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サイクロン
2009年06月06日
今回のサイクロンAilaの被害で、南西沿岸部を今後サイクロン被害から救うには、2つのことにつ いて対策がされなければ根本的解決にならない、延々と同じこと(サイクロン→高潮被害→緊急救援→救援物資・とくに飲料水が足りない→汚れた水を飲んで下 痢蔓延)が繰り返されるだけ、ということがはっきりわかりました。
その2つとはズバリ、「高潮を防ぐ堤防」と「飲料水確保」です。
5月29日のこのブログに「塩水から簡単に短時間に、大掛かりな装置も使わずに塩を抜く方法があれば、ずいぶん多くの人が助かるのに...。でもそ んな方法があったら人類はとっくに海水を飲料水にしてますよね。」と書いたんですが、その後「海水淡水化」で検索したら、ドバーっと日本国内の海水淡水化 プラントやら、淡水化装置の情報が出てきました。
Wikipediaの「海水淡水化」の項によると、海水の淡水化で実用化されている方式には「多段フラッシュ」という蒸留法と、逆浸透膜(RO膜)を使って圧力をかける「逆浸透法」ってのがあるそう。そして、この海水淡水化用の逆浸透膜をもっとも多く製造している国は日本であると推定される、と。
知らなかった...こんなに実用化されていたとは。日本のプラントが中東やら地中海やらにどんどん輸出されてるんですね。それに福岡には海水淡水化センター(まみずピア)なんて立派な施設もある。こういう施設がバングラデシュ沿岸部にもあれば...。
そして6月4日の東京新聞にこんな記事が。
海水から飲料水、自然の力で 民活機構など横浜・山下公園で実験
山下公園なんかでやってないで、今すぐバングラデシュに持ってきてシャトキラで実験して!と叫びそうです。この移動式ってのがいいじゃないですか。 でも高いんだろうなあー。それに壊れたらそう簡単には直せないよね、きっと。でもこれ実用化されたらほんとに助かりますよ。1日1500人分の飲料水が作 れたらたいしたものです。シャプラニールに1台もらえませんかね...。
今日のDaily StarにもBUET(バングラデシュ工科大学)の先生がこんな記事を書いていました。
この記事でとくに私が目を止めたのは、「政府は塩水を淡水化する装置を災害対策として導入すべきだ」という部分。私は全然知らなかったんですが、
「2004年のインド洋津波被害の際、インドのタミール・ナド州では飲料水源が高潮のため汚染された。その際、タミール・ナド州政府の要請に応え、 Tata Projects Ltd.が1時間に3500リットルの水がつくれる移動式の塩水淡水化装置を設置した。この装置は今も活用されている」
んだそう。で、
「食糧・災害対策省(バングラデシュで災害対策を担当する省)はディーゼルエンジンで動くこういう装置を沿岸部に設置すべきだ」
と。...賛成!救援のたびに毎回ミネラルウォーターを運んだって、全然需要に足りないし非効率でナンセンスだ。インドでTataが作ってるなら、日本やアメリカ製のを買うよりずっと価格もお手ごろなはず。それを買えないものかバングラデシュ政府よ。
中東ではもっと大掛かりな塩水淡水化装置が使われているそうですが、それは蒸留法が多いそう。これには多大な電力が必要だからバングラデシュには適 さないでしょう、ですと。その通りですね。バングラデシュでもっともこいういう装置を必要としている地域はほとんど電気通ってないですしね。
このBUETの先生の記事、もうひとつ気になることが書いてありました。曰く、南西沿岸部シャトキラ付近で堤防が壊れやすくなっている理由のひとつは、エビの養殖のために塩水を引く無数のプラスチックのパイプが堤防を通っていたからだ、と。
約20年前から始まり、南西沿岸部で拡大しつつあるブラックタイガーなどのエビの養殖は、バングラデシュの貴重な外貨収入源のひとつですが、土壌や水の塩害とそれによる生態系の破壊という深刻な影響を地域に及ぼしています。
サイクロン、塩害、エビの養殖...バングラデシュ南西部の人々の生活向上について考えていると、「水」をめぐって繋がっている様々な問題の連鎖がみえてきます。
- カテゴリ:サイクロン 2009年06月06日 13:01 |
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2009年06月05日
第二次救援活動で「池の水抜き作業」を行います、という記事を見て、「は?」と思われた方もあるかもしれません。なんで緊急救援で池の水を抜く必要があるのか?池なんてあとにしとけば。と思われるかも。
でも、これが実はこの地域にはとても大事なんです。飲料水の確保のために最優先でやってほしい、と村人たちが望んでいることです。
今回サイクロンの被害にあったバングラデシュ南西沿岸部は、前にも書いたかもしれませんが、地下水に塩分が混じっていて、井戸を掘っても塩水が出て しまう地域が多いのです。日本みたいな水道なんて村の中には通ってないから、井戸がダメだとなると頼りは池とか川の水、そして雨水しかありません。
私たちが活動しているボクルトラ村も村人の飲み水や生活用水は池の水がたよりです。3000人の村人が暮らす村の中に、大小とりまぜ約500もの池 があります。しかし、そのほとんどが今回のAILAによる高潮の被害で塩分の混じった汚い水が入ってしまい、以前のように生活用水として使えなくなってし まったのです。
折りしもバングラデシュはこれから本格的な雨期。しかもAilaの影響もあって今年はモンスーンの雨がいつもより早く降り出すと言われています。この貴重な雨水を池に溜めて使えるように、今すぐ池に溜まった汚い水をポンプで抜き出さなければなりません。
この作業は今すぐに始めて雨期の雨が本格的に降り出す前に完了したいと思っています。なので、池が500あっても実際できるのは30がせいぜい。1 つのポンプで池の水抜きを行うと、3日3晩かかります。ポンプ3つで1つの池をいっぺんに水抜きすれば1日ですみますが、いずれにしろ私たちのキャパでは 30日で30の池がやっと、というところ。この30の池、どれを選ぶかはよく検討して、多くの村人が共有の池としてとくに飲み水のために使っているものを 優先します。
