校へ行ったこと、しかし行く途中で軍や警察に追い返されたり、暴力を振るわれた人がいたことなどを人々の声もまじえて伝えていました。
新聞やネット媒体は今回の報道規制の対象から外された、というニュースのテロップが昨日の夕方Daily Starのインターネット版には流れていましたが、本当に100%自由に報道できる状況にあるのかどうか。

昨日の夕方、外出禁止令が解除された3時間の間に食糧を調達しておこう、と、私も近所のスーパーへ行ったのですが、その混みようはすごいものでした。レジに並ぶ人は長蛇の列になり、買い物カゴも足りなくなるし、店内を移動するのもひと苦労。レジ前では、「ちょっと割り込まないでよ」「違うのよ私はここに並んでたんだけど、ちょっと卵だけとりにいったのよ」「ぼくは割り込もうとしてるんじゃないよ、空いたカゴが出るのをまってるんだ」といったやりとりが展開され、それでも皆辛抱強く並んでいました。

新聞によると、地方から出てきて足止めを食っていた人たちは、この時間の間になんとか汽車に乗って帰ろうと駅に殺到したようです。結局慌てなくても、今日また1日外出禁止令は解除になったわけですが。

外出禁止令が本格的に解除されるのはいつになるのか、来週普通に仕事ができるのか、まだ全然わかりません。

追記: 正午ごろからうちのTVは復活し、ニュースも見られるようになりました。しかし、ほんとにほとんどニュースらしいニュースはないんですよね。どの局も画面の下に「本日夜10時まで外出禁止令が解除された。しかし、10時以降は次の通達があるまで再び外出禁止となる」というベンガル語のテロップが流れているだけ。これ、滞在中の外国人で全然ベンガル語がわからない人は困るだろうなあ...。




投稿者: 藤岡 日 時: 12:45 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年08月23日

 昨夜から外出禁止令

月曜日の夜からダッカ大学で、学内に駐屯している軍のキャンプ退去を求めて学生たちが抗議行動を起こし、軍・警察と衝突して多数の負傷者を出しました。ダッカ大学では教員たちも学生を支持。学生と教員たちは軍の撤退に加え、非常事態宣言の解除などの要求を出しました。

P1000090.jpgダッカ大学キャンパス内の駐屯軍は退去することがすぐ決まり、昨日の昼には退去が終了したのですが、この抗議行動はエスカレートして昨日全国に拡大し、あらゆる地域の主だった大学で、学生たちと軍・警察が衝突。ラッシャヒ大学内では騒ぎに巻き込まれたリキシャ引きの男性1名が警察の発砲により死亡。午後には学生以外のグループも動き出し、あちこちで道路を封鎖したり、車が燃やされたりし、1日のうちに不穏な空気が全国に広がりました。

写真は我が家のすぐそばのダンモンディ27番通りで昨夕撮ったもの。この通りと交わるシャート・マスジッド・ロードのレストランが放火され、煙があがっているのを見物する人たちの様子です。(たまたま通りがかったのでリキシャの上から撮りましたが、危ないところに野次馬として出かけていって撮っているわけではありません、念のため(笑))

この状況を鎮圧するため政府は昨夜8時より無期限外出禁止令を出しました。また、すべての大学は閉鎖、学生寮にいる学生たちは夜8時までに退去することが命令されました。(ただし夜でもあり、女子生徒については、すぐに出られない事情がある場合はしばらくいてもよい、とされました。)夕方6時ごろから携帯電話も当局の命令により不通となり、報道機関も学生と軍・警察の衝突の状況などを報道することが差し止められました。昨夜取材を行おうとした報道関係者が数名逮捕されましたが、数時間のちに釈放されたとのことです。

今日も外出禁止令は出ていますが、緊急の用事がある場合、許可証(Curfew Pass)があれば通行してよし、ということになっており、許可証が得られない場合は、パスポート、エアチケット、身分証明書などがとりあえずその代わりと認められる、ということになっています。朝になって、携帯電話は部分的に通じるようになったようですが、私の携帯電話は一切通じず、インターネットもできず、外部と一切連絡がとれないので、パスポートと就労許可書をもって事務所に歩いて出てきました。11時を過ぎて、ようやく私の携帯電話も通じるようになったところです。(ただし今夕6時からまた不通になるとのこと)

