残業お夜食その2
ああ、ダメだわ今日も全然しごとが片付かないー!でもお腹すいた...
というわけで、今夜もトゥトゥールに「あれ買ってきて」と頼んでしまいました。
「あれ」とは... これのこと。
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これは屋台で売っている軽食で「ジョールチャープ」といいます。
ボリュームがあるので、これを食べたらもうほかに晩御飯はいりません。
牛肉の小さなかたまりの炒め物というか煮物というか、ソースがおいしいのですがスパイシーじゃないのが珍しいところ。
ルチという揚げパンのようなものと一緒に食べます。
ちょっと油っこいですが、かなり気に入ってます。
これを作って売っている屋台は、「ビハーリー」と呼ばれるビハール難民の人たちがやっています。
ビハール難民とは元々1947年のインド・パキスタン分離独立時にインドのビハールから当時の東パキスタンに移民してきたムスリムの人たち。パキスタンの公用語ウルドゥー語が母語であることもあって、専門職や政府の仕事などにつき比較的高い生活水準を保っていた人たちですが、1971年のバングラデシュ 独立運動の中でパキスタン政府による弾圧の尖兵として使われ、そのためバングラデシュ独立解放後報復の標的となり、多数の人々が殺され資産を奪われました。彼らの多くは当時国内に何ヶ所もできた難民キャンプに収容され、パキスタン政府が20万人ほど受け入れましたが、今でも24万~30万人の人たちがダッカ市内のキャンプで困難な生活を強いられています。(以上「バングラデシュを知るための60章(明石書店)」からほとんど抜粋)
このビハール難民キャンプの中で一番大きな「ジュネーバ・キャンプ」は私たちの事務所からそう遠くないところにあります。事務所のあるモハマドプールという地区は、元々独立前は、ベンガル人よりビハール人のほうが多かったというところ。事務所の近くのバザールの前あたりにもビハール難民の人たちが多く住んでいて、こういう屋台のような店を出したりもしているんですね。
ビハール難民の人たちはパキスタンにも帰れず、バングラデシュでも市民権を得られずにいます。すでに難民キャンプで生まれ育った若い世代も多くなっていますが、彼らもこのままでは公的な教育も受けられず、仕事につく機会も非常に限られています。
生まれた場所で認められず、ほかに帰れる故郷もない若者たち。
独立戦争からまだ30数年。様々な問題がまだ生々しくあとを引いています。
(2006年1月23日)