池の汚水をきれいに抜いて中を掃除し、池にとりつけた水の濾過装置の中もきれいにし、そこに新しい雨水が溜まれば、また村人たちはその水を使えるようになります。モンスーンが来るまでに1つでも多くの池の水を抜きたい。時間との闘いです。
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2009年06月02日
政府が昨日Aila被災者救援についての閣僚会議を開き、堤防修復を含む緊急救援・復興支援内容を決め、発表しました。
Daily Star 6月1日 バングラデシュ政府Aila被災者へ1億タカの救援
この記事によると、昨日1億タカ相当の飲料水の緊急救援を出したとのこと(遅すぎるよ今ごろ。それが届くのにあと何日かかるのか)。そして11億6 千万タカ(約16億2千万円)をかけて堤防の修復も行うそうです。被災者の「堤防を直して!」の叫びがようやく通じたか...。
沿岸部の河川の堤防は計200kmが完全に壊れ、1128kmが部分的に壊れているそうです。単純に16億2千万円を1328kmで割ってみたら、 1kmあたり約120万円。JJSが見積もったkmあたりの修復に必要な金額とほぼ同じです。まあ計算としてはイイ線だということでしょう。ただしこの 11億6千万タカ、4億1千万タカがキャッシュで、残りは7億5千万タカ相当の米と麦だそう。Food for Workでやるってことなのか。
バゲルハット県ショロンコラ郡(私たちが緊急救援を行っているところ)とシャトキラ県のアサスニ、シャムノゴルは軍が、その他の場所はWater Development Boardが直すそうです。
しかしこれを聞いて安心するのはまだ早い。今朝のべつの新聞記事によると、これから雨期に入ってしまうので、本格的な堤防修復工事を始められるのは 雨期が明けてから(10月か11月ごろ)になってしまい、まだあと何ヶ月も先になるというのです。応急手当的な修復は10日以内に始める、ということです が...。
Daily Star 6月1日 Ailaの苦しみは数ヶ月続く- 堤防修復に長期間要
9月から12月にかけて次のサイクロン・シーズンが来てしまうことを考えると、被災した沿岸部住民はまだ当分のあいだ高潮再来の恐怖に怯え続けなければならないことになります。
- カテゴリ:サイクロン 2009年06月02日 13:01 |
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2009年06月01日
今朝のベンガル語紙、「プロトム・アロ(最初の光、の意)」の一面の写真に目が釘付けになりました。ネット版でも見られるので以下のリンクを見てみてください。
今回のサイクロン、Ailaによる高潮のために大きな被害を受けたクルナ県ダコープ郡で、川沿いに住む男性たちが必死の形相で川の堤防を直している 写真です。スコップさえなく、まったくの手作業。泥を素手で掴んでは投げ上げ、素足で踏みしめて壊れた堤防を修復しようとしているのです。被災した彼ら、 ろくに食事もとれていないだろうに、もう政府をいくら待ってもダメだ、自分たちでやるしかない、と腰まで水に浸かって、まるで賽の河原で石を積むような作 業を始めたのです。
昨夜のテレビニュースでも、救援の食糧配給の列に並ぶ男性が叫ぶように訴えていました。「私が求めることはたったひとつだ。堤防を直してほしい。俺たちは何度も何度も救援の列に並びたくなんかないんだ。堤防をちゃんと直してくれ。ただそれだけだ。」
私たちが現在救援活動を行っているバゲルハット県ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンでも、約17kmにわたってバレッショル川の堤防がガタガタに 壊れています。堤防といってもコンクリートなどが使われているわけではなく、土を盛り上げた土手です。2007年のSIDRのあと、この土手はついに本格 的に修復されることがありませんでした。政府はいつ修復工事を始めるのだろう、と待っても待っても工事は開始されず、ついに修復されないまま今回の Ailaの水害に至りました。
ショロンコラ郡の行政は今回のサイクロンAilaの被害を受け、地元のNGOを集めたコーディネーションミーティングで、参加したNGO関係者たちに要求しました。あんたたちで堤防を直してくれ、と。
しかし、私たちは知っています。SIDRのあと、堤防や道路の修復のためとして何十億という単位の資金が日本を含む先進国のODAからバングラデ シュ政府に貸し出されたり供与されたりしたことを。いったいそのお金は何に使われたんだろう?道路や橋も重要だけれど、人の命を守るため、次なる災害を防 ぐためには堤防は最優先で直される対象だったはず。しかし、今度のAilaの被害でわかりました。ショロンコラだけでなく、ポトゥアカリでも、クルナで も、SIDRで壊れた堤防は放置されてたんだ。
私たちのパートナー団体として現地で救援活動にあたっているJJSがざっと見積もったところでは、堤防の修復には少なくとも1kmあたり80万 TK(約120万円)はかかるだろう、とのこと。17km直そうと思ったら、2千万円以上。とてもじゃないけど私らみたいなNGOの手には負えません。で も、SIDRのときがっぽり復興支援の資金を得たはずのバングラデシュ政府にとっては2千万円なんてはした金のはず。土嚢を積んだ程度じゃまた壊れるかも しれないけど、まったくやらないよりはずっといい。今朝の新聞の写真みたいに男たちが手づかみで泥を投げ上げるよりは、ずっとちゃんとした堤防修復ができ るはず。1億円あれば5ヶ所直せる。2億円あれば10ヶ所直せるじゃないか。なんでバングラデシュ政府はやらないの?なんでドナー政府はバングラデシュ政府に堤防を優先させるように言わないの?なんで大金貸したあと堤防が直ってるかどうかチェックしないの?
