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よもやま話

2009年10月17日

帰国しました

ご挨拶が大変遅くなりましたが、わたくし4年4ヶ月の任期を終え、9月19日に帰国いたしました。これまでこのブログを読んでくださった皆さま、時々コメントをくださった皆さま、本当にありがとうございました。また、「ブログ読んでるよ」と声をかけてくださったダッカ在住の皆さまにも御礼申し上げます。駐在生活の中で、大きな励みになりました。

このブログ、6月ごろから更新が止まってしまっていたのですが、帰国間際で忙しさがピークに達し、さすがに手が回らなくなっていたのに加え、もうひとつ理由があります。それは、「家事使用人として働く少女たち~バングラデシュの隠れた児童労働」というブックレットの原稿を書いていたからなんです。10月10日に発売になりました。...といっても本屋さんじゃ売ってません(笑)。シャプラニールの東京事務所にお申し込みいただくか、ネット通販でお買い求めください。

9月後半はイード休みでダッカ事務所は連休だったんですが、休み明けから私の後任の田中優子さんが着任しています。これからダッカからの便りは、田中新所長&内山駐在員のブログをお楽しみに。田中さんはシャプラニール始まって以来のお母さん所長。胆の座り方といい、タダ者ではないですぞ。彼女のブログ、私もとっても楽しみ。

私のこのブログは場所を移し、タイトルをちょっと変えてしばらく残してもらう予定です。というのは、実はわたくし、今日から北は札幌、南は大分まで全27ヶ所で講演を行う、という全国キャラバンを開始しておりますので、その「キャラバン日記」を書かせていただこうかと。

この全国キャラバン、日本各地のシャプラニールの地域連絡会や支援者の方々が中心になって受け入れをしてくださるものです。準備をしてくださった皆さま、本当にありがとうございます。今度は日本の皆さんとの、新しい出会いが本当に楽しみです。

あ、言い忘れました。私は帰国後はシャプラニール東京事務所の海外活動グループという部署におります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

2009年06月22日

やっぱり間違えた

昨日、夏時間の導入第1日の朝、みんなちゃんと9時に出勤してくるかな...? と思ったら...

やっぱり間違えたヤツがいた!

それは会計担当のルフル。真っ赤になって汗かいて言い訳してました。「アパすみません。オフィスの開始時間は今までと同じだって聞いたから...」

同じってそれは時計の時間を繰り上げても始業時間は9時だよ、ってことでしょ。私が先週末の朝のミーティングで噛んで含めるようにみんなに説明したのにあんたはそういうときに遅刻してくるからいけないのよ。

その後、今日のお昼休みにも彼はみんなにからかわれていました。「ルフルバイの時計は1日遅れてるからねえ~」本人も照れつつ冗談でごまかしたりして。

あとはこの夏時間が元の時間に戻るとき、誰が間違えるかだね。朝1人で早くきちゃって「くっそー、損した!」っていう人が出るかどうか。

ただ、バングラデシュでは笑っちゃうことに、この夏時間=Daylight Saving Timeがいつまで続けられるかまだ決まってないんです。この国のことだから切り替えるタイミングを逃して「まあいいじゃん、このままいっちゃえば」ってことになって、冬になっても夏時間が続いてたりして。3ヶ月のはずの選挙管理内閣も2年続いた国だしねえ。

この夏時間、3日目の感想としては、なかなか悪くないです。8時近くまで明るいので少々残業しても真っ暗にならないし。1時間ぐらいの違いなら身体もすぐ慣れちゃうし。電気が節約されているという実感は全然ないけど。

「でもアパ、児童労働してる子どもの労働時間は長くなりますよ」と言ったのはこの6月に入ったアシスタント・プログラム・オフィサーのアニス。うーん、確かにそうかもしれないね。真っ暗にならないと帰してもらえない子、多そうだし...。きみはなかなか鋭いな。

おとなも不本意ながら労働強化になってしまうケースは多いかもしれません。今のところみんな素直に従ってるようだけどそのうち反対運動が起きたりするのかも?