NHKニュースなどでも報道されたようなので、ご心配くださっている方もあるかと思いますが、私も小嶋駐在員も元気で無事でおります。折りしもシャプラニールを以前から支援してくださっている労組の皆さんがスタディツアーで来訪中なのですが、そのメンバーの皆さんも無事、元気でホテルで待機されています。ツアーの皆さんは明日帰国の予定なので、状況を見ながら空港へ無事お送りする方法を検討しています。今のところ、身分証明書を持って裏通りを歩いたりリキシャで移動するのはとくに問題ない状況ですが、車はたまに救急車が走っている以外、まったく走っていません。大使館からもアドバイスを受け、明日の移動の車には当局からの通行許可証を取得する方向で動いています。

今回の学生たちの動きの広がりは本当に素早いもので、あっという間に全国に拡大しました。エルシャド政権時代の同様な動きを経験しているダッカ事務所のスタッフたちも、そのスピードにはびっくりしていました。各地の学生リーダーたちが携帯でやりとりしていたであろうことは明らかで、それを封じるために当局は携帯のネットワークを閉鎖したものとみえます。しかしバングラデシュでは通常の電話線を引くのはかなり困難で、私も携帯電話しか持っていないので、これが閉じられると一切外部と遮断されてしまい、非常に困ります。携帯以外の通信手段の確保の重要性を改めて痛感しました。

今回の学生たちの抗議行動を昨日ニュースで見て印象的だったのは、女子学生たちの活発な動きです。スタッフたちも、過去にこんなに女子学生が参加した抗議行動はなかったといっています。それだけ社会も、女子学生たちの意識も変わってきたのでしょう。

ここ数ヶ月、まったく改善される様子のみえない物価の高騰、路上での露店の禁止や「違法建築」の強引な取り壊し、ジュート工場など国営工場の閉鎖による大量の失業、政党の活動の禁止などにより、暫定政権やその背後にいる軍、そして非常事態宣言下にあることへの不満はあちこちで高まってきていました。今回の動きは、少しずつ落ちていた水滴がついにいっぱいの水になってコップから溢れるように、ダッカ大学での軍への抗議行動をきっかけとして、人々の不満が溢れ出てきたものといえるでしょう。

バングラデシュでは、独立運動でも、そのきっかけとなったベンガル語公用語化運動でも、運動の先駆けとなったのはダッカ大学の学生たちでした。その他、各地の歴史のある大学、とくにラッシャヒ大学、チッタゴン大学、マイメンシン農科大学、シャバールのジャハンギルナガル大学などは、学生運動が伝統に活発ですが、今回もこれらの大学の学生たちが先んじて動きました。大学が閉鎖され、寮からも追い出され、携帯電話での連絡も制限されている学生たちが、今どんな動きをしているのかはまったくわかりません。

P1000092.jpg今、事務所があるモハマドプールの裏通りは平穏で、向かいの建設現場では工事もしており、時々物売りの声も聞こえます。事務所は基本的に閉鎖していますが、近くに住んでいて安全に歩いてこられるスタッフだけが身分証持参で来ています。写真は今朝8時半ごろ、モハマドプールのタウンホールマーケット前で撮ったもの。店はすべて閉まっていますが、人々はリキシャや徒歩で行き来しています。

しかし、今朝歩いてきたあるスタッフによると、ミルプール・ロードのASA事務所前あたりで、身分証明書を持っていなかった人を、警察が棒で強打しているのを見たとのこと。別のスタッフもモハマドプールで軍人が身分証明書をもっていなかったらしき人を打ち据え、車で連行したのを見ています。

機を見て暴動を起こそうとするグループや、政党関係者があちこちにこそこそと集まっている様子もあり、軍や警察がそれを見つけては蹴散らしているという状況とみられます。とくに茶店やレストランは人々が集まって情報交換したり組織化したりする拠点になるので、小さな茶店でも開いているのをみつけると軍や警察が脅して閉じさせる、といった状況のようです。

