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都市での活動

2009年02月10日

使用人として働く少女たちの運動会&文化祭

ダッカで実施している「家事使用人として働く少女たち」支援活動では、ダッカ市内に3つのセンターを設置し、そこで少女たちが読み書き・計算や家事の基本のトレーニング、保健衛生や栄養について、性被害にあわないためにはどうしたらいいか、などについて学び、歌や踊り、お絵描きなども習っています。

今日はその3つのセンター合同の運動会&文化祭で、計約70名の少女たちがパイクパラ・センターに集まり、午前中はパイクパラ公務員住宅内のグラウンドで運動会、午後はセンター内で歌や踊り、ゲームなどの文化祭を楽しみました。

私は残念ながら他の仕事が色々詰まっていて、参加したのは終わりの1時間ぐらいでしたが、普段は別々のセンターに通う少女たちが皆打ち解けて、本当に楽しそうにしているのを見て嬉しく思いました。少女たちが披露した歌や踊りのレベルも予想以上に高くてびっくり。たいしたもんだ。相当練習したんでしょうね。

とくに今回よかったのは、コライル・センターに通う少女たちの雇い主の女性たちが数人少女たちと一緒に参加してくれたこと、そして新聞記者が取材に来てくれたこと。私たちが現地NGOのPhulkiを通じて運営するセンターは今は3つ。ここに通える少女たちの数は限られますが、バングラデシュ全国には何十万人もこういった家事使用人として働く少女たちがいます。なんとか社会にもっと大きなインパクトを与えるために、メディアへの働きかけを行ってきたところ、最近、少しずつ新聞や雑誌に記事を載せてもらえるようになってきました。今日来てくれたベンガル語紙の記者は若い男性でしたが、他にはない活動だとかなり関心を持ってくれ、フィーチャーとして大きく載せられるよう努力する、と言ってくれました。

今度はテレビだな、と思っています。これまで約3年続けてきた活動の中で蓄積してきた経験をもとに、これからどんどん発信していかなければ。

今日は内山駐在員がかなりビデオで動画を撮ってくれたので、そのうち何らかの形でウェブ上でもご紹介できると思います。

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1日のプログラムを楽しんだ少女たち。友だちに囲まれて1人の子どもとして過ごせる、こういう時間をもっともっと増やしてあげたい。

2008年05月23日

稲刈りの季節

農村では乾期の灌漑稲作で作られるボロと呼ばれる稲の収穫の季節が終わりに近づいています。最近のバングラデシュでこの季節作られている米はほとんどがハイブリッドの高収量品種で、BR(Bangladesh Rice)28番、もしくは29番という種類の稲。在来種は少なくなる一方です。田植え、収穫ともやや早めのBR28番はすでに稲刈りが終了し、29番の稲刈りが今週山場を迎えていました。村人たちは稲を刈って束ねたり、脱穀したり、脱穀した籾を広げて日に干したり、脱穀したあとの藁を乾かして積み上げたり、という作業に大忙し。そんな村の様子の写真を何枚かご紹介します。いずれも今週マイメンシン県イショルゴンジ郡で撮影したもの。

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刈り取りを待つ稲

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稲を刈る人たち

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作業の手を休めてポーズ

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女性たちも籾を乾かす作業に忙しい

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子どもたちもお手伝い

今年はこの10年で一番の豊作とあって、村人たちの笑顔も明るく、稲束を担ぐ人々は嬉しそう。私たちが話を聞いた人たちも、これでなんとか数ヶ月は食べられそうだ、と安堵の表情を浮かべていました。

自分の田を持たない人たちも、今は稲刈りの仕事で現金収入があり、少し余裕がもてる時期です。イショルゴンジ郡の稲刈り労働の今年の相場は、三食つきで一日150タカ。悪くない金額です。もっとも最近は、日雇いの賃労働ではなく「この田んぼの稲を全部刈ったらいくら」という形の仕事も増えているそう。早く終えてもゆっくりやってももらえるお金は同じ。さっさと終わらせて次の仕事をやるべくがんばれば、それだけ収入も増える、というわけです。

食糧価格高騰のクライシスでマイクロクレジットの返済が滞りがちだった人も、少しずつお金が返せるようになっています。懸命に働く人々の今の努力が今年一年の穏やかな暮らしと次なる生活向上の機会につながりますよう。

