シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2006年07月27日

 クビでも笑顔でほっとした

事務所長という職について、もっとも悩ましいことのひとつは、スタッフの人事です。
かつて地域活動センターと呼ばれていた村のフィールド事務所が今は全て現地NGOとして独立し、ダッカ事務所はベンガル人スタッフ12人、日本人2人の小さな事務所になりましたが、それでも日本ではひとりの部下さえ持ったことのない私が、それぞれに生活がかかっているスタッフたちの人事考課をして給与を決め、新しい人を雇ったり問題ある人は解雇したり、というのは、なかなか難しい仕事です、正直。

私の前の前、筒井現事務局次長がダッカ事務所長だった時代は、今はPAPRI、STEP、COLIとして独立している地域事務所がすべてシャプラニールの「直営」だったので、120人ほどもスタッフがいて、その人事考課と給与の決定もすべてダッカ事務所長がやっていたのです。白幡前所長の時代でも昨年のCOLI独立前は、まだ60数名のフィールドスタッフがいました。全員の仕事ぶりをちゃんと把握して給与も決めていたわけです。

なんでそんなことができたんだろ。気が遠くなります。今、3団体にいるフィールドスタッフ全員の顔と名前を覚えるだけでも大変なのに。二人とも駐在2回目のベテランだったからこそできたんだろうなあ...。
いやいや、でも、もっと前にたどっていけば20代で所長をやってた人もいたんだよな。よくやってたもんだよなあ...。

で、なんでこんなことを言い出したかというと、ダッカ事務所のある女性スタッフに今月いっぱいで辞めてもらったのです。3年の契約期間はまだあと1年残っていたけれど、半年以上前から悩んだ末の決断でした。彼女にどんな問題があったかはここでは書きませんが、シャプラニールダッカ事務所としてよりよい仕事をするためには、辞めてもらったほうがよい、という最終判断でした。ひとり事故を起こしたドライバーも辞めてもらったから、私が来てからの解雇は2人目になります。

ひと月ほど前、英文のレターを示しつつベンガル語で解雇通告をし、泣かれました。でもこの1ヵ月、彼女にはいろいろな就職先情報を提供し、別天地でがんばってもらうよう、それなりにサポートはしたつもり。

その甲斐あってか、まあ本人の努力と運なんでしょうけど、これまでプログラム・アシスタントだった彼女が、2日前にあるバングラデシュのNGOで、スーパーバイザーと名のつくポストに採用が決まったのです。本人相当うれしかったようで、また一度はどん底に落ちた自信も回復したようで、満面の笑顔。よかったね。

そういうわけで、こちらも晴れて笑顔で彼女を送り出せることになりました。
明日から私はインド出張。彼女の勤務日に会うのは今日が最後になるため、老婆心でいろいろと言い渡しました。

1.次の職場の試用期間中、絶対遅刻をしないこと。
2.最初の印象が肝心なので、もてる力の100%を出して努力すること。
3.組織によって習慣も違うかもしれないので、注意深くその組織のルールに合わせること。
4.自分の考えをしっかり持つのも大事だが、まず人の話をよく聞くこと。

これまでシャプラニールを辞めたスタッフたちは、皆それなりに悪くない職をみつけているようです。私がクビにした彼女も、もしかしたら次の職場で「大化け」し、立派なスーパーバイザーになるかもしれません。あら、シャプラニールは人を見る目がなかったのね、ということにもしなったら、それはそれでいいし、嬉しいことだと思います。この転職を機に開花してくれるなら、私の決断は彼女の役に立ったということでしょうし。でもここに居続けてもらってももうこれ以上伸ばすことはできない、考えに考えた末、そう思ったのだから。

私もかつてしょーもない新入社員だったなあ...と恥ずかしく思い出します。本当に穴があったら入りたいぐらい恥ずかしい思い出がいろいろ。そのときは企業の社員でしたけど、自分の能力のなさ、常識のなさを棚にあげて同期と飲んでは会社の文句ばっかり言っていました。今となって思えばなかなかいい会社だったのに。

当時はバブル真っ盛り。会社を1年で辞めても、第二新卒などと言われてもてはやされ、再就職には困らなかった時代です。私が1年足らずでその会社を辞めたときには、「きみに今までかけたお金を返してもらいたいよ」と人事課長に言われたっけ。とほほ、すみません。新入社員への研修にどれだけのエネルギーと経費と会社の思いがかかっていたか、今となって痛いほどわかります。

ダッカ事務所には最近採用したばかりのべつの若い女性スタッフもいます。彼女をこれからどれだけの人材に育てられるか。まだ本当に若葉マークだけど、意欲ある彼女は伸びそう。次の所長に交代するときには、頼もしいスタッフに成長していてほしいものです。

こちらも「あんな人の元じゃ私は伸びないワ」と思われないように、がんばらないとね。




投稿者: 藤岡 日 時: 20:44 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
2006年07月27日

 羊って泳ぐの?

今日は朝出勤するなり、9時5分から停電。事務所には自家発電機はないので、停電すると蛍光灯はつくけれど、エアコンはもちろんコンピューターも、内線電話も使えません。ベンガル人のスタッフは、停電するとコンピューターが使えないからと、受付の前でダベったりしがち。「停電しててもできる仕事はあるはず。書類を片付けたり、資料を読んだり、停電したときにする仕事を日ごろから考えて時間を無駄にしないようにしなさい」と常々言っている私なのですが、朝一番に停電して1時間電気が来ないとなるとさすがになんだかがっくりするものがあり、スタッフたちと四方山話をしていました。

そこで何がきっかけだったか忘れましたが、山羊と羊の話になりました。前にもここにちょっと書きましたが、山羊と羊、似てるようで性癖がちょっと違うんですよね。その「違い」について聞いていたら、また面白い話がありました。羊は水に強い!というのです。洪水が来たとき、山羊はわりとすぐ病気になったりして死んでしまうそうなのですが、羊は洪水になっても泳ぐ!というのです。

羊が泳いでるところなんて見たことあります?泳ぐというのはちょっと眉唾なんじゃないかと思うんですが、羊が丈夫で病気になりにくい、というのは本当なようです。だったら山羊より羊を飼う人がもっと増えてもよさそうなものですが、羊の肉のあのちょっと独特な匂いは、ベンガル人の中にもあまり好きじゃない人が多いらしく、やはり食肉としては山羊のほうが人気があります。

