シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2006年05月31日

 マンゴーの季節到来!

バングラデシュの市場や果物屋、そして路上にまで様々な果物があふれる季節がやってきました。ライチ、マンゴー、カタール(ジャックフルーツ)、パイナップルなど、熱帯のフルーツが今まっ盛りです。

これらの果物の中で私が一番すきなのはやっぱりマンゴー(ベンガル語ではアーム)。マンゴーにもいろんな種類がありますが、今は特に甘みが強くバングラデシュのマンゴーの中でもっとも美味しいと言われるラングラー・アームが出回る時季で、私の冷蔵庫には常にマンゴーがいくつか入っている状態。

果物やさん.jpg

以前住んだことのあるインドやインドネシアでもそうでしたが、果物屋さんはカラフルな果物を限られたスペースに実に魅力的に並べていて、見ているだけで楽しくなります。こういうお店での値段交渉は売るほうも買うほうも真剣。ベンガル語の初級の会話の教科書にも、「このパイナップルいくら?」「2個で50タカ」「それは高い。なんでそんなに高いの」「だってこれはシレットのパイナップルですから」なんて会話が出ているくらい。バングラデシュで暮らすためにはこれは基本的なライフスキルです。

パイナップルはシレット、マンゴーはラッシャヒが有名な産地です。下の写真は去年の7月、ラッシャヒのマンゴー園に行ったとき撮ったもの。この木になっているマンゴーは、フォジリー・アームと呼ばれ、1個が1キロぐらいにもなる巨大なもの。ラングラー・アームよりだいぶ後に出回る品種です。

ラッシャヒのマンゴー園.jpg


マンゴーはそのまま食べても、ジュースにしても、ヨーグルトなどと一緒に食べてもおいしいですが、ベンガル人はよく熟れたマンゴーをご飯と牛乳と混ぜて食べたりします。そんなことして美味しいの?と思いましたが、食べてみたらなるほどなかなかいけるデザートでした。

実は今の場所に移ってくる前のシャプラニールの昔のダッカ事務所にも、マンゴーの木とカタールの木があったそう。その建物はもう取り壊され、木も切られて、新しい高層アパートが建っています。今の事務所にもグアバの木とひ弱なパパイヤの木がありますが、収穫のほうはいまひとつ。

村のパートナー団体の事務所(元はシャプラニールの地域活動センター)にいったときに、敷地内で採れた果物を振舞ってもらうのが楽しみです。




投稿者: 藤岡 日 時: 21:34 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
2006年05月31日

 英連邦兵士墓地に眠る日本人

チッタゴンで見聞きしてきたものシリーズ第3回。

英連邦兵士墓地.jpg

チッタゴンの町には第二次世界大戦中に亡くなった英連邦兵士の墓地があります。よく手入れされたなだらかな芝生の斜面が墓地になっていて、そこにビルマ戦線で亡くなった兵士たちが埋葬されています。

「英連邦兵士」なので、イギリス人やインド人のお墓が多いのですが、ここには日本人のお墓もあると聞き、探してみました。ひとつひとつ墓石を見ていたのですが、なかなかみつからないので墓地の掃除をしている人に聞いてみると、「あそこだよ」と斜面のずっと上の右端のほうを指差しました。

右上が日本人のお墓.jpg


(左の写真の右上を目をこらしてみてみてください。ひとつぽつんと墓石が見えますよね)


そちらのほうへ行ってみると、ありました。1つだけの墓碑に、ここに眠る18人の日本人兵士の名前と亡くなった日が書いてありました。名前がわからない1人を合わせて19人が一緒に眠るお墓です。

墓地の掃除係のバングラデシュ人のお兄さんは申し訳なさそうに言いました。
「ここに埋葬されているのはチッタゴンの病院で亡くなった人たちなんです。もうひとつクミッラにある英連邦兵士墓地のほうは、日本人のお墓も一人一人ちゃんと墓石があるんですが...。」


ビルマ戦線で負傷し、チッタゴンの病院に送られ、そこで亡くなった人たち。この人たちの家族や親戚はこのことを知っているのだろうか?お兄さんに聞いてみると、

「ええ、今まで何人か家族の方がお墓参りにみえたことがありますよ。」

とのこと。もちろん、この中には名前のわからない一人を含め、家族にも知られないまま眠っている人もいるのでしょう。

日本人のお墓の墓石.jpg


「それにしてもなんでこんなに離れたところに埋めたのかね。死んでからも土の中で戦争するとでも思ったのかねえ。」と同行したダッカ事務所のスタッフ。

実はここにはほかにも「離されて埋葬された人たち」がいました。
それはアフリカのナイジェリアの兵士たち。斜面の一番下のほうに少し離れて二列、彼らのお墓があります。1人1人の墓石はきちんとありますが、他のお墓からなんだか不自然に離れています。