2009年06月20日

今日から夏時間

バングラデシュは今日から(正確には昨夜から)日中の太陽光を最大限活用し、電気消費を抑えるための夏時間(こちらではDaylight Saving Time=DSTとよばれています)が導入されました。

(→新聞記事)

昨夜の11時に全国一斉に時計の針を1時間進め、12時にしましょう、ということになり、これまで日本と3時間あった時差が2時間に縮まりました。ダッカ時間がバンコク時間と同じになったわけです。

昨日は金曜日でモスクでのお祈りに多くの男性たちが集まる日でしたが、そこでもこの「夏時間」について説明があり、お祈りの時間が時計の上では1時間遅くなること、お祈りの時間を知らせるアザーンは間違えずに流すから心配しないように、という話がイマーム(イスラム教の指導者)からあったそうです。昨夜10時には携帯電話にも携帯電話会社から「夜11時になったら時計を1時間進めましょう」というメッセージが入りました。

それにしてもこのDST、実際のところどれぐらい電気の節約になるのでしょうか。政府は約5%電気の需要を抑えられると期待しているようですが、果たして...。

わがダッカ事務所の時計も今日から全部1時間進めます。明日は週明けの日曜日(バングラデシュは金・土が週末)、うちのスタッフたち、1人も時間を間違えずにちゃんと出てくるかな?

 

2009年04月05日

賊は涼しい夜を狙う

それはちょうど1週間前、3月29日のこと。夕方5時半ごろからダッカでは約5ヶ月ぶりに大雨が降りました。激しい雷と叩きつけるような雨はなかなか止まず、バチバチと音を立てて大粒の雹も降りました。ちょうど仕事を終えて人々が帰宅する時間だったので多くの人が足止めを食いましたが、それでもなんとか皆が雨の中家に帰りつく頃、ダッカの町は早くから人通りが少なくなりました。大雨と雹が降った後なので、ホコリも洗い流され、空気はすーっと涼しくなりました。

その夜、午前3時ごろ。私が住むラルマティア地区の7階建てフラットの駐車場に、塀を乗り越えて5-6人の賊が押し入り、6台の車からスティアリングやカーステレオなどのパーツを盗んで立ち去りました。ガードマンの手首を縛り、口にテープを貼ってナイフで脅しての犯行でした。

朝になって犯行が明らかになり、フラット住民は大騒ぎ。脅されて縮こまっていたガードマンは賊の手引きをしたと疑われて泣きの涙で弁解。車のパーツを盗まれる事件はダッカでは珍しくもないこととはいえ、さすがに集団犯に6台いっぺんにやられることはそうそうなかったようで、うちのフラットは不名誉にもテレビニュースにまで出てしまったのでした。

狙われた車は新車や高価な車ばかり。私は自分の車は持っていないので(持ってたとしてもボロ車だったでしょう)被害はありませんでしたが、後から大家さんの妹(国際航空会社勤務・30代後半)の4ヶ月前に買ったばかりの新車も被害に遭ったと聞きました。保険に入っていたので修理費は出るそうですが、ピッカピカのブラン・ニュー・カーだっただけに一家で大ショックだったそう。

ふむ、それにしても...と私は思ったのですが、暑さが和らぎすーっと涼しくなって人々がぐっすり寝入っている夜を狙う、というのは盗みの王道ですな。私の愛読書・鬼平犯科帳にも、盗人の秘伝の書きつけに、「一、家やしきへ忍び入るには、やしき内の人のねむりふかければもっともよし。(中略)夏去らむとして冷気きたるころこそ、つとめばたらきにはもっともよし。」などとあったりするんですが、これって時代と場所を越えて共通なのね。さらに言えば、「人を殺傷せず、証拠を残さず、朝まで気付かれず、盗られて困らぬ人から盗る」というのは、かなり「本格の盗人」と言えましょう。感心している場合じゃないですが...。賊らは下見もしていたに違いありません。夕方のあの大雨の最中から、「よし、狙うなら今夜だぜ」「おう」などと示し合わせていたのでしょうか。

我がフラットではその後、多少セキュリティも厳しくなり、夜はガードマンが二人になったようです。フラットの自治会長の話によれば、賊に乗り越えられた塀とフラットの間の隙間も金属の柵で埋めるそう。

今回は自分の住むフラットとはいえ、被害にあったのは「他人さまの車」のみで怪我人もなかったので余裕でブログに書いたりしてますが、これがもし事務所でウチの会のだいじな車をやられてたりしたら、逆上して「おのれにっくき賊めが!」などとわめいていたことでしょう。

うちの事務所にはタイガー2号という、夜よく吠えて近所から苦情が来るわ、飛びついて言うことを聞かぬわ、というちょっとおバカな犬がいるんですが、事務所のガードマンがうちのフラットの事件の話を聞いて、「夜タイガーがいることでどれだけ心強いか」と真剣に言ってました。そっかタイガーもあれでちゃんと役に立っていたんだね。

ダッカ在住の皆さま、暑い日々の合間に急にすーっと涼しくなった夜は要注意です。鍵をしっかり二重にかけましょう。いい車をお持ちの方はとくにお気をつけて。

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タイガー2号。とろいクセに屋根の上が好き。一度落ちて腰を打った。おバカな子だねほんとに。

