シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
メールでのお問い合わせ

 

 
 

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2007年2月26日

 オフィスビルの火事

午前中、パートナー団体のCOLIとのミーティングを終え、会議室から席に戻ったら、「アパ、カウランバザールで大火事だよ」とスタッフがいいます。ダッカのビジネスの中心部、カウランバザールにある11階建てのオフィスビルで火災が発生し、消防車のほか軍のヘリコプターも出て消火と救出にあたっていますが、いまだに数百人がビルの中にとじこめられているというのです。このビルはntv、RTVの2つのテレビ局、新聞社Amar Deshなどマスコミが多くはいっているビル。ダッカ事務所や私の口座があるスタンダード・チャータード銀行のすぐそば、いつも道路の渋滞がひどいところです。2階から火が出たというのですが、原因は不明です。この事務所ではテレビは見られないので、今どうなっているかよくわからないのですが...。大惨事になりそうで、心配です。


追記(3月4日):この火事では結局4人が亡くなり、50人以上が負傷しました。亡くなった人の中には直前まで夫に携帯電話で助けを求めて泣きながら、最後は窓から飛び降りてしまった、という女性もいて、本当にお気の毒だったのですが、11階のビルがほぼ丸焼けになり、消防車が来るまでに通報から40分かかったこと、ろくな消防設備がなかったことを考えると、この被害で済んだのは奇跡的、という気がします。屋上に逃げた人たちの救出にはビル火災ではバングラデシュ初というヘリコプターによる救出も行われましたが、日本政府から17~18年前に送られたというダッカで唯一その高さまで届くはしご車も活躍しました。他の消防車のクレーンは7階ぐらいまでしか届かなかったため、8階~10階あたりの窓辺で助けを求める人たちの救助は困難を極めました。

ダッカ市内には急激に高層建築が増えていますが、ビル火災に対応する消防態勢は非常にお寒い状況です。バングラデシュには今、13階以上まで届くはしご車やクレーン車はないそうですし、水を放射する射水器もなく、消防隊員数も圧倒的に不足。隊員たちはろくな防火服も着ていない、という状況です。断水も多く、高層フラットの窓にはすべて泥棒よけの金属柵がはまっている(うちもそうですが)ダッカのこと、早く対策を立てなければ、次のビル火災はこんなものではすまないでしょう。

ちなみに、選挙管理内閣でなく、前政権の間にこの火事が起きていたら、もっと被害はひどかっただろう、と一般市民は噂しております。今回ほぼ全焼の被害を被った2つのTV局の創設者は前政権の有力国会議員だったんですけどね。

そういえば、この火事の調査報告書がもう出ているはずなんですが、内容が新聞になかなか載らないのはなぜでしょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 17:06 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年2月24日

 10年後の名刺交換

P1020111.jpg土曜日は普通なら事務所は休みなのですが、今日は1日、近くの他団体の会議室を借りて、災害対策の研修を行いました。参加したのはダッカ事務所の上級スタッフと、パートナー団体のマネジャーたち。農村部のパートナー団体、PAPRI、STEP、COLIからは代表を含む2名ずつ、都市部パートナーのオポロジェヨ・バングラデシュからは1名。今年からダッカで使用人として働く少女たちのためのプロジェクトを一緒に始めたPhulki(フルキ)からも1名参加の予定だったのですが、残念ながら体調不良で欠席。

シャプラニールも、そのパートナー団体のスタッフも、洪水などの緊急救援はこれまで何度も実施しており、それなりの経験がありますが、それでもそういった経験をシステマティックに整理して組織として蓄積し、次の災害に備えてマニュアル化することや、普段から活動の中に災害時の被害を軽減する工夫を取り入れていくことなど、まだまだできていないこと、学ばなければならないことが山のようにあります。

バングラデシュではNGOスタッフ向けの研修はいろいろ行われていて、災害対策についてもよい研修があればスタッフを参加させようと前から思っていたのですが、参加費がやけに高かったり、時間的に参加が難しかったり、プログラム内容がいまいちニーズに合わなかったりで、私が着任してからは実施できていませんでした。そこで、私たちのニーズに合ったオーダーメイドの研修を自分たちでセッティングして実施することにしたのです。

今日のリソース・パーソンは2名。災害時の情報収集・発信、リスク・アセスメント、災害時の動き方の計画づくり、モニタリングと評価など、「災害対策で最低限カバーしなければならないポイント」を概観する主要部分は、NIRAPADという災害対応NGOネットワークの若きリーダー、ポラーシュ氏にお願いしたのですが、オープニングの「災害とリスク軽減」についてのセッションを担当してもらったのは、バングラデシュの災害対策の第一人者であり、シャプラニールダッカ事務所のアドバイザーでもあるサイドゥル・ラーマン氏でした。

サイドゥル氏の鮮やかなプレゼンテーションと巧みなファシリテーションに引き込まれ、参加者、とくに農村パートナー団体のマネジャーたちは積極的に参加し、意見を交わし、実りあるセッションでした。

このセッション終了後、シャプラニールから最初に独立した農村パートナー団体、PAPRIの代表のアブ・バセッド氏が、サイドゥル氏と握手し、名刺交換しているのを見て、ある感慨に打たれました。

1997年、シャプラニールでは、バングラデシュの現地スタッフのストライキが発生し、その収拾に当時の関係者は非常に苦労しました。詳しくは、昨年3月に出版されたシャプラニールの本、『進化する国際協力NPO~アジア・市民・エンパワーメント』をお読みいただければと思いますが、このストライキのひとつのきっかけとなったのは、当時ダッカ事務所長代行をお願いしていた本日の講師、サイドゥル・ラーマン氏が現地スタッフに対して非常に厳しい人事を行ったことでした。今はPAPRIの代表となっているバセッドは、当時シャプラニールの地域活動センターのスタッフであり、ストライキ派のリーダーだったのです。

