シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2006年12月28日

 台湾地震でネットが遅い...

今朝事務所に来てメールをチェックしようと思ったらうまく繋がりません。ウェブサイトもダメ。しばらくして遅いながらも繋がるようになりましたが、これは火曜日の台湾地震で国際海中ケーブルがダメージを受けたのが原因だそうです。自宅の壊れたモデムのアダプターを直したはずなのに、どうしてもインターネットがつながらなかったのも、どうやらこのせいみたい。

ただでさえ遅いダッカのインターネットがますます遅くなると何かと不便。・・・なんて言ってると、バチがあたりますかね。うちの事務所だってほんの数年前までは、東京とFAXでやりとりしてたんですもんね。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:50 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月27日

 ダミ声演説のクリスマス・イブ

私はバングラデシュの政治家の演説の声(とくに男性の)が苦手です。
日本じゃああいう演説の仕方をする人はほとんどいなくなりましたが、とにかくこちらの政治家たち、ダミ声にドスを利かせ、閻魔大王が猛ってるみたいに興奮してアジるんです。しかもあまり中身のないアジ演説なのに長くて延々続く。マイクは最大音量だから音は割れるし、TVのニュースでもそういう演説が出てくると私は「勘弁してー」と言って切ってしまいます。大臣級から地方のユニオン・チェアマンレベルまで、どうやら演説とはこういう声を出すもんだと思い込んでいる人が多いらしい。

クリスマス・イブの夜、ひとりパソコンに向かって締め切りを延ばしてもらった原稿を書いていましたが、どうにも煮詰まってしまい、よしパッと寝て明日早起きして書くぞ、と決めてベッドに入ったその時...近くのダンモンディのA党拠点と思われるあたりで、政治集会の大演説が始まりました。

窓のサッシをぴっちり閉めていてもうるさくて眠れないほどのダミ声コーフン演説が延々と続き、もう腹が立って「うるさいっ」「静かにしてくれー」と一人でわめきながらベッドでバタバタしていました。だって夜中の1時半までやってるんですよ?いくら選挙前だからって、いくら闘争中だからって、いい加減にしてほしい。しかもクリスマスイブだってのに。数は少ないけどバングラデシュにはクリスチャンだっているんだぞ。

しばらくもがいてから、あ、そうだ、私はいいものを持ってたじゃないか!とハタと思い出し、ノイズキャンセリング・ヘッドホンをして寝ました。いや~助かった。それにしても、だいぶ離れている我が家でさえこんなにうるさいのに、集会会場の近所の人たちはどうやって耐えてたんだろう。それとも慣れちゃって平気なのかしら。

選挙以外にも、12月から2月ぐらいにかけてインド亜大陸は結婚式の季節で、近所でバンドの生演奏入りパーティなどあった日には、夜中の1時、2時まで大音響でうるさいのなんの。「今何時だとおもってるんだ!」なんて言い回しはベンガル語にはないんだろうな。

去年一時帰国したとき、飛行機でゴーッという音がほんとに消えるのか試してみたくて、夫に「高いのにバカみたい」と言われながらフンパツして買ったヘッドホンでしたが、思いがけず冬のダッカでの安眠確保にも威力を発揮したのでした。

それにしても心の安らぎも色気もなんにもない、クリスマス・イブであったなあ...。




投稿者: 藤岡 日 時: 18:44 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月21日

 路上から母の元へ帰った少女

P1010897.jpg先週から今週にかけて、ダッカで一緒にストリートチルドレン支援事業を行っているパートナーNGO、オポロジェヨ・バングラデシュのスタッフと共に、「家に帰ったストリート・チルドレン」たちの追跡調査をしています。親に虐待されたりして家に帰せるような状況でない子も多いですが、中には住所がわかれば親元に返せる子たちもいるのです。先週はネットロコナ県とダッカで、昨日から今日にかけてはクルナ県で、ドロップイン・センターや青空教室から家に戻った子どもたちとその家族を訪ねました。

詳しくは、シャプラニールの会報『南の風』2月号でご報告する予定なので、ぜひそちらを読んでいただきたいのですが、今回、クルナでは予定外の出来事がありました。オポロジェヨのクルナのドロップイン・センターを訪ねたら、ちょうどチッタゴンのセンターで保護されていたクルナ出身の少女の住所がわかり、チッタゴンのオポロジェヨ・スタッフがその子を家族に戻すために連れてきていたのです。