山羊肉は日本ではあまり食べる機会がないかと思いますが、バングラデシュではとてもポピュラー。確かにクセがなくて食べやすく、ビリヤニという混ぜご飯などに入っているととても美味しいです。

一度羊が泳いでるところを見てみたいもの。万一また洪水になって緊急救援活動をすることになったら、泳いでいる羊を探してみましょう。幸い、今年は洪水はなさそうですけど。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:38 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月24日

 デング熱もコワイ

前回狂犬病のことを書きましたが、ついでなので感染症シリーズ。シャプラニールのスタディツアーも来月に控えてますし、べつにこれからバングラデシュにみえる方を脅かすつもりはないんですが、知っておいて損はないですしね。

先週金曜日の朝、新聞を広げたら、青年が血走った目であっかんべーをしている写真が。

デング熱急増中.jpg

ふつーこんな写真一面に載せるか?!...と思わず笑ってしまったのですが、実は笑い事ではなく、ダッカ市内でデング熱が増えている、という記事なのでした。デング熱にかかるとこんな風に目の白目のところが激しく充血しちゃったりするんですね。

手元の「アジア旅行者のための感染症対策」(連合出版 写真下)によると、デングの語源については諸説あって、一般的にはスワヒリ語で「悪魔によって突然生じるてんかん様発作」を意味するdengaや、スペイン語で「固くこわばった脊椎痛」を意味するdengueroという言葉から来ているといわれるそうです。(デングエロ、って言葉なんか使いたくなっちゃいますね。背中がデングエロで辛いのよ、とかね。)

アジア旅行者のための感染症対策.jpg


デング熱はネッタイシマカという蚊を媒介として感染する病気です。この蚊は昼間活動するので夜寝るときに蚊帳を吊るだけじゃ予防は不十分だそう。日中蚊に刺されないことが大事なんですね。

シャプラニールの過去の駐在員とその家族も私が知ってるだけで4人かかっています。ダッカ事務所スタッフのポリモールも日本にキャラバンに行く直前にかかったそうだし...。しかも一度かかったらもうあとは大丈夫委、というものでもないらしく、型が4種類あって全部違うので、別々にかかれば4回かかることもありうる、とか。嫌だわー。症状は40度前後の高熱が出て背中や関節が痛くなり、それから発疹や紅斑が出るとのこと。普通1週間ぐらいで治るそうですが、なんか消耗してヨロヨロになりそうですね。

これからツアーにみえる方がこれを読んだら「ええっ、そんなコワイ病気が流行ってるなら行くのを止めたほうがいいですか?!」と言われてしまいそうですが、ちゃんと虫除けスプレーをしてなるべく肌を露出しないように気をつけていれば大丈夫です。住んでる人はともかく、1週間ぐらいの旅行で来た人がデング熱にかかったという話はあまり聞きません。このところバズーカ砲みたいな大げさな道具を持った人が、町中巡って側溝に殺虫剤を撒いていますしね。

でも、中にはすごく蚊に愛されてしまうタイプの人もいるかもしれないので、念のため注意はしてください。私もすごく刺されるほうです。きっとこっちに来てから、通算千回は刺されてるに違いない。(1年365日、1日平均3回刺されたら...千回超えますよね。)でも、今のところ大丈夫です。バングラデシュに来てからまだ1回も熱も出してないし寝込んでもいないのがちょっと自慢。(なんてタカを括ってると危ないかも。気をつけねば...)

先ほどご紹介した「アジア旅行者のための感染症対策」、11人の専門のお医者さんの分担による執筆で、わかりやすくてお勧めです。予防接種や感染症情報の入手先も巻末資料に出ています。これからアジアを旅行される方や駐在される方は、ぜひ渡航前に買って読まれるとよいかと思います。お値段は1500円+税。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:46 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)

2006年07月22日

 狂犬病の恐怖

私が事務所で仔犬のときから可愛がっていた茶と白の犬、タイガーはある日門の隙間から出て行ってしまったきり、未だに戻ってきません。誰かが連れて行ったのでは、という疑惑については前にも書きましたが、なんとなく最近事務所の近辺の犬が少なくなったような気がして、もしや当局による野犬狩りが行われているのでは...という気がしていました。

そうしたら今朝のDaily Starで、「ジャハンギールナガル大学で58匹の犬を殺処分」という記事を発見。ダッカ市当局が狂犬病や皮膚病など犬の病気を蔓延させないため、この大学構内にいた犬58匹を殺したそうなのですが、その大半は学生たちがペットとして構内で飼っていた犬で、飼い主の多くはこの大量の犬殺処分のことを事前に知らなかったため抗議している、というニュースです。(ひとつの大学の構内に58匹も犬がいたというのも驚きですが...)

やっぱり...野犬狩りが行われてるんだ。バングラデシュでは犬を飼うといっても鎖につないだりする人はほとんどいないし、首輪もしていない場合が多く、飼い犬なのか野良犬なのかは飼い主が見なければわからないような状況。かくいうわが事務所でも、タイガーはなるべく外に出さないよう目配りしていたものの、首輪もせず逃げだしてしまったので、ハタから見たら野良犬かどうかの区別はつきません。野犬狩りにやられてしまったんだろうか...。あの子はちゃんといろんな病気の予防注射も2回していたのに。せめて首輪をつけておくべきだったと思っても後悔先に立たず...。

事前連絡もなく飼い犬を殺された学生には深く同情しますが、当局にも言い分があるのはわかります。
なぜならバングラデシュではまだまだ狂犬病が現実問題としてあり、正確な統計はないものの、少し前の日本獣医師会のレポートによると、毎年約二千人が狂犬病で命を落としていると推定されるそうなのです。

実はわが事務所でも先週ちょっと怖いことがありました。私が数日留守にしていたときのこと。タイガーとよく似た犬が門の近くに現れたため、事務所のガードマンがタイガーの名を呼びながら手をだしたところ、いきなり足に噛み付き、その犬は立て続けに隣の家のガードマンなど計3人を噛んだというのです。