すっかり髪も髭も白くなり、でも世界レベルの防災の専門家として今も大活躍しているサイドゥルさんと、シャプラニールから99年に独立した現地NGO、PAPRIを率いて8年目になるバセッドが当時とは全然違う立場でなごやかに、そして丁重に名刺交換している...。彼らがまともに顔をあわせたのは久しぶりだったのかもしれません。私はストライキ時シャプラニールにいたわけではなく、当時のことは他のスタッフの話や本でしか知りませんが、それでも「ああ、10年たったんだなあ」と感慨を覚えたのでした。

写真=サイドゥル氏のセッション。右列後ろから2番目、シャツの袖と頭だけ見えるのがPAPRI代表のバセッド。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:56 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2007年2月23日

 ユヌス新党正式結成。山は動くか?

昨日、グラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス氏が、正式に新党立ち上げを宣言しました。2月11日の公開書簡発表後、新党結成の決意や党名の構想などを語ってはいましたが、正式な立ち上げは昨日。今朝、二通目の公開書簡(英語の全文はコチラ)が新聞に発表されました。2月21日の言語記念日の直後、人々の愛国心が盛り上がっているタイミングに合わせたのでしょう。

公開書簡の仮訳を文末に掲載します。かなり長い手紙なので、ところどころはしょっています(特に「最初の準備チームのつくり方」の部分は長いので半分カット。それでもまだ長いですね)。前回同様、訳が下手なのにはご勘弁を。面白いのは、党設立後の今後の動きについて、「共鳴する人はこんな風に動いてほしい」という依頼が事細かに書かれていること。以前からユヌス氏の熱心な支持者の多くは学生と海外在住バングラデシュ人だろうと思っていましたが、やはりそのようですね。若者たちや在外の人々にとくに配慮した文面になっています。

私自身はユヌスさんの出馬には懐疑的でした。政治経験のないユヌスさんが、政治の世界でもみくちゃにされ、ちょっとした失敗を機に引きずりおろされて批判され、バングラデシュの人々がノーベル賞受賞の英雄も失うことになったら、目も当てられないじゃないか、と思っていました。知識人やNGO関係者が案外冷ややかなことを見ても、これは難しいんじゃないか、と思っていました。

でも、現在の選挙管理内閣の改革の中で、汚職に染まった過去の大物政治家たちの逮捕が容赦なく進み、今までアンタッチャブルだった超大物もどうやら射程距離に入ってきたらしいこと、軍もユヌスさんを支持しているらしいこと(はっきりはわかりませんが、たぶん)などを考えると、これに海外在住者の資金投入や若者の大きなムーブメントが重なれば、山は動くかもしれない、という気がしてきました。

歴史が動くのは様々な人々の思惑や意思が偶然の力も得て重なり、ひとつの大きな流れができた時。バングラデシュの地殻変動が、もしかしたら起きるかもしれません。

今後の人々の反応についても、追々、お伝えしていければと思います。

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ユヌスさんの公開書簡第2弾 (抜粋仮訳:藤岡)

また皆さんに手紙を書くことにしました。2月11日に私が書いた書簡に対し、これほどにも多くの返事が寄せられるとは想像もしないことでした。深く感謝します。皆さんが私が政界入りすることについて、これほどの論理と思いをもって後押ししてくれたことについて驚き、あらためてアッラーの祝福を感じています。(後略)

●私は皆さんのアドバイスに従い政治に参加します

皆さんの熱意に導かれ、私は新たな政治を作り出す皆さんの努力に加わることを決めました。私は政治に参加し、新しい政党をつくります。皆さんの願いを満たし、アッラーが私を祝福してくれるよう祈ってください。私の新しい政党の基盤づくりは、今回政界入りの決断に至ったプロセスと同様、皆さんの意見を聞きながら少しずつ進めたいと思います。

党の名前については、たくさんの提案をいただきましたが、「ノゴリク・ショクティ(市民の力)」に決めました。これは、すべての市民の中にある隠された力が放たれてこそ新たな政治を創造できる、ということを常に人々に思い出してもらうためです。縮めた愛称としては「ショクティ(力)」を使おうと思います。「前進せよ、バングラデシュ」のスローガンの元に、我々の愛する国を優秀な国々の仲間入りをさせたいと思います。また、党の中心となるモットーであり、今日の誇りある市民の心の中にこだまする公約としたいのは、「WE CAN(私たちはできる)」です。(中略)

私たちの党の政治は、過去のように人々を分断するものではなく、町や村の活動家がその意志決定の中心を担うものとしたいと思います。法を破る者はこの党のリーダーになることは許されません。国会議員選挙を含め、すべての選挙へのこの党からの候補者は、地域ごとの委員会で選出され、その人物の誠実さと能力を考慮して決定されます。公にアピールするためには、大規模行進以外の方法を選びます。女性と若者がこの党の生命線です。多くの若者・女性が党のリーダーとなるでしょう。この党はなにもかも自分の党の考えだけで決めるのではなく、他の全ての党や、市民や、専門家、国外居住者らと相談して決めます。(後略)

●私たちの政治

私たちの政治は、独立戦争の夢を実現する政治です。団結の政治、平和の政治、誠実さを打ち立てる政治、労働の政治、人々の運命をできるだけ早く変え、貧困を博物館入りさせる政治です。この政治は特定の宗教によらず、民主的で、汚職や、物事を不要に政治化させることと無縁の政治です。女性に平等をもたらし、若い世代の未来をつくり、外国の圧力に屈せず、高く頭を上げて世界に立つ政治です。(後略)

