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インド洋津波・スマトラ地震の被災者救援募金にご協力を
 
奇跡的に無事だった仏像
スマトラ島沖地震・インド洋津波〜スリランカでの救援活動
津波直後から食糧・飲料水の配布や避難シェルターの設置など行う、現地のNGOのSEWALANKAへの支援を決定。活動経費の一部を負担。2004年12月30日〜2005年1月8日まで現地NGOの支援活動の形成調査として、シャプラニールカトマンズ事務所長である小松豊明を現地に派遣し、被害の現況把握、その他のニーズ調査などを行い、現地のNGOのMONLARへの支援を決めました。MONLARは非被災地域からボランティアを派遣し、伝染病の発生を防ぐことを目的とした保健衛生知識の普及活動、医薬品の配布、井戸の洗浄、破壊された家屋の片付けを行っており、シャプラニールはその活動費の一部を負担しています。1月18日から2月3日まで、東京事務所の藤崎を、3月16日から31日までカトマンズ事務所長の小松をスリランカに派遣し支援先のNGOのモニタリングと今後の活動に関する調査を行います。 (写真はこちら)

■スマトラ沖地震・インド洋津波救援・復興活動
〜スリランカ現地調査報告〜
(4月22日 17:00 小松豊明カトマンズ事務所長)

3月16日〜4月2日にかけて、インド洋大津波被害者支援活動に関し、スリランカへ出張した。以下にその報告を行う。

1. 目的
1) 今後の支援活動の形成
2) これまで支援してきた活動のモニタリング
3) バングラデシュ専門家派遣に関する調整業務

2. 現地視察報告

1) 東部アンパーライ郡における仮設住宅建設

Kumariたちが建設した仮設住宅
Kumariたちが建設した仮設住宅
シャプラニールの資金によって建設中の仮設住宅
シャプラニールの資金によって建設中の仮設住宅

シャプラニールの資金によって建設中の仮設住宅

TECHによって洗浄された井戸

Kumariと現地の青年が共同で取り組む仮設住宅建設の現場を訪ねた。タミル居住地区に17世帯分、ムスリム居住地に21世帯分の仮設住宅を建設済みで、それぞれで人々が生活している。これらはKumariの友人などから個人的な寄付金を得て行われたものである。タミル地区の居住者はみな大工を生業としており、仮設住宅の建設時も彼らの協力を得て行われた。シャプラニールからの資金100万ルピーにより、ミーラナハルと呼ばれる地域で、ムスリムを対象とした26世帯分の仮設住宅の建設を行う予定である。訪問時は6世帯分の住宅が建設中であった。土地はその地域の有志が恒久住宅建設まで一時的に提供してくれたものである。これら建設中の住宅に入居予定の人々にも会って話を聞いたが、いずれも現在友人や親戚の家に仮住まいをしているとのことであった。

付近では他のNGOなどが同様に仮設住宅の建設を行っており、それぞれモデルが異なる。Kumariの説明によれば、当初屋根も壁もトタンで囲われた住宅が多く室内の温度が非常に高くなっていることが想像されたが、彼女たちによって建設されたカジャン屋根、木製壁のモデルを見て、他の団体もカジャンを用いたりトタンを一部木材に変更したりしているようである。

1世帯分のコストがおよそ22,000ルピーなので、約40世帯分建設できる計算だが、残りの14世帯分についてはティルコヴィルというアッカライパットゥよりももう少し南に位置する場所に建設したいとの申し出があった。これは、ティルコヴィルにおける被害状況に比べて支援の手がまだ充分届いていないという認識からである。シャプラニールとしては、より手の届いていないところへの支援を行いたいという基本的な考えがあるため、ティルコヴィルでの建設についても問題ないと伝えた。

尚、Kumariたちは今後必要な活動として更なる仮設住宅建設のほか、漁民に対するボートやネットの支給、親を失くした子どもへの対応、女性世帯への鶏の配給、学校へ通うための自転車の支給、地域図書館の再建、といったことを考えているとのことであった。

トリンコマリ郡へ移動後、TECHが行う当会の活動地であるキニヤを訪れた。海岸から近く、大きな被害が出た場所である。トリンコマリ中心部からキニヤへ行くためには小さな湾を渡るため、政府が運営する無料はしけを利用する。私たちが訪ねた場所に住んでいるのはほとんどがムスリムとのことだった。ここでは、TECHによるコーディネーションの下、現地のボランティアが井戸の洗浄作業に当たっている。そのうち中心的役割を果たしている1人に話を聞いた。

ジャリルさん:
ジャリルさんとポンプキニヤのファイサルナガルという集落に居住。雑貨店を営む。彼の家には津波は到達しなかったが、孫を2人失くしている。村にある井戸のうち住民からの要望があった井戸について洗浄作業を行なっており、これまでに75基の洗浄を終えた。他に2人の村人とほぼ毎日井戸の洗浄作業に当たっている。この日も、7軒を回ったそうで、夕方日が暮れてから家に戻ってきたところをようやくつかまえて話を聞くことができた。井戸の洗浄は水を汲み上げて水を入れ替えればよいというものではなく、そこに溜まった塩分を含んだ砂の掻き出しなどを含め何度か作業を繰り返さなければならない。1基につき3〜4回は繰り返す必要がある。他のNGOも井戸の洗浄をしにやってくることがあるが一度水を汲み上げるだけで帰ってしまうためあまり役に立っていない。店は妻が守っている。

「お金にはならないけれど、同じ村に住む人々のためだから」と言う彼の淡々とした表情が印象的だった。

【ケーススタディ
ロフィック・ハッサン・バワさん
ロフィックさんが開いた茶店妻と子ども2人、父母、妹と一緒に暮らしている。津波に襲われた際、走って逃げた。3日後に家に戻ったところ何も残っていなかった。波に流されたものもあるだろうが、誰かが盗んでいったんだろうと言う。家財道具のほかに現金2万ルピーと1万ルピー相当の貴金属類を失った。しばらく学校の建物を利用したキャンプ地で生活していたが、1月の3週目に家に戻って生活を再開した。元々、他の人のボートを借りて漁を営む漁師だったが、怖くて海には戻れず、政府から支給された現金を元手に家の横に小さな茶店をオープンさせた。1日当たりおよそ1,000ルピーの売り上げがあり、利益としては200ルピー程度である。これでは家族を養うのに充分ではないという。彼の家の井戸もジャリルさんたちによって3度洗浄が行われ、現在その水を飲料水としても使っているという。味も大丈夫だし今までのところ健康上の問題も現れていない。

井戸洗浄活動翌日(3月28日)、TECHのもうひとつの活動地(井戸洗浄に関して)であるイッチランパットゥへ向かった。トリンコマリ市街から南へおよそ50km、車で2時間半ほど走ったところにある。ここではVirutcham(ヴィルットシャム=一番大きいもの、という意味)という地元NGOを通じて井戸の洗浄活動を行っている。これまでに200基ほどの井戸について2回ずつ洗浄を行った。このうちいくつかの井戸はICRCによる水質チェックをパスし、被災者用に設置されている給水タンクの水源として利用されている。

2) SEWALANKA活動地視察
3月29日から31日にかけてゴール、マータラ、ハンバントタの各郡を視察。ハンバントタ郡では、タンゴールという地域に建設された仮設住宅をいくつか見てまわった。