2009年01月16日

急がば回れ

サイクロン復興支援活動がらみの出張でクルナに来ています。今日はバゲルハット県ショロンコラ郡の現場まで行ってきました。

昨日ダッカからクルナに来るときは、霧のためダッカからポッダ(ガンジス)河を渡るパトゥリア(アリチャの横)フェリーガートでたくさんの車が足止めを食って大渋滞が起き、何時間もガートで待たなければならなくなっているという話を聞き、急遽ルートを変えて、北部周りでクルナまで来ました。ダッカから北へ向かいタンガイルのジョムナー・ブリッジを渡って、西へ向かい、ラロン・シャー・ブリッジを南へ下りてジナイダを経てクルナに入る大回りのルート。ダッカから8時間ぐらいかかりましたが、それでもダッカからクルナにパトゥリア経由で向かった人たちよりはずっとマシでした。

バングラデシュの冬は濃霧でフェリーが動かなくなるのが国内移動の最大のネック。大小の河川が無数にあり橋のない川が多いバングラデシュでは車で川を渡るのはフェリーが頼り。クルナからバゲルハットを経てサイクロン被災地のショロンコラ郡に入る途中にもフェリーでないと渡れない川があります。このフェリーにタイミングよく乗れたときはほんとに「ラッキー!」と思います。運が悪ければ1時間待ち。

サイクロン被災地は乾期の今、復興支援の第二ピークのラッシュ、という感じ。刻々と現場の状況は変わっています。この話はまた別途。

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バゲルハットからショロンコラへ向かう途中のフェリー。今日はわりとラッキーですぐ乗れました。

2009年01月02日

新しい年に期待をこめて

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皆さま、明けましておめでとうございます。

バングラデシュでは昨年末に行われた歴史的な総選挙が大きな混乱もなく終わり、ダッカも平和な新年を迎えています。バングラデシュでは4月14日のベンガル新年がお正月として祝われ、カレンダーの1月1日は"English New Year"と呼ばれて祝日にさえならないのですが、それでも大晦日の夜中から新年に日付が変わる瞬間は多くの若者たちが屋上からロケット花火を飛ばしたり、大通りに出て歓声を上げたりして新年を祝っていました。

写真は農村で撮った子牛です。7年ぶりの総選挙を経て、バングラデシュはようやく民主主義国家としての新たなステップを踏み出したところ。まだ頼りなくてちょうどこの子牛ぐらいの感じでしょうか。老若男女、国民の多くが早朝から投票所に足を運び、自ら選んだ政府が、病にかかったり、栄養失調に陥ったり、間違った道に踏み込んで迷子になったりすることなく、元気に堂々と大きく育っていきますように。

そして転換期にあるバングラデシュでシャプラニールも自らが果たすべき役割をしっかりと自覚しながら、思い切って新しいチャレンジをしていきたいと思います。

2009年、難しい課題があふれる世界の末端で、もっとも大きなしわ寄せに苦しむ人たちが、自らの足で立ちパワーアップしていく過程に私たちの仕事が少しでも貢献できますように。私たち現場の駐在員とダッカ事務所の職員が、時流を見極める感性と、正しい判断力と、影響力ある仕事を実現できる実行力を持って歩むことができますように。東京事務所と効果的に連携しながら、支援してくださる皆さまに活動に参加している手応えを感じていただけますように。

シャプラニールの支援者の皆さま、このブログを読んでくださる皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。2009年が皆さまにとって素晴らしい一年になりますように。私自身にとっても駐在最後の年、今年の半ばには帰国することになると思うので、悔いのない日々を過ごしたいと思います。このブログにも、今年もよろしくお付き合いください。

2008年11月24日

お疲れさまフィールドサンダル

P1010253.jpg土曜日、ノルシンディ県のメグナ川の中洲の砂地を歩き回っていたら、ブチっと音がしてサンダルのベルトの止め具(ゴム製)が切れました。駐在直前に購入し、フィールド用サンダルとして愛用していたECCOのウォータースポーツ用サンダル。しっかりしていて滑らないし水洗いできるので、砂地、泥道、水の中、と、この3年半どんな悪路でも頼りにしてきたのですが、ついに寿命。左の止め具が切れたと思ったら同じ日のうちに右も切れてしまいました。

写真はフィールドから帰った直後に撮った砂まみれのサンダル。人目にはただのキタナイサンダルだと思いますが、この3年半これを履いていろんなところに行ったよなー、と思うとちょっとした感慨があります。駐在がこんなに長引かなければちょうど任期いっぱいぐらいはもつところだったのに。

