さっき事務所からリキシャで帰ってきたんですが、空のリキシャに「おーい!(ベンガル風にいうと「エイ!」)と声をかけようとしたらドライバーがいないんです。ん?と思ったらそばのドブ際にしゃがみこんで用を足していました。ダッカではよくあるパターン、よくみる光景です。
一外国人女性としては、以前から「やだなあもう、この国の男性たちはどうしてこうあたり構わず立ちションならぬ座りション(失礼)をするんだろ」と思っていたのですが、今日、ふと「でもリキシャ・ドライバーの立場になってみれば...たしかにほかにするところないよな」と気がつきました。お店のトイレを借りるわけにもいかないでしょうし。女性には共感しやすいのですが、男性の立場になって考えてみることは実はあまりない、という自分にも気がつきました。
ダッカの町は本当に人が多いです。普通の家々には程度の差はあれトイレがちゃんとついてますし、スラムの中にもNGOがつくったトイレなどがありますが、リキシャ引きや物売りの人たちのように、一日中路上で働いている人たちが使えるような、まともな公衆トイレというのは町中で見たことがありません。
写真=池に面して囲いをつくっただけの地方都市スラムのトイレ
お隣のインドでは、Sulabh(スーラブ)という元々清掃人カーストの人たち(いわゆる不可蝕民とされてきた人たち)の地位向上を目的として始まったインド最大といわれるNGOが、せっせと公衆トイレやスラム内のトイレをつくっていて、ニューデリーにもSulabhがつくったすごく立派な公衆トイレが人の多く集まるところあちこちにありました。ここバングラデシュもバザールの中や駅などにトイレがないことはないんですが、非常にお粗末だし汚い。女性が安心して入れるような公衆トイレはまずないと思ったほうがいい、という状態です。(最近、幹線道路沿いのガソリンスタンドなどにはきれいなトイレのあるところも増えてきてはいますが...。)
シャプラニールは農村部では簡易衛生トイレの普及をずっとやってきています。地方行政や他のNGOも簡易トイレ普及の活動をしているところは多いので、農村部のトイレの普及はかなり進んできたといっていいと思います。かつてはただ穴を掘っただけ、とか、池に張り出した桟橋みたいなものの先に囲いがしてあって、直接池に落ちるような方式になっているトイレを使っている人が、今よりもっともっと多かったのです。(今も少なくはないですが...)
写真=シャプラニールの支援で作られた農村部の簡易トイレ
ただ、普段家のトイレとして使うものとはべつに、出先でどうしても仕方なく用を足さなければならない、という場合、農村で原っぱや畑でする分には逆にまだ許せるのですが、舗装された道路の側溝がそこらじゅうトイレ代わりに使われているダッカの状況はなんとかならないもんかなあ、と思います。
シャプラニールが都市での事業として行っているストリート・チルドレンのための青空学校でも、今年からはじめた使用人として働く少女たちのためのプロジェクトでも、トイレの確保は重要。とくに女の子が安心して使えるトイレ、というのはとても大事です。ストリートチルドレンの青空教室では、バスターミナルを管理しているところと交渉して、トイレを子どもたちのために使わせてもらえるようにしています。トイレとしてだけでなく、トイレの洗面所の水を水浴びに使うようなことも許可してもらっています。
写真=バスターミナルの青空学校。この子たちが使えるトイレがターミナル内にあります。
また、農村パートナー団体のひとつ、STEPがバザール(市場)でものを売る女性たちの支援の一環として、何カ所かのバザールに設置した「女性のための販売コーナー」では、バザール内で女性が使えるトイレ確保もセットにして行いました。
この先シャプラニールが都市部で公衆トイレをがんがんつくるような活動を直接行うことはまずないと思いますが、ストリートチルドレンやリキシャ引き、路上の物売り、セックスワーカーの女性たち、こういった無視されがちな人々の立場や生活の視点から、何が足りないかを把握し、自分たちの活動や都市のインフラ整備に関する日本のODAなどに反映させていくことは、NGOとして重要な仕事だろうと思います。
そのためには「汚いなあ、やだなあ」レベルで留まらず、「自分がこの人みたいに1日中路上にいたらトイレはどうする?」という視点を失くさないようにしないといけませんね。
反省をこめて、今日はトイレの話でした。