31日、コロンボへの帰路、再びSEWALANKAのゴール事務所へ寄り、MONLARのメンバー団体でゴールとマータラへボンラティアを派遣し井戸の洗浄や瓦礫の片付けなどを行っているSavisthriのメンバーと話をした。

3. まとめ
以上の現地訪問およびその他から得られた情報から、スリランカにおける復興支援の現状を以下にまとめる。

1)住宅建設
各地で仮設住宅の建設が進み、多くの被災者が現在仮設住宅で生活している。当初学校などがキャンプ地になっていたが、現在はそうしたキャンプ地はほとんど残っていない。

LTTE支配地域では仮設住宅のデザインが統一されており(カジャン屋根、コンクリートブロック壁)、全ての仮設集落はTROが管理している。一方、それ以外の地域ではNGOなどが独自のデザインによる仮設住宅の建設を行っており、各NGOへ担当地区の割り当てが行われている。ただし、トリンコマリでみられたように政府による土地の確保が遅れたため、仮設の建設がほとんど始まっておらず、みなテントでの生活を余儀なくされているという地域もある。

ドイツの団体によって再建が進められている住宅また、Planが新たな土地で恒久住宅の建設を始めているほか、ドイツの団体が残された基礎や窓枠など建物の一部を利用する形での住宅の建て直しを行うなど、恒久住宅の建設事業も始まっている。しかし全体としては、100〜200m以内の住宅建設禁止問題などを含め、政府による土地の配給政策が思うように進んでいないことから、いつ、どこに新たな土地と住宅が与えられるのか、明確な見通しは立っていない。

2)政府による補償
2月から被災世帯に対して月額Rs.5,000が支給されている他、米やダル、砂糖、油といった食糧の配給も行われている。これは親戚や友人宅に仮住まいしている世帯も対象となっている。また、死亡した人の家族に対して見舞金の支給も行われている(具体的な金額は不明)。尚、SEWALANKAを含め独自に食糧の継続的な配給を行っているNGOもある。

3)Water and Sanitation
仮設区域には給水タンクが設置され、定期的に給水車による飲料水の補給が行われている。トイレに関しては2〜4世帯に対し1つの割合で設置されている。元々あった井戸を利用できる世帯に関してはMONLARやTECHを含めNGO等による井戸の洗浄作業が行なわれている。井戸に関しては飲料水としての利用を再開するためには複数回にわたる洗浄が必要であり、また水質検査も行われるべきである。

3)生活手段再興への支援
多くの漁民が被災し生活手段を失ったことから、ボートや網の配給、修理費用の支給をいくつかの団体が実施している。これらの多くは元々ボートを保有していた被災者が対象であり、ボートを借り受けていた漁業従事者に対する支援とはなっていない。また、一人の漁業者が複数の団体から船の配給を受けるといった重複のケースもあるようだ。

各支援団体は次のステップとして、こうした生計手段の建て直しに向けての支援活動を実施しようとしているが、多くはボートの配給、ミシンの配給、といったモノの無償供与となっている。SEWALANKAでは小規模融資のアイディアも聞かれたが、まだ具体的には始まっていない。
また、一部NGOがCash for Workによる道路拡張事業などを行っている(GOAなど)。

尚、同行したロフィック氏からは以下のようなコメントが出されている。

  • 住宅建設等に関して:多くの場合、仮設住宅の建設コストが高い(例:SEWALANKAが建設しているモデルはRs.78,000/unit)。また破壊された建物の資材(レンガやブロックなど)が仮設の基礎やトイレの建設等に利用されるべきである。トタン屋根は内部の温度が上がりやすく、子どもの顔に熱射病(?)による発疹が現れている例も目撃された。

  • 農業関連:仮設地区も含め、ココナツなど塩分を含んだ土地でも生育可能な植物を植えてはどうか。また早期にリターンが期待できるバナナを植えることも収入向上の面で有効。塩害にあった田畑では、塩分を取り除くことだけではなく現状にあった作物の導入を指導することも考えるべき。養鶏などの普及も有効。

  • 災害サイクルに基づいた活動:救援、復興/再建、開発というサイクルに基づいて活動計画を立てなければならない。スリランカの現状を見ると全てが一緒くたになっている感がある。また、被災者の援助への依存を防ぐためにも食糧等の無償供与は最長でも120日間に限られるべき。

  • 今後の防災対策:数日前に発生したスマトラ沖の地震でも明らかになったように、津波発生から3カ月以上が経過した今も、有効な防災対策が立てられていない。バングラデシュの経験から言えば、警報システムや日頃の準備を含め、有効な防災対策が行われ災害発生時に適当な対策が行われれば、今回各世帯が経験した損失の多くは防ぐことが出来る。

■スマトラ沖地震・インド洋津波救援・復興活動
〜スリランカにバングラデシュの防災対策専門家を派遣〜
(3月26日 17:00)

スリランカにバングラデシュ人の防災対策専門家ロフィクール・アロム氏(BDPC:Bangladesh Disaster Preparedness Centre、民衆中心の防災活動に歴史と定評をもつバングラデシュNGO)を、3月28日〜4月10日の日程で派遣します。

被災地を視察し、民衆中心の災害対策が進むバングラデシュの事例と比較しながら、シャプラニールが支援する地元NGOや有識者との意見交換を行います。訪問の最後には、津波復興支援を行うNGOや組織に対する提言を行う会議をコロンボで予定しています。

同氏の派遣に伴い、東京事務局の藤崎をスリランカへ派遣(3月28日〜4月14日)。ロフィクール氏に同行するとともに、同氏の提言を受けたプロジェクト形成の可否をパートナー団体とともに協議します。


■スマトラ沖地震・インド洋津波
〜アンダマン・ニコバル諸島とスリランカへスタッフを派遣〜
(3月15日 PM19:00)

アンダマン・ニコバル諸島スリランカへ支援先団体のモニタリングと復興支援活動の調査のため下記の日程でスタッフを派遣。調査報告は随時掲載していきます。

  • アンダマン・ニコバル諸島(2005年3月12日〜3月19日)
    白幡ダッカ事務所長とダッカ事務所スタッフの計2名を派遣。

  • スリランカ(2005年3月16日〜3月31日)
    小松カトマンズ事務所長を派遣。

■スマトラ沖地震・インド洋津波〜スリランカ救援活動の最新レポート9〜
(2月8日 PM18:30 藤崎文子)

被災者と話をるすクマリさん
被災者と話をるすクマリさん

カジャンを使った仮設住宅
カジャンを使った仮設住宅

2月2日から4日にかけてスリランカ東部アンパラにある小さな町アッカレパトゥを訪問した。この地域で国際のNGOスタッフとして長らく平和構築の仕事に携わってきたクマリ(本Luxshmie Kumaragamage)さんに同行し、タミール系住民キャンプイスラム系住民キャンプ、被災地などを視察。クマリさんは津波直後から1月末までこの地に留まり、友人などから集めた資金でタミール系住民とイスラム系住民両方に対して、コンサルテーションを含め様々な支援を行っている。

