シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
メールでのお問い合わせ

 

 
 

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2006年06月29日

 朝ごはんのこだわり

本日、東京から坂口事務局長と白幡前ダッカ事務所長が到着。明日から私も同行して数日、村やダッカ市内の活動現場を回ります。

こんな風に年に何度か、東京から出張者が来て、一緒に村に行くのですが、ダッカ事務所や村のパートナー団体の事務所で朝ごはんに何を食べるか?というのが、実はけっこう重要なトピックです。

わがダッカ事務所も、村のパートナー団体の事務所も、基本的に食事はベンガル料理。朝ごはんの選択肢は、ダール豆やターメリックを入れた黄色いベンガル風おかゆ「キチュリ」か、粉を水でこねて丸く広げて焼いた「ルティ」とじゃがいもなどの野菜カレーの組み合わせのどちらかです。

シャプラニール内には大橋代表理事に代表される「キチュリ派」と、藤崎カトマンズ事務所長に代表される「ルティ派」がおり、その中にもこれじゃなくちゃやだ!という強硬派とまあどちらかといえばこっち、というソフト派がいます。私が次のダッカ事務所長になることが内定し、大橋代表と一緒に最初にバングラデシュに来たとき、「藤岡はどっちだ?」と聞かれて、なんのこと??と思ったら朝食の話でした。

今回出張で来た二人は、坂口「できればルティ派」、白幡「どっちもOK、なんでもウェルカムの中立派」というところかな。

ちなみにキチュリはバングラデシュの人たちによると「身体を温める食べ物」とされており、暑い日にキチュリを食べた、などと話すと「えー!こんな日にキチュリを食べるなんて!(論外!)」という答えが返って来ます。最初私はそう言われてもぴんと来なかったのですが、最近だんだん身体がこちらになじんできたせいか、確かにキチュリは寒いときはおいしいけど暑い日はそんなにおいしくないな、と思うようになってきました。だから私は気候によって「ルティ派」になったり「キチュリ派」になったりするカメレオン状態。

ただ暑い季節でも雨が続くと、「キチュリでも食べましょうかね」という雰囲気になり、そういう日は事務所の昼ごはんにもキチュリが出てきます。ほかにも、山羊のビリヤニやジャックフルーツなども、「食べると暑くなる」食べ物だそう。ジャックフルーツはたくさん食べると眠くなる、とも。

水の温度なども皆けっこう気をつかいます。日本人は暑いときにレストランに入ってミネラルウォーターを頼んだら、冷たい水が出てくるのが当たり前、と思ってしまいますが、ここでは「ノーマル?コールド?」などと聞かれます。つまり、常温か冷やしたのか、という意味。あまり冷たいものを飲むのは身体に悪い、という考えがあるようで、あえて「ノーマル」をたのむ人も多いようです。

これはインドでもそうでした。日本企業に入って日本に研修に行った若いインド人女性の友人に、初訪日の感想を聞いたら、「日本人て熱いものを食べて、そのあとすぐ冷たいものを飲んだりするでしょう。あれってびっくり。身体に悪いよ。日本人にインド人より歯がわるい人が多いのは、熱いものと冷たいものを平気でまぜこぜに飲んだり食べたりするからだと思う」と言われ、へー、そんなこと思ってもみなかったな、とびっくりしたことがあります。

そういう彼女はレストランなどで水を飲むとき「ノーマル?コールド?」と聞かれ、コールドをノーマルで割ってくれ、というほど温度にこだわる人でした。さすがアーユルベーダの国の人。

さて、そういうわけで明日からフィールド出張。3日ほどブログは書けませんが、村でまた新しい写真を撮ってきたいと思います。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:33 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2006年06月28日

 山羊と羊

きのうのダッカ事務所の昼ごはんは、いつものおばちゃんが作るカレーではなく、カッチビリヤニ(山羊肉の入った炒めご飯)とミシュティ・ドイ(甘いヨーグルト)とミシュティ(ベンガル風のお菓子)、というご馳走でした。

これは先日ここにも書いた、サイフルの娘さんとトゥトゥールの妹さんのSSC合格祝い。カッチビリヤニはサイフルから、ドイとミシュティはトゥトゥールからのおごりです。
おめでとう!そして来年受験のルフルの妹さんとポリモールの娘さんがんばってねー、などと皆口々に言いながら、ご馳走をいただきました。

山羊たち.jpg

山羊肉の入ったカッチビリヤニは、お祝いやお客さんをもてなすために出すリッチなご馳走。わが事務所でこのビリヤニを買うときは、たいてい近くの「ムスリム・ホテル」か「アンバラ・ホテル」のどちらかで買います。(バングラデシュではレストランの名前に「ホテル」がつくことが多いです)

どちらが美味しいかはスタッフの中でも意見が分かれ、アンバラ派がムスリム派よりやや優勢。ただしアンバラはすごく美味しいときとそうでもないときに少々ムラがあるそうですが...

シャプラニールの事務所と我が家の間にあるタウンホール・マーケットという市場には、毎日夕方になると写真のように何十匹もの山羊がひもでひとくくりにされて、「納品」されてきます。明日の朝には新鮮なお肉になる運命の山羊たち。心細そうに身体をくっつけ合っています。

山羊は私たちの農村のプロジェクト地でもよく飼われていますが、ときどき羊も見かけます。先日ポイラに行ってSTEPの事務所付近を散歩していたときは羊のほうが多く目についたので、一緒に歩いていた女性スタッフのシャティ(ポイラ出身)に「このへんは山羊より羊が多いね。何か理由があるの?」と聞いてみたところ...「そうね、このへんは牛飼ってる家が多いし、牛と一緒に飼うには羊のほうが山羊よりラクだからね」とのこと。
「え?なんで?どう違うの?」「山羊はね、牛と一緒の小屋には入りたがらないし、牛と一緒にいるのはダメなのね。だけど羊は牛と一緒でも大丈夫なの。だから牛と一緒に飼うには羊がラクなわけ。山羊だと牛係と山羊係がべつべつじゃないとダメだから。」

へえーーそうなのか。全然知らなかった...。

今手元にいい写真がなくて残念ですが、山羊と羊、どちらもかなりイカレた感じの目をしています。
今度アップの写真を撮ってお目にかけますね。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:59 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2006年06月26日

 続・布団の話

寝椅子専用布団.jpg

昨日注文した寝椅子専用布団、夕方取りにいったらばっちり完成してました。椅子に敷いたらぴったり!じいちゃん、グーだよグー!!