シャプラニールの活動地のパートナー団体と連絡をとったところ、とくに今のところ問題は起きていませんが、人々は何が起こったのか、これからどうなるのか、不安を感じているようです。とくに夜間携帯電話が通じなくなり、親戚などと連絡がとれなくなったことで、不安をかきたてられた人は多いことと思います。

昨夜9時半、暫定政権のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問がテレビで国民向け演説を行い、「ダッカ大学の学生たちの要求に答え、キャンパスから軍は撤退させたが、学生の動きに乗じて暴動を起こす人々がいることは遺憾。国民の安全のために外出禁止令を出したが、ごく一時的な措置であり、状況が改善されれば撤回する」と述べました。今日中に撤回されることを期待していますが、どうなりますか。

追記:午後3時ごろのニュースで、「午後4時から7時までの間、外出禁止令を解除する」という通知が流れました。急な外出禁止令で人々は食糧の買出しもできない状況でしたから、この間に皆こぞって買い物することでしょう。

事務所に来たあと10時ごろ、「政府機関含めすべての事務所は閉鎖すること」という通知がニュースで流れ、路上の警官や軍人の数が増えて、IDカードを持っていても逮捕される人も出ている、といった知らせが入ってきていたので、これで無事帰れる、とちょっとほっとしました。

明日どうなるかはまだ不明ですが、ここではふつう金曜日は休みの日で、イスラム教徒がモスクにお祈りに行く日。1週間の買い物をまとめてする人も多い日です。明日も、少なくとも午後には解除されるといいのですが...。




投稿者: 藤岡 日 時: 13:37 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年08月21日

 お料理教室

「ダッカで家事使用人として働く少女支援事業」のプログラムのひとつ、少女たちのためのお料理教室第2弾を、ダッカ市内に2つある少女たちのためのセンターで、それぞれ8月16日と20日に実施しました。

P1000023.jpg8月16日に実施したのはパイクパラの公務員住宅内にあるセンター。
今回のメニューは「チョッポティ」。これはベンガル人なら誰にでもおなじみのおやつです。前回はある雇い主のおうちの台所を借りて、「ビリヤニ」という肉入り炊き込みご飯を作ったのですが、小さな台所で大勢分の料理をつくるのに時間がかかって夕方遅くなってしまい、少女たちが「早く帰らないと雇い主に怒られる」と半ベソになってしまったのと、ビリヤニはちょっとご馳走で材料に費用がかかり、そうそう自分で練習もできない、ということもあって、今回はあらかじめ下ごしらえしたものをセンターに持ち込んで作り方を教える方法にし、メニューも安い材料でたくさん作れ、しかも将来万一生活に窮したとき、「作って売る」ことができるようなものを選びました。

P1000026.jpg
で、チョッポティですが、作り方は大まかに言うと以下のとおり。

1 タマリンドを水につけておく 
2 ヒヨコ豆をゆでる
3 玉ねぎ、きゅうり、トマト、コリアンダーの葉(香菜)、青とうがらしを刻む
4 ゆで卵をおろし金ですりおろす
5 じゃがいもはゆでてつぶす
6 2~5を混ぜ合わせ、「チョッポティ用スパイスミックス」を入れる
7 チップ菓子を袋の上から手でつぶして割る
8 6に1のタマリンドの汁をかけ、7をちらす

P1000028.jpg大きい子の中には「もう作り方知ってるもーん」という子も二人ほどいましたが、ちゃんと作り方を習ったことのなかった子たちは大喜び。とくに、チップ菓子を袋の上から手でバリバリつぶす作業はみんなでキャーキャー大騒ぎ。

できあがったチョッポティはこんな感じ。ヒヨコ豆のさくっとした感じとチップ菓子のパリパリした食感、いろんな野菜の味やタマリンドの酸味が合わさって、おいしいんです、これが。ほんとはスパイスの配合こそが大事なところなんでしょうが、「チョッポティ用スパイスミックス」はバングラデシュならどこでも売っているらしく、手軽なので、今回はまあこれでよし、と。(何が入ってるのか、日本の皆さんのためにはあとで調べておきますね)