その犬が狂犬病だったかどうかはわかりませんが、その状況を見ていた人たちは「あの犬はパゴル(狂っている)だった」といいます。犬は即殺処分され(誰がどうやって殺したのかはわかりません)、ガードマンはすぐ病院に行き注射を受けました。狂犬病にかかった犬に噛まれた場合、発病を防ぐためには当日を含め最低5回の注射を受けなければなりません。ひとたび発病したら治す方法はなく、100%死に至る、とても怖い病気です。


問題はそのときもう一匹の事務所の犬、ジェリーもその犬に噛まれたらしいのです。事務所のスタッフたちは万一の場合を恐れて、ジェリーを事務所から追い出しました。私が戻ってきたとき、ジェリーが門の外でさびしそうにしているのを1度見かけましたが、それから姿がみえなくなり、どうしたのかと思っていたらトゥトゥールからこの出来事を知らされたのです。

トゥトゥールは子どもの頃、村で狂犬病で死んだ人を見たことがあるといいます。その人は犬に噛まれても何もせず放っていたら発病し、水が飲めなくなったそうです。トゥトゥールは「その人は『水を飲むと脳みそに犬の子どもが入っちゃう』と言って飲めなくなった」と言うのです。狂犬病を発病すると液体を飲むと痙攣を起こすようになり、水が怖くて飲めなくなるため「恐水病」とも呼ばれるそうです。「犬の子どもが脳みそに入っちゃう」という意味不明な表現に、まさしくその病気にかかった人のリアリティを感じてとても怖くなりました。

哀れなジェリー。犬の場合、狂犬病の潜伏期間は平均1ヶ月ですが、犬によって1週間から1年とバラつきがあり、発病しない間は狂犬病をうつされているかどうか、検査してもなかなかわからないらしいのです。ジェリーを探し出して獣医に連れて行きたいと思ったけれど、どこにいるかわからないし、みつけたとしてもリスクがあります。前に予防注射してからだいぶ時間がたっていたし、噛んだ犬が狂犬病でなかったとは言い切れません。

こうしてわが事務所に2匹いた犬は両方いなくなってしまいました。とても寂しいけれど、私がいけなかった。管理責任がなってなかった。狂犬病についての認識が甘すぎた。ここは日本ではないのに...と落ちこんでいます。

日本では狂犬病は1956年以来発生していないそうです(例外は1970年にネパールで狂犬病の犬に噛まれた青年が帰国後死亡)。もう50年たつわけで、日本人にとって狂犬病の怖さは遠いものになっています。

私にしても狂犬病がこの国にあると聞いても、そんなの実際はめったにないことだろう、きっとどこか遠くの村でたまにある程度で、自分の周りは大丈夫、とのほほんとしていた面があります。でも年に数千人が死んでいるとしたら、ダッカの住宅地にだって狂犬がいてもおかしくない。そのことをやっと実感として認識しました。

これからもしここで犬を飼うなら、仔犬のうちから飼い、毎年予防注射をし、首輪をし、他の犬と接触させないことを徹底しなければいけません。

でも当面犬を飼う気にはならないでしょう。リキシャで通勤する道すがら、タイガーやジェリーの姿を探す癖はしばらく抜けそうにありません。





投稿者: 藤岡 日 時: 15:47 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月21日

 携帯電話を止めてくれ

ここ数日、自宅のインターネットの調子が悪くて困っています。つながったり、つながらなかったり。今やっとつながったので、このブログを書いている次第ですが、書いてる途中でまたダメになるかも...。こんなんじゃ写真のアップなんてできないし、事務所に持ってってアップするしかないかなあ。インターネットがつながらなくなると、なんだか部屋の窓を塞がれたような気分になります。つまりずいぶんインターネットに依存している、ということでしょうけど。

水曜の夕方から木曜にかけて、一泊でマイメンシン県イショルゴンジ郡のパートナー団体、COLIとの四半期ミーティングのため出張に行ってきました。シャプラニールの各パートナー団体は月次の報告のほか、四半期ごとに活動報告を出してもらい、それに基づいてシャプラニールダッカ事務所とパートナー団体双方のマネジメントでミーティグをすることになっています。

正直、今回のミーティングの内容はあまりこちらの満足のいくものではありませんでした。まあ、年度の最初の第一四半期で、しかもいまは雨季のため、まだそれほど活動が進んでいない、というのも理由としてはあるのですが、どうでもいい話に時間がかかり、本当に聞きたい話が出てこない、というもどかしさ。イライラしても始まらないですが、こういうときはなんだかどっと疲れます。

しかし、このミーティングの最初にCOLIの代表のヌルル・イスラムが、「COLIスタッフは全員携帯電話をオフにするように」とはっきり言ったことには、気分がすかっとしたのでした。

バングラデシュでも携帯電話は急速に普及し、ダッカ事務所のスタッフも、農村部で活動するパートナー団体のスタッフも9割がた携帯電話をもっているといっていい状況です。固定の電話を新たに引くのがほぼ不可能というほど困難なこともあって、自宅に電話はないけど携帯電話を使っている、という人がどんどん増えています。携帯電話を扱う企業の最大手はグラミン・フォーン。マイクロ・クレジットを最初に始めたことで有名なグラミン・バンクの系列企業です。ほかにもバングラ・リンク、アクテル、シティ・セルといった会社が凌ぎを削っており、利用者の増加に伴い、各社が一斉に番号の桁数をひとつ増やしたのも記憶に新しいところです。

携帯電話が広まるのはいいのですが、閉口するのは会議やセミナーなどでのマナーの悪さ。とくに大きな会場の場合、スピーカーが話し始めた途端にどこかで誰かの携帯が鳴り、慌てて止めるかと思いきや、電話に向かって大きな声で話し始める、といった光景は日常茶飯事。そういう人はいくら睨んでも効果なし。会議中に携帯が鳴るのは本当に気が散って嫌なものなので、ダッカ事務所の会議でも、私自身も含めそこをちゃんとしなきゃな、と思っていたところでした。

出張から帰って夜何気なくTVをBBCに合わせたら、国連の安全保障理事会の緊急会合の中継をやっていました。この会合を見ていてびっくりしました。コフィ・アナン総長が「レバノンの被害者のほとんどは一般市民で、その3分の1は子どもである」と深刻な事態についてスピーチしているすぐ後ろで、ピロピロと携帯を鳴らして慌てて止める人がいるではありませんか。その後も気をつけて見ていると、総長のスピーチの間中何度も会議場で携帯が鳴り、なんなんだこれは、と思ってしまいました。

すでにレバノンからシリアへの国境を数十万人が越え、外国人の国外脱出が始まったというこの緊迫した事態。この件について話し合うためにこの会議場に集まった人たちにとって、この会合に集中するより大事なことなんてあるのかしら。それとも会議中に携帯電話で緊急連絡が入り、すぐに重要な判断をして伝えなければならない、という人が何人もいるんだろうか。それでもせめてマナーモードにできないものなの?