まだ9歳ぐらいの少女ですが、チッタゴンで使用人として働かされていた家から路上に放り出され、警察を経てオポロジェヨのセンターに保護されたのでした。写真は彼女が家に帰り着き、お母さんの胸に飛び込んだ瞬間。行方不明になって数ヶ月ぶりに戻った娘を抱きしめてお母さんは大泣き。こちらももらい泣きしそうでした。




投稿者: 藤岡 日 時: 00:14 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)

2006年12月18日

 続々・隣のナシマ
屋上のナシマ.jpg 前にもご紹介した隣家のお手伝いの少女、ナシマがいなくなりました。田舎の村に返されたようです。数日前から、台所の窓の向こうにナシマの姿が見えないな、とは思っていたのですが、このところだんだん肌寒くなって窓を開けっぱなしにする気候でもなくなっていたし、私も出張したり風邪を引いて寝込んだりしていたので気がつかなかったのです。

 ついにナシマが田舎に返されたらしい、という情報をもってきたのはうちのお手伝いさんのイラでした。イラによると、数日前、ナシマは「もうこの家にはいられない」と激しく泣いていたとのこと。その後見かけないのでフラットの守衛たちにそれとなく聞いてみたころ、彼らの間では「あの娘は盗みを働いて村に返された」ということになっていたそうです。 (写真=屋上で花とチョコレートを手にポーズをとったナシマ)

  「盗みをしたってのは嘘じゃないかねえ。本当のところ何があったのかわからないけど、そんなことする子には見えなかったよ。まだ遊びたい盛りの年頃なのにかわいそうにねえ」とイラ。日頃、「隣のお転婆娘は、私がアイロンをかけていると、おーい、おーいって窓から呼んで邪魔するから困る」とこぼしていた割には同情的です。

実はちょうど1ヶ月前の金曜日、「村に返されることになったの。もうあんたなんか要らないって。今日の午後帰るの」とナシマが言い出し、それならと私が持っていた日本のチョコレートをひと箱餞別に渡し、屋上で写真を撮ってやった日がありました。ナシマの村や家族の名前を聞き、ノルシンディに行ったら写真を持って訪ねていくから、と約束したのですが、その翌朝また、台所の窓辺に呆然と座っているナシマをみつけました。「村に帰るんじゃなかったの?」と聞くと、「そう言われたからそのつもりですっかり準備していたの。でも、それは怒ったから言っただけだったみたい」と言うのです。

そういうことが2回ほどあり、なんだかんだいってもそう簡単に返されることはないらしいと思っていたら、今度は本当に帰ってしまったようです。飛び跳ねながらこちらに手を振る姿が隣の窓にないのは寂しい気もしますが、籠の鳥のように朝から晩まで台所にいるナシマを見るのは辛かったので、村に帰ったと聞いてちょっとほっとしています。しばらくはまた働きに出されることなく、村にいられればいいのですが...。

屋上で撮った写真はイードの里帰りまでにプリントしてあげる、と約束していたのですが、思いがけず早く去っていったので渡しそびれてしまいました。イラが見たとき、激しく泣いていた、というのが気になります。私という「隣の日本人」と話をしていたことについても、どうやら叱られていたようです。

ナシマの故郷の村は、偶然ですがシャプラニールが長く活動してきたノルシンディ県にあります。ナシマが教えてくれた地名をダッカ事務所のスタッフに聞いてみたら、パートナー団体、PAPRIのアムラボ事務所からそれほど遠くないらしいことがわかりました。今度そのあたりに出張したら、写真を持って探しにいってみようと思います。そしてできれば、PAPRIを通じてナシマの家庭をなんらかの形で支援することができ、ナシマがPAPRIの少女グループのメンバーになって、村で同年代の少女たちと元気に歌ったり劇をしたりする姿を見ることができたら...と思い描いています。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:41 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月16日

 今日はV-Day

今日、12月16日はバングラデシュのVictory Day(戦勝記念日)。1971年のこの日、9ヶ月の独立戦争の末、パキスタン軍が無条件降伏し、バングラデシュ独立軍が勝利したことを記念する日です(ちなみに独立記念日はバングラデシュが独立を宣言した3月26日)。

