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義父を見送って思うこと

まただいぶ間が空いてしまいました。実は私事ですが義父が亡くなりまして、急遽1週間ほど一時帰国しておりました。葬儀を終えて昨日帰ってきたところです。以下、私的なことですが、これも海外駐在員の生活のひとコマ。いつかどなたかの参考になることももしかしたらあるかもしれません。

バングラデシュに駐在が決まったとき、一番心配だったことは、駐在中に身内が亡くなあり、二度と会えなくなることでした。こんなことは20代前半に最初の海外赴任を経験した頃には考えもしなかったことですが、自分も不惑の年齢となると親の世代も年をとってくるわけで、いざというとき間に合うかどうか、というのは切実な問題です。残念ながらその心配は当たってしまい、駐在後間もなく祖母が亡くなり、そして今回は義父と、二度日本へ駆けつける結果となりました。

義父は高知の出身で、船乗りでした。現役時代は神戸の港を拠点としていたので、夫は神戸で生まれ育っていますが、引退してから郷里の高知に戻り、末期がんとわかってからも高知の病院に入院していました。昨年、余命はあと1年ぐらいと言われ、覚悟はしていたのですが、危篤の知らせを受けたときはどうしよう、と思いました。それがちょうど4連休の前の木曜日の晩だったからです。

こちらは金曜日が日本でいうところの日曜日。役所はもちろんあらゆる会社や事務所、旅行代理店も金曜日は休みです。しかも断食月とヒンドゥーのドゥルガー・プジャが重なった連休の週末。知らせを受けた翌日の金曜日、祈る思いで日ごろ世話になっている旅行代理店の社長の携帯に電話をかけ、事情を説明すると、私のために事務所を開けてチケットを取ってくれました。ダッカから日本への直行便はありません。あるのはマレーシア経由、香港経由、シンガポール経由、バンコク経由の4つの便。夜に出る先の二つは金曜日は便がなく、残る2つもほぼ満席で、やっととれた土曜の昼発のバンコク経由のビジネスクラスに飛び乗り、成田から羽田、そして高知へ向かいました。乗り継ぎや待ち合わせの時間があったので、ダッカの自宅から高知の病院まで27時間ぐらいかかりました。

病院に着くと義父はもう瞼を閉じることもできなくなり、酸素マスクをして荒い息をしていました。前夜からその状態だということでした。この義父と私は誕生日が同じで、元気だった頃は土佐の地酒をつぎ合って一緒に酔っ払ったりしたものでした。赴任して最初の年のイード休みに帰ったときはまだ元気だったのに、1年足らずの間にやせ衰えて、すっかり小さくなっていました。

夫が「手を握って声かけてやって」というので、義父の枕元に座り、もう言葉も話せない、瞬きもできない義父の冷たくなりかけた手を握り、少し話しかけたあとはとにかく義父の呼吸に合わせて息をしていました。そうするうちにだんだん義父の手が温かくなり、脈を打っているのが自分の指か義父の指かわからないような瞬間があり、それからだんだん呼吸が間遠になっていき、50分後には亡くなりました。

最期の最期はずっと義父を看病してきた義妹と交代しましたが、義父と呼吸を合わせていたとき、言葉はもう交わすことはできなかったけれど、何かが通じたと私は信じています。私がそう思いたいだけかもしれないけれど。

呼吸を合わせようと咄嗟に思ったのは、昨年、ストリート・チルドレンの支援活動を行うパートナー団体のスタッフのカウンセリング研修のために、バングラデシュにいらした講師の藤崎亜矢子さんが、「意識のない人ともワークはできるんだよ」と話をされたことを覚えていたからです。彼女はプロセス指向心理学という日本ではまだあまり知られていない新しい心理学をアメリカで学び、実践している方で、彼女のカウンセリング研修は、とても実践的で現場ですぐに役立つと参加者にとても喜ばれた研修でした。

その研修はパートナー団体のオポロジェヨ・バングラデシュで、実際に日々ストリート・チルドレンと接するスタッフたちが、子どもたちの心に寄り添い、子どもたちを傷つけずに心を開かせながら支援していくためにどうしたらよいかを学ぶものだったのですが、とくに印象に残った「ワーク」のひとつは、子どもの動きに自分の動きをシンクロさせる、というものでした。子どもが膝を抱えてうずくまっていれば横で一緒にうずくまり、子どもが足をぶらぶらさせていれば、一緒に足をぶらぶらさせてみなさい、というのです。単純なことのようですが、それをしながら相手と心を合わせていくのは繊細な感性が必要なことだと思います。

研修の合間に亜矢子さんから聞いた話には、私が今までの経験の中でなんとなく感じて実践してきたことと通じることがいくつかありました。例えば偶然のようにみえる出来事の意味を考えること。とくに重要な判断に迷ったとき、いくら悩んでもどうにも答えが出ないとき、私はあれこれ考えることを中断して、ただ感覚を研ぎ澄ませて、「サイン」を待つことにしています。それは私にしかわからないことだけれど、どちらに進めばいいか知らせてくれるサインは必ずやってきます。そのサインを受けて、進む方向を納得したらあとはそこで全力を尽くすだけ。その場所を去るべきときがきたら、やはり何かそれを知らせるサインがあるはず。べつに何の宗教の信者でもないのですが、なぜか私はそう信じながら生きています。

身体が動かない人とも、意識のない人とも、ワークはできる、通じ合うことはできる。そのことを亜矢子さんから聞いたとき、本当にそうなら大きな救いだと思いました。

思いもかけず、思いもよらない場所で、それを実践することになりました。亡くなる直前、義父の手が温かく脈打ち、荒かった呼吸がだんだん静かになっていったあの短いけれど凝縮した時間を、私はずっと忘れないでしょう。

私が死ぬときに私を看取ってくれる人は誰になるのかわからないけれど、その人にはただ手を握って静かに呼吸を合わせてほしい。死ぬときそんな風に誰かがそばにいてくれたらいいなあ、と思います。家族に手を握ってもらって看取られて逝く、そんな死に方が出来る人は実はそう多くはないでしょう。また誰かの死に出会って別の経験をしたら違うことを言い出すかもしれませんが、今はそんな風に思っています。

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