まだもうしばらく駐在の日々は続きます。自分もくたびれてブチっといかないようにしないとー。新しいフィールド用サンダル買わなきゃ。

2008年09月30日

夜の事務所で

今日はイード前の最終勤務日。すでに休みに入っている事務所も多いため、朝の通勤時も人通りは少なく、閑散とした雰囲気でした。

そんな中でも出勤してきたスタッフたちは(私も含め)、休暇前にやりかけの仕事を終わらせようといつになく黙々とがんばり、みんな夕方にはなんとかキリをつけて、「よいお休みをー」「イード・ムバーラク」などと言いながら、ひとりまたひとりと帰っていきました。

キリをつけられずにまだ事務所にいる私ひとり。ブログなんて書いてる場合じゃないんけど、ちょうどイフタールを食べて戻ってきたトゥトゥールがお茶を入れてくれたのでちょっと気分転換。

今日はプログラム・アシスタントのイルシャトの勤務最終日でもありました。イタリア外務省の奨学金に受かり、イタリアの大学で4ヶ月間「人類学と開発」について学ぶそう。本人は辞めたくなかったようですが、ダッカ事務所に勉強のための休職制度はないし(ゆくゆく作ろうという話はあります)、勤務してまだ2年ということもあり、勤務年数の長いベテランスタッフの手前など諸事情考えた結果、結局辞めて行ってもらうしかない、と判断したもの。若いだけに休職しても4ヶ月海外で勉強したあと、本当に戻ってくるかどうかもわからないですしね。もっと勉強しようという気になるかもしれないし、この経験を元にもっと給料やポジションのよい職場を探そうと思うかもしれないし。まあ仕方ない...。

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写真:イルシャト(中央)とダッカ事務所の女性スタッフたち。プログラムオフィサーのハビバ(右)、最近入ったアシスタント・アカウンツ・オフィサーのジョセフィン(左)もなかなか優秀。

断食月中なのでみんなでフェアウェル・ランチというわけにもいかなかったけれど、誰かが辞めるときにいつもそうするように、みんなでお金を出し合って(もちろん私が一番多めに)ちょっとしたプレゼントとお花を買い、一言ずつメッセージを伝え、事務所の前で記念撮影。すでに休みをとっていたスタッフ2人は参加できなかったけど。

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イルシャトは私が来てから採用したスタッフ。期待していたし、もうちょっと長くいてほしかったけんだけどね。でも若いうちに勉強するのもまたよし。4ヶ月といえども若いバングラデシュ女性が結婚1年の夫を置いて海外に勉強しにいくというのはなかなか勇気のいることでしょう。同居のお姑さんの理解も得られてよかったね。

まあがんばって行ってきなされ。身体に気をつけてしっかり勉強してくるべし。

2008年09月26日

ショドルガットの風景

今週久しぶりにショドル・ガットに行ったので、写真をご紹介。ショドル・ガットはオールドダッカを流れるブリゴンガ川に面した港、というか船着場です。

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向こう岸に渡るには、こんなごちゃっとした船着き場から渡し舟(ノウカ)に乗ります。

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左に停泊中の船はボリシャル方面行きのローンチ。

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ノウカを漕ぐのは力仕事。日差しが強いので傘をさして乗ってる人が多いです。

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ちょっとお兄さん、あなたを撮ろうとしてたんじゃありませんてば。

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向こう岸は衣料品の問屋街。

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問屋から衣料品を運ぶ人たち。この服たちはどこで売られるのかな。

今回のショドル・ガット訪問はここで行われているストリートチルドレンのための青空教室(これはシャプラニールのプロジェクトではありませんが、パートナー団体のオポロジェヨ・バングラデシュが独自に実施しているもの)の子どもたちへのインタビューが目的でした。

そのとき同行した内山駐在員がせっせと子どもたちの写真を撮っていたんですが、痛恨のコピーミスで消えてしまったそう(事務所で「ああっ消えた!」という声と共に内山さん机に突っ伏してました)。うーん、残念だったね、内山さん。元広報担当もたまにはね(笑)。猿も木から落ちる、ということで。

このときのインタビューのことなどはまた別途書きます。

2008年07月30日

石けんの値上がり

最近のバングラデシュでの食料品や日用品の値上がりは凄まじいものがあるのですが、今月とくに激しく値上がりしたもののひとつに「石けん」があります。事務所でもよく使っているLUX石けんの大きいやつは、1個21タカから32タカ(1タカ≒1.6円)になってしまいました。ほかの石けんがいくらぐらいになっているのか、まだチェックしてませんが、これはとても困ったことです。