●この政治に関心をもつ人にやっていただきたいこと

今からこの政治を打ち立てる仕事を始めましょう。まずは今あるもので準備をすることから始めましょう。それぞれの選挙区、村や地区で、できるだけたくさん、20人のメンバーからなる「最初の準備チーム」をつくってください。もしあなたが自分の選挙区の外にいるなら、自分の地域を訪れ、そこの人々の連絡をとって、そこでのチームづくりのイニシアチブをとってください。誠実で能力のある候補者を選びだし、その人物を国や地方の選挙で勝たせることもあなたの仕事です。あなたのためにそれを代わりにやってくれる人は誰もいないのです。あなたの出来る範囲に応じて、資金やリソースを提供してください。可能な人は、「市民の力」の準備事務所やコミュニケーション・センターを自らのイニシアチブや資金で設立してください。必要なら、あなたの店や、個人の事業所や、家に看板やバナーを掲げてください。これがひとつの地域に多ければ多いほどいいのです。看板には、党の名前と、私たちのスローガン、「前進せよ、バングラデシュ」を書いてください。出来る限り、電話、手紙、ファックス、Eメールを受け取れる態勢をつくり、人々に情報提供し、人々の意見を集め、私に知らせてください。(後略)

●最初の準備チームのつくり方

(前略)準備チームは様々なグループの人々からなるものをつくってください。女性メンバーによる準備チームが、必ず同じ数だけ作られるようにしてください。女性チームづくりのため特に努力が必要でしょう。チームづくりをグループ分けするとしたら、以下のようになるでしょう。1.男子学生 2.女子学生 3.働く少年 4.働く少女 5.若い男性労働者 6.若い女性労働者 7.若い男性ソーシャルワーカー 8.若い女性ソーシャルワーカー 9.若い男性公職者 10.若い女性公職者 11.若い男性専門職 12.若い女性専門職 13.若い主婦 14.農民 15.労働者 16.専門家 17.公職者 18.小規模企業家 19.ビジネスマン 20.若い男性ビジネスマン 21.若い女性ビジネスマン 22.主婦 23.高齢者男性 24.高齢者女性
この全てのグループでチームを別々に作らなければならない、というものではありません。もしあるグループで人数が少なければ、ほかのグループに加わっても構いません。(後略)

●選挙区以外の場所で働いている人へ

選挙区の村から離れて仕事をしている人は、1週間の休みをとってあなたの村に帰ってください。村へ行き、そこで「最初の準備チーム」をできるだけたくさんつくり、それから帰ってきてください。これらのプロセスは、あなたが行かないことには始まりません。(後略)あなたの居間で政治を批判していても、何の望みもありません。今こそ過去の政治体質を覆すときです。あなたこそがこの変化の創造者なのです。もしできれば、長い休みをとって故郷へ行ってください。こんな風に政治を変える機会がまた来るかどうかわかりません。怠惰のためにこのチャンスがすり抜けてしまうことのないようにしてください。あなたの運命も、未来の世代の運命も、あなたの手にあるのです。

●サポーター・グループ

個人的な理由でこのような政治的組織づくりができない人は、どこでもあなたのいる場所で「市民の力」サポーター・グループをつくるか、サポーター・グループに入ってください。そしてグループをつくったことを私に教えてください。離れた地域にいる友達同士でも、Eメールや電話、ブログを使ってグループづくりができるでしょう。(後略)

●親愛なる国外の兄弟、姉妹たちへ

あなた方には特に感謝します。私は膨大なEメールや電話をあたなた方から受け取りました。あなた方は私への信頼を表し、政治の変化への関心を明確に示してくれました。今こそ動き始めるときです。お住まいの国でサポーター・グループを作り、その事務所やコミュニケーション・センターをつくってください。インターネットを有効に活用しましょう。あなたのバングラデシュの故郷の村や町でもサポーターグループづくりの一歩を踏み出してください。もしできれば1週間か2週間、一時帰国して、あなたの故郷でサポーターグループをつくり、彼らに資金援助してください。(後略)

●親愛なる若者たちへ

あなた方こそがこの国の偉大な力です。あなた方はこの国の未来をつくることができます。あなたは政治の分野の大きな変化を確実に欲しているでしょう。それならば、革新と熱情をもって一歩を踏み出すべきです。若者の全国的な組織を作らなければなりません。そして学校や大学で「市民の力」サポーター・グループをつくり、効果的な支援を作り出さなければなりません。そして「前進せよ、バングラデシュ」のスローガンを響かせてください。

●この国の女性たちへの呼びかけ

国民の半分は女性です。しかし、あなた方の意思決定プロセスの中での役割は無視されています。あなた方はバングラデシュの新たなアイデンティティの宣伝のためにも前へ出てこなければなりません。あなた方は新たな国の夢を現実にするための、非常に大きな勢力となることができます。あなたの親戚や友人を集めてください。「市民の力」サポーター・グループをつくってください。農村の女性から都市の女性まで、教師、医者、看護士、学生、皆が前に出てこなければなりません。今こそあなた方の抱えるジレンマや、怖れや、不安や、分断を払い落とし、毅然として前進すべき時です。この美しい国を平和の国にするため、前進してください。

●あなたが「市民の力」です

準備チームが各地に作られたらとても嬉しく思います。自らの労働や資金や資産をもって新たな政治の夢を実現するために前進する人々、あなた方こそが「市民の力」です。私はあなた方と共に働きたいと思います。多くの人々があなたの足跡の後ろに続いてくれると強く信じています。あなた方の前にある挑戦は大きく、時間は少ししかありません。しかし、市民の力は非常に強力であることを忘れないでください。あなた方すべてが心の中に「I CAN(私はできる)」という強い信念を持っています。私たちは「前進せよ、バングラデシュ」の宣言とともに国中を目覚めさせたいと思います。慈悲深いアッラーも私たちを助けてくれるでしょう。(後略)