不自由の多いキャンプでのテント生活をしている人に対して、長期の使用に耐えるカジャン(パルミラヤシの葉を編んだマット)を使った住宅の建設(タミール系住民地域)、イスラム住民地域では女性専用トイレ、水浴び場の設置や、女性の健康に配慮した対応を行いたいというのが彼女が考える今後の支援内容だった。イスラム系住民地域では青年グループが活発に活動を行っているということでそのイニシアチブを損なわず、シャプラニールからどのような支援が可能かを検討するために現場の視察を行った。

タミール系住民とイスラム系住民とは居住地域が分かれていたためか、避難キャンプもそれぞれが分かれて成立しており、訪問したキャンプに限っては外からの支援の大きさに明らかな差がある。

TROの名が見られる
TROの名が見られる

タミール系住民キャンプのこどもたち
タミール系住民
キャンプの子どもたち

LTTE(タミル・イーラム・解放の虎)、もしくはTRO(Tamil Rehabilitation Organization )が接触することを恐れた政府がSTF(Special Task Forceスリランカ軍内の警察組織)をタミール系住民キャンプに常駐させていたのが訪問した3つのうち2つ。治安維持の名目で銃を持ったSTFが警備しており、水の供給などを行っていた。国際NGO(Oxfam community Abroad)や国連機関からの支援でトタン製、もしくはパルミラヤシでできた仮設住宅も建設されていたが、トタン製のものは通気性が悪く熱を通しやすいため、住民にはあまり評判がよくないようだ。

もう一つのキャンプは町中の学校にあり、当初350家族以上がいたということだが、多くの人が親戚などを頼ってキャンプを離れ、現在は約90家族が生活をしている。ここはTROが全体を統括しており、女性を含んだグラムセワカ(村役人)が住民の対応にあたっていた。STFやTROの「警備」はクマリさんが滞在していた1週間前にはなかったということで、LTTEとスリランカ政府がキャンプの「取り合い」をしている様子をうかがわせた。

その後、イスラム系住民地域を訪問した。ここは津波の被害を受けたもののその程度が比較的軽く、家によってはなんとか住むことができる状況で家に住めなくなった人はモスク前の空き地にテントを張って生活していた。その数ざっと3,40というところ。半壊した家に住む人たちも、そのあたりに転がっているレンガなどをつみあげ家の周りを囲って少しでも人目を避けられるようにしていた。人前に姿を現すことの少ないイスラム女性にとっては、この状況でもかなりストレスが大きいと想像できる。

避難キャンプではないためか、ここを支援するNGOなどの姿はなく、青年からなるグループが人々に声をかけ状況の改善をするために働きまわっている。知人友人からの寄付や協力で、医薬品を提供したりしている。人々が少しでも早くもとの生活に戻れるよう、仕事を再開するための資金提供や自転車の提供などを考えているという。

政府とLTTEの駆け引きや、イスラム系住民に対する支援の薄さなど、政治的な背景を抜きにはこの地域の状況は理解できない。また、外部からの支援(資金)をいかに自分のところに持ってくるかに執心しているかのような地元NGOの動きも見逃してはいけないだろう。そんな中で、地域のために活動しようとしているイスラムの青年グループの働きは本当の意味でのボランティアリズムを体現していると感じる。彼らの自主性を壊さないような外からの支援を考えたい。


■スマトラ沖地震・インド洋津波〜スリランカ救援活動の最新レポート8〜
(1月29日 PM16:00 藤崎文子)

MONLARパートナー団体訪問

モラトゥアの海
モラトゥアの海
津波を受けた家
津波を受けた家
代表のケリー氏
代表のケリー氏
事務所を訪れたデヴィカさん
事務所を訪れたデヴィカさん

コロンボから車で南に1時間弱にあるモラトゥアのコロラウェラという地域を訪問した。海岸線に平行して鉄道と道路が走る。漁業と家具作りに従事する人が多い場所で、道の両脇には材木置き場や小さな家具工房が並び、家が鉄道をはさむようにして密集していた。ここでは海岸沿いの8kmが津波を受け、被災したのは約3,600世帯、津波発生直後は19のキャンプに18,000人が避難していた。現在でも10のキャンプに6,000人が滞在している。死者は66名と他の地域に比べると割合少なかったが、これは津波が到達したのが他の土地よりも遅く、別の場所で津波の被害が出ているということを耳にした人たちがいたからだと、地元の人が教えてくれた。

ここでは以前からデング熱をなくために活動をしていたグループAnti-Dengue Campaignとスリランカ南部で活動を行っているナヴァマガ・ファンデーションの人たちが、被災者に対する支援を行っていた。代表を勤めるケリー氏がコロラウェラの隣村の出身ということで、津波が起きた翌日には到着しそれ以来支援を続けているという。場所はケリー氏の旧友ミルトン氏が自宅の一部を開放して場所を提供してくれている。

津波直後は米やダール豆などの食料、衣類、粉ミルク、薬の配布を行い、MONLARから提供されたポンプで井戸の洗浄を行った。今はノートやペンを失った子どもたちへ学用品を布もしている。また、結婚証明、土地の所有証書、津波による死亡証明などの発行手続きも支援している。

娘のために学用品を取りに来たデヴィカさんに話を聞いた。夫は家具作り職人、娘は6年生と11年生の二人の4人家族。皆無事だったのは不幸中の幸いである。しかし、夫がカタールで3年働いて建てた家は外側こそ残ったものの、家の中にあったものはすべて流されてしまった。今後どうするつもりかと尋ねると夫とデヴィカさんは口を揃えて「(海が)怖いからもうここには住みたくない」と答えた。キャンプの生活は自由にならないことが多く、食事は20家族がグループを作って一緒に料理をしているのだという。

ナヴァマガ・ファンデーションでは、キャンプで避難生活をする人、知人や親戚の家に身を寄せる人たちに会って、家族構成と状況、津波の被害、病人の有無、今後同じ場所に住みたいかどうかという情報をシートに記入し、彼ら独自の被災カードを発行し、より必要としている人へ支援が渡るよう配慮している。ケリー氏は「人々は少しでも早く元の生活に戻りたいと思っています。いつまでも他人の支援に頼って生きたくないのです」と言った。職業別にグループを作り、家具職人グループには大工道具を、漁民グループには船や網を渡し、皆で利益を配分できるようにするつもりだという。また活動資金を作るために絵の販売活動も始める予定だ。

キャンプ内で水浴びする人たち
キャンプ内で水浴びする人たち
ボートの修復作業の様子
ボートの修復作業の様子

次に訪れたのはスリランカ南部のゴール地域、ドダンドゥアという小さな町である。94年から零細漁民の権利を守るために啓蒙活動を行うサザン・フィッシャリー・オルガナイゼーシン(SFO)である。多国籍企業や、ダイナマイト漁で根こそぎ魚を獲ってしまう企業などへの抗議活動なども行ってきた。メンバーである漁民は1200名、その殆どが被災した。ここでも当初は調理した食料の配布、その後、米やダール豆、塩や紅茶などの配布を行ったが、生活を立て直すという意味で根本的な解決にはならないと考え、一日も早く漁業を再開できるように現在はボートの補修を中心に行っている。約500隻のボートが修復を必要としており、これまでに約85隻の補修が完了した。大手のNGOや国際機関が来てテントや資などの配布をしただけでいなくなってしまい、今ではSFO以外には殆ど活動していないという。