朝からボンボンと大砲だか花火のような音が聞こえ、家々の屋根には緑地に赤い丸の国旗がはためいています。12月中旬のバングラデシュはちょうど日本の10月初旬のような気候なので、屋外イベントにもちょうどよく、この日はあちこちで記念イベントや運動会などが行われます。

私たちの活動地でも、マイメンシン県イショルゴンジ郡で活動するパートナー団体のCOLIが、貧しい子どものための補習教室や働く子どもの夜間教室に通う子どもたちの運動会と、識字教室修了者のための作文コンテストの表彰式を今日行う予定にしていて、私もマイメンシンまで出張してこれに参加するのを楽しみにしていました。

本当なら今頃そのご報告ができるところだったのですが、おとといの晩から不覚にも熱をだしてひっくり返ってしまい、出張はキャンセルして家で寝ているはめに。出張を理由にお断りした食事会のお誘いもあったのに、なんとも面目ない状況です。パン食い競争でぴょんぴょん跳ねる子どもたちの姿や、作文コンテストに入賞して山羊をもらって喜ぶ村の人の顔が見られなかったことがとても残念。きっといい写真も撮れたのになあ...。

と悔しがっていても仕方ないので、独立35年後の今、バングラデシュの人々は独立戦争勝利の頃をどんな風に振り返っているのか、その気分を感じさせる今日の新聞の社説の一節をご紹介。訳は大雑把でゴメンナサイ。

●Daily Star 社説「戦勝記念日~本当の勝利は未だ手に入らず?」より(原文はコチラ

(前略)今日、私たちがあの歓びの瞬間を思い出すとき、それがとても遠く、あたかも別の惑星の、別の人々の上に、まったく別の時代に起こったことのように感じられるのは何故だろう?今日のバングラデシュが、私たちの遠い日の夢に遥かに及ばないためだろうか?民主主義や法による支配、庶民の共和国という、35年前に私たちが描いたことが未だに実現されていないためか?私たちが自らの夢を実現できていないばかりでなく、その夢自体がどんなものだったかを忘れかけているためか?これらの疑問への答えは単純にイエスやノーで答えられるものではない。そこにはイエスもノーも、そしてもっと多くのものが含まれている。

 しかし、今日ここで私たちが大声で叫びたいのは、成し得なかったことも、実現できていない夢もあるけれども、私たちは自由で、独立した、私たち自身の国を持っているのだということだ。私たちは自身の事柄についての悪いマネジャーだったかもしれないが、それでもマネジャーは部外者ではなく、私たち自身なのだ。いろいろな面で私たちは同胞を失望させたが、別の面ではいくつかの可能性を実現した。戦勝記念日に際し、私たちは誓いを新たにし、過去の失敗に腐るばかりでなく(しかし確実にそこから学び)、私たちが成し遂げられたことを継続できるよう努力しよう。悪い政治は未だに私たちにとって最大の破滅のもとだが、よい政治こそがその一番の解毒剤だ。民主主義に代わるものはないが、私たちはまだそれが十分機能するほど努力していない。私たちが悪いものをいつどうやって善いものに置き換えられるか、という未解決の問題への答えは、今日ますます薄れかかっている。この吉日に際し、私たちの指導者たちの上に良識が広がることを切に祈る。

 




投稿者: 藤岡 日 時: 21:57 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月13日

 あなたは何票もってる?その2

プロジェクトの話をぜんぜん書かずに選挙がらみの話ばかりですみませんが、何しろ今バングラデシュではこれが万人の一番の関心事なので、つい...。ダッカ事務所の昼ごはん時も皆口からご飯粒を飛ばしそうな勢いで選挙や政治の話をするので、静かに食事をするどころじゃありません。

きのうの一人あたりの票数の話、他のスタッフにも聞いてみたら、半数以上のスタッフが2票持っていました。ダッカに住んでいて故郷の村には冠婚葬祭とイード休みぐらいしか帰らないのに、そっちにも票が残っているのは、選挙管理委員会がちゃんと調査をして投票者名簿をアップデートしていないことももちろんありますが、もうひとつ大きな理由があるとのこと。