私たちももっと声を上げるべきだったんだ。堤防が直ってない!このままじゃまた高潮の水が村の中に流れ込む!って言い続けるべきだったんだ。
このまま各地の堤防が直されなかったら、今年の秋のサイクロン・シーズンにもまた多くの人が高潮で命や家財を失い、救援が必要な事態になるでしょ う。それ以前にも、次に大潮が来るとき、また壊れた堤防の隙間から水が村の中に流れ込むのではないか、と沿岸部の人々は恐れています。
今度の大潮は満月となる6月8日頃です。また川の水が溢れて被害が出ないか私たちも心配です。
- カテゴリ:サイクロン 2009年06月01日 13:01 |
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2009年05月25日
久しぶりのブログがサイクロン報告になってしまいました。
土曜日にベンガル湾上に発生した熱帯低気圧がサイクロンとなってAILA(アイラ)と名づけられ、現在バングラデシュのクルナ沿岸を横断中です。このサイクロン、2007年のSIDRのようにパワフルなものではないので、暴風の被害はそれほどないと思われますが、悪いことに今日は新月、つまり大潮にあたっており、高潮の被害がすでにかなり出ている模様です。沿岸部の人々の多くはサイクロン・シェルターなどに避難しています。
私たちが復興支援活動を行っているバゲルハット県ショロンコラ郡ボクルトラ村付近も川の堤防が決壊して水が村に流れ込み、かなり被害が出ているとの報告が入ってきています。私たちの活動の根拠地である開発センター(事務所兼研修センター)の中にも水が入ってきてしまい、飲料水用の池の上まで川の水が来てしまったとのこと。村の農業支援用に購入した耕耘機やバイクなども比較的高い場所に避難させているものの、これ以上増水すると水に漬かってしまうかもしれない、とのこと。それ以上に、村の中のサイクロン・シェルターがすでに満杯で避難できない人が出ているらしいことが心配です。
人口の多い村内にもっとシェルターが必要なことはわかっていたのですが、私たちの資金ではSIDRのあとシェルターを建てるところまではムリでした。しかし、これはなんとかしてシェルターを増設しないと、今後も被害が出てしまいます。それより先に川の堤防を直すべき。これは政府がやるはずの仕事ですが、なぜちゃんとやらなかったのか。政府もあれほどSIDR直後に堤防や道路や橋を直すための資金を日本含めドナー国から得ていたはずなのに。
今夜暗くなる前にサイクロンが通過し、水が引くといいのですが...。そうでないと電気のない村は真っ暗になることもあり、死傷者が出ないか心配です。ぎゅうぎゅう詰めのシェルターに避難している人たちもそのまま夜を越さなければならないことになると大変です。
現地のスタッフもサイクロン直撃中の今は自分の身を守らねばならず、避難している状況です。被害状況把握と対応を開始できるのは明日の朝になりそうです。
- カテゴリ:サイクロン 2009年05月25日 15:03 |
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2009年01月16日
サイクロン復興支援活動がらみの出張でクルナに来ています。今日はバゲルハット県ショロンコラ郡の現場まで行ってきました。
昨日ダッカからクルナに来るときは、霧のためダッカからポッダ(ガンジス)河を渡るパトゥリア(アリチャの横)フェリーガートでたくさんの車が足止めを食って大渋滞が起き、何時間もガートで待たなければならなくなっているという話を聞き、急遽ルートを変えて、北部周りでクルナまで来ました。ダッカから北へ向かいタンガイルのジョムナー・ブリッジを渡って、西へ向かい、ラロン・シャー・ブリッジを南へ下りてジナイダを経てクルナに入る大回りのルート。ダッカから8時間ぐらいかかりましたが、それでもダッカからクルナにパトゥリア経由で向かった人たちよりはずっとマシでした。
バングラデシュの冬は濃霧でフェリーが動かなくなるのが国内移動の最大のネック。大小の河川が無数にあり橋のない川が多いバングラデシュでは車で川を渡るのはフェリーが頼り。クルナからバゲルハットを経てサイクロン被災地のショロンコラ郡に入る途中にもフェリーでないと渡れない川があります。このフェリーにタイミングよく乗れたときはほんとに「ラッキー!」と思います。運が悪ければ1時間待ち。
サイクロン被災地は乾期の今、復興支援の第二ピークのラッシュ、という感じ。刻々と現場の状況は変わっています。この話はまた別途。

バゲルハットからショロンコラへ向かう途中のフェリー。今日はわりとラッキーですぐ乗れました。
- カテゴリ:よもやま話 2009年01月16日 23:11 |
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2008年11月16日
昨日11月15日は、巨大サイクロンSIDRがバングラデシュを襲って大きな被害が出た日からちょうど1年。この日は各地で追悼行事が行われたようですが、私たちが現地NGOのJJSと協力して復興支援活動を実施中のバゲルハット県ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンでも記念式典が行われました。この式典はSIDRで亡くなった人たちの追悼と被災後この1年を懸命に生きてきた人たちの勇気づけのため、復興支援活動の一環として企画したもの。地域行政との共催です。

式典冒頭で追悼の祈りをささげる人たち。女性たちは男性の後ろの別の場所で祈っています。会場はサウスカリ・ユニオンのトファルバリ・カレッジの校庭。

式典では、郡やユニオンなどの地域行政の代表者や会場となったカレッジの先生など数人がスピーチをしましたが、その人たちも家族の誰かを亡くした人が多く、1年前のことを振り返って話しながら声を詰まらせる人も少なくありませんでした。上の写真は最後に話をしたサウスカリ・ユニオンのチェアマン。彼自身、SIDRで18人もの家族・親族を亡くされたとあって、スピーチの後半は振り絞るような涙声でした。参加者の中にも話を聞きながら目元を拭う人たちの姿がありました。

スピーチに耳を傾ける人たち。
私もステージの上にいてスピーチの順番が回ってきたので、昨年のSIDRのあと、日本でも多くの方々が募金を寄せてくださったこと、今も「SIDRで被災した人たちはどうしていますか」と声をかけてくれる人たちがいることなどを話しました。皆さん頷きながら聞いてくれました。

午後は一転して文化プログラム。JJSが、クルナ郊外のルプシャで長年育ててきた若者たちによる劇団が、SIDRをテーマにしたオリジナルの歌や劇を披露しました。

SIDRが通り過ぎた日の翌朝を表現したシーン。SIDRが襲った夜に暴風雨と高潮の水が押し寄せ、人々が逃げ惑うシーンでは、観衆の中に感情を高ぶらせて、「そうだ、あのとき木につかまって生き延びたんだ!」と叫んだ男性もいました。

劇に見入る人たち。私たちが復興支援活動を実施しているボクルトラ村の子どもたち、若者たちもたくさん参加しました。中央あたりにいるのは最近組織したボクルトラ村の少女グループのメンバーたち。