柄の選択肢があまりなかったので、いかにも敷き布団という感じですが、座ってみると大変快適。ちなみに、バングラデシュの冬用の厚手の掛け布団はほとんどが赤無地なんですが、敷き布団は縦縞(たまにチェックも)が普通で、いくつかの布から選べます。

布団の話ついでに、村に干してあったお布団の写真もご紹介。着古した綿のサリーを重ねて縫い合わせ、キルト状にしたもの。

村のお布団.jpg


何度も水をくぐったサリーは通気性がよくて気持ちよさそう。

こんな風に古い布を重ねて上からステッチを施したもの(カタ)が、今はハンディクラフトとしてシャプラニールも扱っているノクシカタの元祖です。このお布団は色柄ものの古いサリーに白糸で刺し子を施しただけのものですが、白地に様々な色の糸で生命の木や花、船、動物などの模様を刺繍したノクシカタは本当にきれい。母から娘へ、嫁へ、と引き継がれてきた素朴な伝統です。

カタを縫っている女性たちは安らいだ顔をしています。最近、ノクシカタを縫うバングラデシュの女性たちへのインタビューをまとめたブックレット(中森前駐在員の力作!同時にフェアトレードのこともわかる!)も出ましたのでぜひお読みください。

そうそう、昨年「愛・地球博」に出展した巨大タペストリーが、5月下旬から7月上旬まで、フェアトレードキャラバンで全国を回っています。今週は最後の目的地、沖縄へ行くはず...

元々白地が主だったノクシカタですが、今は黒地や赤地のものもあって、ペンケースや壁掛けなどかわいい小物がいろいろあります。(カタログはこちら)見るだけでちょっとほっとする、ベンガルの伝統をお手元にぜひひとつ。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:23 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月25日

 布団屋さん

P1010616.jpg

「どかっとくつろいで本が読める安楽椅子みたいのが欲しいんですよねー」と何かの弾みにダッカ在住会員のIさんご夫妻に話したら、「あ、それならちょうどいいのがあるからあげるよ。最近使ってないし。相当年期入ってるけど」とアンティークな籐の寝椅子をくださいました。Iさん、これ、まさしくこれですよ!私が欲しかったのは!!うれしいっ。

「これに敷くのはスポンジのマットじゃなくて『布団』のほうが断然いいよ」というI夫人のアドバイスに従って、家にあった普通のシングルサイズの布団をはめ込むように敷いてみたのですが、いくらバティックのカバーなど敷いてみても、なんだか居間に介護用ベッドを半分起こしたやつが置いてあるような感じになってしまいました。(写真)

うーん、座り心地はいいけど、ちょっとこれじゃあなあ。やっぱり椅子にぴったりサイズのやや薄めのお布団を作ろう!と今日は仕事から帰るやリキシャに乗って近所の布団屋さんに直行。

サイズを伝え、布を選んで布団を注文しながら、イスラム帽の似合うおじいちゃんの布団屋さんとよもやま話。もう暗くなってしまって写真も暗くて残念ですが、おじいちゃんなかなかいい顔してます。

P1010613.jpg

「いつからここで商売してるんですか?」
「この店はわりと最近だよ。まだ1年ぐらいかな。でもわたしゃ布団屋の商売は67年からやってるよ。」
「67年?それって独立の前ですよね」
「そうだよ。ニューマーケットの中に店があってね。そこでずっと商売してきたのよ。」
「あ、あとずっと聞きたかったことがあるんですけど、バングラデシュの掛け布団てどうしてみんな赤なんですか?」
「そりゃあんた、赤が一番汚れが目立たないからだよ。バングラデシュはホコリが多いし汚れるでしょう。布団は洗えないからね。今はまあ昔よりはずいぶんよくなったけどね。これに白い綿のカバーをかけたらきれいでしょ」
「なるほど...(たしかに垢汚れなんかは青より赤のほうが目立たないかも、と納得)」

「で、いつできます?私のオーダー布団?」
「明日にはできるよ」
「え?1日でできちゃうの?」
「できるさ。夕方とりにおいで」

というわけで、私の特注椅子用布団は明日には仕上がってくる予定です。楽しみ。




投稿者: 藤岡 日 時: 22:39 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月24日

 犬の耳

ダッカ事務所には何度かご紹介したタイガーのほかにジェリーという黒い雄犬がいます。こいつはたぶんもう5歳ぐらいになる犬で、子犬のときに来たらしいのですが、エサ代がかさむことと番犬としてあまり役に立たないことから、ダッカ事務所のスタッフたちによる真剣な会議を経て、一度放り出されたという経験をもっています。

事務所の犬ジェリー.jpg

放り出されたあと、ジェリーは半ノラ化してその辺をうろうろしながら茶店の前でパンのかけらをもらったりして食いつないでいたようです。ダッカ事務所とジェリーの縁は切れかけていました。

ところが、私が最初にバングラデシュに来たとき、前々ダッカ事務所長だった筒井現事務局次長と道を歩いていたら、角を曲がったところにこの犬がいて、筒井氏の顔を見るなり耳をぴっと立てて「あっ!」という顔をしたのです。「あれ、今の犬前うちの事務所にいた犬ちゃうかな」という筒井次長。ジェリーは明らかに「みつけましたよ、おとうさん」という顔をしていたのです。