携帯電話のピロピロした音はやっぱりとっても気が散る。総長のスピーチから携帯マナーのことに注意が移ってしまっている自分をみて、そのことがよくわかった夜でした。




投稿者: 藤岡 日 時: 21:00 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月18日

 普通のイスラム教徒の視点

私が自宅で購読している新聞は、今のところ英字紙のDaily Star一紙です。事務所ではベンガル語の新聞も購読していますが、なかなか読み込めるだけの語学力がなく、たまに見出しを見るぐらい。英字紙一紙では得られる視点にも限界があるとは思いますが、それでも時々「そうか、イスラム教徒はこんな風に感じるのか」と気づかされたり、考えさせられることがあります。

例えばワールドカップの決勝戦でのジダンの衝撃の退場劇。いったい何があったのか、日本でも報道は続いていると思いますが、バングラデシュではよりジダンに同情的な人が多いように思います。今朝のDaily Starの投書欄にも「なぜジダンだけが?」というタイトルの下に、ジダンに同情するバングラデシュ人読者3人の投書が載っており、そのうち2人が、アルジェリア出身でイスラム教徒のジダンが、マテラッツィに「テロリスト売春婦の子ども」と呼ばれて怒った、という説を前提にしてジダンに同情を寄せていました。ジダン本人はこの説を否定した、という記事も一方で載っていましたけれど。

これを読んで思ったことが2つあります。ひとつは、ごく普通の平和を愛するイスラム教徒にとって、非イスラム教徒からテロリスト呼ばわりされるのはどれだけ腹立たしいことか、ということ。あともうひとつは、たとえこの「テロリスト呼ばわり」が事実だったとしても、ジダンが聡明な人であれば、けっして表立って肯定はしないだろう、ということです。あれだけの有名人で世界中に多くのファンをもち、自らイスラム教徒であるジダンがもしこの説を肯定してしまったら、どれだけの反響があるか、世界のどれだけのイスラム教徒が感情を害し、マテラッツィやイタリア、もしくはカトリック教徒に対して怒りをもつか、ジダン自身がよくわかっているだろうと思うからです。

それから現在の中東情勢。イスラエルの攻撃によりパレスチナやレバノンの一般市民が亡くなっているというニュースはDaily Starでも毎日一面で報道され、社説もイスラエルへの憤りを露わにしています。もちろんヒズボラのイスラエルへのロケット弾攻撃で死者が出たことも書かれていますが、よりフォーカスされているのはパレスチナやレバノンの一般市民の被害のこと。新聞によれば、レバノンのホテルやレストラン、建設現場などで働いているバングラデシュ人は1万人以上いるとのこと。中東のイスラム国へ出稼ぎに行く人が多いバングラデシュでは、レバノンもパレスチナも日本人が感じるよりずっとずっと感覚的に近い国なのだろうと思います。

そしてこれも今朝の新聞の社説のページ。小泉首相の中東訪問について、Daily Star紙のコラムニスト、Monzrul Huq氏が書いた記事に目が留まりました。私にとって印象的だったのは、氏が記事の冒頭で小泉首相がエルサレムの「嘆きの壁」を見学したことにかなりこだわっており、このことを首相の中東訪問のひとつの象徴のように見ていたことです。Huq氏は言います。エルサレムはメッカ、メディナに次ぐムスリムにとっての第三の聖地。そこに建設された「嘆きの壁」は、ユダヤ教徒がかつてそこにあった神殿の破壊を嘆き、その地を取り戻すことを誓ったという場所。イスラエルが攻撃を続け、パレスチナの人々がすぐ近くで嘆き悲しんでいる真っ最中に、この問題を生み出した張本人の人々が2千年以上前に嘆いた場所を日本の首相がわざわざ訪ねるというのはいかがなものか、と。
 
この見方自体偏っている、と思われる方もあるかもしれません。私も小泉首相が限られた時間の中で「嘆きの壁」を訪れたことにどんな意図があったのか、あるいはなかったのか、わかりませんのでそのこと自体にはなんとも言えませんが、ここで気にかかっているのは「この状況の中で日本の首相が嘆きの壁を見学することを世界のイスラム教徒はどんな目で見ているか」ということです。
 
日本にいると、パレスチナもイスラエルも正直なところ「遠い外国」と感じてしまいます。しかし、エルサレムはパレスチナ人にとってだけでなく、すべてのイスラム教徒にとっての聖地です。そこにユダヤ教徒が築いた「嘆きの壁」はイスラム教徒にとってどんな意味を持つものなのか、あらためて考えさせられました。

手元のイスラーム辞典(岩波書店)によれば、エルサレムは最初のキブラ(礼拝の方向)だったとのこと。西暦624年に啓示を受けたムハンマドがメッカに変更するまで、預言者ムハンマドや他のイスラム教徒はエルサレムの方を向いてお祈りしていたそうです。基本的なことなのでしょうが、私は今日辞典をひくまで知りませんでした。

この聖地をめぐってどれだけの血が流され、これからさらにどれだけの命が失われるのか、先行きの見えなさに暗い気持ちになります。この問題に対して、私は日本にいても、バングラデシュにいても、新聞やテレビでニュースを追うことしかできていませんが、せめてバングラデシュにいる間は、「普通のイスラム教徒の人々の視点」をいつも意識しながらニュースを追っていきたいと思っています。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:10 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月16日

 トゥトゥール父になる

先週カトマンズ事務所スタッフのスリジャナさんも女の子を出産したとのことですが、わが事務所の若き雑用係くん、トゥトゥールもおととい女の子のお父さんになりました。仔犬や仔鳩も可愛がる世話好きなトゥトゥール。自分の子どもが生まれてどんなにかうれしいことでしょう。顔がとろけてます。