しかし問題は政府が今度どのように復興を進めていくかという点である。現在UNHCRやNGOから異議が出されたため、浜から100m以内には家の再建を許可しないという方針を政府は再検討する約束をしたが、どうなるか誰にもわからない。その土地に住む人にとっては生活をかけた問題である。

大きな被害を免れた女性の家の台所をボランティアが再建しようとしたところ、警察がやってきて制止したが、横の観光客向けのレストランの修理は黙認し、その店は今や営業を再開しているという。政府が再開発計画に合わせて、今後は出漁船の数を制限しようとしているという話もある。水やトイレのない不自由な生活を強いられる上に、自分の土地にも戻れず、生計を立てる目処もたたない人々がいまだに多くいる。

モロトゥアでもドダンドゥアでも子どもたちは元気だった。よそ者である私の手を取って自分が住むテントに連れて行き、家族を紹介し、最後には「手紙をちょうだいね」と住所を書いた小さな紙切れを次々に手渡してくれた。そこには彼女たちがかつて暮らした住所が書かれている。彼女たちが果たして同じ場所に戻ることができるのか、戻れなければどこに住むことになるのか、コロンボに戻った今も考え続けている。


 ■スマトラ島沖地震・インド洋津波〜スリランカ救援活動の最新レポート7〜
(1月25日 PM18:00 藤崎文子)

スリランカの、アンバラントタ、ハンバントタを視察した藤崎からの現地レポートをお伝えします。

<1月21日>

MONLARのICT(Information and Communication Devision)シャミラ(Shamila)氏とアローカ氏とハンバントタに向けて出発。プランテーションで働く若者たち約25名が、被災地での支援活動をするということで、その様子を見ることが目的だった。被災直後にカトマンズ事務所長の小松が訪れたときには交通規制が行われていたという海岸沿いの道は、壊れた家の残骸や木などの除去が終わっており、通行にはまったく支障なかった。コロンボを抜けて30分ほどしてモラトゥアという町に入ったところで、津波被害の後が現れた。その後も、道が海岸近くを走っているところでは道の両端とも家が跡形もないほど壊れていたが、後片付けが進んでいたようで、津波直後の生々しさはあまり感じられなかった。

昼過ぎにハンバントタ郡のアンバラントタに到着。MONLARのパートナー団体であるOPFMD(Organization of Parents and Family of The disappeared概要については後述)事務所を訪問。しかし前日には到着しているはずのプランテーショングループはまだ来ていなかった。理由は交通手段の手配に手間取ってしまったということで、3,4日遅れてくるということだったが、こちらにその情報が知らされておらず、同行したシャミラやアローカも今回の訪問の目的を知らなかったことは、MONLARに対してきちんと抗議しておく必要がある。


◎OPFMDについて


キャンプで聞き取りをする様子1991年活動開始、88、89年の紛争でこの地域で約7,000人の若者が姿を消した。失踪した人を探したりその家族へのケア、子どもたちへの奨学金提供などを行っている。MONLARとは3年前から。農民に対する研修(Sustainable Agriculture)NationalFarmers Assembly, 農民の人権保護などの活動を行う。津波に関しては子どもを対象としたデイケアセンターの運営や親を亡くした子ども親戚を探すなど、行方不明者の捜索もしている。同行した時にはイスラム教徒コミュニティ(テントが張られていた)で、被災した人の状況聞き取りをしていた。本部を含め3つの事務所がある。

アンバラントタの町は多少内陸にあったため町の中心は被害を受けておらず、被害を受けたのは町外れの集落であった。郊外に居住して家屋が壊された人たちに対する支援はほとんどない。そのためOPFMDが、多少内陸にある他の人の土地を使わせてもらうよう交渉、テントを地方政府から借りられるよう手配をして支援をしている。

破壊を免れたモスクの周りに2、30の青いテントが張られているここでは3つのテントに11人が寝泊りし、水やトイレはそばにある家のものを使わせてもらっているが、この人たちは川沿いの土地で農業をしていたが、津波の影響で土地が流されてしまったため、将来の生活をどうするか全く目処はたたないということだ。

この後ハンバントタに行った。郡庁や商店の集まる町の中心は少し高台にあるが、そこから海岸へ降りていくと全く別の風景が広がっていた。ある程度瓦礫などが取り除かれており、破壊を免れたモスクの周りに2、30の青いテントが張られている。

かつてはマレー系スリランカ人1400家族が住む漁業を中心としたコミュニティだったということだ。イード当日だというのにそれを祝う雰囲気はまったくない。あるテントに7、8名の女性が集まっていたので話を聞いた。

彼女たちのほとんどが自分を除く家族を失っており、同じような境遇の女性が自然と集まってきたらしい。日中テントで過ごし衣類や食料などの支援物資を受け取るが、夜になると危険なので親戚や知人の家に帰るという。彼女たちを待ち受けている困難を想像するだけで胸を引き裂かれる思いがした。

家があったと思わしき場所を歩いていると「マレーシアから来たのか」と男性に声をかけられた。サロワカミューズを着ていたのでムスリムと思ったらしい。マレー系スリランカ人のその男性は娘3人と妻、義理の両親を亡くしたという。家を再建しようにも政府が禁止する100m以内にあったためにそれも難しい。その男性の義兄は津波のニュースを聞いて出稼ぎ先のアブダビから戻ってきたという。あまりにも絶望的な状況で、それ以上の質問もはばかれて、そのままその場を立ち去った。


<1月22日>

点在しているはずの家が跡形もなく壊されなにもなくなっており、道の両脇に木が茂る田舎道にしか見えなかった。
寄せ集めた材料で家らしきものを作っている

翌日訪れたのはアンバラントタのビリガハルゴタという場所。点在しているはずの家が跡形もなく壊されなにもなくなっており、道の両脇に木が茂る田舎道にしか見えなかった。死者の数は少なかったものの、全壊した家が多かったという。道端や木の上部にサリーなどの布が引っかかっている様は、ここを襲った水の高さと勢いを物語っている。

そばにいた初老の男性に聞いたところ、波の高さは30フィート(約9メートル)あったということ。今ほとんど人は住んでいないが、寄せ集めた材料で家らしきものを作っている人もいた。

津波から生き残ったのか、牛がのんびりと草を食んでいるすぐ横には、枝の間に体をとられたのか力尽きた水牛の死体が転がっている。前の日にOPFMDの支援でテントを受け取って生活している家族はこの辺りに住んでいたらしい。

次に訪れたアンバラントタのワードルパでは67世帯が漁業を中心に生活をしていた。ここも全壊している家が多かったがUSAIDがはいっているらしく、ロゴの入った素材でテンポラリシェルターが建てられていた。

スマンタラさん(37)に話を聞いた

「夫は精米工場で働き家の軒先で小さな雑貨を営んでいたがすべて流された。娘2人と息子2人がいる。家族への被害はなかった様子。政府のクーポンで衣類や食糧の配給を受けている。」

海岸から100m以内であるために自分の土地であるにもかかわらず、そこに家を再建できるかどうかわからないという。近くの学校ではUSAIDがテンポラリシェルターの建設に関して地元の人とミーティングをするということで、多くの人が門の外で待っていた。