講師は前回も少女たちの雇い主のひとりに声をかけて協力をお願いしたのですが、今回もまた別の雇い主にお願いしました。
P1000029.jpgうれしかったのは、今回チョッポティの作り方を教えてくれた雇い主の女性が、「あれ?Phulki(この事業をいっしょに実施しているパートナー団体)の新しいスタッフだったっけ?」と思うほど、その場になじんで子どもたちに親切に接してくれていたことです。少女たちもリラックスしてお料理教室を楽しんでいました。

さて、続いて20日に実施したのはコライル・スラムの中にあるヘルプ・センター。こちらのメニューは「ピャージュー」。ピャージというのはベンガル語で玉ねぎのこと。これもまたバングラデシュではとてもポピュラーなスナックです。

P1000052.jpgコライル・スラムのセンター周辺はごみごみしていて広い場所がないし、室内だと火を使うのは危ないので、どうするのかな、と思っていたら、Phulkiのスタッフが考えたのは、センターの入り口(外)で七輪のようなコンロとなべを持ち込んで講師(こちらも雇い主)が料理し、それを少女たちが4人ずつぐらい順番に見る、という方法。作り方そのものは、センターの中で口頭でも説明できます。

コライル・センターの少女たちはパイクパラ・センターより小さい子が多いのですが、スラムで育つ子たちはたくましく、両親がスラム内で小さなお店をやっていてこういったスナックを作って売っており、「だから私も作れるよー」という子が3人ぐらいいました。

P1000060.jpg玉ねぎの値段が高いときはどうする?とスタッフが質問したら、玉ねぎを減らして代わりにじゃがいもを入れる、とか、青いパパイヤを入れる、という答えが少女たちから返って来ました。こんなに小さいときから経済観念もしっかりしています。

ピャージューの作り方はだいたい以下のとおり。
1 黄色いダール豆を水に2時間以上つけておく
2 やわらかくなったダール豆をグラインダーですりつぶす。このとき、完全につぶしてしまわないで、半分ぐらいつぶつぶを残しておくのがポイント。
3 玉ねぎ、青とうがらしを刻む
4 2と3を混ぜ合わせ、塩で調味する
5 4を平たい団子状にし、油で揚げる

P1000066.jpg油はマスタードオイルを使う人も多いそうですが、今回講師をつとめてくれたパルビンさんによると、大豆油がおいしいそう。みんなで熱々のうちにお味見しました。

来月の半ばぐらいから、イスラム教の断食月、ラマダンが始まり、イスラム教徒は日の出から日没まで断食したあと、イフタールという断食明けの特別な食事をとります。今回つくったチョッポティやピャージューはイフタールや断食月中の夜食に好まれるスナック。少女たちは、ラマダンのときには自分で作るんだとはりきっていました。

ラマダンの間はとくに早朝や夕方に断食前後の食事の用意をしたり、断食明けのお祭りであるイードにそなえて大掃除をしたり、と、どの家でも家事が増えます。ラマダン中はヘルプセンターのクラスの時間帯もずらし、雇い主にはラマダン中子どもたちに過重労働をさせないよう、家庭訪問やミーティングで呼びかけることにしています。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:54 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年08月16日

 それぞれの8月15日

きのうは8月15日、日本では終戦記念日。そして、日本だけでなく、アジアの様々な国の人々にとって特別な日でした。

この日、バングラデシュではボンゴ・ボンドゥ(ベンガルの友)の愛称で親しまれた建国の英雄、シェイク・ムジブル・ラーマンが家族らと共に暗殺された命日でした。暗殺事件があったのは1975年。それから32年がたちました。

バングラデシュではこの日は追悼の日です。テレビは独立の頃の白黒映像のオンパレード。在りし日のボンゴ・ボンドゥが力強く演説する姿や、凶弾に倒れたあとの姿、独立に沸く当時のバングラデシュの人々の姿などが繰り返し映し出されていました。

(ちなみに海外にいて暗殺を免れた家族のひとり、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナ前首相は、国会議事堂敷地内の建物で暫定政権による軟禁状態が続いています。父の命日、彼女は断食をし、もうひとり生き残った妹に電話しようとしたけれど許可が下りなかったそうです。こういう話が報道されると同情する人も多いでしょう。)