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注:このユヌスさんの公開書簡の仮訳をこのブログに掲載したことは、バングラデシュの政治状況に関心を持つ皆さんに駐在員として最新情報をお伝えしたい、という藤岡個人の考えに基づくものです。シャプラニールの組織としての意向あってのことではありません。訳の間違いなどの責任も藤岡個人にあります。




投稿者: 藤岡 日 時: 19:58 | | コメ ント (5) | トラッ クバック (0)

2007年2月21日

 言語記念日。ブックフェアは長蛇の列。

ショヒドミナール.jpg今日2月21日はバングラデシュの言語記念日、そして国際母語の日。この国がまだ新国家パキスタンの一部だった1952年の今日、ウルドゥー語を共通語として押し付けられることに反発するベンガル語公用語化運動が盛り上がる中、警察の発砲により4人の学生が犠牲になりました。それ以来、この日はバングラデシュの重要な記念日となっています。4人の学生への追悼を表した記念碑であるショヒド・ミナールには国の要人ほか多くの人が訪れて花を捧げ、国中で言語・教育・文化に関するイベントなどが行われます。
写真右:ショヒドミナール。別の日に撮ったもの。今日はモニュメント前の広場に花が敷き詰められ、華やかに飾られていました。

これらのイベントの目玉のひとつが、毎年この日の前後1ヶ月にわたってダッカ大学構内のバングラ・アカデミーで行われる、エクシェイ・ボイメラ(21日のブックフェアの意)。今日は仕事は休みなので遅く起きてテレビを見ていたら、ブックフェアに行く人たちや、路上で顔にショヒドミナールの絵やベンガル語の文字をペイントしてもらう子どもたちが映っていました。そういえば、去年はこのブックフェアに行きたいと思いながら結局行かなかったなあ。去年の今頃はまだイスラム過激派の爆弾騒ぎの不安が拭えていなかったし...。今日なんか行ったらものすごく混んでて大変だろうなあ、と思いつつ、賑やかに記念日を楽しむ人々の映像を見ていたら行きたくなってしまいました。

行列.jpgよし、行くぞ、と決意したのがもう3時半すぎ。自宅近くからCNG(天然ガスで走るオート三輪)を拾い、バングラ・アカデミーへ行ってみると、ダッカ大学構内のずっと手前、国立博物館の前あたりから長い長い行列が続いています。「これってもしかしてボイメラの列ですか?」と聞くとそうだとのこと。最後尾をようやく探し出して列に加わりました。 
写真左:ブックフェアに並ぶ行列。ようやくダッカ大学手前まで来たところ。

じりじりと前進しながら前後の人たちと世間話。私の前はオールドダッカで電気屋を営むカレックさん親子、後ろは日本に10年いて5年前に帰国したという日本語の話せるお兄さん。お名前を聞きそびれましたが、彼はラベル印刷の仕事を6年、赤坂のイタリアンレストランで4年働いたそう。帰ってきて自分で事業を起こしたけれど、支払いを滞らせる客が多かったりしてあまりうまくいかず、近々閉じるつもりだ、と言っていました。

カレックさん親子.jpgカレックさんは「あなたみたいな外国から来たお客さんをこんな風に並ばせるのは申し訳ないなあ」とずいぶん気を遣ってくれ、うしろの兄さんも「みんな日本人には好意的だからたぶん前のほうで入れてくれるよ」と言ってくれたのですが、「まあでもこうやって世間話しながら並ぶのも得がたい経験だからいいよ。前に割りこむのもずるいし」といって一緒に並んでいたら、二人ともずいぶん感心してくれた様子。割り込もうとする人を協力して阻止したり、来年はもう来ないぞー、とわめいたり、このまま日が暮れて明日になっちゃうんじゃない、などと冗談を言ったりしながら並ぶこと2時間。ようやくブックフェアの入り口をくぐったときには本当に日が暮れて6時すぎになっていました。
写真右:カレックさん親子。子どもたちも辛抱強く並んでよくがんばったね。 

ボイメラ.jpgカレックさんは「私たちの国の言語記念日のブックフェアに並ぶのに苦労をかけましたねえ。1冊本をプレゼントしますよ」と言って、恐縮する私に最初に入ったブースにあった「バングラデシュの独立における日本の役割」という本を買ってくれました。後ろのお兄さんも門をくぐったあとの押しくら饅頭状態の中、すれ違いざまに身体を触ろうとしたりする連中から私をガードしてくれました。本当にどうもありがとう。

夜になっちゃったけど、本を愛する者としては山のように本が並ぶブースの間を歩くだけでも楽しい。見たところ、一番人気は、フマユーン・アフメッドやイムダドゥル・ミロンなど人気作家のベンガル語小説をたくさん出しているオンノプラカーシュ社のブース。近づけないぐらい混んでいました。
写真左:夜になってもにぎわうブックフェア会場

今日ゲットした本.jpg私はバングラデシュの開発や文化に関する英語の本を出しているUPLのブースで、バングラデシュの女性作家の短編小説のアンソロジー、“Galpa: Short Stories by Women from Bangladesh”、書評を見て読みたいと思っていたイギリス統治時代のベンガルでのインディゴ栽培についての本“Global Blue”、そしてバングラデシュでのテロリズムについてここ2年ぐらいの間に主要紙に載った論評をまとめた“Faces of Terrorism in Bangladesh”、そして別の本屋のブースで大河の中洲(チョール)に住む人々の状況についてまとめた“Charland in Bangladesh”をゲット。あとは知り合いの団体のブースを覗いたりして夜8時ごろまでうろつき、またCNGで帰ってきました。その頃になってもまだブックフェアへの行列は続いていました。
写真右:今日手に入れた本たち