前々ダッカ事務所長だった筒井現事務局次長が、当時ダッカ事務所に出入りしていたコピー屋から引き抜いた「笑顔がよくて働き者」のトゥトゥール。コピーと製本は誰よりうまくて早いし、FAXやプリンターに差し込む紙をさばく仕草もプロっぽいよね。わたしも来てすぐの頃、ベンガル語もろくにしゃべれず事務所の2階に住んでたころは、ずいぶんきみの世話になりました。ついこの間まで、ほんとに少年ぽくて、「うちの少年」なんて呼んだりしてたのが、もうお父さんだものね。そういえばこの1年でだいぶ顔つきが変わったね。

お給料少ないし物入りなときにもかかわらず、今日は事務所のみんなにお祝い(日本流に言えば内祝いか)のお菓子をふるまってくれたトゥトゥール。結婚して子どももできて、これからが正念場だね。みんなに「トゥトゥール!トゥトゥール!」と呼ばれては「ジー!!」って答えて走り回ってるけど、いつまでも「雑用係の少年」じゃいられないのだし、これからきみ自身のステップアップをどうしていくか考えないといけないね。

それにしてもこの事務所のスタッフの子どもは女の子が多いなあ。みんな集まったら壮観だね。そのうち一度やってみようかしら。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:58 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月12日

 海外移住への憧れ

先日、ダッカ事務所のあるスタッフが、なんだか珍しくはしゃいでいました。何かと思ったら、「アパ、アメリカ移住の抽選に当たったんですよ」と言うんです。びっくりしました。彼は比較的おとなしい方で英語もそんなにペラペラではないし、アメリカ移住を考えているようなタイプには見えなかったからです。

「え、じゃアメリカ行っちゃうの?」「いやいや、アパ。これよく読んでみてよ。」
というので彼が受け取った手紙を見てみたら、「…しかしこれはあなたや家族がアメリカ居住ビザが取れることを保障するものではありません」と書いてありました。・・・ってつまり、どういうこと?

未だに私はよくわかっていないんですが、どうも彼はグリーンカード取得の最初の抽選に当たった、ということで、これから本気で手続きして、運よく行けることになったとしても、それは2年も3年も先のことらしい。それもどうなるかまったく見通しはなし。まだ雲をつかむような話。だからこそ一応上司である私に平気で、「アパ見てよー、当たったんだよー」と言えるわけですね。

うーん、それにしても彼はアメリカに行ってどんな仕事をする気で申し込んだのかなあ。
どうしてアメリカに行こうと思ったんだろう。
去年二人目の女の子が生まれたばかりだし、教育のことを考えたんだろうか。

彼に限らず、バングラデシュからアメリカやカナダへの移住を志す人、実際に移住する人はかなりの数に上るようです(今数字が手元になくてすみませんが)。本格的に移住する人は一部としても、留学や出稼ぎのために海外へ行くバングラデシュ人は相当な数だと思われます。空港ではよくドバイやサウジアラビアへ出稼ぎに行く男達の集団を目にします。留学の場合、優秀な学生はそのまま帰ってこないケースも多いそう。頭脳流出ですね。

しかし、ジェトロのダッカ事務所が翻訳したバングラデシュ政府の2005-2006年予算教書演説には、こんなことが書いてありました。
「海外在住のバングラデシュ人が所得を送金しそれを投資することによって母国の経済に多大な貢献を果たしています。海外在住バングラデシュ人の本国送金は年々増加する一方で今年は38億米ドルに達します。これは合計輸出収入の約47%に及びます。また海外で働くに当たって勤勉、効率的、正直であることによって国のイメージも確立しています。」

海外在住バングラデシュ人からの送金額が、合計輸出収入の約半分!これでは誰かが冗談で言っていた、「バングラデシュの輸出品のトップはバングラデシュ人」というのもあながち嘘ではないですね。先日私達の活動地、マイメンシン県のイショルゴンジ郡の田舎然とした村にもパキスタンの出稼ぎに15年も行っていたという人がいるぐらいだし。わがダッカ事務所のドライバーにもかつて中東でコックをしてた人がいますしね。優秀な人が海外へ行ったきり帰ってこないのも、頭脳流出というより、海外で成功してたくさん稼いで、それを送金してくれることによる貢献、のほうがこの教書演説ではクローズアップされているみたいです。

しかし、本当に優秀な人がどんどん海外に出続けてしまったら、いくら外貨を稼いで送金してくれるとはいえ、国はなかなかよくならないんじゃないかしら。優秀な医者も科学者もビジネスマンもこぞって海外に行ってしまうとしたら....。

海外在住バングラデシュ人。今どんな国にどれぐらいいるのか。その人たちは何を考えているのか。これも気になるテーマです。在日バングラデシュ人の人は今は何人ぐらいでしょうかね。

もうちょっと詳しいことを調べたらまたご報告しますね。





投稿者: 藤岡 日 時: 23:18 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2006年07月07日

 偶然は偶然じゃない

身の回りで日々起きることの中に、時々あれ?と思うような偶然、ってありますよね。
ワタクシ気づけば40年生きてきたことになりますが、最近、偶然のように見えることが、実は偶然じゃない、何か意味がある、ということを感じるようになってきました。べつに私は信じてる宗教もないし、オカルト的な興味があるわけでもないんですけど。

あれは5年ほど前、3年間暮らしたインドのデリーから帰国する日、私は帰国際忙しかったせいでちょっと気分がハイになっていたのかもしれませんが、インドを離れることが名残惜しくて空港で大泣きしました。

飛行機に乗って成田に着き、電車を乗り継いで帰ってくる途中、乗っていた電車が2回も人身事故で止まり、ああ、日本に帰ってきたんだなあ、と思いました。インドで別れた人たちを思い出しつつ、うとうとしてふと目を上げたら、隣にインド人らしき男の人が座っています。思わず、英語で「あなたはインド人ですか?」と尋ねると、にこにこと「そうだよ」と言います。「私はたった今デリーから帰ってきたんだよ」というと彼も、「ぼくのふるさとはデリーだよ」と。そうして話をしていたら共通の知り合いもいたりしてびっくりしたのでした。