それから(だと思うのですが)ジェリーは再び事務所に来るようになりました。エサはやらなかったので、あくまでシェルターとしての利用で、日中よれよれと事務所に来ては昼寝している姿をよく見るようになりました。日に日に痩せこけて哀れなので、ついに私はポケットマネーでジェリーにエサをやることにしました。

エサをやるようになってから毛並みもよくなり体格もしっかりしてきたのはよかったのですが、この犬の問題は時々外でケンカをすること。強くもないクセにケンカして、傷をつくって帰ってきます。

先日は耳に大穴を開けて帰ってきました。本当に向こうが見えるような穴なのでぎょっとしました。私は一日事務所でベンガル語をしゃべっていても犬に話しかけるときは日本語になります。「おまえ、どうすんのよ、そんな耳に大穴あけて…。なんで弱いくせにケンカするのよ」と言っても、ポーカーフェイスのジェリーは痛くもなさそうな平然とした顔をしています。

この犬たちを時々洗ってやったりしているトゥトゥールは、「薬つけてやろうかと思うんだけど、タイガーが舐めちゃうんですよねー」というのです。確かに見ていると、若い方のタイガーが、ジェリーの耳の傷を毎日せっせと舐めてやっているのでした。

驚くことに3、4日もしたらジェリーの耳の穴はくっついてきました。あんなに破れかぶれの耳だったのに。犬の耳ってそういうもんなんでしょうか。タイガーがせっせと舐めてやったからか。それともノラ生活を経験したジェリーの生命力でしょうかね。

「人間の耳じゃこうはいかないよねー」と事務所の運転手やガードマンと話しながら、早くこいつに注射を打たなければ、と思うのでした。




投稿者: 藤岡 日 時: 18:10 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月23日

 SSC合格おめでとう

今日はバングラデシュ教育省が年1回実施する中等教育修了資格試験(SSC)の結果発表の日でした。バングラデシュの学校制度は初等教育5年、中等教育が前期3年、中期2年、後期2年の5-3-2-2制。今日結果発表があったSSC(Secondary School Certificate)というのは中期中等教育、つまり10年生までの課程を修了したことを証明するものです。10年生まで学校に行っても、この試験にパスしなければ修了証はもらえません。

結果発表は今日の午後4時。わが事務所にも家族の結果を待ってそわそわしている人が何人かいました。最初に私のところに「発表」に来たのは雑用係のトゥトゥール。「アパ!うちの妹がAマイナスでSSCに合格しました!」「わー、それはよかったね。Aマイナスなんてすごいね」「いや、まあまあです」

SSCは合格・不合格だけでなく、成績によってAプラス、とかBマイナスというようにグレードがつきます。Aマイナスというのはかなりいい成績。まあまあなんて言ってるけど、6人きょうだいの長男としてダッカに出てきた弟・妹たちの親代わりをつとめている彼にとっては相当うれしかったに違いありません。
「おー、トゥトゥール、お菓子の心配はしないでいいぞう~」(バングラデシュではおめでたいことがあった人がお菓子を皆にふるまう習慣があります)と冷やかす上級スタッフの声に、「週明けに持ってきます!」とニカッと笑顔。

次に「うちの娘もAマイナスでした」とちょっと照れくさそうに言ってきたのはプログラムオフィサーのサイフル。彼は娘さんの試験のとき、半休をとって試験会場に付き添っていました。「試験は本人ががんばるしかないけど精神的なサポートぐらいはね」と。試験のときの写真を新聞で見たら、会場の外は付き添いの親でいっぱい。SSCや後期中等教育の修了試験のHSCを子どもが受けるとき、会場まで付き添って応援するのは「心ある親なら当たり前」のことのよう。

テレビの夜のニュース画面ではSSCに受かってはしゃぐ生徒が大騒ぎ。小学校にあがる年は日本と同じ6歳だから、ストレートに進学すればだいたい15~6歳。イェーイとVサインで奇声を上げたり、輪になって踊っていたり、この年頃の子が制服で騒いでいる様子は日本とあまり変わりませんね。

でも、実はここではしゃいでいる子どもたちはバングラデシュではごく恵まれた子たちです。バングラデシュで教育に携わる700以上のNGO(シャプラニールも)がメンバーになっている教育推進キャンペーン団体のCAMPEが今年発表した中等教育についての報告書(Education Watch 2005)によると、バングラデシュの11歳から15歳の子どものうち、なんらかの中等教育を受けている子どもは45%。この中にはマドラサと呼ばれるイスラム宗教学校も含まれます。学齢期児童の就学率は8割程度と見込まれていますが、中学に入るまでにその約半数がドロップアウトしてしまうということです。

さらに中学の1年目にあたる6年生に入った子どものうち、10年生までいくのはその半数。そしてSSCやそれと同等とされるマドラサの中等教育修了試験Dhakilに受かる子は、わずか20%にすぎません。ですから、大雑把に計算すると、この年頃の子どものうち、中等教育を受けて10年生の修了試験にまで受かる子は約9%。10人に1人にも満たないことになります。

だから、トゥトゥールの妹が農村にいる両親と離れ、小さな日本のNGOの雑用係をする兄を頼ってダッカに出てきて、SSCにAマイナスで受かったというのは大変な快挙なのです。今頃きっと彼の家ではお祝いをしていることでしょう。

バングラデシュの教育事情はすこしずつよくなってはいますが、まだ多くの子どもや親にとって、高等教育はエベレストのように高い山です。その裾野にさえとりつけない、小学校にまったく入れない子どももまだ10人に1人や2人はいるのです。