疲れたけど満足。あとは買った本を積んどくだけじゃなくてちゃんと読むことですね。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:03 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年2月20日

 日曜からお店は7時まで

今度の日曜日から国中のショッピング・モールは夜7時までで閉まることになります。これは昨年にも増して深刻になりそうな今年の電気不足への対応として、選挙管理内閣が決めたこと。意外に思われるかもしれませんが、バングラデシュ、とくにダッカなどの都市部のお店はどこもずいぶん夜遅くまで開いているのが普通です。夜9時は当たり前、10時、11時まで開いている店も少なくありません。

でもこの深刻な電気不足には如何ともし難く、商売熱心なお店も早々に店じまいしなければならなくなります。なにしろ、夏のピーク時には、既存の発電所がフル稼働しても需要の3分の2を賄うのがやっと、という話。(その需要、というのもどうやって計算しているのか...)

わが事務所には発電機はないので、IPSという大型バッテリー装置が頼り。停電時はいくつかの蛍光灯とコンピューター数台を動かすのが精一杯。自宅のフラットには発電機がありますが、停電すればエアコンや湯沸かし器などは使えません。

あと1ヶ月月半もすればまた、毎日数時間の停電でエアコンも使えず、日々忍耐の暑い夏がやって来ます。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:58 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年2月19日

 気になるインドでの列車爆発

3月に予定しているコルカタ出張のアレンジをメールでいろいろやりながら、そろそろ昼休みだな、とふっとニュースサイトを見たら、インドでの列車爆発のニュースが入ってきました。パキスタンからインドへ向かう列車がインド北部で爆発・炎上し、少なくとも64人が死亡、とのこと。テロの可能性が高いらしい。記事の写真を見ると列車は黒こげでひどい爆発。嫌だなあ...。そういえばインドの外相は今日からバングラデシュ入りしてたはずだけど。

この朝日の記事にもありますが、インドのニューデリーとパキスタンのラホールを結ぶこの列車は、印パ間の友好の象徴です。インドとパキスタンには1947年の分離独立で親族や家族が離れ離れになった人がたくさんいて、お互い思うように行き来が出来ない状況にあります。この列車やバスの開通にどれだけの人が喜んだか。こんなことがあると、また印パの間の門が狭まってしまいそうです。

手前味噌で恐縮ですが、以前ニューデリーに住んでいたことのある私、印パ分離独立時の悲劇についてインドの女性が書いた本を1冊翻訳しております。「沈黙の向こう側~インド・パキスタンの分離独立と引き裂かれた人々の声」(ウルワシー・ブターリア著、明石書店)という本で、あまり本屋さんには置いてないと思いますが、もし印パの分離独立と今にいたるまでの印パ間の政治的確執が普通の人々にどんな影響を与えているのか、興味がある方がいらっしゃいましたら、お手にとってみてください。

追記(2月22日):
列車事故で亡くなった人は結局67人に及び、そのほとんどがパキスタンから長い年月を経て故郷の地へ里帰りを果たしたパキスタン国籍の人たちでした。インド側の親戚が、パキスタン側の親戚(被害者の直接の家族)に辛い知らせの電話を泣きながらしているのをインドのテレビが伝えており、この人たちが楽しみにしていたであろう再会のあまりに悲劇的な結末に胸が痛みました。
インド、パキスタンとも「この事故が両国の和平のプロセスを妨げることはない」と発言し、冷静な姿勢を保っていることが救いです。




投稿者: 藤岡 日 時: 15:56 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)

2007年2月18日

 薬草の村

今日は久々に何も予定のない土曜日。夜、TVのチャンネル・アイで名物番組、「Mati o Manushi(土と人)」を見ました。これはタイトルからも想像がつく通り農村のドキュメント番組で、いうなればバングラデシュ版「明るい農村」(ってNHKでずっと早朝やっていましたが、今もあるんでしょうか)。シャイク・シラーズという、これまたバングラデシュでは有名なTVディレクター兼レポーターが、国中の様々な農村を訪ねて行っては、そこで働く農民たちにインタビューする、という番組で、見ると何かしらいつも感心するような発見があります。元々バングラデシュ国営放送で1980年代半ばからやっていた長寿番組だったのですが、今はケーブルTV局のチャンネル・アイに移っています。バングラデシュの農業に革命的な影響を与えた番組だと言われています。

このシャイク・シラーズという人は、がっしりした体躯にシンプルなシャツとズボン、日に焼けた顔に地味な眼鏡、というおじさんなのですが、農村の家々や畑や茶店、ときにはズボンの裾を捲り上げて田んぼの真ん中までマイクを持って入り込み、実に気さくにうまく農民たちの話を引き出すのです。バングラデシュの農民にとっての知名度は、グラミン銀行のユヌス氏より上でしょう。

今日の番組のサブタイトルは、「薬草の村」でした。ナトール県のある村からのレポートだったのですが、ここは村中の人々がアロエやニームなど、様々な薬草を栽培しているのです。元々は村に住むコビラージュ(まじない師)が治療に使う薬草を栽培していたのが始まりで、彼に倣って村中が薬草栽培を始め、今は「薬草の村」として有名になり、ダッカやチッタゴンなど国中から商人が買い付けに来るようになったのだとか。このコビラージュはほとんど学校教育も受けていない人なのですが、彼が始めたこの村の薬草栽培は今は国の研究機関からも注目されるまでになっているんだそうです。