この後、前日までに行われた高校生の作文コンテストや就学前の子どもたちのお絵かきコンテストの優秀者の表彰と記念品贈呈も行われました。

会場の一角ではSIDR直後の写真の展示も。
SIDR被災地域の中でももっとも被害が大きかった場所のひとつ、サウスカリ・ユニオン。復興にはまだ時間がかかると思いますが、この日集まって劇に興じていた子どもたち・若者たちの目の輝きに希望を感じました。
- カテゴリ:サイクロン 2008年11月16日 22:10 |
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2008年10月28日
今日のダッカは台風一過ならぬサイクロン一過でよく晴れています。心配したサイクロンReshmiは昨日上陸するとすぐ勢力が弱まり、それほど被害ももたらさず北に抜けました(Daily Star紙関連記事)が、それでも死者は6名。うち3名は3つの大河が合流してベンガル湾に注ぐ河口にある大きな島、ボラ島で被害にあっています。バングラデシュは粗末な家に住む人が多く、また地盤がゆるくて木が倒れやすいので、家が潰れたり、倒木の下敷きになったりして、たいしたことのないサイクロンでも死者が出てしまう状況。被害に遭うのはやはりお年寄りや子どもが多いようです。
私たちが復興支援を行っているサウスカリ・ユニオンでは、今回はバレッショル川の水がなんとか溢れずにすんだのでほっとしましたが、昨年のSIDR襲来でこわれた堤防の修復を政府がやるやるといって未だに何もやっていないので、もっと大きなサイクロンが来たら大変です。
11月15日はSIDRから丸1年。その日の前後には私たちの復興支援の活動地でも、亡くなった人の追悼やサイクロンについてのディスカッション、子どもたちのお絵かき大会、高校生の作文コンテスト、演劇などの記念行事を行う予定にしています。
今年もまだサイクロン・シーズンはこれから。油断はできません。
- カテゴリ:サイクロン 2008年10月28日 16:04 |
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2008年10月27日
金曜の午後からバングラデシュに雨を降らせていたベンガル湾上で発生した低気圧が、昨日サイクロンに発展してReshmiと名づけられ今朝クルナ-ボリシャル沿岸部を通過しました。
Sidrほどの規模ではなかったものの、私たちが復興支援活動を実施しているバゲルハット県ショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでも人々は昨夜2時ごろからサイクロン・シェルターに避難。Sidr襲来時に高潮で水が溢れたバレッショル川の水位も、今朝の時点で堤防の高さぎりぎりまで来ていたということです。
サイクロンが同じ場所にしばらくとどまったりするとさらに大きな被害が出る恐れがあったのですが、すでにReshmiは上陸後勢力を弱め、低気圧となってダッカ方面に抜けたということです。ダッカでは今もどんより曇っていますが、風もほとんどなく雨も降っていません。
サウスカリの状況は復興支援実施中のパートナー団体JJSからのアップデート情報を待っています。昨夜は現地事務所の一階の備品などをすべて二階に避難したということでした。
英字紙Daily Starインターネット版の速報によれば、2名死者が出たとありますが、どの地域とは書かれていません。作物や家畜の被害も気になります。被害状況の全体像がわかるのは明日になってしまいそうです。
- カテゴリ:サイクロン 2008年10月27日 17:05 |
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2008年05月13日
しばらくご無沙汰しました。5月頭から10日ほど、日本に一時帰国しておりました。ダッカに単身赴任で丸3年、たまに帰らないと家族に忘れられちゃうので。サイクロンがまた来るのではと気を揉みましたが、バングラデシュからは進路が逸れたことを確認してダッカを発ちました。
日本に着いてからも毎日ウェブサイトの災害情報や衛星写真でサイクロンの進路をチェックしていましたが、ナルギスはバングラデシュのお隣のミャンマー(ビルマ)を直撃、大変なことになってしまいました。私はミャンマーには行ったことがないのですが、あそこまで酷い状況になるとは思ってもいなかったので報道に接して愕然としました。ナルギスは昨年バングラデシュを襲ったシドルに比べれば規模は小さいという話だったし、ミャンマーに近づく頃、少し威力が落ちたという報告もあったからです。
しかし結果は大惨事になってしまいました。高潮の被害があそこまで大きかったというのは、上陸時運悪く満潮にあたってしまったということでしょうか。堤防などもなかったのでしょうか。
ナルギスが発生したことがバングラデシュで報道されたのは確か4月29日でした。以来、バングラデシュの新聞には毎日ナルギスの進路について記事が載り、昨年シドルが襲った地域では、またサイクロンが来る!というのでちょっとした住民のパニックもありました。パニックは困りますが、それは裏を返せば、一般の住民もずいぶん早くからサイクロンの発生やそれが近づいてきていることについて、なにがしかの情報を得ていたということです。バングラデシュではナルギスが近づく可能性の高い地域では必要に応じて避難誘導ができるよう、地方行政にも指示が出ていました。国内で活動するNGOもいざという場合に備えて警戒していました。まだ十分とはいえないけれど、悲惨な災害の経験を何度も乗り越え、時間をかけてバングラデシュの防災体制はそこまで来たのです。
しかしお隣のミャンマーではバングラデシュに比べ防災体制がまったく整っていなかったようです。おそらく避難誘導もろくにないまま、人々は寝耳に水の状態で被害に遭ったのでしょう。緊急救援のためのマンパワーを受け入れず、国民投票を優先する軍事政権の愚かさには本当に腹が立ちます。こうしている間にもたくさんの人が死んでいっているというのに。
いくら物資が集まっても、それを遠隔地の人々までまんべんなく届けるというのは至難のわざです。昨年のシドルのときだって、バングラデシュでは軍や国際機関、NGOが総出で連日緊急救援を行い、それでも被災者すべてに行き渡るよう援助を届けるのはとても難しかったのです。今回のミャンマーの被害規模は1991年にバングラデシュのチッタゴン地方を襲ったサイクロンの被害(14万人死亡)を思い出させます。これほどの規模になったら、どんなにたくさん援助機関やNGOが入ってもまったく足りないはずです。救援物資を配るのもシステマティックにやらないと、アクセスのいいところの人たちばかりがたくさんもらって遠隔地にはまったく届かない、とか、間で横流しされて誰かが溜め込む、ということになりかねません。
シャプラニールは救援をやらないのか、と東京事務所にもお問い合わせをいくつかいただいたようですが、南アジア専門のシャプラニールとしては、ミャンマーに拠点もなく、現地の事情にも詳しくないので、今回は救援を行う予定はありません。しかし、日本のNGOで、ミャンマーで以前から活動している団体がいくつも救援活動を始めていますので、何かしたいとお考えの方はぜひそういった団体にご協力いただけたらと思います。日本のNGOのネットワーク団体、JANICのウェブサイトにNGOによるミャンマー救援情報がアップデートされています。昨日起こった中国四川省の地震の救援情報もすでに掲載されています。