一方、バングラデシュが独立する前はその一部だったパキスタンは、独立記念日が8月14日。これは1947年のことなので、ちょうど今年は60周年です。英植民地支配からパキスタンと同時に独立したインドは独立記念日が1日違いの8月15日。日本の終戦のちょうど2年後です。

ダッカの我が家のテレビではケーブルTVで何十ものチャンネルが見られます。ほとんどはバングラデシュとインドの番組ですが、CNN、BBC、NHKワールド、そして中国の国際放送であるCCTV、韓国の国際放送のArirang TVなども見ることができます。 

昨夜、私はチャンネルを何度も切り替えながら、アジアの国々の8月15日の番組を見ていました。中国のCCTVでは「8月15日と靖国」という長い特別番組をやっていて、様々な専門家が日本の政治の動向やナショナリズムの今後の行方について真剣に議論していました。

韓国のArirang TVでは、戦時中当時のソ連に強制移住させられ、戦後もそのまま取り残された韓国人のお年寄りを韓国の高校生が訪ね、共にシベリア鉄道に乗りながら、当時の話を聞く、というドキュメンタリー。歴史を自分たちが語り継がなければ、と話す韓国の高校生たちの真面目さが心に残りました。

インドはというと歌番組の端っこに「60」を中央に記したインド国旗のマークが翻っていたりしてお祭りムードの一方、独立記念日前後のテロを警戒して厳戒態勢の様子がニュースで流れていました。

日本にいるとテレビを見ても日本の8月15日以外あまり見えないのですが、ここにいるとべつの8月15日をTVで見、他の国の人々の気持ちにも思いを馳せることができます。以前は映っていたインドネシアのTVなど、東南アジアの放送は最近入らないのが残念。そういえば太平洋戦争の終結を受けて独立を宣言したインドネシアの独立記念日は明日、8月17日でした。

さまざまな記念日が奇しくも偶然に重なった日、8月15日。記念日の内容は違えども、この日はアジアの多くの人々にとって、自国の歴史と死者を想い、痛みを伴う記憶を蘇らせる日です。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:29 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年08月15日

 子どもにきちんと説明するということ

1週間ちょっとの一時帰国を終えて、おとといの午後帰国しました。戻ってみたら洪水の水はかなり引いたということでよかったものの、毎日どんより曇っているのに気温も湿度も高いわ毎晩停電するわで、こりゃもう不快指数(最近聞かなくなりましたね)100%、という感じ。暑くてもすかっとした青空が広がり、白い雲が浮かび、早朝や夜は涼しい関東の夏が、早くもちょっと懐かしいです。

先週の土曜日にはシャプラニールの東京事務所のある早稲田にて、「ダッカで家事使用人として働く少女支援事業」について講演をさせていただきました。ひときわ暑い日で、しかも午後2時から4時という一番暑い時間帯だったので、お申し込みされてもいらっしゃらない方も多いかも...と思いきや、43人の方が参加してくださいました。約半分を占めた会員やサポーターの方に加え、よくこのブログにコメントをくださるj、フォキールさん、MARIさん、いのくまさんもいらしてくださったし、友人やNGO関係者の仲間たち、以前スタディツアーでバングラデシュにみえた方たちの顔もみえ、皆さん活発に質問したりご意見もくださって、私はたくさんの方々に応援していただいて今活動しているんだなあ、ということをあらためて感じました。暑い中、講演会にいらしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

この講演会にいらしてくださった方々の中に小学生の参加者が2人いらっしゃいました。計2時間の予定が私のプレゼンは50分ぐらいで終わってしまい、あとは会場の皆さんとの質疑応答の時間にあてたのですが、その中で、ひとりの小学生の男の子が、「ストリート・チルドレンてなんですか?」と質問してくれました。

私はちょっと詰まりました。どう言えばわかってもらえるんだろう?
結局、私の答えは、ストリートというのは道路のこと。道路の上で暮らしたり、働いたりしている子どものことをストリートチルドレンといいます...というような表面的な説明で終わってしまいました。
せっかく勇気を出して手を上げて質問してくれたのに、きっと私の答えではよくわからなかっただろうなあ...と思います。道路で働くって、なんで働かなければいけないの?道路とか外で暮らすってどういうこと?と。時間はまだあったのだから、もっと丁寧に時間をかけて説明すればよかった、とあとあと悔やみました。