暑く照りつける日の光。青々と映える芝生。墓石の間で風に揺れる可憐な花々。そしてここがバングラデシュとは思えない静寂。


約60年前にここに葬られた、出身国の違う様々な人たちの人生に思いを馳せたひとときでした。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:05 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月30日

 埋めてもらえる権利

今朝、農村への出張に向かう車の中で、開いた新聞のある記事に目が釘付けになりました。「セックスワーカーたち葬儀の権利を要求」(Daily Star, May 29)という記事です。

全てのバングラデシュ国民は、それぞれの宗教にしたがって埋葬(ムスリム)されたり火葬(ヒンドゥー)される権利があると憲法にも書いてあるのに、セックスワーカーとして働く女性やその子どもたちは、死後その遺体が墓地に埋葬されることを人々が拒むというのです。

死んだ後まで差別されるとは。しかも子どもたちまで...と思うといたたまれない気持ちになりました。
ほんの5日前、チッタゴンで、現地NGO、YPSAが運営するセックスワーカーの女性たちのためのシェルターを訪問したばかりだったこともあります。

そこはごく普通の質素なフラットの一角。10代から40代ぐらいまで、10人ぐらいの女性がいました。数人の顔に何か諦めたような無気力な表情が浮かんでいること、顔にひどいあざがある人がいることに気づきましたが、話してみると皆人懐こい笑顔をみせる、どこにでもいそうな女性たちでした。

シェルターといってもこじんまりした部屋が2つとクリニック、2人のスタッフの事務所があるだけの小さなものですが、今まで雨の日もかんかん照りの日も路上で暮らしていた彼女たちには、安心できる居場所ができたこと、飲み水やバスルームがあることだけでもとても大きなことのようでした。2つある部屋のうち1つは眠るための部屋で、そっと覗くと赤ちゃんと一緒に眠っている女性が二人いました。

そこにいた女性の多くは子どもがいました。3人子どもがいるという女性は、子どもたちはなんとか学校に行かせているが、ここには大きくなった子どもは連れてこられないので、子どもを見てくれる人がいないのが困ると話していました。

「この中に以前、他人の家で使用人として働いていた人はいますか?」と聞いてみると、10代後半ぐらいの少女が手をあげました。仮に彼女の名前をミヌとしましょう。どうしてそこをやめたの、ときくとミヌは激しい勢いで話し始めました。

「私が働いてた家には雇い主の大きい息子がいたの。その息子が夜しょっちゅう私の部屋にちょっかいを出しに来るから、雇い主の妹にそのことを話したら、私が告げ口したことを知った息子が怒りまくってますますひどいことをするようになった。たまりかねて雇い主に何度も訴えたら、そのうち田舎から母が呼ばれて、私を村に連れて帰った。そうしたら村の近所の人たちが、この娘はもう傷ものだ、雇い主の息子の子どもを妊娠しているに違いない、というの。すぐ検査をされて妊娠してないことがわかったのだけど、皆私のことを汚れてるとかこの子をそばに置いてどうする気だとか親に言った。それを聞いて私は頭にかーっと血が上ってしまって、母のお金を2千タカ盗んで路上に出てきたの。今は親とも親戚とも近所の人とも関係ない。私はこの町でひとりで生きていく。それだけ。」

P1010527.jpg


日本でいえば高校3年生ぐらいの年でしょうか。気性の激しそうな、でも表情にはまだあどけなさの残る可愛い顔立ちの少女でした。

ミヌが路上に出てきてセックスワーカーとして働かざるを得なくなったのは、誰のせいでしょうか。彼女を慰みものにした雇い主の息子、無責任なことを言う近所の人たち、彼女を守れなかった親や親戚。しかし死後も埋葬を拒まれるほどの強い差別を受けて生きていかなければいけないのは被害者のミヌです。


写真=シェルターの女性たち。顔がわからないようわざと画面を荒くしています。

シェルターのあるフラットにほかの住民も住んでいます。日々出て行ってくれと苦情が寄せられ、対応が大変、とスタッフの女性たち。シェルターの運営だけでなく、自ら路上に出て行ってセックスワーカーの女性たちに語りかけ、警官に殴られたこともあるという彼女たちには頭が下がりました。

ミヌは今夜どこにいるのでしょう。彼女に私たちが直接何かすることはできないけれど、シャプラニールが今年から取り組むダッカで使用人として働く少女たちのためのプロジェクトでは、ミヌのような目に遭う少女を少しでも減らせるように力を尽くしたいと思っています。


*YPSAは時々情報交換したりフィールド訪問をさせてもらう「お友達NGO」のひとつです。シャプラニールのパートナー団体ではありません。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:45 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月29日