それは、バングラデシュの地方行政の一番末端の機関であるユニオン評議会の選挙のために、自分の世帯の票数を多く確保しておきたいから、親戚が彼らの名前を名簿から消そうとしない、というのです。ダッカに出てきているうちのスタッフたちの親族は、自分たちの一番身近なユニオン評議会のチェアマンやメンバーの選挙にあたり、知り合いや親戚などに一票でも多く投票したいわけですね。それで、「どうせわかんないんだから、●●(ダッカにいる家族)のことは黙ってそのままにしとこう」ということになるようです。チェック機能もなく、みんながみんな当たり前のようにそれをやっているらしい。

投票者名簿をめぐっては、他にもいろいろ問題があります。例えばダッカなどの大都市ではスラム人口が膨れ上がる一方ですが、投票者リストに載せる住所としてスラムの住所は認められないのです。その結果、膨大な数の人々が投票権をもたないことになります。

さて、これから選挙まで、どうなりますやら...。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:44 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月12日

 あなたは何票もってる?

1月21日に予定されていたバングラデシュの総選挙は、2日繰り延べられて今のところ23日の予定ですが、掛け声どおりの「公正で平和的な選挙」は本当にできるんだかどうだか。

抗議行動と選挙管理内閣の「新提案パッケージ」の応酬の末、先週は「ようやくトンネルの先に光が見えてきた」と新聞の見出しにも出て、「やれやれこれでやっと少し落ち着くかな」という雰囲気になっていたのに、数日前なぜか突然軍が出動。この大統領の独断に怒った選挙管理内閣のアドバイザー(大臣にあたるポスト)4人が昨日辞任。今日あらたに4人が任命されましたが、その人選をめぐってまたひともんちゃくありそうな予感。ちなみにこの新たな4人の中には、BRACに次ぐバングラデシュの巨大NGO、ASA(アシャ)の代表も選ばれました。(それじゃNon Governmental Organizationじゃないじゃないか?とつぶやく人多し。)

まっとうな選挙をするためには、年末から年始にかけてのコルバニー・イード(犠牲祭のイード)の休みをはさんで、あと1ヶ月ちょいの間に、投票者名簿の訂正など山のようにやらなければならない仕事があります。いまだに選挙管理内閣や選挙管理委員の人選でもめている現状で、こんな短期間にいったいどこまでできるんでしょう。

この投票者名簿、2001年の選挙のときの名簿を元にして作り直すんだそうですが、どの程度正確なのか?試みにうちの事務所のスタッフにきいてみました。

スタッフA:ぼくは田舎に票をもってるけど、ダッカに出てきたときに手続きがされてないから、ダッカの名簿には入ってなくて、ここでは投票できない。田舎は遠くて帰れないから、結局票はないよね。ちなみに事故で亡くなったぼくのお兄さんの票はまだ名簿から消えてないみたいだよ。

スタッフB:わたしは田舎とダッカに1つずつある。田舎の名簿から名前が消えてないから、本気でやろうと思えば1日に2回投票できます。

スタッフC:ぼくは3票ある。田舎の実家の分が名簿から消えてないのと、ダッカで今の家に移る前の住所のも消してくれって言ったのに消えてない。田舎は遠いから1日で往復は無理だけど、ダッカの今の住所と前の住所は車で10分もあればいけちゃう距離。2回は簡単に投票できちゃうね。

なんじゃそりゃあ、と驚きました。別に彼らは自分で画策したわけでもなんでもなく、「普通に引越ししたりしてたら投票者名簿の名前がダブっちゃってて困ったもんだ」というのです。田舎からダッカに出てきた人は、だいたい2票持っていることになってしまうのでは?あと、親族が死んでもその人の名前が名簿から消えていなければ代わりに投票できちゃうし、逆に成人したばかりの若者は名簿に入っていない人が多いはずです。

これはもう相当にめちゃくちゃですね。出生登録も、死亡登録も、住民登録も、法制度としてはあるのだけれど、ちゃんと機能していないから、というのです。この「制度はあるけど機能してない」という言葉をここへ来ていったい何度聞いたことでしょう。民主主義の「基本のき」の制度を、ちゃんと機能させるにはいったいどこからどう手をつけたらいいんでしょうね。

土台がしっかりしてないのに、上へ上へ積み上げようとすれば、必ずどこかで無理が来るはず。平等・公正がないまま経済成長を続けても本当の意味で豊かな国にはなれないでしょうに。