今年はSSC受験者の合格率が60%を超えました。これは今の中等教育制度が始まって以来の快挙だそうで、テレビには試験結果をうやうやしく教育大臣から渡され、ふむふむとうなずく首相の姿がありました。しかし、それはあくまで「受験者の60%」。受験を断念した10年生もたくさんいての話です。

政府がやらなければいけないこと、そしてNGOができることはまだまだたくさんあります。

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追記:上の記事は22日の夜のTVを見て書いたのですが、23日の新聞をみたら、ちょっと数字に間違いがあったので訂正します。今回のSSCの全国での合格率は59.04%でした。一般のSSCと、職業高校のSSC(内容がちょっと違う)、あとマドラサのDhakil、その3つの試験をあわせた平均の合格率が62.22%だったということです。

それから、「制度始まって以来の快挙」というのは、全ての科目で80%以上の「GPA-5」というグレードをとった子の数が、今年はSSC,職業学校SSC,Dhakilあわせて30,490人で、今のグレード制度が始まってから飛びぬけて多かった、ということだったようです。GPA-5をとった生徒は昨年は17,276人。2002年にこの制度が始まったときは、わずか330人しかいなかったそうです。

これは実際「上のレベル」がますます上がっている、ということなのか、試験問題がパターン化して研究されてきた、ということか?そのあたりは不明です。





投稿者: 藤岡 日 時: 01:50 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月21日

 夜中のアリ喰い

私はものぐさ者なので、コップにジュースを入れて飲んで、それをすぐ洗わずにテーブルに放置し、そこに30分後に水を入れて飲む、ということを平気でします。日本なら問題ないかもしれません。でもこれはバングラデシュではやってはいけないことです。

ものぐさ者の私は夕べ晩御飯をつくるのが面倒になり、残りもののおかずを温めたものと、最近日本からみえた方にお土産としていただいたカップラーメンで夕食を終わりにしました。よせばいいのにおつゆを全部飲んだので、夜中にひどく喉が乾き、午前2時にむくっと起き上がって、暗がりの中、寝る前に飲んだコップの水が半分残ってテーブルに置いてあったものをぐびっと飲みました。

ただの水のはずなのに、なんだか小さな種のようなイガイガするものが喉を通過していきました。あれ?と思って電気をつけてコップを見ると、ガーン、コップの外側も水の中も小さな蟻んこでいっぱいではありませんか。水を飲む前に入れたジュースの糖分が残っていたのか。この小さな小さな蟻は、ダッカではいつでもどこでも出没するもので、なんだか肌にかすかな異物感が...と思うとこのチビ蟻が這っている、というのはよくあることです。

さっき私が飲んだイガイガは蟻ちゃんだったのでした。若い頃ならここでキャー!と叫んで洗面所に走り、喉に指をつっこんで飲んだ蟻を吐き出そうとしたかもしれないのですが、今の私は心の中で「まあ、べつにあの蟻を10匹やそこら飲んだところで、なんともならないか...」とつぶやき、続いて「覆水盆に返らず、じゃなくて飲んだ蟻は吐けず、ってとこか」と独りごち、「でもまだ生きてるやつがいたらヤだからもうちょっとお水飲んどこう」と、お水(今度はきれいなの)をごくっと飲んで終わりでした。あまりの動じなさに自分で少し驚きました。わたしはいつの間に蟻を飲んでも平気なぐらいワイルドになったのかしら。

20代ぐらいの若い頃に比べて、最近は仕事の責任も重くなっているし、年をとった親の病気だとか、直面する問題も深刻になってきているはずなのですが、生きること自体はずいぶんラクになったよなあ、と思うことが多いです。その理由のひとつは「少々のことでは動じなくなった」ことにあるのでしょう。あと、若い頃はちょっとした失敗で「私はダメだわ」と思ったりしていたのが、この年になると「こんな失敗をしても動じないワタシはたいしたもんだ」と強引にポジティブな方向に持っていくのが習慣化しています。(そうなることで失ったものも少なくないと思いますが...)

失敗しても落ち込まない。でも失敗から学ぶ。それが大事なことですよね。(また同じことをして蟻を飲んだらただのバカよね)

そういうわけで、昔だったら夜中の2時にひとりの部屋で蟻入りの水を飲んだら「私ってなんて情けない女」と落ち込んでいたかもしれませんが、今の私は「アリぐらい飲んだって平気だもんね。明日はこれをブログのネタにしよう。」と思って安らかに眠りについたのでした。

そんなオトナにはなりたくない?そうかもね...。




投稿者: 藤岡 日 時: 23:32 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月20日

 コルポナ・ディディの結婚

昨年シャプラニールから独立した農村パートナー団体「COLI」の女性スタッフのひとり、コルポナさんが先週の金曜日に結婚しました。コルポナさんはヒンドゥー教徒。ここではムスリムの女性を呼ぶときはアパ、ヒンドゥーやほかの宗教の女性を呼ぶときはディディを名前の後ろにつけるのが普通です(でもなぜか私はえみこアパですが)。なのでコルポナさんは皆に「コルポナ・ディディ」と呼ばれて親しまれています。

コルポナ・ディディと寡婦グループ.jpg

コルポナ・ディディは、COLIが独立する前、シャプラニールの地域活動センターだった時から長く勤めているスタッフで、イショルゴンジ3地域事務所で女性ショミティや寡婦グループなどの担当をしています。彼女の活躍は昨年会報でも紹介したので、会員の方は覚えていらっしゃるかもしれません。

写真 は寡婦グループの人たちとのミーティングで、メンバーの女性たちを椅子に座らせ、自分はどかっとゴザに座ったコルポナさん。COLIのマネジャーたちと村へ行くと、ショミティ・メンバーなどが気をつかって椅子を出してきてくれて、私たちはそこに座らされ、ショミティの人たちはゴザに座る、というパターンになってしまうことが多いのですが、逆をやっちゃうコルポナさんはいい感じだなあ、と私は初めて会ったときに思っていました。