District Secretariate(旧AGA、以下DS)を訪問した。

外では台湾から来たという仏教系組織が7、8名いた。12月30日にスリランカ入りし、支援活動が手薄だというハンバントタでの活動を決定。それ以来、メンバーが入れ替わりながら医療、食料配布、シェルター、家の建設などを行っているという。

私たち以外にはHelp Ageともう1つのNGOがいたためDSでブリーフィングが行われた。それによると食料はほぼ足りている。家の再建が必要なのは5000戸だが、CARE、NICCO、Plan internationalなどを総計すると4000戸は確保できており、大よその目処はたった。

今後は生計をどう立て直していくかが焦点になるとのこと。スリランカ政府が2ベッドルーム、台所、リビングからなる家を建築することを決定した。

これは家族の人数などは一切斟酌されず、また漁業をなりわいとしている人々も政府の提供する内陸の再定住地に移らざるを得ないという点で大きな問題を含んでいる(上記5000戸のうち1000世帯が、海岸から100m以内の再建禁止区域に入っている)。

漁をする人たちが内陸に住むことで問題は起きないのかと質問したところ、浜に漁具などをしまう倉庫を作るので使わないときはそこにおいて鍵をかければよい、と言う。

それぞれが抱える状況などいちいち構っていらない、という態度がありありと見えた。

政府が津波被災者のためにこの土地を提供する旨が書かれた大きな看板とモデルルームの見取り図の描かれた看板その後政府が決めたという再定住地を訪れた。ハンバントタの町から5.6kmートルもしくはもう少し入ったところにあるサモダガマという場所で、もともとは3、4mの木が生い茂る土地だった。訪れたうちの1箇所は木の伐採が終わって、整地もほぼ済んでおり、これから家の建設がはじまろうという感じで、政府が津波被災者のためにこの土地を提供する旨が書かれた大きな看板とモデルルームの見取り図の描かれた看板が立てられており、一見新興住宅地の開発現場のようにも見えた。もう一カ所は土地整備が始まっておらず、ここにMONLARの言ったプランテーションで働く若者たちが派遣され木の伐採を手伝うということだ。

以上、アンバラントタ、ハンバントタの視察を終えこのあとコロンボに戻った。

全体として物質的な支援に止まっており、津波被災者の生活をどのように立て直していくのかという視点が現場でも、中央レベルでもまったく欠如しているという印象を持った。将来の展望をもたないまま再定住をすすめたり、海岸から100m以内に住宅を再建することを禁じる一方で、観光を主眼とした再開発計画を立てているという話もきかれるという点も、津波で被害にあった人たちの状況をさらに苦しいものに追い込む可能性があるということで危惧を感じる。また支援からこぼれている人(被害が集中している町中でなくはずれに住んでいる人たち、たまたま津波の現場にいて夫など働き手を失った家族)が存在することも見逃せない。後者に関しては、おそらく政府、NGOを含めてどの組織も取り組みをしていないと思われる(SewalanakaのUdeni氏によると、死者数としては含まれているとのことだが)。

またMONLARに関して疑問に感じたのが、派遣グループの派遣先が政府の決めた再定住地であるということだ。MONLARが農民や零細漁民など災害の影響をより被りやすい人たちの視点から今回の活動を考えていることも彼らの活動を評価する大切な要素の一つだったと理解している。たまたま今回訪問したOPFMDがMONLARの考え方を理解していなかっただけなのかもしれず、それがネットワークNGOの弱さでもあるのかもしれないが、最低でもあと一つ実際の活動を視察して確かめる必要があると思っている。


■スリランカ救援活動の最新レポート6
(1月21日 PM15:00 藤崎文子)

1月19日、東京事務局スタッフの藤崎がスリランカに入り、現地パートナーNGOと面会しました。以下、現時点での全体状況や課題について団体別にお伝えします。

<SEWALANKA>
依然として多くのキャンプに人が避難している。キャンプでは食料や水、生活用品などまだ不足している。キャンプに避難している人の中にはそこを出て、親戚や知り合いの家に身をよせる人や、再びキャンプに戻る人もいる。キャンプ間の人の移動も多く、状況やニーズをつかみにくいのが現状である。


1.政府の方針との軋轢

海岸線100m以内には家の再建を禁止したが勝手に家を建て始めているひともいる様子。また、津波で被害を受けた人に対して、政府が復興住宅を建てるという約束や、それができるまでの間テンポラリーシェルターを提供することになっているが、直接被害は受けていないものの、(魚を買い付けている仲買人など)間接的にダメージを受けている人たちの間から、不満が出てくる恐れがある。


2.ゴミ問題
緊急支援で物資が配給されるが、ゴミが出るものが多く、その処理が問題になっている。また壊れた家の後片付けをするなかで、残骸が他人の土地やマングローブ林などに無計画に捨てられおり、環境破壊が心配される。


3.必要と思われるが支援ができていない分野

  • 就学前の児童:もともと公教育ではカバーされていない年齢で、どのようなケアが必要かも議論されていない。遊び場や託児所などが考えられる。
  • カウンセリング:政府が被災者の再定住をどこにさせるのかによって、コミュニティの姿が変わってくるため、政府の方針を見極めてからだが、今後重要となってくる。
  • HIV/AIDs:もともと貧しい人たちが津波によって収入の道を閉ざされ売春をする人が増える。話題には上るが何も手がつけられていない分野である。

<MONLAR>

1.ボランティアグループ
現在71のボランティアグループがMONLARのリストに名を連ねており、だいぶアクティブに活動が動き始めている。MONLARは移動に関わる費用などを支援するが、あくまでも参加する人のイニシアチブを損なわないように注意している。
21日から、中部山間地帯の茶畑で働く若者たちがグループとなって南部へ行き被災した人の家やがれきを取り除く手伝いを行うことになっている。


2.保健衛生に関する啓蒙活動

タミール語とシンハラ語の両方で印刷されているポスターはすでに配布終了。同様のプリントは配布途中である。
その他、乳児を抱える母親を対象にしたリーフレットの作成を予定している。これは、もともと値段の高い粉ミルク(1カ月1500Rs)が値上がりしていることと、もともと皆が持っている伝統的な知識が失われていくことに対する危機感からである。


3.津波復興と開発計画

津波がおきる以前からあった政府の開発計画である"Re-gaining Sri Lanka"が、今回の津波復興に乗じて進められられようとしていることに対する危機感を持っている。
海岸線から300m以内は家を建てさせないということだが、ホテルにはそこでの再建を許していたり、大規模な漁港を作る計画もあったりと、零細な漁師がますます貧困に追いやられていくという点が懸念される。


■スリランカ救援活動の最新レポート5
(1月19日 PM12:00 小松豊明)


このリポートでは、スリランカ滞在中に得た情報および、カトマンズへ戻ってからの情報を整理し、現時点でのスリランカでの支援内容、および今後の可能性についてまとめてお伝えします。

1. 支援状況
キャンプ地の様子(スリランカ)各地に設けられたキャンプにおいて食料や飲料水、衣服など最低限必要な物資は届けられており、医療サービスも提供されている。各国援助機関の迅速かつ集中的な努力によって緊急救援の初期段階はほぼ終わったと考えて良い。現地滞在中に訪れた被災地でも、キャンプ生活者の数は日ごと減っており、親戚の家などで暮らす人がいる一方、部分的な家屋の被害で済んだ人々は徐々に自分の家での生活を再開している。