現地のニーズをよく知り、きめ細かい対応ができること、人々の手に届くところまで確認できることがNGOの強みです。日ごろから現地で活動している団体に私も寄付します。
- カテゴリ:サイクロン 2008年05月13日 16:04 |
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2008年04月30日
ナルギス(Nargis)と名づけられたサイクロンがベンガル湾南海上に発生し、勢力を強めながらゆっくりと北上しています。今は衛星写真を数時間おきにネットで見ることができますが、これを見てもナルギスが周囲の雲を集めながらだんだん大きくなっている様子がわかります。
サイクロンは気紛れ。急に速度を落としたり上げたり、方向を急転換したり、途中で弱まって消えてしまったりすることもあります。だからまだなんともいえないのですが、今日中にはだいたいの進路がわかるという話です。
5月は11月に次いでサイクロン襲来の多い月。SIDRは11月15日でしたが、1991年の巨大サイクロンが襲った日は4月29日(つまり17年前の昨日)でした。この時期のサイクロンはミャンマー方向へ向かうことが多いようですが、バングラデシュを直撃する可能性もないとはいえません。
SIDRの傷跡もいえないまま、またサイクロンの直撃を受けたのでは目もあてられません。バングラデシュはちょうど乾期に灌漑稲作で作られたボロと呼ばれる米の収穫の季節ですが、まだ全土で稲刈りが終わったのは15%程度ということです。今週マニックゴンジやノルシンディの農村に行きましたが、一部で稲刈りの様子がみられたものの、まだ青々した田んぼのほうが大半でした。
SIDRほどの規模にはならないとしても、今サイクロンが来たら皆が待ちわびた貴重な米がまた大量にダメになってしまいます。ただでさえ昨年の洪水とSIDRによる米不足、そして世界規模の食料価格高騰のあおりを受けて危機的状況にあるバングラデシュ貧困層にとっては、大打撃となります。
来ないでナルギス、来ないでナルギス、と念じています。
- カテゴリ:サイクロン 2008年04月30日 12:12 |
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2008年03月16日
サイクロン復興支援のその後について、しばらくこのブログでご報告していなかったので、いったいどうなっているのかな、とお思いの方もいらっしゃることかと思います。
ウェブサイトのサイクロン救援のページに一覧表がありますが、11月15日に巨大サイクロンSIDRがバングラデシュ南西部を襲ったあと、ほぼ1ヶ月は食糧や毛布など生活物資の配布、セックスワーカーとして働く女性たちの子どもたちの支援センター運営などを緊急救援として行っていました。食糧配布などが一段落した後は、子どもたちのセンターを2ヶ月延長、10年生修了共通試験を受ける受験生のための教材配布、そして中等教育(6年生以上)を受けている子どもたちへの教科書配布(現在実施中)と続け、同時に今後の復興支援を検討するためのニーズ・アセスメントをあらためて行いました。
そのニーズ・アセスメントのレポートが上がってきました。アセスメントの方法は主に、被災地の様々なターゲットの人々を対象としたグループ・ディスカッションやインタビューです。今回シャプラニールが緊急救援を中心的に行った地域であるバゲルハット県ショロンコラ郡で、農民、漁民、思春期の少女、少年、高齢者、授乳中の女性、寡婦など対象を分け、それぞれグループで、または個別に話を聞きました。その結果、人々がいま何を必要としているかがかなり見えてきたのと同時に、緊急救援で取りこぼされていたニーズもいくつか明らかになりました。
レポートにはいろいろな人々の声が入っていますが、その中でも胸が痛んだのは思春期の少女たちの訴えです。「緊急救援でいろいろなものが配られたけど、誰も私たちに服をくれなかった」と彼女たちは言うのです。洪水にしろ、サイクロンにしろ、バングラデシュで緊急救援として配られる衣料はサリーとルンギ(腰巻)が定番。これらはどこでも手に入り、また一枚布で縫わずにそのまま使え、着る人のサイズも問わないので、緊急救援時に食糧と同時によく配布されます。シャプラニールも今回そうしました。
しかし、サリーを着るのはおとなの女性たち。結婚前の少女たちは通常サリーは着ず、サルワール・カミーズと呼ばれる長い上着とゆったりしたパンツ、長いスカーフの三点セットの衣装を着ています。サルワール・カミーズは身体に合わせて仕立てるのが普通。既製品を配布するにも対象者にあったサイズを配るとなると手間がかかるので、緊急救援で配布したという話は聞いたことがありません。
しかし、それは配る側の都合です。受け取る側から見れば、たとえば両親と思春期の少女、2人の弟、という5人家族の中で、「お父さんはルンギを、お母さんはサリーをもらった。弟たちもルンギがあれば大丈夫。でも私だけ服がない」という状況になっていたわけです。
かわいそうなことをしてしまった...と思いました。女性たちのためにトイレを、という意識はあったのですが、少女たちの服のことはあまり考えていませんでした。
同じ年頃の少年たちにも話を聞いていますが、「今必要なこと」に優先順位をつけてもらった結果、少年、少女とも第一位は「栄養のある食べ物」、第二位は少年は「勉強道具」、少女は「安全な家とトイレ」、第三位は少年、少女とも「服」でした。男の子も学校にルンギで行くわけにはいかないけれど、シャツやズボンがないのでしょう。女の子たちは仮住まいのセキュリティの悪さとトイレの不足に悩んでいます。第4位は少年は「安全な家とトイレ」、少女は「ミシンとトレーニング」、第5位は両者とも「サイクロン・シェルターをもっとつくる」でした。
だでさえお腹のすく年頃。被災後、肉や魚もなかなか食べられず、毎日米とダール豆ばかりでは育ち盛りにはさぞ辛いことでしょう。政府を通じて他国政府などのドナーが高校生に給食を出せればいいのになあ、と思います。シャプラニールのようなNGOが公立学校で給食を出す、ということは行政絡みもあってまず難しいので。少女たちが日々困っている「服」については、今からでもなんとかできたらいいな、と思っています。雨期に入ると洗濯物が乾かせなくなり、ますます着替えがなくなるでしょうから、できればその前に。
ダッカ事務所のマンパワーの限界を考えて、1月、2月は通常活動の次年度計画・予算策定の仕事を優先したので、本格的な復興支援はやや出足が遅れましたが、明日から筒井事務局次長も出張してきて、ニーズ・アセスメントの結果をもとに今後の支援内容を検討します。
被災地では各国のドナーからの資金を受け、様々なNGOが復興支援活動を行っています。しかし、「定番」的な活動がほとんどで、「ああ、いい点に着目したな」と思うような内容はあまり聞きません。もちろん「定番」的活動にはそうなるだけの理由があり、必要であればシャプラニールも実施するのですが、「定番」から漏れている、でも重要なニーズを拾うことを常に意識していたいと思います。