COLIのスタッフや担当している寡婦グループのメンバーなど、みんなの「あねご」として親しまれてきたコルポナさんは7人きょうだいの一番上。妹さんの縁談をまとめるときには奔走したそうですが、ご自身は未婚でした。その“かまわなさかげん”は「コルポナ・ディディは人のことには一生懸命だけど、自分のことはいつも後回しだから...」と皆が口にするぐらいだったのですが、このたびジョソールのガーンディー・アーシュラム(ガーンディーの思想を受け継いだヒンドゥー系の社会福祉施設)で働いているお相手と、晴れて結婚することに。ダッカ事務所でもその知らせを聞いて皆喜びました。

コルポナさん.jpg

式の3日前にダッカ事務所に電話がかかってきて、「シャプラニールの皆さんもぜひ招待したいの。料理も私が自分でつくるのよ!あと3日あるからがんばらなきゃ」と話していたコルポナさん、元気いっぱいでうれしそうでした。

私は残念ながら行けなかったけれど、きっとCOLIの仲間たちに祝福され、宴は盛り上がったことでしょう。「しばらくは夫とは別居でお互いに仕事を続けるつもり」とのこと、バングラデシュではめったにない結婚の形ですね。

でも、二人のお互いへの理解と信頼があればきっとうまくいくでしょう。私も夫を置いて単身赴任だけどなんとかなってるしね(笑)。応援してるよ、コルポナ・ディディ。今度お連れ合いの写真見せてね。




投稿者: 藤岡 日 時: 22:54 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月19日

 続・土地は誰のもの?

今朝事務所に行って、「きのうの新聞に出てた記事だけどさー」と、昨日ここに書いた新聞記事の話をスタッフにしました。すると、ベンガル人の上級スタッフのひとりが、言いました。
「土地のことは確かに問題だよ。でもさー、アパ。僕たちだって『土地なし』だよ。」

ん?そうか。確かにそうだ。ダッカのような都会に住んで、アパートを借りて、NGOだとか政府機関だとか会社だとかに勤めている人の多くも、言ってみれば「土地なし」です。
「アパ、その記事の『土地なし』の定義をもうちょっとよく見たほうがいいよ」と言われると確かにその通り。50年前に比べたら都会に住む人の人口もぐっと増えています。スラムの人口ももちろん増えているけれど、耕作地を持たない中流階級の勤め人も増えているわけですね。それでもこの国の大多数の人は農村に住んでいるのですが...。

物事はもっと正確に多方面から見ないと、とちょっと反省しました。「土地なし」と言ったっていろんな人がいるので、58%の土地なし人口の中身をもっと詳しく見ないといけません。

「アパ、50年前に比べたら、乳児死亡率だって、妊産婦死亡率だって、食事の内容だってずいぶんよくなってるよ。そんなに悲観することもないんじゃない」
さすが、それぐらいに構えてないと、ここでずっとNGOの仕事なんてやっていけないのかもね。

そうはいってもやはり気になる土地問題。もう少し正確に知るべく、情報収集を続けるとしましょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:01 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月18日

 土地は誰のもの?

「土地なし人口、50年で3倍に」 ― 今日の新聞(Daily Star)の1面に出ていた記事を見て、うーんと唸ってしまいました。記事によれば、独立前の1960年には、土地を持たない世帯は全世帯の19%だったのが、現在は約58%になってしまったというのです。10年前と比べても、2%ほど増えているとのこと。

記事はまた、この国の土地所有の不公平さも問題にしています。それによると、

●バングラデシュの全世帯数の半数が持つ土地を合わせても、全国の土地の4.2%にしかならない。
●バングラデシュの6.2%の世帯が、全国の土地の40%を所有している。

農村の風景.jpg


「土地なし」の人が増えている理由としては、川の浸食、地価の値上がり、失業者の増加などがあげられていますが、同時に土地の分配について、あまりに政府が無策であることも指摘されています。

政府の発表によれば、現在バングラデシュには500万エーカーの、所有者が決まっておらず政府所有になっている土地があるとのこと。専門家によれば、これらのうち耕作可能な土地を土地なしの人々に分配すれば、相当な貧困削減になるということです。

しかし、政府がこうした土地の分配を過去に行ったのは、ほとんどが1981年から96年までの間で、ここ10年ほどはほとんど行われていないとのこと。また、政府の統計によれば、独立から現在までの間に、耕作可能な120万エーカーの土地の44%がすでに分配されたというのですが、前出の専門家の調査では、その88%は既に豊かな有力者の手に渡っており、土地なしだった人が今でも手にしている土地はわずか12%、土地を得て経済状態を向上させることができたのは、そのまた46%に過ぎないというのです。

ダッカのスラムで住民に話を聞いてみると、川の浸食で家や土地を失い、食べていけなくなってダッカに出てきた、という家族が少なからずいます。一方で、川には新しい中洲(それもかなり広大な)ができることもよくあり、数年前ぐらいから人が住み始めたような中洲もあります。

今朝の記事によれば、こういう中洲の土地も、政府がきちんと管理していないうちに、有力者が偽の土地の権利書などを作り、自分のものにしてしまうケースが多いというのです。

所有者が決まっている土地ですら、その争奪は深刻な問題です。わがダッカ事務所のスタッフの中にも、実家の土地が不法占拠され、慌てて休みをとって飛んで行った人もいます。問題はまだ決着していないとのこと。

シャプラニールのショミティ・メンバーになるには土地を持たない人、持っていてもわずかの人が対象ですが、こういう人は減るどころか増え続けているわけです。その背後には、有力者による土地の不法占拠や政府の無策があり、持てる人と持たざる人の格差はどんどん開いています。