 船が最後に行き着くところ

チッタゴンに港があることは前にも書きましたが、ここには役目を終えて廃船にされる船が世界中から集まる船舶解体所があります。

巨大な船を解体するのはとても危険な作業。それにも関わらずここで働く人たちは、安全靴を履くわけでもなく、裸足に腰巻、といった軽装で、手作業で船を解体しています。大きな鉄板が身体の上に落ちてきたり、作業中に船が火事になったりして、大怪我を負ったり亡くなったりする人は後を絶ちません。アスベストなどの有害物質の被害も懸念されています。(インドやバングラデシュの船舶解体所では、今でも素手でアスベストを処理し、再利用しているそうです)

今回の出張の訪問先のひとつ、チッタゴンを拠点とする現地NGOのYPSA(イプシャ)は、様々な分野でなかなか刷新的な活動をしている元気な団体ですが、船の解体所で働く人たちの状況を改善するための活動もそのひとつです。

私もこれまでよく知らなかったのですが、YPSAによればバングラデシュで橋や道路建設などに使われる鉄材の大半は解体された船からリサイクルされたものだそう。少なくとも2万人が直接船の解体に従事しており、なんらかの形でこの産業にかかわっている人は25万人はいるとのこと。そんな中、この20年で少なくとも400人が作業中の事故などで死亡し、6千人が大怪我を負っているというのです。

今回はそれが直接の目的ではなかったので船の解体所は見ることができませんでしたが、解体所付近の道路の両脇には、解体された船から取り出された部品や機材などあらゆるものを種類別に売る店が並んでいました。


船から取り出されたガスタンクやパイプ.jpg

船から取り出された機械.jpg

バングラデシュ内にこれだけNGOがたくさんあっても、こういった船舶解体作業員の人たちの労働問題をとりあげている団体は今のところYPSAだけだそう。彼らが国際NGOのグリーンピースなどと共同で行ったこの問題についての報告書や写真集をもらってきました。

表向きには毎年5%以上の経済成長を続けているバングラデシュですが、その陰には様々な産業を命がけで支え、手足を失ってもほとんど省みられることのない最底辺の労働者の人たちがいます。

追記(6/6):
Greenpeace、FIDH、YPSAの3団体が、昨年12月に「船舶解体問題に対する早急な世界的解決のための共同宣言」を出しており、日本の「化学物質問題市民研究会」というところが、その日本語訳をウェブサイトに発表していることがわかりました。日本の船の解体はどうなっているのか?これはもっと調べないといけないですね。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:59 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月27日

 クリシュノチュラ

先日ダッカが暑い、停電が多いとぼやいたばかりでしたが、出張先のチッタゴンではもっとひどかったのでした。泊まったのはチッタゴン市内の住宅地にある現地NGOのゲストハウスで、ここの設備自体は悪くないのですが、夜8時ごろから朝8時ごろまで一晩中停電したり、水が出ない(理由は水道公社からの水の供給が不十分なのと地下タンクからくみ上げるポンプが停電で動かないことの両方)のには参りました。

真夏日にフィールドを歩き回って汗みどろで帰ってきたあと水を浴びられない、というのはけっこう悲しいですね。わずかな水で猫みたいに顔を洗いつつ、あらためて水の有難さをかみしめ、公共サービスがお粗末だと簡単にマヒしてしまう都市の生活の脆弱さを思ったのでした。

それにしても世界で毎日お湯のシャワーが浴びられる人はいったい何パーセントいるんでしょうね。バングラデシュでは5%にも満たないでしょう。お湯どころか毎日きれいな水で行水ができる人だって実はそんなに多くないかもしれません。

クリシュノチュラの花.jpg

水や電気の話はこれぐらいにして、この季節バングラデシュ中で咲き乱れているクリシュノチュラ(火閻樹)の花を見ていただきましょう。写真はきのう出張先で撮ったもの。今は満開でとてもきれいです。

赤いクリシュノチュラの花は歌や詩にもよく登場します。1952年にベンガル語を公用語化するために立ち上がった学生たちが弾圧され、殺されたのはこの木の下だったそうで、彼らが殺された2月21日にはまだこの花は咲いていなかったものの、クリシュノチュラの血のような赤い花は彼らの死を偲ぶシンボルになったとのことです。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:08 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月23日

 停電、停電、また停電。

暑い。いやとにかく暑くなってきました。本日のダッカの最高気温は36度。最高気温が45度を超えるインドのデリーなどに比べればマイルドな暑さなのですが、ダッカには都市熱がこもっていて、夜になってもなかなか涼しくなりません。

そんな中で毎日ひどくなる一方の停電。今年はとくに異常で、今日は各1時間程度の停電がなんと6回もありました。人々の不満は募る一方。昨日政府は電力大臣(Power Minister)を交代させることを発表しましたが、大臣が交代しようが需要と供給のバランスが変わるわけでもなく、この状況は当分改善されないでしょう。