- カテゴリ:サイクロン 2008年03月16日 01:01 |
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2008年01月16日
昨夜は一晩中唸りながら、シャプラニールの会報2月号の特集原稿を書いていました。とっくに締切を過ぎていたのを担当者に頼んで延ばしてもらっていたもので、日本時間の今朝がほんとにほんとの締切。テーマはサイクロン被災者救援活動の報告です。
今回のサイクロンがどんなだったか、被災地の今の状況、これまでやってきた支援活動と今後のことなどについて3ページ程度にまとめればよく、写真も数点、ということでフツーに書けばたいした量じゃないし、これまでブログや内部の連絡用メーリングリストに山ほど書いてた報告をかいつまんでちゃっちゃとまとめればすむ話なんですが、結局唸って唸って午前3時すぎまで書いたり消したりしてました。
シャプラニールの会報は会員さんや支援者の方に会の活動についてご報告するもので、隔月でお送りしています。ブログやウェブサイトをご覧になっていない方は、この原稿で初めてシャプラニールのサイクロン救援の報告を読まれることになります。そう思うといい加減には書けません。この2ヶ月ぐらいの間に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだけれど、サイクロンや救援活動についての基本的な情報も盛り込まなければいけないし、被災地で見てきたたこと、聞いたことも書きたいし、でもそれがどうしても決められた字数の中に入りきらなくて悪戦苦闘しました。結局、ある程度のところであきらめざるを得ず。最終的には月並みな原稿になってしまったかな...。とほほ。
書きながら、こういった活動の中でよく使われる言葉のいくつかに、自分が違和感や反発を持っていることに気がつきました。たとえば、「復興支援」。普段、英語の「リリーフ・オペレーション」を「救援活動」、「リハビリテーション」を「復興支援」と訳して使っていますが、この「復興支援」という言葉がどうも馴染みがよくない。なんというか、威勢がよすぎる感じがするんですね。「復興支援」というと、すごく「がんばれ、がんばれ」とドーンと花火を打ち上げるような感じがしませんか...。「興」の字のせいかしら。被災地や被災した人たちの今の状況に、この「復興支援」という言葉がなんだか合わない感じがするんです。
あと、使わざるを得ないときもあるけど、なんとなく最近使うことを避けている言葉は「心のケア」。心をケアすることはもちろん必要なんですけど、この「心のケア」という言葉があまりに安易に、ファッションみたいに使われすぎて、なんだか反発したくなるんです。「心のケア」なんてそんなに簡単じゃないよ、って。
被災地での「救援活動」や「復興支援活動」について、なんとなく感じていること、考えていること、たくさんあるのだけどまだ自分の中でまとまらずモヤモヤしています。
そんなとき、関西学院大学教授の野田正彰さんの著書、『災害救援』(岩波新書)を何度も読み返しています。奥尻や阪神大震災の被災地で現地調査を繰り返しながら考察されたことをまとめられたこの本は、国内・海外にかかわらず災害救援にかかわる人には必読の名著だ、と私は思っています。この前一時帰国したときやっと購入したのだけれど、ほんとに買ってダッカに持ってきてよかった。
奥尻での経験を書かれていることなど、今回私たちが救援活動を行い、今後も「復興支援」活動を行っていく予定のショロンコラ郡で起こっていたこととあまりにもそっくりだし、第1章「災害の構造」の中に書かれた「被災者役割と救援者役割」の箇所など思い当たることが多くてどっきりします。第5章「危機管理の焦点」、第7章「『心のケア』の本質」、第9章「救援の思想」などもとても参考になります。私たちがこれから何をしなければならないのか、考えるヒントになることが散りばめられている本です。
野田さんは以前ダッカ事務所にもいらっしゃったのに、私が不勉強でお会いしたときご著書をロクに読んでいなかったことが悔やまれます。ああ恥ずかしい。後悔先に立たず。
でも、他のときじゃなく、今この時期にこの本に出会えたことはよかったのかもしれません。書かれていることが染み込むようによくわかるから...。皆さんもぜひ読んでみてください。
- カテゴリ:ひとり言 2008年01月16日 00:12 |
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2008年01月06日
バングラデシュの教育制度は5-5-2制です。5年間の初等教育のあと、5年間の中等教育、その上に2年間の上級中等教育があります。日本では中学1年生、とか高校2年生、といった言い方をしますが、バングラデシュでは中等教育(High School)に行っている生徒の学年を言うとき、初等教育の学年から続けて、7年生とか10年生、という言い方をするのが普通です。
5年間の中等教育、つまり10年生の課程を終了すると、「SSC試験」と呼ばれる全国共通試験があります。S.S.C.はSecondary School Certificate(中等教育修了証)の略。SSC試験に受かるとこの修了証がもらえるのですが、この試験に受かるかどうか、またどんな成績で受かるか、ということは子ども本人にとってはもちろん、家族にとっても一大事で、試験初日はたいてい親が会場まで付き添い、合格発表の日は親も朝からそわそわと結果を待ちます。子どもにとっては相当プレッシャーのかかる試験らしく、試験に失敗して自殺する子が毎年数人出ます。
このSSC試験に受かると、カレッジと呼ばれる2年間の上級中等教育に進む資格ができます。カレッジでの11年生、12年生を終えたあとは、今度は「H.S.C.(Higher Secondary Certificate)試験」という共通試験があり、これに受かるとまたこの修了証をもらえます。大学教育を受けるためには、HSCを取得していなければなりません。
SSC取得、HSC取得は履歴書に書ける資格で、これらの試験に受かるかどうかは、進学するにせよ、就職するにせよ、その子の今後の人生に大きな影響を及ぼします。ハイスクールやカレッジの生徒たちは、これらの共通試験のために何ヶ月も必死で受験勉強をします。1年目に受からず、2年目に再挑戦する子も少なくありません。受験料や参考書代が払えず、働いてお金を貯めてから試験を受ける、という子もいます。
今回サイクロンで被災した地域にも、当然ながらこのSSCやHSCに向けて、必死で勉強していた生徒たちが大勢いました。しかし、高潮で家や家財が流されてしまった家庭では、この子どもたちの試験準備の参考書も流されたり、水に濡れたりして失われました。
シャプラニールでは、今後も継続していく救援・復興支援活動のひとつとして、被害の大きかったバゲルハット県ショロンコラ郡で、SSC試験受験生500名に英語・数学の試験準備参考書とノートを、HSC試験の受験生120名に同じく英語・数学の参考書とノートを配布することにしました。ショロンコラ郡では被災した一般児童や生徒が学校で学ぶための教科書は政府から配布されるそうですが、受験生のための参考書は対象にならないため、配布を決めたものです。