2008年04月10日

お米の行列に並ぶ子どもたち

昨日、私たちがダッカで実施している「家事使用人として働く少女支援プロジェクト」の活動地のひとつであるコライル・スラムに行ってきたプログラム・オフィサーのサイフルが、「いやー、やっぱり大変だ。ヘルプセンターの女の子たちもみんななんだか痩せちゃってるよ」と言いながら帰ってきました。

コライル・スラムのヘルプセンターに通う少女たちは、スラムの親元で暮らしながらパートタイムで家事使用人(お手伝いさん)の仕事をしています。その子たちにサイフルが聞いてみると、多くの子が朝早くから安いお米を買うためにBDRマーケットに並んでいると答えたそうです。

「何時から並んでるの?」と聞いたら、「朝5時から」というのは序の口で、「3時から」という子もいたとか。朝3時から並び続けてお米が買えたのは朝9時半だというのです。いまやBDRマーケットは需要に比べ供給量が大幅に足りなくなっているらしく、早くから並ばないとお米がなくなってしまうのだとか。ひとり頭5キロまで、ということになっていますが、実際計ってみると5キロより少ないといいます。場所によってはひとり2キロまでにしたところもあるようです。

おじいさんと妹と.jpg「ファテマもなんだかやせちゃったよ。朝からおじいさん、おばあさんと行列に並んでいるらしいけど。」とサイフル。ファテマというのは昨年の夏期募金のお願いのとき紹介した女の子(写真右)で、とても活発ではっきりものを言う子です。「お米の値段は高いし、仕事はクビになっちゃうし、これじゃ食べていけないよ。どうしたらいいの、サイフルバイ!」と訴えられてしまったそうです。中流階級の家庭も台所事情が厳しくなってきているので、パートタイムの使用人を辞めさせる家庭も増えてきているらしいのです。

サイフルがヘルプセンターに行ったのは午後でしたが、朝早くご飯を食べたきり、夜まで食べられない、という子が8人もいたとか。こんな状況になる前はスラム暮らしでもなんとか日に3度食べていた家族が、今は日に2度に切り詰めているというケースが少なくないことが実証されました。

育ち盛りなのにろくにご飯も食べられない少女たち。こんな状況が続くようであれば何か対策を考えなければ...。

2007年06月28日

できたよ!の顔

自分が書いたもの、できるようになったものを見せるとき、子どもたちはとってもいい顔をします。
今日はそんな、「できたよ!」の顔をご紹介。

まずはストリート・スクール(青空教室)の子どもたちから。

1から100までの数字.jpgベンガル語.jpg

左の子は1~100までの数字、右の子はベンガル語の文字を「書けたよ!」と見せているところ。

続いては、家事使用人として働く少女たちのヘルプセンターで。

ししゅう.jpgアイロンかけ.jpg

左の子は刺繍ができたよ、と得意そう。右の子はここで習ったアイロンかけを実演しているところ。

小さな「できた!」の積み重ねが、子どもたちの自信になりますように。

2007年06月27日

果物の日

果物のお皿.jpgシャプラニールと現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュが運営しているストリートチルドレンのためのドロップイン・センター(以下DIC)では、年に何回か「果物の日」があります。普段から夕方4時半には1人一杯ずつ牛乳を飲ませているのですが、この「果物の日」には牛乳プラス季節の果物が食べらるので子どもたちはワクワクしてます。先週の土曜日、DICに行ってきたところ、ちょうどこの日が「果物の日」でした。

写真左上はこれから配る果物のお皿。マンゴーとジャックフルーツがのっています。数が多いので壮観。

そして、下の写真は、果物を食べる子どもたち。夢中で...というか大事そうに食べています。ご飯や炒り米によく熟れたマンゴーやジャックフルーツをのせ、牛乳をかけたおやつはバングラデシュの人たちの大好物。子どもたちもそれをやっている子が多いですね。男の子グループと女の子グループに分かれております。

女の子グループ.jpg男の子グループ.jpg

この日の果物はプロジェクトで出したものですが、最近はたまにDIC周辺の地域の人たちからも、「子どもたちに食べさせて」と果物の寄付をもらったりするようになりました。DIC開始から数えて今年は7年目。かなり地域に溶け込んだ存在になりました。