倹約を志すわが事務所でもついにジェネレーター(発電機)の購入を検討していますが、ガソリン代も高いのであまり長時間使うようだとまたその費用がかかってしまうし、大型バッテリーを備えた蓄電装置IPSを増やすのがいいか、いやバッテリーも3ヶ月おきに交換するバッテリー液が高いし、1日に何度も停電したら蓄電する暇がないぞ、ああでもない、こうでもない、と試算しながら悩んでおります。

ダッカのみならず電力不足はバングラデシュ全体の大問題。繊維工場だって、野菜の貯蔵庫だって、病院だって電気がなければ本当に困るのです。電気をたくさん食うエアコンや冷蔵庫はバングラデシュではぜいたく品。とくにエアコンは日本で買うよりずっと値段が高く、新品だと1台6万円、7万円するのは普通です。そんな状況のせいもあるのでしょうが、ダッカで事故や事件に遭った人が運び込まれるダッカ・メディカル・カレッジ病院で、検屍室にエアコンがないと新聞で読んだときは本当にびっくりしました。遺体を入れる冷蔵庫もひとつこわれているそうで、この暑さでは壮絶な状況が想像されます。しかも動いている冷蔵庫も果たしてジェネレーターにつながっているんだろうか。

水辺のカップル.jpg

暑い暑いと言っていても涼しくならないので、今日はちょっと涼しげな写真を載せましょう。これは夕方の国会議事堂前の水辺で語らうカップルを遠くから撮ったもの。


暑いときはやはり水辺が恋しくなりますね。そう言いつつ明日から私はバングラデシュ南東部の港町、チッタゴンに出張してきます。チッタゴンはダッカに次ぐバングラデシュ第二の都市。港がありながら内陸は丘陵地帯。バングラの大阪というべきか神戸というべきか。とにかく海が見られるのは楽しみです。


 




投稿者: 藤岡 日 時: 01:40 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月22日

 ダッカ事務所の昼ごはん

わがダッカ事務所には台所と小さな食堂があり、お料理を担当するスタッフもいて、昼ごはんはみんなそこで食べます。駐在員もプログラムオフィサーも運転手も雑用係も、スタッフはみんな一緒に同じものを食べる、というのはなかなかいいもんだと思っています。イスラム教徒は豚肉を食べないし、ヒンドゥー教徒は牛肉を食べないので、メインのおかずはたいてい鶏肉か川魚。あとはきゅうりなどの生野菜とバジとよばれるカレー野菜いため、ごはん、ダール豆のスープ、というのが定番です。今のところの一食にかかる費用は28タカ(50円弱)ぐらい。

ダッカ事務所昼食風景.jpg

写真はちょっと前に撮ったものですが、この日のメニューはポトルと呼ばれるきゅうりの先をとがらせたような形の瓜とジャガイモのスライスのバジ、魚(イリッシュ?)、ポトルの皮をすりつぶして作ったボッタ(手前にみえる緑のおだんごのようなもの。ほろ苦くておいしい)、ごはんにダール、きゅうりの輪切り、というものです。

いつから使っているのか、かなり年期の入ったアルミのお皿にめいめいよそって、手で食べます(もちろん手は石鹸でよく洗う)。この食堂部分は元々あった建物の横につけたす形でつくったものなのですが、去年の雨季の終わりごろは、ブリキの屋根からの雨漏りがひどくて困りました。スタディツアーでみえる皆さんにここで食べていただくこともあるので、雨漏りはまずかろう、と屋根は修理し、今は大丈夫です。

昼食時の話題はいろいろですが、食べ物がらみの話がやっぱり多くなります。「この魚なに?」から始まって、どの魚をどんな風に料理するとおいしい、とか、最近は魚が減った、農薬のせいだ、とか、ライチが出回り始めたからきのう買おうと思ったけどまだ1キロ130タカもしたからやめた、とか、そんなことをガヤガヤと話しています。他愛もない話の中から、バングラデシュではつわり中の妊婦が食べたくなるもののひとつは干し魚なんだよ、干し魚って臭いんだけどね、とか、そんなちょっと面白い話も聞けたりします。

ダッカ事務所昼食風景2.jpg


以前日本に数日一時帰国して戻ってきたとき、お昼にムスリムのスタッフのひとりから、「アパ、日本にいる間一番せっせと食べたものは何だった?」と無邪気に聞かれ、一瞬つまり、「え、えーと魚かな。海の魚ね(笑)」とごまかしたことがありました。(実際私が日本で食べたのは、とんこつラーメンやカツ丼などの豚肉オンパレードでした)

毎日カレー食べてて飽きないの?とよく聞かれますが、幸いなことに私は全然飽きません。毎日お昼にベンガル料理を食べては、「いやー今日もおいしかった」と満足し、そうしてまた大柄になっていきます。

宮崎あおいさんと将さんのインドの写真集、ダッカ事務所にはまだ届かず見ていないのですが、華奢で色白なお二人の脇のほうに、なんだかえらくがっしりした女の人が写っているな、と思われたら、きっとそれは私です。とほほ。




投稿者: 藤岡 日 時: 00:22 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月20日

 ローカルNGOでは学びが少ない?