こんな状況の中、NGOは何をするべきなのか。何ができるのか?本当に悩ましいです。結局政府がやるべきなのにやらない「穴」をNGOが埋め続けてるだけじゃ、なんの変革にもならないじゃないか、と...。

いつになく無力感が漂ってしまうのは、風邪引きだからかな?こういう時はもううんざりなニュースを見るのはやめて、早く寝るに限りますね。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:07 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月11日

 オスロのベンガル舞踊

昨日の夜、自宅に帰ってテレビをつけたら、ちょうどオスロでノーベル平和賞を受賞したユヌス教授の演説が生中継されているところでした。「貧困解決が平和への近道」「ソーシャルビジネスが未来を開く」と訴えたユヌス教授のスピーチは日本の新聞にも載ったかと思うのでここでは紹介しませんが、長い演説を終えてユヌス氏が席に戻った直後、満面の笑みをたたえて登場したベンガル舞踊団を見て、私の胸は期待と不安に震えました。

不安、というのはバングラデシュのテレビではよく、呆れるほど動きが揃っていないベンガル舞踊を見せられているので、ここでもそれをやってくれちゃったりして...という不安。期待のほうは、黒っぽいスーツ姿がめだつ取り澄ました会場の参加者たちを、バングラデシュ・パワーであっといわせてやってよね!という期待。

「アマル・ジョンモ・ブミ(私の生まれ故郷)」の音楽にあわせて始まった踊りは、さすがにある程度上手な人を選んできたみたいで、動きの揃い具合はまずまず。カラフルな衣装の袖からむっちりした二の腕を出して田植えのしぐさで踊るお姉さんたちや、魚とりの竹籠を持ったり、ベンガルの吟遊詩人バウルの姿をした兄さんたちの踊りののどかさ、垢抜けなさが、かえって会場となったオスロのホールとはまったく違う土の匂いのする世界を感じさせていいじゃないか、と思って見ていたら、フィナーレに近づいたらしき踊りの一団が、何やらたたんだ布の端をみんなで持ってぱっと開こうとしている...。

ぎゃあ、バングラデシュの国旗だ。緑地に赤い丸の大きな旗をどばっと広げ、その上に白い鳩の人形をふわふわ飛ばすというあまりに学芸会チックな演出。しかも旗の真ん中には切れ込みが入っていて、そこから睡蓮の造花を持ったお姉さんが上半身を出してくるくる回っている....。

私は呆然としながらも「よっしゃそれでいい!」などと言って手をたたいてしまいました。ユヌス教授、舞踊団を拍手しながら見送る笑顔が少しひきつっていましたね?

ベンガル舞踊チームが去り、授賞式のセレモニーが終わって立ち上がった人たちのざわめきは何を言っているかわからなかったけれど、私があの場にいたら隣の人とまず間違いなく「なんかものすごかったですねえ、あの踊りのフィナーレは...」と言っていただろうと思います。

日本でも中継されましたかね、あの踊り...。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:43 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)

2006年12月10日

 人の話を聞かぬ癖

先週3日間、東京から坂口事務局長と白幡前ダッカ事務所長、ネパールから藤﨑カトマンズ事務所長の3人をダッカに迎え、小嶋駐在員ともども、初の「駐在員合同会議」というのをやったんですが、そこでいつの間にか自分に悪いクセがついていることに気がつきました。

それは、人がまだ話している途中なのに、それをさえぎって喋ること。

日ごろ、ダッカ事務所での月次会議でも、複数のベンガル人スタッフが口々に話し始めて収拾がつかなくなり、「とにかく!この件はこれ以上ここで話してもしょうがないから終わり!」と強引に議論を断ち切ることはしばしば、というかほぼ毎回あります。

テレビの討論番組でもパネリストが次々に競って話し始め、誰も譲らずに声を張り上げて他の人を黙らせようとし、誰が何を言っているかわからなくなるのを見て、「なんでこの人たちは人の話を聞いてからしゃべろうとしないのかねえ...」などと独りごちていたのですが、どうやらだんだん自分もそうなってきているみたい。