2007年03月28日

子ども議会

P1020303.jpg今日はオポロジェヨ・バングラデシュと共同運営している路上で働く子どもたちのためのドロップイン・センターで、年に1回のイベント、「子ども議会」を開催中。私も午前中ちょっと様子を見に行ってきました。

こういった「子ども議会」はいろいろなNGOが開催していて、ローカルレベルのもの、全国規模のもの等いろいろありますが、今日行われているのはダッカ市内のこのプロジェクト地を中心にしたローカルレベルのもので今回が4回目。最初の2回はドロップイン・センターやストリート・スクールの子どもたちの中だけで行いましたが、昨年から近隣の学校に通う子どもたちも一緒に子どもたちが直面している問題などについて話し合っています。

P1020300.jpg昨年の外部の学校からの参加は7~8校でしたが、今年は、近隣の18の学校と他のNGOのプロジェクト1ヶ所、計19ヶ所から子どもたちが集まりました。参加校が増えたので、1ヶ所からの参加は2人ずつ。オポロジェヨのプロジェクトからは7人で、計45人が、9人ずつ5つのグループに分かれて話し合いをしています。

こういった場で、オポロジェヨの子どもたちが、臆せず堂々と発言したり、グループのまとめ役を上手にこなしているのを見るのは嬉しいものです。彼らのほうが普通の子たちよりかえってこういったミーティングの場数を踏んでいるから、ということもありますが、とくに古株の子たちには普通の家庭の子たちに負けず劣らず自分たちはできるんだ、という自信を感じます。

P1020298.jpgだんだん近隣の学校の校長先生や地域の人たちにもこの催しが知られ、各校の校長先生や近所の人たちも足を運んでくれるようになりました。バングラデシュの公立学校の中には、教師による体罰が当たり前だったり、子どもたちが自分の意見を発表する場がなかったり、というところも少なからずあるようで、去年初めて「子ども議会」に生徒を参加させた先生の中には、「ドロップインセンターや青空学校の教師から、私たちが子どもへの接し方を学ばなければ」という意見も出たそうです。

ここしばらく来れなかったので久しぶりに訪れたドロップイン・センター。子どもたちの成長は早く、顔見知りの子がちょっと見ないうちに背が高くなっていたり声変わりしていたり。最後の発表までは見届けられずに戻ってきてしまったけど、この「子ども議会」が今年も子どもたちにとって、そして周囲のおとなたちにとって、よい学びの機会となりますよう。

2007年03月26日

独立記念日のミーティング

今日はバングラデシュの独立記念日で祝日。この国がパキスタンから独立して36年がたちました。

朝から自宅近くの学校で子どもたちが歌う歌や、独立の詩を朗読する声、先生のスピーチなどが聞こえてきました。空には国旗をつけたヘリコプター。
今日は軍のパレードや軍用飛行機のパーフォーマンス、歌や踊りなど、独立記念日を祝って様々なイベントが行われ、テレビでも独立時の出来事を題材にしたドラマを各局でやっていました。
(最近軍用機がよく飛んでいたのは、今日のための練習だったのかも...)

新聞も独立記念日特集号。昨年は、「独立の頃の希望や夢から我々はなんと遠いところにきてしまったんだろう」というちょっと悲観的な記事が多かったように記憶していますが、今年は「今こそ独立の理想を実現するとき」という希望を感じる記事が多く見られました。英字紙デイリー・スターの独立記念日特別付録紙は、記事すべてを若い世代の執筆に任せたもの。表紙も笑顔の少女たちの写真でした。

発言する女性雇用主.jpg私は午後からダッカ市内の中流階級の多い住宅地、ミルプールのパイクパラ公務員住宅内で行われた、使用人として働く少女たちの雇用主の女性たちとのミーティングに出席。自分の家庭で使用人として働く少女を私たちがはじめたセンターに送っている女性、これから送ろうかどうか考えている女性など、祝日にも関わらず10数人の参加がありました。女性たちの構成は教師や看護士など勤めをもつ女性と専業主婦の女性が半々ぐらい。反応は思っていたより好意的でした。「習ったことを少女たちが実行できているか、家庭訪問もしてほしい」「この年頃の女の子は出入りの運転手や店の男などと恋愛して駆け落ちしたあげく、男にはもう2人ぐらい妻がいた、ということが多い。そういうことにならないような教育も必要」など、いろいろな意見が出されました。センターに通っている少女たちも何人か姿を見せ、雇い主と一緒にちょっと照れくさそうに座っていました。