昨日、ダッカ事務所のプログラム・アシスタントの採用試験がありました。応募があったのは26名、書類選考で選ばれ、こちらから通知を出した11名のうち、実際に試験を受けにきたのは6名。(これはバングラデシュでは普通のことです。新聞広告には団体名を出さずに「日本ベースのある国際NGOがスタッフを募集しています...」という形で公募を出し、書類選考後の通知の際にはじめて団体名を知る、というパターンが多いので、その段階で気に入らなければ来ないのです。)

試験問題の中には、今回この職種に応募した動機を英語で書きなさい、というのもあったのですが、その回答を読んで気になったことのひとつは、2名が「今までバングラデシュのローカルNGOで仕事をしてきたが、学べることが少ないので、国際NGOで働きたい」と書いていたこと。

2名のうち面接まで残った1名は、ローカルNGOで何人も部下がいるようなコーディネーター職の仕事をしている女性でした。話を聞く限りでは、とてもやりがいのある仕事のように思えました。面接で、「国際NGOといったってうちはアクションエイドやケアみたいな大きな団体じゃなくて、ごく小規模な団体ですよ。しかも今回募集してるプログラム・アシスタントは、プログラム・オフィサーの補佐をする仕事で、あなたの下には誰もいないんですよ。それでもいいの?」と聞いたのですが、「それでもいい」と言うのです。

結局彼女は採用することになりませんでしたが、海外に本部のあるNGOへの憧れがローカルNGOスタッフには非常に大きいことをあらためて感じました。給与の格差の問題なども当然あるのでしょうが、彼ら・彼女らがローカルNGOのしごとを過小評価し、国際NGOを過大評価しているようにも思いました。

農村パートナーの事務所.jpg

シャプラニールは農村の地域活動センターを次々とローカルNGOとして独立させましたが、独立したパートナー団体の長がもっとも悩んでいることのひとつはこのスタッフ採用。フィールド回りを担当するスタッフはともかく、会計担当が辞めたりすると、後任をみつけるのに非常に苦労します。会計をきちんと学び、パソコン技能も十分あるような人は、農村に拠点を置くローカルNGOでは働きたがらないのです。(写真はわが農村パートナー団体事務所のたたずまい。)

実は今も農村パートナーNGO3団体の中に、「会計担当急募!」の状態にある団体が1つあります。そこにいい人がみつかるかどうか、私もダッカ事務所の採用の件以上に気を揉んでいるところです。




投稿者: 藤岡 日 時: 14:21 | | コメ ント (1) | トラッ クバック (0)
2006年05月20日

 タイガーのその後

以前、事務所で飼っている犬、タイガーが車に轢かれて獣医さんに連れて行ったことを書きましたが、その後どうなったかお知らせしていませんでした。
事故があってから1ヶ月ぐらいはヘナヘナしていましたが、その後だんだんご飯もよく食べるようになり、歩けるようになり、走れるようになり、今はご覧のようにすっかり元気なオトナの犬になっています。

大きくなったタイガー.jpg

小さい頃は垂れ耳だったのですが、なんだか耳の大きな犬に成長しました。
しゃなっとした横座りと、臆病ですぐ眉間にしわを寄せるところが事故の後遺症かしらと少々気になりますが、毎朝私が出勤すると尻尾を振って走りよってくる可愛いやつです。

もう一匹の黒犬、ジェリーとも仲良くやっています。問題は私のあとに犬好きの所長が来るかどうか...。犬たちのエサ代やシャンプー代、成犬2匹となるとけっこうかさむので。

トゥトゥールは「心配ないよ、アパ。アパが帰るときに次の人に何年か分のエサ代を預けていけばいいじゃん。」だって。まあ、そうなんだけどね...。





投稿者: 藤岡 日 時: 13:47 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月19日

 フェア・アンド・ラブリー?

