ムスリムの「法事」
昨日パートナー団体のPAPRIで、先月爆発事故で亡くなった調理担当のスタッフ2人の追悼宗教行事に参加してきました。亡くなってからほぼ1ヶ月。本来はもう少し前にやるものだったらしいのですが、聖なる月である断食月にしたほうが意義深くなるということで、昨日行うことになったものです。
2人が亡くなったときは本当に辛くて、PAPRIのスタッフたちも相当落ち込んでいましたが、2人のお葬式のあとPAPRIの代表のバセッドが中心となって遺族とも誠意をもって補償の話し合いをし、通常の活動を続ける一方で事故の後処理や追悼行事をひとつずつこなしながら、少しずつ気持ちの上でも立ち直ろうとしています。
PAPRIのナラヤンプール事務所に行くと、中庭に大きなテントが張られ、一面に敷物が敷かれていました。前にモスクのイマーム(宗教指導者)や村の長老や有力者らしき人たち、亡くなったスタッフの男性の遺族がこちらを向いて座り、あとの男性は向き合う形で前を向いて座り、女性たちは横に別に用意された席に座りました。男性たちは金曜日の礼拝のときなどにかぶる白いキャップをかぶり、女性たちはサリーの端やサルワール・カミーズのオロナと呼ばれるスカーフを頭にかぶっています。私もオロナを頭にかぶって女性の席の一番前に座りました。
追悼の行事は夕方4時半すぎから始まりました。参加者は全部で200人ぐらいはいたでしょうか。前の中央に座るイマームの声に合わせ、皆が預言者ムハンマドの名前が入ったお祈りの言葉を節をつけて繰り返し歌うのですが、それは哀調をおびたメロディーで、男性も女性も声を合わせて静かに歌う様はとても厳かで美しいものでした。
数十分ほど歌のようなお祈りが続いたあと、一度立ち上がって皆で祈りを捧げ、その後イマームが「アッラーよ、事故で死んだ二人をあなたのそばに行かせてください」というような顛末を交えたお祈りをし、日も沈みかけた5時半ごろ、全員に紙袋に入れたイフタール(断食明けの簡単な食事)と水が配られました。
5時40分ごろ、アザーンが聞こえると、皆でイフタールを食べ、その後男性だけが中庭で全員西のメッカの方角を向いて祈りを捧げ、追悼集会が終わりました。
集会が終わったあと、PAPRIの代表やマネジャーたちと少し話をしましたが、皆少し肩の荷が下りた感じで、日本でいうと「これで四十九日も終わりましたね...」という雰囲気でした。
ダッカ事務所は去年から今年前半にかけてはスタッフの結婚や出産などおめでた続きだったのですが、9月から10月にかけては、このPAPRIのスタッフの死亡事故があったり、ダッカ事務所のヒンドゥーのプログラム・オフィサーのお父さんが亡くなったり、私の義父が亡くなったりと、なんだか周囲でお葬式続きでした。
辛い時期ではあったのですが、バングラデシュのムスリムやヒンドゥーのお葬式や「法事」について見聞きしたり、日本のお葬式や法事のことをダッカのスタッフに説明したりする中で、興味深い発見もいろいろありました。
辛気臭い話ばかり続くのもなんですが、ヒンドゥーのスタッフに聞いた、彼の出身地の村でのお父さんの葬儀にまつわる話も興味深いものなのでそのうちご紹介します。