貧困削減のためNGOの果たす役割は決して少なくないけれど、貧困の根本原因に政治がメスを入れなければ、この状況は決してよくならないでしょう。この現状に対して、私たちに何ができるんだろうか。

朝から重いタメ息が出てしまった土曜日でした。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:02 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月16日

 共感しあえるツアーとは

今日は今受け入れている労組のみなさんのツアーの最後の夜。夕方振り返りのミーティングを事務所でしたあと、夜は市内のレストランで皆さんと食事をしてわいわいと楽しい時間をすごしました。

今回いらっしゃったツアーの皆さんは若い方ももちろんですが、わたくしと同年代?の40歳前後の方々が非常にパワーがありました。アテンドは全行程小嶋駐在員で、私がご一緒したのは最終日だけだったのですが、振り返りのミーティングで何人かの方がおっしゃったことはとても心に響きました。今回のツアーの振り返りではとくに「親としての思い」を吐露された方が多かったんです。

小学校2年生を頭に3人の男の子がいるお父さんで、ストリートチルドレンの青空教室に行って、自分の子どもと同じぐらいの子どもたちが懸命に勉強したり歌ったりしているのを見て涙がとまらず、でもなぜ涙がでるのかわからなかった、という方。今回のツアーで見たこと、感じたことをまずは自分の子どもとシェアしたい、とおっしゃっていました。

20代前半で結婚して早くに出産され、若いときに海外旅行をするような機会がなく、今回はじめての海外なんですよ、という女性の方。ぜひ、子育てまっさかりのお母さんのツアーも考えてみてください、とおっしゃっていました。

好奇心の強い、エネルギーある子どもたちが印象的でした、という男性の方。こういう経験を子どもと一緒に体験したい、受け入れ側としては大変でしょうが、ぜひ親子ツアーを企画してください、と。

今回のツアーの皆さんとお話して、スタディツアーももっといろんな可能性があるんじゃないかと思いました。

たとえば、わたしたちの農村のパートナー団体のPAPRIは障がいをもつ人や子どもたちのための活動にここ数年力を入れています。障がいをもつお子さんのいるお母さん(もちろんお父さんも)は当事者でないとわからないような苦労がいろいろあります。日本で障がい児をもつお母さんが、お子さんといっしょにバングラデシュにきて、ここのお母さんと話すことができたら、そういう経験をもつ方だからこそ共感できることがあるかもしれません。

夫に先立たれて、ひとり暮らしをされている女性の方が、バングラデシュの同じ状況の女性たちと会うことができたら。なにかお互いに力を得られるかもしれません。

スタディツアーに参加される方は、大学生の方が多いかと思います。それはそれでだいじです。これから様々な経験を積んで各分野で活躍していかれる若い方たちが、学生時代にバングラデシュのような国があること、そこで生きる人たちのことを知っていただくことは貴重な経験だとおもいます。

でも、もっと「普通にしてたらスタディツアーに参加することなど考えることもできない」方のためのツアーも考えなきゃいけないと思いました。障がいをもつ方とその家族。親やお連れ合いの介護中の方。小さなお子さんの子育てに追われるお母さん。そういう方はなかなかスタディツアーに参加することはできません。

でも、実はそういう大変な状況の中でがんばってる方だからこそ共感できること、そういう方だからこそ言葉の壁など抜きにして通じ合えることがある。こちらのひとにもそういう方の言葉だからこそ響くものがあるかもしれない。そういうつながりをもっとだいじにしなきゃいけないいんじゃないだろうか。

そしてそういう方々にツアーに参加していただくためには、今までやってきたようなツアーとは違う準備や気配りが必要です。たとえば介護中の方が数日留守にするには、ずいぶん前から手をつくして留守にするための準備をしなければいけないですよね。そういう場合、うんと日数は短い、でも凝縮されたツアーにしなきゃいけないかもしれない。渦中にいる方は、「スタディツアーなんてムリムリ」と笑われるかもしれないけれど...

皆さんのお話を聞きながら、いろいろ考えさせられる夜でした。UIゼンセン同盟ツアーのみなさん、ありがとう。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:50 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月13日

 フィールド出張7つ道具

そろそろ夏のスタディツアーのシーズン。今も労組の皆さんのチームが来バ中で、小嶋駐在員のアテンドのもと、今日は農村パートナー団体のPAPRIを訪問中です。夕方小嶋駐在員と電話したところ、今日はリキシャで農村プロジェクトを見て回り、全員元気、とのこと。よしオッケー!

さて、これからツアーなどでいらっしゃる方の中には、何を持っていったらいいか迷う方もいらっしゃると思うので、今日は私が農村出張のときに重宝しているお道具を7つ選んでご紹介。
まあ、でもこういうものは個人差があるので、あくまでご参考程度に。

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まず、履き物。暑いし、よく脱いだり履いたりするのでサンダルが便利ですが、農村やスラムのようなところを歩くときは足元が悪い場合も多く、底のしっかりした滑りにくいものがオススメ。
私の愛用品は、ウォータースポーツする人用のもの。遠慮なく水洗いできるのが重宝。

でも日本からいらっしゃる場合は、スニーカーを履いてきて、そのほかにビーチサンダル持参というほうがいいかもしれませんね。村で水シャワー浴びるときにもビーサンは便利です。一番シンプルな、ペタンコなやつがいいですね。

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あと、目覚まし時計。ツアーでいらっしゃる皆さんが泊まられるようなゲストハウスの部屋には、目覚ましどころか時計もないのが一般的。私の愛用品は温度計つきのデジタル目覚まし時計です。気温がわかるのってけっこう便利。

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そして蚊対策はマストでしょう。虫除けスプレーやさされた場合のかゆみ止めはお忘れなく。私は液体よりこういうチューブのもののほうが効くような気がします。このほうが軽くてかさ張らないですしね。蚊取り線香もあるといいでしょう。村で泊まるところなどは蚊帳があるので、寝るときはそんなに心配しなくても大丈夫ですけど。