茶店でシラーズ氏を囲んだ村人たちは、薬草栽培はいい商売になるのだが、マーケティングのルートが確立していないことや、自分たちの知識が足りず、クオリティ・コントロールが十分できないのが問題、と話していました。農民たちがまったく自分たちだけで試行錯誤しながら工夫して、国中からバイヤーが来るまでにしたというのはすごいことだなあ、と感心しました。

開発に携わる人間は、下手をすると地域の人々が持っている存在的な力や知恵を軽視し、知識や技術は外から持ち込むもの、と考えがちですが、もっとこういう地元住民が自力で成し遂げた成功例に学ばないといけませんね。

前にこの番組を見たとき、シラーズ氏は日本の農村を取材していました(この番組は時々海外取材もあるのです)。日本の農協のシステムをレポートし、日本でもバングラデシュでするのと同じように畑に立って農家の人にインタビューしていました。シラーズ氏曰く、バングラデシュでは流通のシステムが十分整備されておらず、農作物の価格の調整も不十分なので、農民が不利な立場に置かれている。国がしっかり施策をたてるべきだと。

マイク片手に国中歩き回り、土とともに生きる人々の声を聞き、農村の生活向上のための提言を続けるシラーズ氏の姿を見ると、この国のメディアの良心を見るようで、なんだか元気が出てきます。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:07 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年2月17日

 今年も春祭りはすごかった

今日(もう日付がかわって昨日、ですね)はダッカ日本人会の「春祭り」でした。
毎年この時期に日本人学校の校庭で行われるのですが、おそばやおでん、焼きソバなどの屋台あり、劇や踊り、のど自慢などの出し物あり、と夕方4時から夜9時ごろまで盛り上がる、ダッカ日本人会最大のお祭りです。

昨年はじめて参加したときには、そのあまりの気合の入り方に「ここまでやるの?!」と度肝を抜かれました。だって特設ステージはあるし、出し物もどれも練習を重ねたもので、衣装とか、カツラとかも本格的で、すごいんですもん、ほんとに。今年も日本人学校の子どもたちの踊りからスタートし、バンド演奏、インド舞踊、お琴、シャル・ウィ・ダンス&マツケンサンバ、水戸黄門の劇、アキバ系オタク&メイドに扮したダンサーズ...と盛りだくさんでした。

シャプラニールの私たちはM社さん、T社さんと一緒にアンパンマンのバナーが目印のワタアメ屋をやったのと、他の皆さんの出し物の端っこにちょこっと友情出演させていただいた程度ですが、最後はキャンプ・ファイヤーにフォークダンスで締めくくり、楽しい夜でした。

ダッカの日本人会の会員数は確か200人ちょっと。これぐらいの人数だと、だいたい皆さん顔見知り。そのこじんまりさ加減でここまで盛り上がるんでしょうね。実行委員の皆さん、ほんとにお疲れさまでした。

あ、そうそう、福引で小嶋駐在員はダッカ市内の韓国料理レストランのお食事券4人分が当たり、私はなぜか「赤富士」の掛け軸が当たりました。どうしましょうね、ダッカで掛け軸...。赤富士はお部屋の西側に掛けておくとお金が貯まるんだそうですが。

シャプラニールの活動に益々多くのご支援がいただけるよう、事務所の西側の壁にかけておきますかね。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:24 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年2月14日

 去っていった「DICの期待の星」

今日、ダッカは雨のバレンタイン・デー。なんとなく、どんより。
思い出すのは、ある若いカップルのこと。今、どうしているんだろう。つい重いため息が出てしまいます。

日本出張から帰ったあと、都市事業担当のスタッフから、「Kが結婚した」という知らせを聞きました。
「K」というのは、私たちが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと一緒に運営しているストリート・チルドレンのためのドロップイン・センター(以下DIC)に長くいた少女です。

DICには、ひとりで家を飛び出してきて路上で働き、路上で暮らす、身寄りのない子どもと、近くのスラムなどに家があって親ははいるけれども路上で働かなければならない状況にある子どもの両方がいます。Kは後者でした。スラムに母親がいますが、貧しさのためKは小さいときから路上で働かなければなりませんでした。

KはDIC開所のころからいた子で、今14歳ぐらい。つまり、7~8歳のときからいたことになります。頭のいい子で、リーダーシップもあり、DICから学校にも通っていました。演劇でもだいじな役を演じ、子どもたちとスタッフからなる「合同マネジメント委員会」の委員もやり、ピア・エデュケーターとして年少の子どもたちの面倒も見、子どもの性搾取に反対する若者チームのメンバーとして会議でも発言するなど、目覚ましく活躍していた少女でした。あれじゃ忙しすぎるんじゃないか、と心配になって、スタッフにあまり彼女にばかり役を振るなと注意するぐらいでした。いってみれば「DICの期待の星」のひとりだったのです。

小さかった子どもたちがだんだん大きくなって思春期を迎え、最近DICでは子どもたちの恋愛問題にスタッフが苦慮している、というのは耳に入っていました。日本で言えば中学生ぐらいの難しい年頃。しかも、小さい時から自分たちで働き、厳しい状況を生き抜いてきた、普通の同年代の子よりある意味「おとな」の子たちです。異性や性的なことに関心を持つ年頃になれば、子どもたちの揺れ動く感情をコントロールするのは大変なことです。

Kは気の強い子で、相手が誰だろうと、思ったことをはっきり言う子でもありました。彼女は、同じDICから巣立った青年Mと恋に落ち、結婚すると宣言してDICを飛び出してしまったのです。スラムに住む彼女の母親の話では、実際に結婚式もしたそうです。母親は「式に出なければ勝手にやって出て行く」と娘にタンカを切られ、どうしようもなかったと。