講演会のあとで晩御飯につきあってくれた友人たちとこのことについて話したところ、「まず、あの男の子に質問するところから始めればよかったんじゃないかな」と言ったのは自身も2児の母のYさん。「あなたは誰と一緒に住んでる?どうやってご飯を食べてる?そういう質問から始めて、でもバングラデシュにはそれができない子どもがいる、という話につなげたらうまく説明できたんじゃないの」と言われて、なるほど...と思いました。

また、「藤岡さん、あの子への説明の中で『スラム』って言葉使ったでしょ。でも、『スラム』についても説明がなければわからないんじゃないかと思ったよ」と指摘してくれたのは、カンボジアで活動するNGOの役員のOさん。そうですね、説明するつもりで、よけい疑問を増やしてしまったのかも...。

私はシャプラニールに入る前、子どもの権利にかかわるNGOのスタッフや役員もしていたことがあるのですが、裏方の役回りが多かったので、実際に子どもを相手に自分が話をしたり、ワークショップのファシリテーターをしたりした経験はないのです。他の人がやっているのは何度も見たことがあるんですが、頭でわかってることと実際に自分がやるのはべつのこと。活動について子どもにわかりやすく、きちんと説明するスキルが私はぜんぜんなってないなあ...と、自分でもよくわかり、こりゃいかんと思いました。

バングラデシュの働く子どもたちのことについては、日本の子どもたちも関心があるようです。参加してくれた2人は最後まで静かにしっかり聞いてくれていました。

質問してくれた男の子、ちゃんと説明できなくてごめんね。お隣に座っていたお母さんに、だいぶフォローしていただいたようだけど...。いつか、子どもたちだけを対象に、ちゃんと準備して、バングラデシュの働く子どもたちのことについてお話ができたらと思います。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:37 | | コメ ント (12) | トラッ クバック (0)

2007年08月03日

 今年の洪水

1ヶ月前ぐらいまで、「今年の洪水は例年並で、大きな被害はないだろう」という予測が一般に語られていたのですが、どうもその予測は大きく外れてしまったようです。7月中旬から降り続いた雨のため、バングラデシュ北部を中心に川の水位が危険水位を大きく超えて溢れ出し、洪水の状況が悪化しています。
3日ほど前が満潮だったので、北部ではその後少しずつ水位は下がっているようですが、ポッダ(ガンジス)、ジョムナー、ブラフマプトラといった大河が軒並み溢れ、洪水はだんだん下流に下りてきて、おとといあたりから私たちの活動地のひとつ、マニックゴンジ県周辺もいっきに水が来て、パートナー団体のSTEPから緊急状況報告がきています。

緊急救援を行うかどうか検討するタイミングなのですが、私は今日から一時帰国。正味1週間程度の短い帰国ではありますが、帰るのを遅らそうかどうか洪水の救援経験豊富なスタッフたちに相談したところ、「連絡さえとれれば大丈夫だよアパ、それより早く行って早く戻ってきてもらったほうがいい」とのこと。確かに大洪水になれば長丁場になる可能性もあります。とくに水がなかなか引かなかった2004年の洪水時には、数ヶ月救援・復興活動が続きました。今年もそうなる可能性もないわけではありません。

後ろ髪引かれる思いですが、小嶋駐在員に現場を見にいってもらうよう頼み、救援を行うことになった場合の段取りを確認し、これから出ます。日本に着いてからも電話やメールで毎日ダッカとやりとりすることになるでしょう。途中バンコクでは、つい数日前まで一緒にダッカで会議をしていた中田代表、坂口事務局長、白幡駐在員がネパールから戻ってきて落ち合う予定。バンコクから成田までは同じ飛行機です。キーパーソンは揃っているので、洪水の救援についてバンコクの空港で相談することにしましょう。

11日、シャプラニール東京事務所のそばの早稲田奉仕園で、ダッカで昨年から始めた家事使用人として働く少女の支援活動についての報告をさせていただくことになっています。おいでいただける方とは、そこでお会いしましょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 12:36 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
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