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そして懐中電灯などのライト類。よく停電するので何か灯りを持っているとよいでしょう。もちろんゲストハウスや農村の事務所でも蝋燭やハリケーンというランプなどを用意していますが、私が必ず持参するのは、百円ショップで買った押すだけでつく丸い小さなライト。これはどこにでも置けるし、移動できるし、村で夜寝るとき、蚊帳の中に持ち込んで新聞読んだりもできるので便利。

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このミニサイズの懐中電灯は白幡前所長にもらったもの。小さいけどけっこう明るいです。でも最近は懐中電灯つきの携帯電話があるんですよね。小嶋駐在員のはそれです。

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フィールドでメモをとるためのノート。私はB6サイズのノートとボールペンを愛用。もっとすごーく小さいノートを使ってる人もいますが、私はこれぐらいの大きさは欲しい。暗いところでメモするような場合はシャーペンの字はよく見えないのでボールペンがよいです。

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タオルハンカチ。ここでは基本的に手でご飯を食べるので、手を洗う回数が自然と多くなります。やわなハンカチじゃすぐびちょびちょになってしまうので、厚手のタオルハンカチをたくさん持ってるといいですね。

ほかにも、デジカメとか「通販生活」で買った高吸収タオルとか、斜めがけできる小さいナイロンのショルダーバックとか、いろいろ重宝してるお道具はあるのですが、7つを超えてしまうのでここまでにします。

旅行は何を持っていこうかなあ~と考えるのも楽しみのひとつ。これからスタディツアーに参加される方、経験者にいろいろ聞きながらお早めに準備を開始してください。前夜の寝不足は旅行中の体調不良につながりますので、前々日には準備を終えて、出発前の日はよーく寝てきてくださいね。

(といいながら、バングラデシュ赴任前夜にパッキングが終わらず、ほとんど徹夜になってしまったのはわたくしですが...)




投稿者: 藤岡 日 時: 23:06 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)
2006年06月13日

 サッカーボールを見るたびに

今日の日本対オーストラリアの試合、残念でしたね...。バングラデシュ時間では夜7時からテレビ中継でした。ダッカの日本人会では「皆で楽しく観戦しながら日本を応援しよう!」という催しもあったようなのですが、私はあいにく朝からお腹をこわしていたので、梅干おかゆを食べながら自宅でひとりで見ました。

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今回のワールドカップのために用意されてるサッカーボールって何個ぐらいあるんでしょうね。

ぴかぴかのボールがテレビに映るたびに、思い出す少女がいます。

あれは前のワールドカップのときだから2002年。児童労働問題に取り組む日本のNGO、ACEのイベントで、ちょっとだけお手伝いしたことがありました。インドから招いた、小さい頃からサッカーボールを縫う仕事をしていた少女に、イベントの前後の時間付き添う、というものでした。私は当時インドから帰ったばかりでヒンディー語が少しだけ話せたので、ほかに通訳できる人がいない時間、少女を安心させるために一緒にいたのです。

その少女は視力を失っていました。年齢は10代半ばぐらい。家が貧しかったため幼い頃から暗い部屋でボールを縫い続け、目を痛め、ついに見えなくなってしまったのです。指や手のひらにも針を刺してしまった傷の痕がありました。

世界のサッカーボールの7~8割はインドとパキスタンで作られています。そしてインドではこの産業に従事しているフルタイム労働者の4割近くが5歳から12歳の子どもだということでした。
(この数字は4年前に聞いたものなので、今は多少変わっているかもしれませんが...)

目が見えず不自由ながらも、初めての外国、日本へ来た少女はちょっとはしゃいでいました。エレベーターのボタンを我先に押そうとしてキャッキャと笑うところなどは、子どもらしく無邪気でした。でもイベントで辛い経験を話すときはおとなっぽい顔になり、たくさんの人の前でもひるまずしっかりと話をしました。自分のような目に遭う子どもをなくしたい、と訴えていました。

多くのNGOや活動家たちが児童労働をなくす運動をしてきた結果、国際サッカー協会(FIFA)は1998年、児童労働でつくられたサッカーボールを主催する大会で使わないことを決めました。(ですから今ワールドカップで使われているボールも、おとなが縫ったボールのはずです。)


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しかし、いまでも暗い部屋でサッカーボールを縫い続けたり、重いレンガを頭に載せて運んだり、家庭の使用人として朝から晩まで働いたり、裸足で古紙や鉄くずを集めたり...という児童労働をしている子どもが、世界には2億1千800万人もいます(2006年5月ILO発表。2004年時点の推定)。4年前より11%減ったとのことですが、それでも日本の全人口の1.7倍という恐るべき数字です。

写真=ストリートチルドレンのためのドロップ・イン・センターでゴミ拾いに使う袋を見せてくれる子どもたち。

今日6月12日は「児童労働に反対する国際デー」でした。日本でもいろいろ関連の催しが行われている様子。ぜひたくさんの人に参加していただきたいと思います。シャプラニールも児童労働をなくすために、ストリート・チルドレン支援や今年から始まる使用人として働く少女の支援活動を通じて努力していますが、これほど大きな問題は、世界中のNGOや政府や企業や個人が協力しなければ解決できません。

イベントに参加したりするのはちょっとね、とか、参加しそびれちゃった、という方。まず検索エンジンに「サッカーボール 児童労働」と入れて検索してみてください。きっと新しい発見がありますから。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:05 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月11日

 水が来た

ダッカから見て北西方向にあるマニックゴンジ県ギオール郡のポイラ村は、シャプラニールが創設直後から活動してきた地域です。ここに置いていた地域活動センターは今は現地NGO、STEPとして独立し、シャプラニールとはパートナーという形をとって活動を行っています。