脳みそに刷り込まれるほど、しょっちゅう流れているテレビCMってありますよね。無意識のうちにテーマソングが鼻歌に出てしまうような。

ここバングラデシュのテレビCMにもいくつかそういうものがありますが、代表格は美白クリーム、「フェア・アンド・ラブリー」のCMでしょう。この商品はその名のとおり、このクリームを顔に塗れば、肌の色が白くなって、きれいになりますよ、というものです。

フェア・アンド・ラブリー雑誌広告.jpg

フェア・アンド・ラブリーのCMには、「スポーツ・キャスター編」「カリスマ美容師編」「しみが気になる女の子編」など何種類かあります。
例えば「スポーツ・キャスター編」は、学生時代からクリケットが大好きで、屋外の試合を観戦しては実況中継の真似ごとをしていた女の子(当然日焼けしている)に、母親がそっと「フェア・アンド・ラブリー」を渡す。それを塗っているうちに見違えるように明るい肌色になり、美しくなった彼女は、本物のスポーツキャスターになってテレビでクリケットの試合を中継し、それを見た母親が涙ぐむ、というもの。
ほかのバージョンも同じようなパターンで、肌の色が白くなって新しい人生が開ける、といったものです。雑誌にもご覧の写真のような大きな広告が出ています。

この「フェア・アンド・ラブリー」、ダッカでだけ売れているのかと思ったら、そうではないのでした。私がバングラデシュに来て半年もたたない頃、ダッカから車で4~5時間ほどかかるマイメンシン県イショルゴンジ郡のプロジェクト地に泊りがけの出張に行ったときのことです。

夜、私はここに事務所をおいて活動しているシャプラニールから独立したパートナー団体、COLIの女性スタッフ3人と他愛もない話をしていました。シャンプー何使ってる?とかそんな話です。化粧品の話になったとき、一番若いスタッフが言いました。「アパ、バングラデシュに来たんだから、化粧品もバングラデシュのを使わなくっちゃ。フェア・アンド・ラブリーがおすすめよ」

私は「フェア・アンド・ラブリー」はバングラデシュ製の化粧品ではなく、イギリスとオランダに本拠を置く多国籍企業U社の製品だと知っていたけれど、黙っていました。

1月にみんなで合宿に行ったとき、べつのパートナー団体の女性スタッフも、このクリームをせっせと顔に塗っていました。顔立ちも、肌の滑らかさも、十分にきれいなのに。毎日フィールドに出て日に当たりながら仕事する彼女たちが、懸命に美白クリームを塗っている様はなんだか切ないものがありました。

色白になりたい、という女性たちの願いは、バングラデシュでも、お隣のインドでも切実で、ほとんど強迫観念といってもいいほどです。肌の色が白いこと即ち美しいことのように言われ、若い男性は色白の女性と結婚したいと願い、息子をもつ母親は少しでも肌色が白い嫁が来てくれることを願う、そんな風潮があります。

そこにU社が目をつけたのは、企業の論理でいえば、大成功だったと言えましょう。肌が白くなりたくてしょうがない、効き目が現れなくてもいつまでも信じて塗り続ける、そんな女性が山のようにいるのですから。
でも、そうして「白いことは美しいこと」という強迫観念を上塗りしながら商売していくのは、あざといことだなあ、と私は正直思っていました。

P1010482.jpg
私が購読している英字紙、Daily Starには毎週金曜日、Star Weekend Magazineという雑誌がついてきます。先週号の特集は“Brown and Beautiful”。この記事を共同執筆した4人の女性ジャーナリストたちは、この国の「白い肌」信仰が、スキンクリームやローションの大きな市場を開く要因となっていることを喝破し、「4週間であなたも白い肌に」と謳うCMに疑問を投げかけています。

常々懸念していたことを記事にとりあげた女性ジャーナリストたちがいたことに、私はちょっと安堵しました。しかし、今日もスーパーへ行ったら、「フェア・アンド・ラブリー」の棚はすごい勢いで拡張中。「アーユルベーダ処方フェア・アンド・ラブリー」とか、「すいかエキス入りフェア・アンド・ラブリー」 とか、商品の種類も次々と増えているのです。よく売れているんでしょうね。


わがフィールドの女性スタッフたちよ。「白いことがきれいなこと」「もっと白くならなくちゃ」なんて、どうか思わないで。あなたたちは今のままで十分きれいなのだから。

(2006年5月18日)




投稿者: 藤岡 日 時: 02:02 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2006年05月18日

 カタールの実が熟れる頃

ダッカ事務所では室内温度が30度を超えてもエアコンを入れずに扇風機だけでがんばっていたのですが、昨日からなんだかもわっと暑くなり、今日はついにエアコンを入れてしまいました。
(べつにエアコンがないわけじゃないんですが、入れると電気代が跳ね上がるのと、エアコン慣れしていないスタッフが風邪を引いたりするんです。)

去年は何月が一番暑かったかなあ、忘れちゃったなあ、と思いながら、ベンガル人スタッフにきいてみました。

カタールの木.jpg

「ダッカっていつ頃が一番暑いんだっけ?」

返ってきた答えは明快。

「カタールの実が熟れる頃が一番暑いんだよ」


カタールというのはジャックフルーツのこと。東南アジアなどでも見かける果物で、バングラデシュではこれが「国の果物」ということになっています。(「日本のナショナル・フルーツは何?と聞かれて答えられませんでした。そんなのあったっけ。)
実はかなり大きくて形もグロテスク。これがごろごろ木に成っている様はすごいです。
この写真は3日前に出張先のマニックゴンジ県で撮ったもの。