バングラデシュのスラムや農村部では、今も「トイレの後や食事の前は石けんで手を洗いましょう」というセリフを保健ワーカーやNGOが口を酸っぱくして言い続けています。シャプラニールのプロジェクト地でもそうです。いまだに石けんで手を洗う習慣がついていない人も、石けんを買うお金があったらお米が買いたい、と言う人も少なくありませんが、長年の手洗いキャンペーンのおかげで村やスラムでもかなり石けんの使用は一般的になりました。

しかし、いっきに1.5倍以上、というこのひどい値上がり。石けんの大きいのとお米1キロがほとんど同じ値段だったら、そりゃあ「石けんなんてそんな高価なもん買えるかい」ということになりますよね。

石けん値上がりの理由は「パーム油の値上がり」ということらしいですが、それにしても値上げ幅が大きすぎないか?便乗値上げじゃないんだろうか。インドでは1個あたり1ルピー(≒2.5円)の値上がり(→Times of India 7月2日)なのに、なんでバングラデシュでは10タカ以上も上がるんだ?工場はバングラデシュ国内にあるはずだけど、原料の輸入にバカ高い税金がかかっているからなのか?

私たちは家事使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカ市内3ヶ所で実施していますが、最初の2年弱のパイロット・プロジェクトの評価をしたとき、ダッカ北部のコライル・スラムのセンターに通う少女たちが言っていたことを思い出します。

「このセンターに通う前はあんまり石けんで手を洗ってなかったの。でも今はトイレのあとやご飯の前は必ず洗うようになった」
「お父さん、お母さんが石けんを買うお金がもったいない、って言ったら、病気になって病院に行かなきゃならなくなったら、もっとお金がかかるよって言って石けんを買ってもらうの」

そうやってせっかく石けんを使って手洗いすることが身についた女の子たち。スラムで厳しい生活を送る彼女たちの親は、これまでどおり石けんを買ってくれるかどうか。

スラムには揚げ物なんかの廃油はたくさんあるだろうから、廃油を使った手作り石けん教室をやるのもいいかなあ。うまく作れたら売れるかもしれないし。でも、廃油石けんづくりに欠かせない苛性ソーダは劇薬だから、年端もいかない少女たちに扱わせるのは危なすぎるか...。

うーん、困ったことです。

2008年07月12日

くたびれた日には

ダッカに駐在して3年2ヶ月、仕事の中身にはさほど自慢できることはありませんが、唯一我ながら上出来だと思うのは、これまでほとんど病欠をしていないことです。1年目は確か1日も病欠しなかったし、他の年も具合が悪くて休んだのは年間せいぜい2-3日というところ。今年度はまだ休みなし。上出来、というよりラッキーというべきなのかもしれません。丈夫に生んでくれた親にも感謝すべきでしょう。

しかし、そんな私でも3ヶ月に1回ぐらい、こりゃ起き上がれんわ、というぐらいくたびれ果ててしまう日があります。平日はダッカ事務所のスタッフたちの手前気を張っているのでなんとかなっているのですが、出張続きで2週間ぶりの休み、などというときにバッテリーが切れたみたいにくたっととなります。

昨日(こちらは金・土が休み)はそういう日でした。目が覚めたとき朝だと思って時計を見たら1時半。もちろん昼の、です。起き上がろうとしたけれど腰が痛くて起き上がれない。よろよろと身体をずらしつつベッドから滑りおり、台所に向かってコーンフレークに牛乳をかけたのを食べたものの、力は入らないし頭や腰は痛いし、新聞を読んだりメールをチェックする気力もない。持ち帰った仕事もできそうもない。

こういう日は開き直ってただひたすらゴロゴロするに限ります。結局私は昨日は3回ぐらいしかベッドから降りませんでした。こんなときは固形物を食べるのも控え、ただ芋虫のようにじっとしているのがよろしい。間違ってもレトルト食品やカップラーメンを食べてはいけません。たちまちお腹がロックしてしまい、七転八倒することになるからです。

そうして1日過ごしたら、今日はだいぶ復活しました。お腹を壊しているわけでなくても、こういう時はひたすらポカリスエットを飲み(飲む点滴)、何を食べるかはよくよく吟味します。今日のヒットはジュートのスープ。おととい作った残りを冷蔵庫から出してあっためただけですが、しみじみと「あーこりゃ疲れているときにいいわ」と思いました。明日からまた4日間フィールド出張だけど、なんとかなりそう。