写真=ミーティングで発言する雇用主の女性

女性雇用主とのミーティング.jpg最初にこのプロジェクトを企画した頃は、女性の雇用主たちに意見交換のために集まってもらうことなど、本当にできるのか半信半疑だったので、こういう会が実現できたことは嬉しかったです。地域の人たちとここまで信頼関係を築いてプロジェクトを形作ってきたパートナー団体のPhulki(フルキ)に感謝。今日はお腹をこわしてややよれっとしていた私、挨拶のあとはPhulkiのスタッフたちの采配にすっかり任せていましたが、安心して見ていられました。こういう場では下手に外国人が口出さないほうがかえっていいのよね、たぶん。Phulkiのスタッフの皆さん、祝日のお仕事ご苦労様。いろいろ気を遣うことの多いプロジェクトだけど、少女たちの笑顔と幸せを増やせるよう、これからもがんばりましょう。

写真=ミーティングにて 中央が私、両端はPhulkiのスタッフ

2007年03月06日

雛祭り前日に散った少女たち

3月3日の土曜日、そういえば今日は雛祭だな、と思いながら当地の英字新聞、Daily Starを見ていたら、こんな小さな記事が目に留まりました。

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●2人の家事使用人の遺体収容される

警察は昨日、ダッカ市内のうウットラとダンモンディで、2人のティーンエイジャーの家事使用人の遺体を収容した。
ウットラの政府職員住宅のアブル・ハスナット宅から収容された遺体は、ナズマ・アクタル、17歳、キショルゴンジ県のクドゥス・ミアの娘。遺体は職員住宅3階のメイド部屋で、天井の扇風機に首を吊った形で発見された。この家で働くもう一人のメイド、ロージーの話によると、彼女とナズマは前夜、夜10時に就寝したが、朝ロージーが目を覚ますとナズマが首を吊っていたという。雇用者のハスナットによると、ナズマはこの家で使用人として7年働いていた。
また、ダンモンディ警察はバングラデシュ医科大学病院で昨日午後べつの家事使用人の遺体を収容した。ダンモンディのドクター・モスタク・ラジャ・チョウドリの家で使用人として働いていたアルポナ、14歳は、モスタクの家族の話によると、トイレの中のパイプに自分のスカーフで首を吊り、自殺を図った。アルポナがトイレに鍵をかけて籠もったまま長時間出てこないので、午後1時45分にドアをこじ開けたところ、中で首を吊っていたという。雇用主家族はバングラデシュ医科大学病院に彼女を担ぎ込んだが、医師に死亡を宣告された。
 遺体はそれぞれダッカ医科大学病院の検屍室に解剖のため運ばれ、2つのケースはそれぞれ不審死亡事件としてウットラとダンモンディ警察に報告された。

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Star Weekend Oct 6.2006.jpgああ、またか...と暗い気持ちになりました。バングラデシュでは使用人として働く少女たちの不審な死や明らかに暴力を受けたことによる怪我などが後を立ちません。新聞でこの手の記事が目立つようになってきたのは、必ずしもこういったケースが増えたわけではなく、以前からあったけれど隠されていたものが社会の意識の変化により表に出るようになってきたのだ、という見方もありますが、中には医師や弁護士宅で拷問されたという事件もあり、新聞記事を見てまさかここまで酷いことが、と目を疑うようなことも少なくありません。家庭という外部から隔絶されたプライベートな空間で起こることだけに、真相もなかなか判らず、事前にこういった事態を食い止めることも難しいのです。

写真=6階の窓から雇い主に突き落とされた10歳の少女。雇用主は銀行の重役だった。(Star Weekend Magazine 2006年10月6日号)

シャプラニールはこういった家庭の使用人として働く少女たちを対象にした実験的なプロジェクトを2006年7月から現地NGOのPhulki(フルキ)と共に開始しています。スラムの中にひとつ、政府職員住宅の中にひとつ、使用人として働く少女たちのためのセンターを設置し、インフォーマル教育や家事の基本、保健衛生教育、性暴力を防ぐための性教育などを行っていますが、最初のうちは雇用主を説得して少女たちをセンターに寄越してもらうこと自体が大変でした。フルキの担当スタッフは、目の前でバン!とドアを閉められたことも何度か。とくに経済的に下の方の階級の人たちより中流より上の人たち、中でも女性の雇用主を説得するのが大変でした。今も家庭訪問の努力は続けられていますが、先に始めたスラムの中のセンターに40人、後から最近始めた政府職員住宅の中のセンターに20人弱の少女たちが通ってきています。 