政府及び各国援助機関の活動も緊急救援の次の段階へシフトしており、キャンプ地から仮設住宅ないし仮設テントの設置とそこへの移住、それに伴う日用品の配給、トイレの設置、飲料水確保のための浄水装置の設置、井戸の洗浄といった取り組みが行われている。

被災した船(スリランカ)また、復興段階へ向けた動きも始まっている。今回の災害では多くの漁民が壊滅的な被害を受けた。22,940艘の船が破壊されたが、これはスリランカ全体の漁船の81%にあたる。これを受けてFAOは漁具の修理を中心とした生活手段の建て直しを始めようとしている。

各国からの支援をコーディネートする動きも活発で、早い段階からUNDPなどが中心となってコロンボでのコーディネーション会議、情報共有のためのサイトの立ち上げなどが行われてきた。現在は大統領直属のCNO(Centre for National Operations)、民間シンクタンクのCHA(Consortium of Humanitarian Agencies)といった機関が中心となって情報提供及びコーディネーションを行っている。

地方レベルでは、次項で述べる地方行政機関のほか、ムスリム・コミュニティの組織がモスクを基点にコーディネーションのポイントとして各地でよく機能している。

また、インド、バングラデシュ、アメリカなどが救援活動を行うため軍隊の派遣を行っているが、特にアメリカ軍の派遣に関しては、パウエル国防長官がCNNのインタビューで「重大な被害を受けた被災者がテロリスト側に転向する恐れもあり、事態はもはやsecurity issueとして扱われなければならない」といった発言をしていることや、LTTEをテロリスト集団として指定していること、原油運搬の中継地点としてスリランカのトリンコマリを狙っているという憶測などもあり、市民感情が敏感になっている。


2. 政府の対応
救援物資の配布の様子(スリランカ)今回の災害に対してスリランカ政府は全般的に非常によく対応している。中央政府はもちろん、物資の配給、キャンプの運営、支援機関とのコーディネーションなど、郡レベルでは郡行政を担当するGA(Government Agent)およびその下部に当たるDS(Divisional Secretariat)が重要な役割を果たしている。

また、政府は1月3日、銀行や大企業の代表を主要メンバーとするTask Force for Rebuilding the Nation (TAFREN)を立ち上げ、復興へ向けた取り組みを始めている。政府は、このタスクフォースがまとめるアクションプランに基づいて1月15日から具体的な復興作業を始める予定である。これに関しては、災害発生以前から長期にわたり議論が続いてきた大規模インフラ整備事業を、今回の災害に対して拠出が約束されているWB、IMF、JBICなどの巨額な支援金を元に政府が実施しようとしており、これが本当に被災者、特に所得レベルの低い零細漁民や農民などを生活復興に役立つかどうか、環境に対する配慮が充分になされているか、批判的に検討する必要があるとの声もある(MONLAR, Alliance for the Protection of National Resources and Human Rights (ANRHR))。また、巨額の資金が動くことから汚職に関するモニタリング機能を充実させる必要があるなどの提言もある(Transparency International)。


3. シャプラニールの支援
被災地を視察する小松駐在員(スリランカ)シャプラニールとして今回の被災地、特に南アジアに位置するインドおよびスリランカへの支援活動の開始を決定した時点で、スリランカにおいては初動支援としてSEWALANKAへの資金提供を決定し活動費の一部を負担。また、非被災地から有志を被災地へ送り救援活動を行うというアイディアを持った、MONLAR (Movement for National Land and Agricultural Reform)との協働を決定した。NGOや労組のネットワーク組織であるMONLARは、被災地を含めスリランカ各地にメンバー団体を持ち、私が現地を訪れた時点で既に支援活動を開始していたり、その意思を示している団体が十数団体あった。被災したコミュニティの中での助け合い、一般の人々や企業による寄付および食糧配布作業など、市民のボンラタリズムが緊急支援に大きく貢献している現状からみても、MONLARが基本的な考えとする「ボランタリズムの促進」は、時宜にかなったものと思われた。

尚、こうした活動を進めるに当たり、政府機関等とのコーディネーションを心がけ、活動の重複を出来るだけ避ける必要があるとの認識で一致している。また、通常の活動としてアドボカシーを得意としているMONLARの特性を活かし、今後の政府の対応などに対する提言など、他NGOとは異なる視点の提供も期待している。


■スリランカからの最新レポート4
(1月8日 AM2:00 小松豊明)


1月5日から6日にかけて、スリランカで最大の死者を出したアンパーライ郡へ視察に行った。これからの協働を検討しているMONLAR(Movement for National Land and Agricultural Reform)のスタッフと一緒である。

<1月5日>
先日ハンバントタへ行くときも通ったラトナプラから今度は真っ直ぐ東を目指す。長い道のりでみんなぐったりし始めていたとき、何か妙な音がすると思って耳を済ませるとどうやら我々の車から出ている音らしい。まさかと思って窓から顔を出してみると、左後ろのタイヤがすっかりパンクしてホイールが路面にぶつかっていた。降りてみてみると左前も空気が抜けているではないか。とりあえず、パンクしてホイールから外れかかっている左後ろのタイヤをスペアと交換し、タイヤを売っているような店がある街までゆっくり車を走らせることになった。結局タイヤ屋は見つからず、しばらく行ったところで応急処置だけをし、目的地へ向かった。タイヤのパンクで大幅に時間をロスしてしまった。今日は現地視察は断念するしかない。結局宿泊地であるアンパーライ郡の郡都に到着したのは夜の9時。夕食をとり、水を浴び、明日の予定を確認しているうちに夜中の12時を過ぎた。私もMONLARのスタッフも前日2時間ほどしか寝ていなかったので、早々にベッドへ向かった。

<1月6日>
朝7時半に宿泊先を出発し、アンパーライ郡の中でも被害の大きかった地域のひとつ、カルムネイへ向かった。海岸近くまで車で行こうと思ったら、道路の損傷が激しく車では近づけない。車を大通りへ止めて歩くことになった。海岸へ向かって歩いていくと、水に浸かった痕が壁に残る家々が目に付くようになり、さらに進んでいくと突然視界が開け、そこにはほぼ全壊した家が連なっていた。ここはまだ全く片付けが始まっておらず、遺体こそは既に運ばれて無くなっていたが、それ以外は被災当時のままという感じであった。被害のすさまじさに言葉を失っていると、スタッフが「骨がある」と指を指したその先に、大腿骨だろうか、大きな骨と変色した頭蓋骨が転がっていた。すると、周囲にいた村人が、「あっちに遺体が2つある」と教えてくれた。確かに異臭が激しくなってきていた。恐る恐る見に行くと、壊れた家の瓦礫にはさまれる形で、2つの遺体が放置されていた。スタッフの一人がすぐに警察へ連絡したが、こうした遺体はまだ他にも発見されずに残っているものと推察された。