日本人スタッフばかりの会議の中、人の話の終わりを待たずに話し始めて、「あ、ごめんなさい」ということを何度も繰り返してしまいました。

そういえば、私が赴任したての頃、前駐在員のNさん(といえばわかっちゃうか)が、ケアレスミスの言い訳をやめないあるベンガル人スタッフに、「シュネン!シュネン!(聞きなさい!聞きなさい!)」とたたみかけて言いたいことを言っている(片やベンガル人スタッフは黙らず言い訳を続けているので、ハタから見ると激しく言い争っている状態)のを聞いて、「いやー、ベンガル語であれだけ言い合えるってたいしたもんだなあ」とえらく感心したものです。

人の話をさえぎるクセもベンガル語上達のバロメーターか?
・・・でも日本語の会議でそれやっちゃダメですね。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:58 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)

2006年12月04日

 民間療法

昨日、コトン、という感じで気温が下がりました。朝の通勤時、前日までと同様の夏服だった私は、ちょっと薄着だったかなと思いつつも、リキシャですれ違う人々があまりに大げさな冬服姿なのを笑っていたのですが、事務所で仕事をしているうちにだんだん寒くなり、喉が痛くなってきました。いやはや、笑われるべきは私だったのでした。

ダッカ事務所スタッフの中にひどい風邪引きが2人いたので(1泊出張で農村パートナー団体の事務所の宿舎に泊まったら隙間風がひどく寒かったのだとか)、彼らからうつったのかもしれません。週末休んでなくてやや疲れ気味だったのもまずかったかも...。

結局夕方にはこちらもすっかり鼻声の立派な風邪引きになってしまいました。

喉が痛いのには、大根を刻んだものに蜂蜜をかけてそのおつゆをすくって飲んだらなんだか少し効いたような感じ。あとはあったかいものを食べて風邪薬を飲んでひたすら寝るのみ。
私は滅多に熱を出すことはないので、今回も1日寝ればなんとかなるでしょう。

熱を出すと、バングラデシュでは仰向けに寝た人の頭だけベッドからはみ出させ(または椅子に座らせてぐっと上を向かせ)、下にバケツを置いて、額の上から水を手桶でざーざーかける、というかなり大胆な熱冷まし技が一般によく行われています。とにかく早く高熱を下げなければ、というときにはけっこう有効なようです。

昔住んだことのあるインドネシアでは、コインで肩や背中など、身体が真っ赤になるまでひたすら擦る、という民間療法もありました。私はやってもらったことはないけれど、試した人に聞くと、これも熱冷ましに不思議と効く、という話でした。

明日から3日間、東京とカトマンズからの出張者三人を迎えて初の駐在員合同会議。風邪はなんとか今日中に治したいもの。会議中のお茶はこちらで「アダチャ」と呼ばれる生姜入りのお茶にしてもらおうっと。

あと今夜試すべくは...卵酒かな。




投稿者: 藤岡 日 時: 17:28 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月03日

 バケツで水浴び

IMGA0035.jpg午後の陽だまりの中、庭先のバケツで赤ちゃんに行水させる若いお母さん。ちょっと逆光で陰になってしまいましたが、親子の顔かたちがよく似ています。髪の分け目につけた赤い粉はシンドゥールと呼ばれる既婚ヒンドゥー女性の印です。

インド西ベンガル州北24ポルゴナ県の農村にて 11月30日撮影




投稿者: 藤岡 日 時: 23:22 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年12月02日

 稲刈りの季節

稲刈り.jpg昨夜インドからダッカへ帰ってきました。

インドの西ベンガル州でも、バングラデシュでも、今は稲刈りの季節。

たわわに実る稲穂と刈り取られた後の田がモザイクになっている光景に、夕陽がさしていたりすると、いいなあ、これぞ黄金のベンガルだよねえ、と思います。

牛.jpg気温も24~25度とだいぶ涼しくなってきて、インド・西ベンガル州の農村では、牛もご覧のようなジュートのコート?を着せられていました。

日本はもうすっかり寒くなって町にジングルベルが流れている頃でしょうか。忘年会なんかもあったりして。

やっと過ごしやすくなってきましたねえ、などと言い合っているダッカでは、どうも師走の実感が湧きません。

でも今年ももうあと1ヶ月もないんですね。

すっきりした気持ちで年が越せるよう、もうひと頑張り。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:12 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
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