Korail Center.jpg今日もスラムにあるこの少女たちのセンターを訪問してきました。ここに来ている子たちの多くは、近くの政府職員住宅で使用人として働いています。これまで一人きりで他人の家の中で働いていた少女たち、「ここに来るとみんなに会えて勉強したり歌ったりできてほんとに嬉しいの!金曜日はセンターがお休みだから1日が長くて..」と話してくれました。
写真=スラム内のセンターに通う少女たち

本当ならこの子たち全員、すぐに仕事を辞めさせ、学校に行かせたい。でも、少女たちの家庭の状況、社会状況から言って、それはとても困難です。今は少女たちが基本的な読み書きやスキルを身につけ、少しでもよい状況で生活できるようになること、怪我や性暴力から身を守る術を教えること、奪われている子ども時代の楽しみをできる限り返してあげること、雇用主を説得し、彼女たちの休息や学びの時間を確保することなどを目指して活動をしています。もちろん最終的な目的は、子どもが使用人として働かされることのない社会を作ることであることは言うまでもありません。でも、それは一朝一夕にできる事ではなく、使用人として子どもを使っている雇用主や親たちの意識が変わらなければ実現しないでしょう。法を強化することも重要ですが、弁護士や国会議員が当たり前のように子どもを使用人として働かせている状況なのです。

ダッカだけで30万人と言われる使用人として働く子どもたち。その約8割は女の子と言われます。日本では女の子の健やかな成長を願う雛祭の日の新聞に、10代で命を絶つ少女の悲しいニュースが載るようなことがなくなるよう、社会全体を変えていく動きのきっかけを作ることができたら、と願っています。

2007年02月14日

去っていった「DICの期待の星」

今日、ダッカは雨のバレンタイン・デー。なんとなく、どんより。
思い出すのは、ある若いカップルのこと。今、どうしているんだろう。つい重いため息が出てしまいます。

日本出張から帰ったあと、都市事業担当のスタッフから、「Kが結婚した」という知らせを聞きました。
「K」というのは、私たちが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと一緒に運営しているストリート・チルドレンのためのドロップイン・センター(以下DIC)に長くいた少女です。

DICには、ひとりで家を飛び出してきて路上で働き、路上で暮らす、身寄りのない子どもと、近くのスラムなどに家があって親ははいるけれども路上で働かなければならない状況にある子どもの両方がいます。Kは後者でした。スラムに母親がいますが、貧しさのためKは小さいときから路上で働かなければなりませんでした。

KはDIC開所のころからいた子で、今14歳ぐらい。つまり、7~8歳のときからいたことになります。頭のいい子で、リーダーシップもあり、DICから学校にも通っていました。演劇でもだいじな役を演じ、子どもたちとスタッフからなる「合同マネジメント委員会」の委員もやり、ピア・エデュケーターとして年少の子どもたちの面倒も見、子どもの性搾取に反対する若者チームのメンバーとして会議でも発言するなど、目覚ましく活躍していた少女でした。あれじゃ忙しすぎるんじゃないか、と心配になって、スタッフにあまり彼女にばかり役を振るなと注意するぐらいでした。いってみれば「DICの期待の星」のひとりだったのです。

小さかった子どもたちがだんだん大きくなって思春期を迎え、最近DICでは子どもたちの恋愛問題にスタッフが苦慮している、というのは耳に入っていました。日本で言えば中学生ぐらいの難しい年頃。しかも、小さい時から自分たちで働き、厳しい状況を生き抜いてきた、普通の同年代の子よりある意味「おとな」の子たちです。異性や性的なことに関心を持つ年頃になれば、子どもたちの揺れ動く感情をコントロールするのは大変なことです。

Kは気の強い子で、相手が誰だろうと、思ったことをはっきり言う子でもありました。彼女は、同じDICから巣立った青年Mと恋に落ち、結婚すると宣言してDICを飛び出してしまったのです。スラムに住む彼女の母親の話では、実際に結婚式もしたそうです。母親は「式に出なければ勝手にやって出て行く」と娘にタンカを切られ、どうしようもなかったと。