そして先日バングラデシュから日本に一時帰国したとき。夜中にダッカを発つ飛行機で、途中で乗り換え成田に着くのは翌日の午後遅くのため、眠い目をこすりながら家の最寄駅を歩いていたら、向こうからちょっと南アジア人らしき風貌の人が携帯電話で話をしながら歩いてきます。

すれ違いざまに聞こえてきた言葉は「ナーナー、アージケ シェーシュ ホエジャベ」
は?「アージケ シェーシュ ホエジャベ(今日終わるよ)?」それベンガル語じゃん。
バングラデシュ人だったのかなあ、今のにいちゃん。

なぜ私は帰国してきたその日に出てきた国の人と地元で出会うのだろう。
きっと何か意味があるんですよね。そうに違いない。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:53 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2006年07月06日

 女性や子どもへの暴力のない社会のために

いま昼休みにこのブログを書いております。ダッカ事務所の昼休みは午後1時から2時。食堂でお昼を食べたあと、以前であれば庭に出てタイガーをかまったりするのがいい気分転換だったのですが、いまだに帰ってきません。悲しい。

さて、今日は都市事業担当のプログラムオフィサー、サイフルと一緒に、BNWLA(Bangladesh National Women's Lawyer's Association)という団体の代表のサルマ・アリさんを訪ねてきました。サルマさん自身もバイタリティ溢れる女性弁護士さん。この団体は代表も女性、メンバーの弁護士さんたちも全員女性で、女性に対する暴力への対応や政府への働きかけ、人身売買された子どもたちの救出などに携わっているパワフルな団体です。

私がバングラデシュに来てすぐの頃、新聞でよくこの団体やサルマさんの名前をみかけました。去年の今頃から数ヶ月にわたって、サウジアラビアでラクダのジョッキーとして働かされていたバングラデシュ人の少年たちが何度かに分けて100人以上帰国してきたのですが、彼らの帰国のために中心になって奔走した団体が、このBNWLAだったのです。

今日BNWLAを訪問した理由は、私たちが新しい現地パートナーNGOのフルキ(Phulki)と今年から始める、使用人として働く少女たちのプロジェクトの中で、少女たちへの法的支援が必要となった場合に、どんな協力が得られるか知りたい、とか、インドとバングラデシュの間の人身売買の問題についてどんな活動をしているのか知りたい、ということのほか、どんな分野にドナーが殺到し、どんな分野が必要なのに手付かずなのか、などについてサルマさんの意見を聞きたかったから。

人身売買の問題は非常に深刻。私たちもコルカタに出張したとき、あるNGOの施設で、バングラデシュから人身売買された少女たち約20名に会っています。彼女たちの帰還にもBNWLAは協力しています。この問題については実は海外の様々なドナーが注目しているようで、サルマさんも「みんな人身売買のことをやりたいっていうのよ。なんか競争みたいになっててうんざり」だそう。しかし、殺到しているのは既に被害にあった女性たちの支援であって、防止のための活動はまだまだ少ないようです。

スラムの少女たち.jpg

私たちがこれから行う使用人として働く少女のための活動も、「被害にあった子どもの救済」よりも、「子どもが被害に遭わないようにするための社会変革」を大目標にやっていきたいと思っているのですが、これはそう簡単な仕事ではありません。新たな悩ましい試行錯誤の始まりかも。 (写真=フルキとともに行った使用人として働く少女たちの調査で。スラムの少女たちに話を聞きました)

でもパートナーのフルキとも調査を行ったり話し合いを重ね、このプロジェクトのためのフルキ側の担当スタッフの顔ぶれも決まって、来週には結団式じゃないけどチームメンバーの最初のミーティングが行われる予定。まずは小規模なパイロットプロジェクトとしてですが、いよいよ都市新プロジェクトの始動!です。

社会の構造を変えていくような仕事はひとつのNGOでできるものじゃありません。既に様々なNGOや機関がそれぞれに努力しています。そんな中でシャプラニールが果たしていくべき役割は何なのか。

動きながら出会いながら時には失敗しながら考える、そのうちにもっとはっきり見えてくるはず。そう信じて進みます。

あら書いてるうちにとうに昼休みは過ぎてしまったわ。仕事に戻りましょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:54 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)
2006年07月06日

 バングラデシュのゴメスさん

日本では北朝鮮のミサイル騒動でワールドカップどころじゃなくなっていそうですね。私も今夜はCNNで関連のニュースを見てました。バングラデシュ国営テレビのニュースでも映像入りで報道されていたので、明日事務所に行ったらスタッフたちが何か言ってきそう。明朝予定されていた小嶋駐在員が登場するはずの「めざましテレビ」のコーナーも、この騒動で1週間延期になってしまったそうで...。

さて、ここしばらくワールドカップ熱に浮かされていたわがダッカ事務所のスタッフたち。大半はブラジルが負けた時点でがっくり。ベンガル語で終わることを「シェーシュ」死んでしまうことを「マラゲセ」(注:バングラデシュ訛り)というのですが、みんな「俺たちはもうシェーシュ」「マラゲセ」などとぼやいており、ちょっと笑っちゃいます。

2人ほど隠れドイツサポーターがいましたが、彼らも昨夜涙を飲んでおしまい。今夜はポルトガルとフランスの対戦ですが、この2つの国のサポーターはバングラデシュにはあまりいない模様。

でも実はバングラデシュにはポルトガル人みたいな名前を持つ人がけっこういるんですよね。それはクリスチャンの人たち。人口の1%にも満たないのですが、NGOで仕事をしている人はクリスチャンの比率が高く、わが事務所にも受付1人、ドライバー2人の3人がクリスチャンです。彼らの名前はゴメスさんとかロザリオさんとか、ポルトガル系の姓をもつ人がほとんど。とくにゴメスさんは多いようで、うちの事務所にもブラジルが負けて「シェーシュ」のゴメスさんが1人います。今日たまたま会ったNGOの研修機関の人もそういえばゴメスさん。

バングラデシュに来てすぐ、ベンガル語を習っていた学校の先生の中にもゴメスさんがいました。なんでゴメスさんなのか聞いたら、彼の出身の村は全員ゴメスさんだそう。ゴメスさんというポルトガル人の商人が、数百年前に村に来て教会をつくりそこにキリスト教を広めたそうで、彼の名前をもらったという話です。