<ジュートのスープのつくり方>
1. にんにく1-2片をみじん切りにする。
2. ジュートの葉適量をネバネバするまでよくみじん切りにする
3.鍋に油を入れ、1、2の順に入れ、ネバネバしたペーストのような状態になるまでいためる。
4.3に少しずつ水を足し、スープの素を入れて味付けする。
5.溶き卵を回しいれて火を止める。

*日本ではモロヘイヤでお試しください。

今のバングラデシュではジュートは一把6タカぐらいですから10円足らず。安いです。バングラデシュではジュートの葉っぱは貧乏人の食べ物だとみんな思っているみたいです。でも、要はモロヘイヤですから鉄分、ビタミンも豊富なはず。バッグなどに使う天然繊維素材としてのジュートだけじゃなく、ジュートの葉も農村の人々の栄養源としてもっと見直されていいんじゃないかなあ。

農村の最貧困層家庭などをこの時期訪ねると、よくジュートの葉を日干しにして保存食をつくっています。私もあれやろうかな。日に干して瓶詰めにしておけば、あとで水で戻してスープがつくれるんじゃないかしらん。

雨期の湿気と暑さでバテ気味のダッカ在住の皆さま、そして梅雨の日本でお疲れのみなさま、ジュートの葉やモロヘイヤ食べると元気出ますよ。お試しあれ。

2008年05月17日

ジャスミンの花輪

ダッカはかなり暑い日が続いています。私の住んでいる部屋はアパートの最上階なので、屋上に日中当たり続けた日差しの熱がこもって、夜になってもなかなか涼しくなりません。エアコンを入れないと夜中でも部屋の温度は34度ぐらい。暑いです。

この季節、路上の子どもたちが車の窓をたたいて売りに来るのは小さなレモンを袋詰めにしたもの(1袋10タカ)やジャスミンの花輪。この花輪はジャスミンの花をひとつひとつ糸に通したものです。これをおとなの中指ぐらいの太さの短い棒にたくさん掛けて、買ってとせがみに来ます。

今夜も会食の帰り道、友人の車で自宅に向かっていたら、交差点で7-8歳ぐらいの小さな女の子がジャスミンの花輪を売りに来ました。私は夜子どもが売りにくるジャスミンの花輪は小銭がある限り必ずといっていいほど買います。ジャスミンの花はとてもいい香りで、寝るとき枕元に置いておくと気持ちよく眠れるのです。

車の窓を開けて「いくら?」と聞いたら「5タカ」という返事。「2つちょうだい」と言ったら、「10タカ」と澄まして言いながら丁寧に2つの花輪を棒から外してくれました。まるでちゃんとしたお店の店員さんみたいに。

夜10時過ぎの交差点。女の子は次のお客を探して花輪の束をかかげながらすたすた歩いていきました。淡々とした顔をして。

2008年04月23日

4度目の夏

「暑い...」口に出したところで涼しくなるわけではないとわかっていても、思わずボヤいてしまいます。4月後半に入り、バングラデシュの一番暑い時期に突入です。とくにここ数日はダッカの最高気温が人間の体温と同じぐらいまで上がり、日に5-6時間の停電が続き、仕事を終えて家に帰るともう汗だくです。

ダッカ事務所にはIPSという大型バッテリー装置があり、停電してもしばらくはこれで最低限の電気は使えるのですが、この3日間のように午後2時間半とか3時間連続して停電してしまうと、IPSも切れてしまいます。蛍光灯が消え、かろうじてパソコンだけがついている薄暗い部屋で暑さにあえぎながら仕事をしていると、水槽の上に口を出してぱくぱくしている魚になったような気がします(実際息苦しいし)。毎日この状態の中、集中力を持続させるのはなかなか困難...。でも事務所の電気をまかなえるような発電機(ジェネレーター)は値段も高いし、毎日使うとガソリン代がすごいことになるだろうし、とりあえずは耐えて頑張るしかない、という状況です。

しかし新聞報道によるとバングラデシュにはもうあと1か月分しか石油燃料の備蓄がないそうで、政府は緊急ファンドからの支出を決めたりして石油確保に奔走しているようです。なんだかもうギリギリの自転車操業、という感じ。まだ夏は長いのに今からそんな状態でどうなるんだろ。

わが事務所や私の家のある地域では今のところ水の問題はありませんが、ダッカ市内の多くの地域で水道の水も来なくなり、電気はないわ、水は出ないわで大変です。このような状態の中、下痢も広がっており、ダッカにある国際下痢研究所(通称:下痢研)付属病院に4月1日~18日の間に入院した人は7千人だとか。しかしこれも悲しいかな毎年この時期には同じように繰り返される出来事です。(去年かおととしの今頃のブログにはたぶん似たようなことが書いてあるでしょう)