同じDICの出身者同士、祝福してやればいいではないか、と思われるかもしれませんが、Kはまだ14歳で学校に行っていたのです。しかも、相手のMはすでに結婚しており、子どももいます。KとMはみつからず、どうやらコミラへ行ったらしい、というのですが、Mの妻子はダッカに出てきているらしく、わけがわかりません。

私が初めてDICを訪れたとき、DICの中を案内してくれ、グループワークをしている子どもたちが今何をやっているのか、私にわかるようゆっくりしたベンガル語でひとつひとつ説明してくれたのはKでした。オポロジェヨ・バングラデシュの本部に打ち合わせに行くと、Kをはじめ何人かの少女たちも来ていて、「今日は私たちもミーティングなの!」と誇らしげに言っていたものです。KはDICの子どもたちのロールモデルになるはずでした。でも、恋して、思いつめて、衝動的に出て行ってしまった。

相手のMのことはよく知りません。でも、賢いKがずっと一緒にやっていける相手ではどうもないような気がします。私には今からもう、Mに愛想をつかし、シングルマザーとしてやっていこうとする数年後のKの姿が見えてしまうのです。

できる子だからとおとなの期待を背負わせすぎて、窮屈だったんじゃないだろうか。それともいつもお手本の優等生だっただけに、年上の青年から「きみはかわいい、甘えていいよ」と言われたらふらっとなってしまったんだろうか。

恋する14歳の気持ち、ずっと昔のことだけど、私だって忘れてないよ、Kちゃん。純粋な想いのどこが悪いのか、一緒にいたい人といるのが何がいけないのか、おとなに諭されれば諭されるほど、意地になってしまうことも。でもね、そんなに急がなくてもよかったんじゃない?あなたには恋以外にもいろんな未来があったのに。

結婚して「おとな」の世界に飛び込んでしまったK、当分戻ってはこないでしょう。戻ってきたとしても、もう「DICの子ども」にはなれないでしょう。どうすればよかったのか、私たちに何ができたのか、考えると落ち込んできます。ずっと彼女を育ててきたDICのスタッフたちは、もっと重い気持ちでしょう。知らせを受けたのはおとといのことで、まだ話し合うことができていないのですが、まだほかにも思春期の子どもたちは何人もいます。中には麻薬の売買をする身内に利用されそうになっている、要注意な子もいると聞きます。

小さいときは小さいときで大変だけれど、思春期を迎え、またべつの危機に直面する子どもたち。DICで育ってきた子どもたちを守るにはどうすればいいのか、真剣に話し合わなければなりません。

2006年12月21日

路上から母の元へ帰った少女

P1010897.jpg先週から今週にかけて、ダッカで一緒にストリートチルドレン支援事業を行っているパートナーNGO、オポロジェヨ・バングラデシュのスタッフと共に、「家に帰ったストリート・チルドレン」たちの追跡調査をしています。親に虐待されたりして家に帰せるような状況でない子も多いですが、中には住所がわかれば親元に返せる子たちもいるのです。先週はネットロコナ県とダッカで、昨日から今日にかけてはクルナ県で、ドロップイン・センターや青空教室から家に戻った子どもたちとその家族を訪ねました。

詳しくは、シャプラニールの会報『南の風』2月号でご報告する予定なので、ぜひそちらを読んでいただきたいのですが、今回、クルナでは予定外の出来事がありました。オポロジェヨのクルナのドロップイン・センターを訪ねたら、ちょうどチッタゴンのセンターで保護されていたクルナ出身の少女の住所がわかり、チッタゴンのオポロジェヨ・スタッフがその子を家族に戻すために連れてきていたのです。

まだ9歳ぐらいの少女ですが、チッタゴンで使用人として働かされていた家から路上に放り出され、警察を経てオポロジェヨのセンターに保護されたのでした。写真は彼女が家に帰り着き、お母さんの胸に飛び込んだ瞬間。行方不明になって数ヶ月ぶりに戻った娘を抱きしめてお母さんは大泣き。こちらももらい泣きしそうでした。

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プロファイル

藤岡前駐在員藤岡恵美子
(ふじおかえみこ)
2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。
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