同じDICの出身者同士、祝福してやればいいではないか、と思われるかもしれませんが、Kはまだ14歳で学校に行っていたのです。しかも、相手のMはすでに結婚しており、子どももいます。KとMはみつからず、どうやらコミラへ行ったらしい、というのですが、Mの妻子はダッカに出てきているらしく、わけがわかりません。

私が初めてDICを訪れたとき、DICの中を案内してくれ、グループワークをしている子どもたちが今何をやっているのか、私にわかるようゆっくりしたベンガル語でひとつひとつ説明してくれたのはKでした。オポロジェヨ・バングラデシュの本部に打ち合わせに行くと、Kをはじめ何人かの少女たちも来ていて、「今日は私たちもミーティングなの!」と誇らしげに言っていたものです。KはDICの子どもたちのロールモデルになるはずでした。でも、恋して、思いつめて、衝動的に出て行ってしまった。

相手のMのことはよく知りません。でも、賢いKがずっと一緒にやっていける相手ではどうもないような気がします。私には今からもう、Mに愛想をつかし、シングルマザーとしてやっていこうとする数年後のKの姿が見えてしまうのです。

できる子だからとおとなの期待を背負わせすぎて、窮屈だったんじゃないだろうか。それともいつもお手本の優等生だっただけに、年上の青年から「きみはかわいい、甘えていいよ」と言われたらふらっとなってしまったんだろうか。

恋する14歳の気持ち、ずっと昔のことだけど、私だって忘れてないよ、Kちゃん。純粋な想いのどこが悪いのか、一緒にいたい人といるのが何がいけないのか、おとなに諭されれば諭されるほど、意地になってしまうことも。でもね、そんなに急がなくてもよかったんじゃない?あなたには恋以外にもいろんな未来があったのに。

結婚して「おとな」の世界に飛び込んでしまったK、当分戻ってはこないでしょう。戻ってきたとしても、もう「DICの子ども」にはなれないでしょう。どうすればよかったのか、私たちに何ができたのか、考えると落ち込んできます。ずっと彼女を育ててきたDICのスタッフたちは、もっと重い気持ちでしょう。知らせを受けたのはおとといのことで、まだ話し合うことができていないのですが、まだほかにも思春期の子どもたちは何人もいます。中には麻薬の売買をする身内に利用されそうになっている、要注意な子もいると聞きます。

小さいときは小さいときで大変だけれど、思春期を迎え、またべつの危機に直面する子どもたち。DICで育ってきた子どもたちを守るにはどうすればいいのか、真剣に話し合わなければなりません。




投稿者: 藤岡 日 時: 12:29 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2007年2月13日

 春の始まり

ベンガルの暦の上では今日から春。一年で一番寒いマグ月が終わり、ファルグン月が始まる今日は、「バシュンティ・ウトゥショブ(春祭り)」と呼ばれ、女性たちは黄色い服を着て春の到来を祝うことになっています。気温はかなり上がってきたとはいえ、朝などまだ少し霧が出ていて、いかにも「春が来た!」という感じになるのはまだ少し先になりそうですが、しばらく暑くも寒くもない爽やかな気候が楽しめます。

今日は私もコルカタで買った上から下までまっ黄っきのサルワール・カミーズを着てきました。昨年入った若い女性スタッフのイルシャトも黄色の上下。(彼女はわざわざ昨夜電話をくれて「アパ、覚えてる?明日は黄色い服だよ!」とリマインドしてくれました)

男性たちはとくにいつもと変わらぬ服装ですが、朝リキシャで通勤の途中、すれ違う女性たちの服装をみると、半分ぐらいの女性は黄色い服を着ていました。全部黄色の人もいれば、どこかにワンポイントで黄色が入った装いの人も。こういう風に季節に合わせた色の服を楽しむ文化っていいな。

大学のキャンパスでは、朝から文化イベントが行われ、女子学生たちは黄色いサリーに髪にも黄色の花をつけて着飾り、「キャンパス中黄色」になるんだそうです。

4月中旬のベンガル新年、「ポイラ・ボイシャク」には、赤と白のサリーを着るのが習わし。去年は家で寂しく指をくわえてたけど、今年は紅白のサリー着てお祭りに行きたいな。このベンガル新年が来ると、いよいよ夏。一年で一番暑い季節の到来です。




投稿者: 藤岡 日 時: 14:08 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年2月12日

 ユヌスさんの公開レター

今朝の新聞に、グラミン銀行創設者のユヌス氏からバングラデシュ国民に宛てた公開レターが発表されました。訳は私がばばっとやったのでちょっといい加減ですが、だいたい以下のような内容です。

「国民のみなさん、皆さん一人一人のご意見を聞かせていただければと思ってこの手紙を書いています。私に政治に参加してほしいという声があがっていて、それについて私が考えなければならない状況にあるのは皆さんもご存じの通りです。皆さん同様、私も、わが国の政治体質が、この国に何をもたらしてきたか、この国の未来の可能性をいかに壊してきたか、ということをこの目で見てきました。現在の選挙管理内閣が様々な改革を通じて私たちが受け入れられるような政治環境をつくってきたのを見て、私も国民の皆さんと同じく、楽観的に考えられるようになりました。今こそ、私は、国民の皆さんの期待に応えて、政治に参加し、この国を本来あるべき高さまで引っ張っていくという仕事をすべきだと心から感じています。これまでの政治体質を変えなければ、私たちが目指すゴールにたどりつけないことは誰の目にも明らかです。それはこの政治体質に包括的な変化をもたらすことによってのみ達成できるのです。(後略)」