日本では今頃風薫る5月、爽やかな新緑の季節なんだろうなあ...。は~(ため息)。夏は嫌いじゃないのだけれどダッカで迎える4度目の夏、これまで以上にしんどいような気が。これは年齢のせいか、それとも駐在最終年にして片付かない課題が頭上に重たく積みかさなってるせいなのか。

この間、コルカタとダッカを結ぶ汽車(モイトリー・エクスプレス)がやっと走り出したり、イスラム原理主義者たちが政府の女性政策に反対して国立モスク近辺でデモを繰り返し、警官隊と衝突したり...とバングラ情勢についていろいろ書くべき出来事はあるのですが、暑くて脳みそが働かないのでまた今度。

2008年03月23日

事務所の運転手採用試験

ダッカ事務所には車が2台あり、運転手として勤務するスタッフも2名必要なのですが、最近ひとりが辞めたため、昨日(土曜日)の朝、採用試験をしました。試験の内容は簡単な読み書きと計算、面接、そして運転テストです。

応募者6人を総務担当者と一緒に面接しました。こちらからの質問内容としては、これまでの経歴、最長どれぐらい長距離運転をしたことがあるか、事故を起こしたらどう対応するか、車のメンテナンスはどれぐらいの頻度でやるべきか、運転中眠くなったらどうするか、などなど。

これまで事故を起こしたり、ぶつけられたりしたことはありますか?という質問に対し、皆「ありません、インシャッラー」などと答えるのですが、この国で何年も運転手をしててまったく事故がないわけないだろー、と思います。

ハイウェイの中央線を大きく越えて追い越しをしながら、真正面から迫ってくる対向車。車がびゅんびゅん走っている道を平気で渡る歩行者。同じ道路に入り乱れる車とリキシャとオート三輪。ぎりぎりまで車間距離を詰めて走るのがフツーで、日本並みに車間距離を開けていたらどんどん割り込まれてしまう。信号待ちのとき物乞いを装っていきなり近づいてきてミラーに飛びつきはがして持ち去る奴もいる。突然のスコールや冬場の深い霧。アスファルトがクレーターのようにはがれたひどいでこぼこ道...。いやー、この国で車を運転するというのは大変なことだと思います。(ちなみに私はペーパードライバー。ここで運転するなんて考えられません。)

事故についての質問をしていたら、ある候補者が「チッタゴンからの帰り道でニワトリを轢いてしまったことがあります。ニワトリが不規則な動きをしたので避けられなかったんです」と告白したのには思わず笑ってしまいました。(でもニワトリであっても轢いてしまったらきっとすごくイヤーな気分ですよね。)

また、読み書き計算で点数が最低だった候補者に、「8年生までいったのになんでそんなにできないの」と聞いたら、「8年生のときに父が亡くなり、勉強が続けられなくなってその後車の修理工を経て運転の仕事をはじめました。ずっと家族のために働いてきたので勉強はすっかり忘れてしまって...」としょんぼり話されてなんだかかわいそうになってしまいました(その候補者は残念ながら不採用)。

結局候補者は2人に絞りましたが、事務所のまわりを1周するだけの運転テストでは違いがぜんぜんわからないので、来週の土曜日、長距離運転テストをすることにしました。シャバールの独立記念塔まで片道一人ずつ運転してもらって往復する、という計画。行きと帰りはコインでも投げて決めてもらおうかな。

このテストをクリアした一人が晴れてシャプラニールダッカ事務所の新スタッフになります。ドライバーはスタッフや出張者、時にはお客さまの命を預かることになるので慎重に選ばないと。最終候補のお2人さん、テスト中緊張のあまり事故らないでね~。

2008年02月09日

お札にうるさくなったインド人

すっかりブログをご無沙汰してしまいました。1月から2月にかけては、各パートナー団体と次年度の活動について計画や予算を詰めていく1年で一番忙しい時期なんですが、この1ヶ月ほどは、それにサイクロン復興支援の検討やインド出張なども重なった結果、2週間続けて働いて1日休み、また2週間ぶっ続けで仕事する、というペースでした。今週末は久々の休みでやや脱力気味です...。

さて、インド出張というのは1月末から1週間ほどコルカタへ行っていたのですが、今回なんじゃこりゃ、と思ったのは、コルカタの人々がやたらとお札にうるさくなっていたこと。端がほんの5mm程度切れた500ルピー札が、ゲストハウスでもレストランでも受け取ってもらえません。500ルピー札や1000ルピー札の高額紙幣ならまだわかりますが、真ん中に折れ目がついてそこが少し黒ずんだ20ルピー札さえ、タクシー運転手に拒否される。これはいったいなんなんでしょう。いつからこうなったの??