辺り一帯井戸以外は何も残されていないパンディラプと呼ばれるこの地域だけで、およそ700人が亡くなったという。我々に遺体の場所を教えてくれた青年は1kmほど離れたキャンプで生活しているという。大学のキャンパス内に設けられたキャンプであるため、新学期の始まる今月中旬には別の場所へ移らなければならないが、見通しは立っていない。また、隣の家で残された食器などを探していた家族は、キャンプへは行かず親戚の家に身を寄せているという。しかし、いつまでも親戚の家に厄介になるわけにもいかないので、次のことを考えなければならない。キャンプ地は遠いため行くのが難しく、支援物資の配給を受けたことはないという。

海岸線から約1km離れた辺りでは、1メートル以上が水に浸かり家の内部はかなり被害を受けているが家自体の損傷はそれほど激しく無く、人々は自分の家での暮らしを再開するため、家の片付け作業を始めていた。

この地域全体の様子を知るために、NGOの活動をコーディネートしているコーディネーション・オフィスを訪れた。ハンバントタでも同様だったが、ここでもムスリム組織が指揮をとっていた。自らの家も全壊したという代表のナジム氏に話を聞いたが、非常によく全体の状況を把握しており、外国からやってくる支援組織もここを訪れ情報を収集し、協力関係を築いているようだ。彼によると、医療関連の支援は充分行われており、水の供給も問題ない。ただ、食糧に関しては料理して配布しようとすると予想していない大勢の人々が押しかけるため管理が難しいという。また、フライパンや鍋、食器といった日用品がないので、被災者が今後キャンプを出て新たな生活を始めるためにはこうしたものが必要となる。政府は現在空き地になっている場所にテントを用意してそこへキャンプ滞在者を移す計画だが、そのためのテントやトイレの手配がこれから必要だ。

帰り道、SEWALANKAのアンパーライ事務所へ立ち寄った。キャンプ地へ届ける飲料水タンクやマット、バケツなどが大量に積まれていた。それぞれ各国のドナーや企業からの資金で購入され、配給を待っているものである。

アンパーライの街を出発したのが夕方6時近くになってしまい、結局コロンボにたどり着いたのは夜中の2時であった。



■スリランカからの最新レポート3
(1月4日 PM17:00 小松豊明)

1月1日から2日にかけて被災地のひとつハンバントタを訪れた小松豊明(カトマンズ事務所長)の報告。

<1月1日>
波によって屋根の上に打ち上げられた船を撤去するボランティア2004年12月29日の時点で支援を決定していた現地NGO、SEWALANKAの案内で、スリランカ南部のハンバントタ県を訪れた。ハントンバタ県は、道路が通行不能となっっており、また電話が不通となっているため、支援の手があまり届いていないという指摘を受け、死者数で見ると2番目に被害の大きいこの地への視察を行うことにした。

道路が寸断され海岸線が通れないことから、内陸部のルートを使ったが、海に近づくにつれ腐敗臭が鼻をつくようになり、前日に買っておいたマスクをかけた。正午12時過ぎにSEWALANKAのハンバントタ郡事務所に到着。郡事務所長によると、ハンバントタ郡には12のDS(Divisional Secretariat、地方行政組織の階層で郡の下に当たる)があるが、そのうちベリアッタ、タンゴール、アンバラントタ、ハンバントタ、ティッサマハラマの5DSが大きな被害に遭ったという。被災した世帯の数はおよそ15,000、死者は3,000人以上、30ほどの被災者キャンプがあるという。またハンバントタ郡東部のヤラ国立公園へサファリに訪れていた日本人一行数十人が被災し、十数人の遺体が見つかっただけであとは行方不明になっているとの情報もあった。

  • ヤダカンディヤ・マハヴィディヤラヤ・スクール(ティッサマハラマDS)
    キャンプ内に積み上げられた物資長期休暇中の学校がキャンプとして使われている。当初は668世帯(約3,000人)が居住していたが、親戚の家に移るなどして段々と数が減り、現在滞在しているのは168世帯(約600人)。教室が寝場所として使われ、床に敷物などを敷いて寝ている。3度の食事が提供され、医師も常駐しているという。いろんなところから送られてくる衣類や飲料水など様々な物資が積み上げられており、衣類の選別を行うボランティアの姿もあった。彼らによれば各地から送られてくる大量の中古衣料の中で実際に使えるのはほんの一部だという。SEWALANKAはここに飲料水を備蓄するためのタンクを設置した他、米の配給も予定しているという。

  • キリンドラ
    キリンドラにて。崩壊した家の前で座り込む女性キャンプを視察した後、その近辺では最も被害の大きかったというキリンドラへ向かった。村全体がダメージを受けており、多少形が残っている家もあるが住める状態ではない。壁だけが残った家の前で座り込む人、瓦礫の中から何かを探し出そうとしている人は何人かいたが、ほとんどの家主はどこかへ移ったのだろう、見当たらない。

    また、帰り道通りかかった村の集会所では物資の配給が行われており、村役場の役人や近隣のボランティアが食糧や石鹸、蚊取り線香などの物資を配っていた。このような光景はあちこちで見ることが出来た。


<1月2日>

朝8時、宿泊先を出発、ハンバントタ郡内でも最も被害の大きかったハンバントタDSへ向かった。途中通りかかった塩田で車を止め、作業をしている人に話しを聞くと、塩田に入ってしまった水を排出している最中で、完全に水を排出した後に洗浄のための水をいれまた排出、その作業を2〜3回繰り返した後ようやく塩作りが再開できるという。次の収穫が出来るまでには2〜3年かかる見通しだという。ただ、これまでのストックや別の場所にも塩田があるので、塩不足などの問題はないとのことだった。

ハンバントタはヨーグルトの産地としても有名で、道沿いに数え切れないほどの店が並んでいる。しかし、どの店にもヨーグルトは無かった。原料となる牛乳の衛生が確保できないとして牛乳の供給がストップしているためである。いろんなところに影響が出ている。

  • ハンバントタ
    ハンバントタのリルウアンさんと小松前日訪れたキリンドラよりも世帯数が多いせいか、被害も大きく見える。跡形も無く崩れ去った家屋がほとんどだ。壊れずに残った食器を集めている人がいたので、声をかけてみた。リルウアンさん。妻と子ども3人、妻の父親と一緒に暮らしていたが、自分以外はみんな亡くなってしまったという。ただし妻と子ども一人の遺体しか見つかっていない。今は兄の家に世話になっているという。津波が村を襲った当時、家族はみんな家にいて、最初の津波が来たときに彼は急いで様子を見るために2階へ上がった。するとすぐに巨大な第2波がやってきて、あっという間に水の中へ巻き込まれた。何がどうなっているのかわからなかったが、ふと気付くと水中から日の光が見えたためそちらへ向かって必死で泳ぎ、たまたまあったココナツの木につかまり、水から這い出すことが出来た。その際体中に負った無数の怪我の跡を見せてくれた。妻と子どもの遺体は家から1kmほど離れた場所で見つかったという。

    他の村人によれば、ハンバントタ郡だけでも最低8,000人は亡くなっているはずだという。政府発表の数よりもかなり多いが、行方不明者や倒壊した建物に下敷きになっている人も多くいるであろうことを考えれば、そのくらいにはなるかもしれない。

    ブルドーザによる瓦礫撤収作業郡内でも中心地にあたるせいか、復旧へ向けての作業もいち早く進んでおり、数台のブルドーザーが瓦礫の処理を行い、他の地域から来たというボランティアが片づけを手伝っていた。