でも、バングラデシュのゴメスさんたち、あんまりポルトガルのサポーターはいないみたいですね。名前のルーツとサッカーのごひいきチームとは関係ないのか...。

数百年前にキリスト教が伝わったバングラデシュのクリスチャンの村の暮らし、というのも興味深いもの。教会はどんななのか、クリスマスはどんな風にお祝いするのかなどぜひ見てみたいものです。

うちの事務所のゴメス氏も「アパ、クリスマスにはうちの村に来て」などと言ってくれるのですが、特定のスタッフの田舎を訪ねてご馳走になったりするのは所長としてはちょっとまずいしなあ。

遊びにいくなら別のゴメスさんの村にしたほうがよさそうですね。せっかくだけど。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:42 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月05日

 ごみ収集者の情報ネットワーク

ダッカ事務所にいる若い方の犬、タイガーがおとといの朝からいなくなってしまいました。車が出入りするちょっとの隙に門の外に出て行ってしまったらしいのですが、しばらくたっても帰って来ず、そこら中探してもみつからないので、「誰かが自分の飼い犬として連れていってしまったのではないか」とスタッフたちは言うのです。  

タイガーは清潔で毛並みもきれいだし、仔犬のときから可愛がって育ててきたから顔も穏やか。私はまだ数日たてば帰ってくるような気がして待っているのだけど、もしかしたら本当に誰かが連れていってしまったのかも...。毎朝私の顔をみると無条件に喜んで飛んできたタイガー。交通事故に遭ったりしていないことを祈るばかり。

顔を曇らせて心配しているのは雑用係のトゥトゥール。「アパ、探してもみつからないから、近所のいろんな人に、もしみつけたら知らせてくれるように頼んできたよ。タイガーは誰かの家の門の中にいて出られないんじゃないかと思う。僕は人の家に入って調べるわけにはいかないから、事務所にゴミ集めに来てくれてる人に、よその家にいるのを見たら教えてくれるように頼んでおいたから。」

なるほど。ゴミ集めの人ならいろんな家に入ってタイガーがいるかどうか見られるもんね。「家政婦は見た」ってTV番組があったけど、ここだと「ゴミ収集者は見た」って番組もできるかも。

ゴミ収集といえば、シャプラニールと現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュが運営しているストリート・チルドレンのための青空学校やドロップ・イン・センターにも、ゴミ集めをしている子、以前していた子がたくさんいます。彼らの場合、住宅地の家々を回ってごみ収集をするのではなくて、大きな袋を持ってあちこち路上を歩き回りながら紙やプラスチック、金属など、リサイクルできそうなものを拾ってお金に換えるわけなのですが、彼ら子どもたちもびっくりするほどいろいろな情報を持っています。

麻薬を売っているのはどこか。買春宿はどのあたりにあってどんな人が出入りしているか。盗品はどんな風に流れてどこで売っているか...などなど、およそ子どもらしくないこともよく知っています。子どもたちは歩き回りながらいろいろなものを見ているし、仲間とも情報交換しているのです。

そういえば先日の夕方、ドロップイン・センターのすぐ近くの交差点で、わずかな隙に事務所の車の左のミラーを盗まれる、という事件がありました。若者がひとり助手席の窓のあたりに近づいてきたので物乞いかと思ったら、あっという間にミラーに飛びついてはがして逃げ去りました。その間わずか数秒。

その時はお客さんも乗せていたので、そのまま行くしかなかったのですが、もしあの時ドロップ・イン・センターに引き返して子どもたちに話したら、教えてくれたかもしれません。「そのミラーはきっと今頃あのへんで売ってるよ」と。

車はトヨタのバン。これ専用のミラーなんてバングラデシュで入手できるのかしら、と思いましたが、その日のうちに部品屋街でぴったりなものがみつかりました。日本で新品を買えば2万円ぐらいするらしいのですが、部品屋で買ったのは2500タカ(約4500円)。うーん、これも盗品じゃないでしょうね?

モノの流れや情報の流れ、私たち外国人がキャッチできる「流れ」なんてごくわずかな限られたものです。自分の属していない「流れ」のことはよくわからないもの。その中にいる人によく聞いてみるしかありません。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:46 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月03日

 山羊の瞳

村の山羊.jpg

バングラデシュの農村の道をバイクで行くと、道の両側で草を食んでいる山羊たちが、驚いてメーメーと駆け出します。小さな仔山羊が、どこへ逃げたらいいかわからずバイクの前を必死で駆けていくことも。
仔山羊はなかなか可愛らしく、子どもたちもよくだっこしたりしています。

従順な羊に比べて山羊はなかなか頑固者らしいですが、放っておいてもその辺の草を自分で食べるので、育てるのにあまり手間がかからず、ショミティでマイクロクレジットのローンを借りた女性たちが最初に取り組む収入向上の手段として「山羊の飼育」は人気があります。

シャプラニールの農村パートナー団体が実施する識字教室修了者のための作文コンテストでも、人気の賞品は山羊。識字教室で学んで初めて字が書けるようになり、作文コンテストに入賞して山羊をもらい、その山羊が次々と産んだ仔山羊を育てて売ったお金で牛を買いました!といったサクセス・ストーリーも時々。

DSCF0020.jpg

さて、この山羊の瞳。明るいときよく見ると、横一文字の不思議な眼です。暗いところでは丸くなるようなのですが、明るいところで正面から見ると、目と目が離れていることもあってどうにも間抜けなお顔。

先日イショルゴンジ2の事務所の敷地に入ってきた仔山羊の顔を、前から撮ろうと思って追いかけ回していたら事務所の入り口横に茄子などを植えている小さな畑のネットに引っかかってしまいました。
顔が陰になっていまいち見にくいですが、向かって左の瞳を見てください。横に太い黒い一本線を引いたような目ですよね?