今はまだ実が大きくなってきたところで、本当に熟れるのはこれから。ということは、まだまだ暑さ本番はこれからなのね。

ちなみに、このカタールの実、割って中身を出すとこんなかんじです。とっても甘くておいしいですよ。しかも実の中にある大きな種は、ゆでて中身を食べると栗そっくりの味がするんです。

カタールの中身.jpg


「藤岡さんのブログって食べものの話が多いよね」と言われ、たしかにそうだと思いながら、また食べものカテゴリーの記事を増やしてしまいました。いやいや。


(2006年5月17日)




投稿者: 藤岡 日 時: 02:56 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (1)

2006年05月15日

 インドの家政婦ベイビーの「普通じゃない人生」

久しぶりに昔住んでいたインドのニューデリー(今は猛暑!)へ行ってきました。5月11日から13日は、ダッカ事務所は祝日含め3連休。何をしようかなーと思っていたところ、デリーでフェミニズム出版社Zubaanを営む敬愛する友人、ウルワシー・ブターリアから新しい本の出版記念イベントの知らせがメールで舞い込みました。(出版社Zubaanのウェブサイトは、http://www.zubaanbooks.com/)

A life less ordinary.jpg


その新しい本というのは、デリー近郊で家庭の使用人(家政婦)として働く女性が、幼い頃からの苦難の人生を自分で記した本。6年生までしか学校へ行っておらず、12歳で結婚させられ、13歳で最初の子どもを産んだ彼女が、現在の雇い主である大学教授の励ましを得て、毎夜仕事の後ノートに向かい、書き上げた本なのでした。タイトルは“A Life Less Ordinary”、直訳すれば「あまり普通じゃない人生」。元は彼女の母語であるベンガル語で書かれたものを、雇用主の大学教授がヒンディー語に翻訳し、それをさらにウルワシーが英語に翻訳したわけです。(ベンガル語版もあとから出版されています)


当日は著者であるベイビー・ハルダールさんが出てくる短いドキュメンタリー・フィルムの上映後、ベイビーさんと、アクティビストとしても知られる女優のナンディータ・ダスさんのトークがあるとのこと。デリー往復のエアチケットはちと高いけど、ダッカの自宅で3日間だらだらしているより、えいっと行っちゃおう!デリーの友人たちにも会いたいし、と思い立ち、行ってきて正解でした。


ベイビーとナンディータ.jpg

ベイビーは今30代前半。たくさんの聴衆を前に相当緊張していましたが、控えめな中にも知性を感じさせるひとでした。ウルワシーが持ちかけたこのトークへの参加を二つ返事で引き受けたというナンディータはインドでは誰もが知っている有名な女優さん。本のフレーズを時々読み上げて紹介しながら、ベイビーの話をうまく引き出し、トークをまとめる知性と美しさに惚れぼれ。才色兼備とはこういうひとのことを言うのだなあ。(ナンディータのことをもっと知りたい人は彼女のオフィシャル・ウェブサイト、http://www.nanditadasonline.com/を見てください。広島にも来ているし、津波のときはスリランカにも行っています。)

photo:思いを語るベイビー(左)とナンディータ 


私はもうヒンディー語をすっかり忘れており、ベンガル語でベイビーさんに質問しました。今の雇い主である大学教授は、あなたが本を書くにあたってどんな風に励ましてくれたのですか?今あなたの前に家庭の使用人として働く小さな少女がいたら、その子になんと言ってあげたいですか?

ベイビーさんは考え考えこのように答えてくれました。「大学教授の私の雇い主は、ずっと教育に携わってきた人なので、人の中にあるダイヤモンドを見つける才能があるのだと思います。そうやって私の中のダイヤモンドを見出し、それを磨くように励ましてくれました。」「使用人として働くほかの少女たちには、家の仕事をするだけでなく、何かひとつ、自分ができるほかのことをみつけなさい、と言いたいです。」


少女時代悲惨な人生を送ってきたベイビーですが、今の雇い主に出会え、才能を見出されたことは本当に幸運でした。今は家政婦の仕事をしながら2冊目の本を執筆中とのこと。

ウルワシー、ベイビー、ナンディータ.jpg


今年からシャプラニールは使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカで、家政婦として働く女性たちのためのプロジェクトをインドのコルカタで始めます。コルカタの女性たちも村から早朝ローカル列車に揺られて通勤し、少ない賃金で酷使されて相当大変なのですが、ダッカで使用人として働く少女たちは小さな子どもなだけに悲惨です。ベイビーさんの本はバングラデシュでは残念ながらまだ出版されていないようですが、ベンガル語版が出せれば、バングラデシュで使用人として働く少女たちも小学校4年生ぐらいまで行った子なら、読むことができるでしょう。