    ハンバントタからの帰りは、コロンボまで海外線を試してみることにした。海岸線に点在する村々はことごとく破壊されており、あちこちで物資を配給するトラックの姿を見かけた。思いつきで持ち合わせのものを沿道の人々に渡している個人の車もあり、それを受け取る人同士が争っている場面にも出くわした。善意からだとは思うが、こうした行為は慎むべきであろう。

  • ゴール
    南部では最も大きな都市があり人口も集中しており、被害が大きかった地域のひとつである。バスパークや列車の線路などもことごとく破壊され、こうしたインフラの復旧には多くの時間と経費がかかるだろうことが予想された。またここで印象的だったのは、海岸からかなり離れたところまで水が押し寄せており、海水による浸水の後が家々の壁に残されていた。

以上、被災地の状況をお伝えしたが、全体として以下のことが言える。

  • 破壊状況は凄まじいが、死体の処理がほぼ終わっていることや、キャンプ及び物資の配給をはじめとした救援活動がよくコーディネーションされている。
  • 食糧や飲料水など、緊急的に必要な物資はすでに届いており、あとは人々へのスムーズかつ適正な配給が確保されれば緊急救援段階としては一段落するだろう。
  • 今後はキャンプを出た後の生活場所の確保、恒久的な飲料水の確保、保護者を失った子どもへの対応などの中期的な取り組み、さらに新たな家屋の建設や生活手段の確保など、復興への取り組みが始まっていく。



■スリランカからの最新レポート2
(1月3日 AM9:00 小松豊明)


スリランカ入りしているシャプラニールカトマンズ事務所長 小松豊明からの報告(31日まで)です。

1. 日本大使館
大西一等書記官と面談。今回の被災状況の概観のほか、救援活動に関して以下のコメントをいただく。

  • 物資の供給は既に足りている。問題は配布方法である。
  • 政府がきちんと機能しており、災害への対応は、物資配給など政府の施策が全般的に末端まできちんと届いている。
  • 日本のNGOではJPFの5団体の他、AMDA、BAJ、JCCPが元々スリランカで活動している団体として動いている。
  • スリランカでは元々相互扶助の精神が人々の中にしっかりとあり、コミュニティの中での助け合いが自然と行われている。学校やお寺がシェルターとして使われている。また、地域を越えた動きも活発で、企業や金持ちが救援活動に寄付をしたり、大使館スタッフも古着を売って物資を購入し、被災地へ届けたりしているという。
  • 市民による対応が可能となっている素地として、一般に識字率を含め教育レベルが高く、新聞やテレビ、ラジオのニュースなどから充分情報を得られることがあると考えられる。


2. UNDP会議

UNDPでの会議の様子緊急救援を実施している各国機関が集まって情報交換およびコーディネーションを行うための会議に参加。70名ほどが出席しており、会場内に入りきらないほど混雑していた。被災状況の最新数値が配布された他、各機関からそれぞれの新しい動きについて情報の共有がなされた。スリランカ政府運営のウェブサイトで関連情報が見られる。


3. MONLAR (Movement for National Land and Agricultural Reform)

ネパールNGOの紹介で連絡を取っていたネットワーク組織。会員団体は約200でスタッフ数は26人。今後の救援活動に関して以下のような考えを持つ。

  • 被災していない地域の人材および資源の活用:
    災害発生後、被災した地域以外で集められた物資を被災地へ送るための活動を支援している。
  • 伝染病対策:
    遺体の腐敗が進み、また井戸も使えない状態になっているため、伝染病の発生が心配されている。これへの対応が重要課題だとして、井戸の洗浄や医薬品の配布などを考えている。この目的のため保健関係の労組の構成員によるチームが結成され、既に活動を開始しているが、資金がないため継続かつ広範囲に活動が出来ていない。
  • 飲料水の確保:
    ミネラル・ウォーターの配布では一時しのぎにしか過ぎないので、継続的に飲料水を確保するために動力式ポンプの設置を考えている。
  • 栄養知識の普及:
    救援段階の次を見据えて、栄養状態の改善を目的とした家庭菜園の普及など。
  • 親を亡くした子どもたちへの対応:
    保護者を失ってしまった子どもも多く、例えばコロンボにある子ども関係の施設で一時的に預かるなどの可能性も考えられる。

また、1月1日から行く予定にしているハンバントータへ行って来たスタッフおり、現地の状況を詳しく聞くことができた。スタッフによる現状報告の内容は以下の通り。

  • 津波が襲ったのは日曜日の市が立つ日で、多くの人が市へ来ており犠牲者が多くなった。今も、海へ流された人の遺体が浜辺へ打ち上げられる。
  • ホテルなど倒れた建物の中に残された人も多く、こうした建物の除去作業が進めば、死者数はさらに増えるだろう。
  • 浜辺で暮らす人ばかりではなく、内陸の方から市へ来ていて亡くなった人も多い。その場合、残された家族はキャンプへも行けず緊急支援も受けられないため、さらに状況が悪いといわれている。
  • 被害に遭った地域では塩作りも盛んに行われており、今後塩不足が心配される。


■スリランカからのレポート1
(12月31日 AM11:00 カトマンズ事務所長 小松豊明)

30日の深夜からスリランカ入りしているシャプラニールカトマンズ事務所長の小松豊明からの報告です。

  • 援助物資を配るSEWALANKAのスタッフSEWALANKAの地域事務所は全国に18あるが、26日の津波発生直後からいくつかの地域事務所からの連絡が入り始めた。10時から12時の間に2度津波が来たが、2回目の津波が大きくこれによって多くの被害が出た。27日の夕方からいくつかの地域事務所で食糧の配布などが開始された。現在9つの郡においてドナーからの資金物資を得ながら救援活動を展開している。物資の調達については各地域事務所による現地調達を基本とし、現地で調達できないものについてはコロンボから送っている。しかし、道路が破壊されていることから移動および輸送は簡単ではない。毎日3回本部事務所で会議を開き、情報をアップデートしながら対応に当たっている。

  • 基本的なニーズは各地域で大差なく、食糧、飲料水、医薬品、トイレ、テントなどの配給を行っているが、全てが流されてしまったため衣服の必要性も大きい。

  • 死体の処理も大きな問題となっており、基本的には政府(警察、軍隊)がその任務に当たっている。NGO側からは棺おけの提供がなされている。

  • 被災地にいた外国人の医者や看護婦が、支援活動への貢献を申し出るケースもあり、昨日2名の医者と1人の看護婦を被災地のひとつへ派遣した。

  • 各地域でコンソーシアムが組まれ、政府・NGOを含めコーディネーションが行われている。多くの場合、SEWALANKAがリーダーシップをとっている。

  • 全般的に被害の大きかった北東・東部へ各国の支援が集中しているが、南部のハンバントータ郡などはあまり支援が届いていないと考えられる。道路が破壊され大きく迂回しなければならず移動に時間がかかる、電話などコミュニケーションの手段も寸断されている、といった状況もあり、困難が伴う。

    【SEWALANKAについて】
    正式名称:Sewalanka Foundation
    スタッフ数:380名(2002-03年間活動報告による)
    財政規模:収入Rs.26,705,579(2002-03)

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