今年のSSC試験は当初2月27日から始まる予定でしたが、サイクロンの影響を考慮して1ヶ月延期され、3月27日から始まることになりました(試験は1日では終わらず、数日続きます)。HSCの試験はSSCよりだいぶ後になります。
SSC試験まであと2ヶ月半。被災地の受験生たちにも、最後まであきらめずがんばってもらいたいと思います。
- カテゴリ:サイクロン 2008年01月06日 01:01 |
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2007年12月13日
サイクロン被害でたくさんの人が亡くなったショロンコラ郡を訪れて、何度も耳にした言葉があります。
「アッラー・バチャエセ (アッラーが生かされた)」
おとなの頭上を超える水の中で奇跡的に助かった小さな子どもや赤ちゃんの話をするとき、人々はこの言葉をつぶやくように言うのです。アッラーによって生かされた命だと。
写真=ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンで見かけた赤ちゃん
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月13日 23:11 |
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2007年12月11日
バゲルハット県、ゴパルゴンジ県のサイクロン被災現場を訪問し、昨夜帰ってきました。見たこと、感じたこと、いろいろあるのですが、今日は主に風の話。
被災地の倒木は、バゲルハットでも、ゴパルゴンジでも、みな同じ方向に倒れていました。サイクロンの暴風は北東から吹いてきたことがわかります。今回バングラデシュを襲ったサイクロン、SIDRはバングラデシュ南西部に上陸して北上し、途中で北東に方向を変えて抜けていったのですが、サイクロン自体は左回りに回転しながら移動していったので、現地では強風は北東方向から吹いていたわけです。
第三次救援を実施中のゴパルゴンジはバゲルハットよりかなり内陸に入ったところで、ゴパルゴンジ県内でも北部はほとんど被害がなく、南部のトンギパラ郡、コタリパラ郡などで強風による被害がありました。今回救援を行っているコタリパラ郡の中でも南部の3つのユニオンでとくに被害が大きくなっています。サイクロンの進路と地図を見比べて見ると、おそらく南から北上してきたサイクロンはこのコタリパラ郡南部あたりで北東に方向を変え、コミラ方面に抜けたのではないかと思われます。
ここはショロンコラのように高潮の被害にあったわけではないので、水で何もかもさらわれてしまった、という状態ではないのですが、強風による家の破壊はかなり激しいものでした。この地域にはかなり広い湿原があるため、その湿原の南側にあたる地域では風をさえぎるものがなく、もろに家が北東からの暴風を受けてしまったようです。元々ヒンドゥーのアウトカーストの人々など、貧しいマイノリティの人たちの多いところなのですが、その中でも寡婦やお年寄りの世帯で家が潰れたところはいかにも大変そうでした。
元々貧しい人たちの家はひ弱だったためということもありますが、地震の後のように潰れた家々を見て、今回のサイクロンの暴風の強さをあらためて感じました。
写真=コタリパラ郡南部のシュワグラム・ユニオンにて12月9日撮影
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月11日 23:11 |
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2007年12月09日
先日VGFカードのこと、トタンの怪我のことについて書きましたが、その後自分で見て確認できたことがあるので書きます。
ショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでは、すでに被災者にVGFカードが配布されていました。「明日あたり最初の米の配布があることになっている」と昨日聞いたので、今日配布があったかもしれません。1度にお米が5Kgもらえます。
昨夜のニュースでもサウスカリ・ユニオンでVGFカード配布、と伝えていましたが、どうも他の被災地に先駆けてまずここで配布されたようです。
写真:VGFカードをもらった人
それからトタンの怪我についてですが、昨日書いたサラムさんの家族はじめ、サウスカリで会った人たちは多かれ少なかれ、トタンで手足や額などに切り傷を負っていて、その傷を「ほらこんなに傷だらけでしょ」と見せてくれました。91年に比べればトタンによる大怪我は少なかったのだろうと思いますが、小さな怪我はやはり多かったのです。
短期間に住宅を再建するにはトタンが便利ではありますが、ショロンコラでの救援のパートナーであるJJSのスタッフたちは、「サイクロンの危険のある場所でトタンは配るべきじゃない。トタンの家を100つくるなら10でもコンクリートの家を作ったほうがいい」という考えだと言っていました。その家がいざというときには近隣の人々のシェルター代わりにもなるからです。
しかし、そういう場合、誰の家をコンクリートの家に選ぶのか?というところで揉めそうですよね...。
写真:トタンでできた学校の屋根も暴風でガタガタになっていました
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月09日 03:03 |
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2007年12月07日
今日はショロンコラの被災地で、シャプラニールとJJSの協力でつくった井戸やトイレ、清掃した池などを見て回りながら、未だサイクロンの爪跡が生々しく残るラエンダ・ユニオンとサウスカリ・ユニオンで被災した人たちに話を聞きました。
サイクロンの夜から20日たちましたが、多くの人たちが、「今も水の夢を見る」と語っていました。
サイクロンが来た夜9時半ごろ、真っ暗な中、暴風と一緒に川の水が溢れてきて、みるみるうちに家の中を水が上がってきた、といいます。このままでは家が潰れる、家の中にいたら死んでしまう、と思って、家の外に出て木につかまり、水をやり過ごした、という人が何人もいました。
人々が頭上を超える水の中で木などにつかまっていたこの2分から5分ぐらいの間が、命を分けることになりました。
サウスカリ・ユニオンのバレッショル河畔に住むサラムさんの一家は両親と弟家族と一緒に暮らしていましたが、このサイクロンでサラムさんの父や弟をはじめ、家族8人を失いました。サラムさんの一番下の娘はまだ2歳。水が来たとき、サラムさんはこの小さな娘を抱えて外に出、木につかまろうとしました。水の中でしっかり木につかまることは両手があいていないとできません。結局サラムさんは娘の服の襟を口でくわえ、噛み締めて持ち上げながら木にしがみついていました。小さな娘はそのおかげで助かりました。
写真:こうやって木にしがみついて助かった、と語るサラムさん。右後方に救援として設置した井戸のポンプがみえる。