公開レターはまだまだ続きますが、その中でユヌス氏は、新しい政党づくりについての国民からのアドバイスを求め、またこの手紙を受け取る「あなた」(国民)がそこでどんな役割を担うことができるかを尋ねています。文末にはこの手紙への返信の宛先が書かれ、手紙でもメールでも、電話でも返事ができるようになっています。もし、国民から前向きな反応が得られなければ、政界出馬は取り消す考えとのことです。このような形でまず国民に意見を聞く、というのは、迷った末にユヌス氏が選んだ方法なのでしょう。

さて、このユヌス氏の動きについて、バングラデシュの人たちはどんな考えを持っているのでしょうか?
本当は学生さんなどにも聞いてみたいところですが、とりあえずわがダッカ事務所のスタッフたちに「どう思う?あなたは返事を出す?」と聞いてみました。少なくとも二人は、「今日メールで返事を出す」と言っていましたが、ユヌス氏出馬にイエスか、ノーか、という問いにはどうも「ノー」が多いようです。あくまでわが事務所の限られた人数のスタッフの意見ですが、以下参考までにご紹介。

スタッフA:ぼくは今日、「サー、やめてください」とメールするつもり。なぜなら、彼には政治の中心に自分自身が乗り込んでいくより、プレッシャーグループとして存在するほうが意味があると思うから。国際的にも影響力があり、誰もがその発言に一目置くような人というのはそうそういない。ユヌスさんには、政治の担い手が入れ替わっても、ずっとその動きを監視し、アドバイスをする、という立場にいてほしい。

スタッフB:ユヌス氏が政界出馬を考えた背景には、アメリカのプレッシャーがあるんじゃないかな。今度アメリカの大統領はヒラリー・クリントンでしょう?ユヌス氏がクリントン夫妻と親しいのは有名な話。バングラデシュでは誰かこれまでの政党政治に属さない人で、変化をもたらす人が必要だ。クリントン夫妻がユヌス氏に直接要請してきたんじゃないか?

スタッフC:ユヌス氏は前にも自分の政党を立ち上げようとして呼びかけたことがあるけど、人が集まらなかった。それに前の選挙のときはBNPを支持していたはずだ。バングラデシュの政治が大混乱にあるときには何もしないで、今これだけお膳立てができてからご登場、というのはちょっとどうなのかな。

スタッフD:新しい政党をつくるには時間がかかる。そんなに短い時間でできることじゃないと思うよ。かといって既存の政党から出たのでは意味がないし。ユヌスさんには全国にこれだけグラミン銀行のメンバーや支援者がいるから、そこで票がとれるという目算があるんじゃないかと思うけど、それと政治はべつの話だよね。心意気は買うけど、難しいと思う。

たまたま今朝意見を聞かせてくれた上記4人は全員「ノー」みたいで、かなりコメントも辛口ですが、もうひとり「ユヌスさんにはメールする、でもその内容はヒミツ」と言っているスタッフがいて、彼は「イエス」なんじゃないかと思います。うちのスタッフは悲観的でシニカルな人が揃っているのか?と思われるかもしれませんが、そうでもないでしょう。まあ、ダッカに住む中流階級のNGO関係者の意見というのは、だいたい上の4人と似たり寄ったりの人が多いんじゃないかと思います。

機会があれば、ビジネスマンや若者の意見も聞いてみたいですね。新聞紙上にも明日以降、続々と集まってくる国民からの返信が掲載されるでしょう。

さあどうなる?ユヌスさん、そしてバングラデシュ?




投稿者: 藤岡 日 時: 12:12 | | コメ ント (7) | トラッ クバック (0)

2007年2月11日

 留守の間のニュース

会議のための1週間の日本出張を終え、昨日ダッカに帰ってきました。(会議がメインで忙しかったので、日本でお世話になっている皆さんにもあまり連絡もできないまま戻ってきてしまいましたが...)

二紙とっている新聞を出張中も止めずに確保していたので、山のような新聞がダイニングテーブルに積みあがっているのですが(ネットでも読めますが、私は新聞は紙で読むのが好きです)、気になるニュースがいろいろ。中でも、非常事態宣言以降、「汚職追放」の名の下に各地のゴッドファーザーや犯罪者を1日2千人というすさまじい勢いで逮捕していた軍と警察が、いよいよ大物政治家たちの逮捕に踏み切り始めたのは大きな動き(2月5日の朝日新聞でも報道されていましたね)。当地の新聞、Daily Starの今朝の一面の記事にも、逮捕されたある政治家のここ数年の資産の増殖ぶりが2001年と2007年の比較一覧表入りで事細かに発表されていました。

逮捕されている政治家にはBNPもアワミも両方いますが、やはリ直前まで政権党だっただけにBNPが多数。このままこの動きが続けば、大打撃でしょう。いや、すでに大打撃を受けているというべきか。今までアンタッチャブル状態だった汚職政治家たちに対するこうした逮捕の動きに、国民の多くは喝采を送っているようです。

しかし、こういった大物政治家たちは拘置所や刑務所内でもVIP待遇なんですよね。それ以外の人たちは、ただでさえ元から数の足りなかった刑務所の中、短期間に3万人以上も逮捕者が増えて、どんな状況に置かれているのか想像するだに恐ろしいことです。逮捕を逃れようとして窓から落ちた、とか、拷問などの理由で、すでに数十人が死んでおり、それに対して国内の人権NGOも声を上げています。

このあたりの「選挙管理内閣の改革の光と陰」については、もう少し整理して丁寧にお伝えしたいところですが、とりあえず今日は帰ってきたばかりなのでこのへんで。




投稿者: 藤岡 日 時: 21:40 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
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