横から見た山羊.jpg

こちらは横から見た山羊。瞳の形が横長の長方形みたいな感じです。うーん、ちょっと寄りが甘いですね。もっとドアップに撮るんだった。

山羊の目がこんな形をしているのは、明るいときに瞳孔を細めても、広い視界を確保するためだとか。広角レンズみたいな目なんですかね。でも、そのわりにバイクが近づいても慌てて逃げるまでの反応が遅いし、逃げる方向も「なんでこの状況でそっちに逃げるかね?」というピント外れな方向だったりします。
せっかく目は広角になっていても、頭があんまりよくないということなんでしょうね。

おバカかもしれないけどなんとなく親しみを感じる動物、山羊。ときどき見かける身重の山羊はほんとにお腹が地面に着きそうで、足を外股に一歩一歩踏ん張りながら歩いています。山羊のお産はほとんどが日中なんだとか。一度仔山羊が生まれるところを見てみたいな、と思います。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:12 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
2006年07月03日

 村訪問の風景

カメラのバッテリーを忘れて涙...というのは昨日書きましたが、坂口事務局長のカメラを借りて私が撮った写真のデータをもらったので、今回坂口・白幡の二人と行ってきたイショルゴンジの村(およびこの二人)の様子を写真でちょいとご紹介します。

白幡&坂口.jpg

【←写真左】今回出張してきた二人。左が白幡前ダッカ事務所長、右が坂口事務局長。時々、今回のようにプロジェクトの進捗状況などを見に東京事務所からやってきます。私と交代で帰国した白幡前所長は駐在経験2回、最初にバングラデシュに赴任してきたのは10年前なので、この間の変化について聞くと、なるほど...というような話がいろいろ出てきます。坂口事務局長も最初にバングラデシュに足を踏み入れたのは15年前??

二人が腰を降ろしているこの茶店は、きのうのブログに書いた「ワールドカップに備えてバッテリー充電中」のテレビがある茶店です。よーく見ると後ろにビスケットなどを売っているのがわかるはず。


村の子どもたち.jpg

【写真右→】バングラデシュの村に行くとどこでも出会う、子どもたちの凝視の視線。好奇心をまったく隠さず、じーっとみつめてきます。インドネシアなどでは、こちらも見返すと照れ笑いして視線を逸らしたりするんですが、こっちの子は照れることも目を逸らすこともあまりしないんですよね。ベンガル語で「学校ちゃんと行ってるの~?学校で英語習ってるならなんかしゃべってごらん」などと話しかけると初めてちょっと照れたりします。

小さい女の子.jpg

【←写真左】こんな小さい子も、この「凝視の視線」。じーっと何十分でも見ています。ちなみにこの子は女の子。バングラデシュでは女の子もよく上半身裸でブルマーをはいています。女の子でも小さいときは坊主頭が多いのですが、これは白幡職員によれば「頭を清潔に保つため」と「小さいときに髪を剃っていると丈夫できれいな髪の毛が生えてくるため」の2つ理由があるとか。

乾燥ジュートの葉.jpg

【写真右→】この家では庭でジュートの葉を天日に当てて乾燥させていました。これは乾燥させたあと、ビンなどに詰めて蓄えておく保存食。水で戻して料理に使うそうです。日本にもあるような「乾物」ですね。畑のジュートはすでにかなり大きく育っておとなの背を超えるような高さ。このジュートの茎を水に浸して腐らせ、繊維を取り出す作業もあちこちで始まっていました。

坂口・白幡、村の中で.jpg

【←写真左】村人に話を聞きながら家々を回っていると、あっという間に人だかり。この日話を聞いた村人の中には、パキスタンの被服工場に15年間出稼ぎに行っていて最近帰ったばかり、という人もいました。

プロジェクト視察と私たち駐在員や現地スタッフとの打ち合わせを終え、今夜はダッカ在住の会員さんたちとの夕食会も盛り上がって、出張者二人は明日はカトマンズに移動です。明日以降は藤崎駐在員のブログに登場するかも?




投稿者: 藤岡 日 時: 01:56 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年07月01日

 村に普及するバッテリー

東京から出張してきた坂口事務局長、白幡前ダッカ事務所長と3人で、ノルシンディ県のパートナー団体PAPRI、マイメンシン県のパートナー団体COLIの活動地を視察して今日ダッカに戻ってきました。

この3日間、雨季のバングラデシュには珍しいほど真っ青な空で猛烈な暑さ。夜の星空は天の川もよく見えて見事なものでした。ナイスな写真をいっぱい撮ってくるはずが、間抜けにもカメラのバッテリーを忘れて全然撮れず。残念...。

村には行くたびにいろいろな発見がありますが、今回マイメンシン県のイショルゴンジで目に付いたことのひとつはバッテリー(車のバッテリーのようなシンプルなもの)が相当普及していること。イショルゴンジはシャプラニールの活動地の中でも最も電気事情が悪いといころで、まだ電気が来ていない村も多いし、来ていても夜はほとんど毎日停電、と言ってもいいぐらいなのですが、そんな中でテレビを見たり音楽のテープを聴いたりするために、家にバッテリーを持っていたり、借りたりしている村人がけっこういるのです。

今日訪問した最貧困層グループメンバーの女性の家にも、家自体は粗末ながら小さな古いラジカセがあって、これまた小さなバッテリーにつながれており、彼女はこれで時々ヒンディー音楽を聴くのよ、と言って実際に私にも聴かせてくれました。

そして今はバングラデシュ中で、男たちはあらゆる手段を使ってワールドカップを懸命に見ています。電線のまったくない村でも、家々にはテレビを見るための手作りアンテナをよく見かけます。立ち寄って話を聞いた茶店にもテレビがしっかり置いてあり、夜のワールドカップに備えてバッテリーを充電中。COLIのスタッフの話では、充電したバッテリーは一晩借りて50タカ(約90円)だそう。なるほどそれなら借りるよね、という料金です。電気の来ていない村の中で、発電機にいくつものバッテリーがつながれ充電されている様子に、前ダッカ事務所長の白幡職員も「こんな情景は初めて見た」とびっくり。

昨夜はバングラデシュで一番人気のアルゼンチンとW杯開催地のドイツが対戦する試合とあって、人々は夕方からそわそわしていました。COLIの事務所でもみんなで試合を見ようと白黒テレビの前で楽しみに待っていたのが、案の定、夜7時から12時まで停電でがっくり。

しかし、ご近所にはばっちりとバッテリーを充電してテレビ観戦を楽しんでいる村人がたくさんいたようで、夜中まであちこちから歓声が聞こえていました。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:59 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)