このポイラ村の事務所に今週水・木と出張に行ってきました。ここへ行くには途中に橋のない川があります(正確に言えば、橋はあったけれど洪水のとき落ちたのです。今新しい橋を建設中です)。乾期は水が完全になくなり、川底が砂地となるので、車でそのまま行くことができるのですが、雨季になると手前で車を返し、渡し船でこの川を渡り、リキシャなどで事務所まで行くことになります。


渡し場.jpg

先月出張したときにはまだ水がなく、車で行けたのですが、今回はかなり水が来て、しっかり川になっていました。STEPのスタッフによると、水は「先週の土曜日に急に来た」そうです。

金曜までは川ではなかったところが、土曜日に水が来て川になる、という感覚は、日本人の私たちにはわかりにくいものです。今年最初に水が来る瞬間をぜひ見たかったのですが、私が行ったときはもう川の状態でした。

バイクで渡し舟に乗る.jpg

渡し場で船賃(片道1タカ)を払いながら、STEPのスタッフと渡し場のおじさんが交わす会話は、「今年の水はどうかねえ。どれぐらい来るかねえ」といったもの。この地域はインドから流れてくる2つの大河、ガンジス(ポッダ)川とブラフマプトラ(ジョムナ)川が合わさる地点に近く、雨季になるとそこら中水浸しになります。適度な水浸し状態には住民は皆慣れており、小船で行き来できるようになるなど便利な面もあるのですが、度を越した水が来てしまうと、家々は浸水し大変なことになります。


脱穀作業1.jpg

村へ行くと、村人たちは稲を刈り取り、脱穀し、籾を蒸してから乾かす、という作業で忙しそうでした。最初に訪ねた村人は、庭に広げて乾かした籾を指して、「これは洪水のときに備えてとっておく米で、今は食べないんだ。洪水が来る前に作業をしてしまわないとね」と話していました。


脱穀作業2.jpg


脱穀は機械でやっている人もいますが、稲の束をござを敷いた地面に打ち付けたり、風で藁を吹き飛ばして籾と藁を分けたり、という昔ながらの方法で行っている様子が見られます。

しかし中にはこんな備蓄米をまったく蓄えられない貧しい村人もいます。次に訪ねた最貧困層グループのメンバーの村人の家には、他の家に見られるような籾を乾かす光景はありませんでした。


蒸した籾を乾かす.jpg

最近では2004年、バングラデシュのかなり広範な地域が大規模な洪水に見舞われ、シャプラニールも緊急救援活動をしています。昨年2005年は逆に通常より水が少ない年でした。
果たして今年はどうなるか、今から上流のインドの雨量などが気になります。あと2ヶ月後ぐらいにどれぐらい水が来ているかが問題ですが、今から予測するのは困難です。

いざ洪水、というときは一番に本当に助けが必要な人を支援できるよう、STEPのスタッフたちは日ごろから気を配りつつ、村を回っています。私たちも「その時」に備えて準備をしておかなければなりません。




投稿者: 藤岡 日 時: 00:01 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年06月09日

 ワールドカップ・フィーバー!

いよいよワールドカップ開幕!ということで、日本でもサッカー・ファンの皆さんは盛り上がっていることと思います。ここバングラデシュでも既にワールドカップ・フィーバーは始まっております。

きのう、おとといとマニックゴンジ県のポイラ村に出張に行ってきたのですが、ダッカから車で北へ向かう道すがら、ガブトリのバスターミナルを過ぎたあたりで、私は思わず「なんじゃこりゃあ」と声を上げてしまいました。

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屋根の上にはためく旗、旗、旗!ブラジルとアルゼンチンがほとんどですが、中にはドイツや韓国などの旗も見えます。たまーに日本の旗も。このあたりは特にすごかったですが、ここからマニックゴンジへ向かうアリチャ・ロード沿いはあちこち旗だらけでした。

パートナー団体、STEPのポイラ事務所のスタッフに夕食時に聞いてみると、ここのスタッフはほとんどがブラジルのサポーター。少し年代の高いスタッフにアルゼンチンのサポーターがちらほら。なんで?と聞くと「マラドーナがいたチームだから」だそうで。

ダッカではとある私立大学でW杯期間中の試験実施に学生たちが抗議デモをするほどの熱の入りよう。バングラデシュチームは出てませんが、そんなことは関係なし。

これから近所のテレビのある家や、茶店のテレビの前などに皆が集まって、熱い観戦の日々が始まります。ごひいきのチームが勝つと、お菓子やお肉などを振舞ったりして大騒ぎになるそう。

「バングラデシュ人は貧しいけど、楽しむことは上手だからね」というダッカ事務所のスタッフの言葉に、なるほどねえ、と思ったのでした。


追記(6月10日):
ゆうべのドイツ対コスタリカの試合はダッカ市内の12ヶ所の広場などで公開観戦用のスクリーンが設置され、たくさんの人が集まった模様です。しかし、加熱するあまりの事故も...。今朝の新聞を見たら、家のそばのマンゴーの木の上にひいきのチームの国旗をつけようとした20歳の若者が、電線に触れて感電し、木から落ちて死亡、というニュースが載っていました。 うちのダッカ事務所のスタッフは「バングラデシュじゃあこんなにみんな盛り上がってるけど、ブラジルやアルゼンチンの選手はバングラデシュって国があることさえよく知らないかもね」と笑っていました。




投稿者: 藤岡 日 時: 18:33 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (1)

2006年06月07日

 ルバルくんの死

その悲しい知らせは土曜日の朝入ってきました。
金曜日の夜、ルバルくんが事故で亡くなった、というのです。

ルバルくんは、シャプラニールが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと共に運営している、ストリートチルドレンのためのドロップ・イン・センターにいつも来ている子どものひとりで、シャプラニールの会報でも紹介したことのある少年でした。

小さい頃、トラック運転