一方でサラムさんの弟はこの水の中で生き延びることができませんでした。サラムさんの弟の妻は、暗闇の中で夫と離れ離れになり、8歳の娘と10歳の息子、二人の子どもを胸に抱えるようにして、水の中で木にしがみついていました。しかし、水はどんどん上がってきます。左側に抱えていた息子の服が裏返しになり、顔にかかってしまったのをはずしてやろうとしているうちに息子は手を離れて水にさらわれてしまいました。暗い水の中、必死で手探りしたけれど二度と息子に触れることはできませんでした。右側に抱えていた娘は助かりました。水が引き、翌朝明るくなってから、家のまわりの別々の場所で夫と息子の遺体がみつかりました。夫が抱いていた、赤ん坊だった娘は、ずっと遠くまで流されてモスクの近くで遺体がみつかりました。
もうかなりのお歳になるサラムさんのお母さんは、サイクロンで水が押し寄せた夜に夫を失いました。怪我をした腕の包帯が痛々しく、その日のことを語る声は震えていました。
夜になるとあの日の記憶がよみがえり、暗い中を水が押し寄せてくる夢に目覚めては、水が来ていないことを確かめる、と何人かの人が同じことを言っていました。子どもたちは一見明るそうに見えますが、夜になると「いまシグナルはいくつ?サイクロンシェルターに逃げなくちゃ」と怯えたりするそうです。
サラムさんの家の近くにも井戸をひとつ、トイレをひとつ設置しました。彼らが失ったものの大きさに比べるとささやかな支援ではありますが、「井戸は本当に助かります。水に苦しめられたけれど、水がなければ生きていけないから。どうもありがとう。また来てください」と言ってもらえました。
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月07日 23:11 |
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2007年12月07日
今朝ダッカを出て、ゴパルゴンジ県のコタリパラ郡にちょっと寄り、それからクルナのJJS(バゲルハット県ショロンコラ郡を中心に救援活動を行っているパートナー団体)の事務所へ来ました。JJSのスタッフはサイクロン以来毎日夜中まで懸命に救援活動にあたっています。彼らの献身的な働きに感謝を表し、これまでやってきた仕事の状況について報告を聞きました。
そこでスタッフからこんな話を聞きました。
「ショロンコラでは食糧配布は今はだいたい行き渡り、ください、と言える人は何度ももらっている人もいる。でも、実は中流階級の人たちの中に、すべてを失ったのに何ももらっていない人がいる。彼ら・彼女らは施しを受けることが恥ずかしくて、困っていても自分から手をだして『頂戴』と言うことができないんだ。そんなことはしたことがない人たちだし、誇りがあるから。数日前の夜、僕たちが仕事をしているそばで黙って子どもの手を引いて立ってる女性がいたんだ。何か言い出そうとしながら迷っているから近づいていって、困っていることがあったら話してください、と言ったら、もう3日何も食べていないと言って泣き出した。でもだから食べ物をください、とは決して言わないんだ」
サウスカリ・ユニオンのような高潮の被害があった被災地では、すべてを失ったのはもともとある程度のレベルにあった人も、貧しかった人も同じなのですが、走り回って救援物資をかき集め、なんとかしのいでいるある意味逞しい人は、どちらかというと元々貧しかった人なのかもしれません。元の生活レベルとの落差、という点では中流階級(正確にはLower Middle Class)のほうが大きいわけです。
もっとステイタスが上のUpper Classの人たちは親戚などを頼ってどこかへ行き、元々貧しかった人たちは救援の列に並んで逞しくやっている間で、取り残されているのがこの場合Lower Middle Classだというのが彼らの観察です。なかなか複雑なものがあります。
今夜は打ち合わせだけしかできませんでしたが、明日、サイクロンから20日たったショロンコラの状況を見に行きます。
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月07日 02:02 |
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2007年12月04日
今回のサイクロンの被害の中でちょっと不思議に思っていることがありました。1991年のサイクロンでは家の屋根などに使われているトタンが暴風で舞い上がり、それが空飛ぶ凶器となって多くの人が大怪我をしたり、亡くなったりしたと聞いていたのですが、今回はトタンで大怪我をした、という話をほとんど聞かないのです。91年に比べればバングラデシュ全土ではトタン屋根のの家は確実に増えているはずなのに、なんでなんだろう?
被災地のバゲルハットから帰ってきたダッカ事務所のポリモールにこれについて聞いてみました。
ポリ「そういえば今回はトタンでの怪我ってほとんど聞かなかったね。それより今回は倒木による被害が大きいよね」
私「でもなんで?トタンの家は昔より増えてるはずでしょ」
ポリ「うーん、バゲルハットのショロンコラあたりのことでいえば、あのへんは元々トタンの家は少なかった、ということはいえるかもね」
私「トタンの重さは?昔と今と薄さが違うとか?」
ポリ「うん、いいところに気がついたね。そういえば昔のトタンてすごく重かったよね。僕が子どものころは1枚のトタンをおとな二人でようやく持ち上げてた記憶があるけど、今は4枚重ねてラクラク持ち上げられるからね。」
私「え?逆かと思った。昔のほうが軽くて簡単に飛んだんじゃないかと思ったんだけどそうじゃないの?」
ポリ「逆だよ。昔のトタンは重くて厚かったから、それが飛んで当たると大怪我して大変だったんだよ。今のトタンはペラペラだから、今回のサイクロンでも飛んで木にひっかかったりしてたけど、あれに当たってもそんなにひどい怪我はしないと思う」
私「ふーん、そうなのかなあ。木はどうなの?」
ポリ「今回被害が大きかったクルナ、ボリシャル地方は91年に被害が大きかったチッタゴン方面に比べると大木が多いんだよね。でもその多くは自然にそこに生えてる木じゃなくて移植した木なんだ。今回根こそぎひっくり返った木の根をいくつも見たけど、太い根っこの部分が短くて細い根ばっかりだった。ある程度苗が大きくなってから移植してるから、しっかり根を張ってない木が多かったんじゃないかな。」
以上はまだ昼休みの雑談レベルの話で、ちゃんと根拠を確かめたわけではないのですが、これからこういった事柄についての事実もだんだん明らかになっていくんじゃないかと思います。
バゲルハットとボルグナの被災地に行っていた2チームが戻り、ダッカでの私の調整業務もひと息ついたので、あさってからバゲルハットとゴパルゴンジに自分で行ってくることにしました。ノートパソコンとモデムつき携帯電話を持っていくので、うまくいけば「写真入り現場レポート」が送れるかもしれません。
- カテゴリ:サイクロン 2007年12月04日 23:11 |
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プロファイル
藤岡恵美子(ふじおかえみこ)
2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。