なんとかバングラデシュでも(そしてできれば日本でも)この本が出版されるように繋ぎをつけたいものです。


photo:左からZubaanのウルワシー、本を手にうれしそうなベイビー、ナンディータ

(2006年5月14日)




投稿者: 藤岡 日 時: 00:16 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2006年05月11日

 ナスリーン・ホクさんを悼む

4月26日、バングラデシュでもっとも尊敬されていた女性NGOリーダーの1人、ナスリーン・ホクさんが悲劇的な事故で亡くなりました。47歳でした。彼女は国際NGO、アクションエイドのバングラデシュ代表をつとめていたのですが、それ以前にも女性の権利のためのNGOや障がい者支援団体などで活躍。とくに、過酷な人生を強いられた女性たちのために尽力した人でした。ジャイジャイディン ナスリン特集.jpg

彼女が亡くなった翌日から、シャプラニールのダッカ事務所のアドレスが登録されている様々なNGOのネットワークから追悼のメールが流れてきました。その分野は教育、障がい、災害対策など多岐にわたり、彼女がいかに広い分野で活躍し、信頼を得ていたかが伺えました。

私がナスリーンさんに会ったのは、彼女のお姉さんのシリーンさんの家で。シリーンさんも女性への暴力の問題などに取り組むアクティビストで、夫はゴノ・シャスト・ケンドロというバングラデシュでも草分けの医療NGOを創設したジャフルッラー氏。シャプラニールの大橋代表が彼らと親しいため私も紹介してもらい、何度かシリーンさんの家には晩御飯に呼んでもらったりしていたのです。

お会いした日のナスリーンさんは、1歳をちょっと過ぎた赤ちゃんを抱っこして、アクティビストというよりお母さんそのものの笑顔でにこにこしていました。「シャプラニールとアクションエイドは前にロヒンギャ難民の支援活動をいっしょにやったことがあるのよね。また何かあったらぜひ一緒に仕事したいと思っているのよ。」と話してくれました。

お会いしたのはただそのとき一度だけだったけれど、彼女の穏やかな笑顔と、赤ちゃんを抱いた幸せそうな姿が忘れられません。時折テレビなどで見る彼女は、凛として論理的に語っていたけれど、笑い声も豪快なお姉さんのシリーンさんに比べ、どちらかというと物静かな印象の人でした。

きのう、今年からシャプラニールと一緒に、使用人として働く少女たちのためのプロジェクトを始めるPhulki(フルキ)というNGOの事務所に打ち合わせに行きました。Phulkiの代表のスライヤさんは、もうお孫さんがいるようなお年の女性ですが、ナスリーンさんの話が出たとたん、「シリーンやナスリーンがやってきた仕事は私たちのバックボーンだった。ナスリーンとは気が合ってなんでもよく話したものよ。実質彼女はフルキのアドバイザーみたいなものだった。」と涙ぐんでしまいました。「彼女は声高に物を言うというより、黙々と仕事をして、そのあとで話し始めるタイプの人だった。自分はあまり表に出ずに陰からいろんな人や団体をサポートしていたのよ。今まで彼女がやってきた仕事、これからできたであろう仕事のことを考えると本当に辛いわ。」私たちは皆でしんみりしてしまい、なかなか打ち合わせに入れませんでした。

ベンガル語の週刊タブロイド紙、ジャイジャイディンの今週号は、「ロールモデル、ナスリン・ホク」と題した彼女の追悼特集です。様々な人が彼女の思い出を語り、彼女の最期のことも綴られています。ナスリーンさんが病院に運び込まれたとき、事故の知らせを聞いた人々が次々に病院の周りに集まってきました。NGO関係者やメディア関係者、友人たちももちろんいましたが、ごく普通の貧しい女性たち、男性からの暴力で顔や身体に硫酸をかけられたアシッド・サバイバーの女性たちや、障がいをもつ女性たちも集まり、彼女の容態についての知らせを息をつめて待っていたといいます。

ナスリーンさんがかつてアシッド・サバイバーの女性たちに語ったという言葉が紹介されていました。硫酸でただれた顔を隠して外出する女性たちを見て、こう言ったそうです。「なぜあなたが自分を恥じるの?恥じるべきなのはあなたたちに傷を負わせたこの社会なのよ。もっと顔を出して外へ出るの。バスにも電車にも乗って出かけるのよ。あなたが受けた傷を見て世の中の人は自分たちがいかに愚かかがわかるのだから。」アシッド・サバイバーの支援組織を立ち上げ、彼女たちを自宅に呼んで親身に世話をし、職探しに奔走した彼女だからこそ言えた言葉でしょう。

ナスリーンさん、もっとあなたとお話ししたかった。あなたのようなリーダーから学びたかった。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

(2006年5月10日)




投稿者: 藤岡 日 時: 01:25 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
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