私がニューデリーに住んでいた98年から2001年ごろは、こんなじゃなかった、という記憶があります。その頃、1000ルピー札は発行されたばかりでほとんど出回っておらず、500ルピー札は「大きすぎて使いにくいから」という別な理由で拒否されることがよくありました。100ルピー札は、ガンジーの絵柄の新札と、アショカ王の獅子柱頭の絵柄の旧札がほぼ半々ぐらいに出回っていて、銀行でお金を下ろすと、新札の場合は紙の帯で束ねられた札束が出てきたけれど、旧札の場合は大きなホチキス2つぐらいでガチガチに留められていて、それを外すのにとても骨が折れ、札束の真ん中からお札を2つに分けて持って力づくで引き剥がさなければならず、その結果100ルピーの旧札の透かしのあたりにはたいてい大穴があいていたものです。お札に数字などがメモされていることも多く、「大事なお金なのにいったいなんちゅう扱いをする人たちだろう」と思っていたものです。

しかし、今やインドの人々は、高額小額にかかわらず受け取ったお金を1枚1枚舐めるようにチェックし、高額紙幣は必ず目の前にかざしてニセ札でないか確認し、わずかでも端が欠けたり汚れたりしていたら受け取らない。そういうお札が自分のところへ来るのを避けようと、相手に押し付け合う様はまるでババ抜き。これも経済成長と関係があるのかしら。でもちょっと極端すぎないか?

バングラデシュに帰ってきたら、使い込まれて煮しめたようになり、絵柄も判然としない2ルピー札が立派に通用していて、ちょっとほっとしました。

2008年01月11日

サプライズ花束

ダッカ事務所では毎朝9時から朝のミーティングを行い、その日の予定や仕事の進捗状況などをシェアします。昨日の朝、いつものように2階の会議室に上がっていったら、いつも私が座る席の前のテーブルの上に、赤い薔薇や色とりどりのグラジオラスが入った大きな花束が置いてありました。

おおっ!と驚いていたら、後ろから上がってきたスタッフたちがみんなで、「アパ、お誕生日おめでとう!」
私の誕生日、覚えていてくれたんだね。

こういうところ、ダッカ事務所のスタッフたちは本当に心優しい。誰かが事務所を去るとき、新しい人が入ったときの歓送・歓迎会に何をしようか?何をあげようか?といったことも、みんなかなり気合を入れて考えます。本人に気づかれないようにこそこそとお金を集めて。小嶋駐在員が帰国するときのお別れ会も、イショルゴンジで買って連れて帰ってきた山羊を事務所の庭でさばき、事務所の料理スタッフに山羊カレーをつくってもらってみんなで食べる、というすごいものでした。(日本じゃちょっと考えられませんね)

私の誕生日のサプライズ花束のことも、前日からみんな相談していたそうだけど、まったく気づかなかった。みんなどうもありがとう。スタッフ全員の署名入りのカードもうれしかったです。

私も皆の気持ちに応えるべく、会議のため来ていたPAPRIのスタッフ5人を含め、全員にミシュティ(ベンガルのお菓子)とシンガラ(つぶしたジャガイモを小麦粉の皮で包んで揚げたスナック)を振舞いました。

残りあと何ヶ月ぐらいみんなのボスでいられるのかわからないけど、帰国のその日までがんばって一緒にいい仕事したいと思います。

2008年01月01日

明けましておめでとうございます

みなさま、明けましておめでとうございます。お正月をいかがお過ごしでしょうか?

バングラデシュでは西暦の年末年始はとくに休みではないので、ダッカ事務所も今日は平日、通常どおり朝から仕事をしています。昨年12月中旬から後半にかけて、イスラム教の犠牲祭のイード(Eid-ul-Azha)の休みとクリスマス休みがあったので、10日ほど日本に一時帰国していたのですが、クリスマス・イブには日本を出てダッカに戻ってきました。

昨年、2007年はバングラデシュにとって本当にいろいろあった1年でした。軍をバックにした選挙管理内閣が大物汚職政治家を片っ端から逮捕したり、ダッカ大学から波及した政府への抗議行動で外出禁止令が出たりと、政治的にもいろいろありましたが、自然災害の多い年でもありました。年のはじめの寒波、2度の洪水、そして11月半ばの大型サイクロンの襲撃では多くの犠牲者が出、被災した人たちは今も厳しい状況におかれています。

シャプラニールダッカ事務所も昨年度の後半はサイクロン被災者の救援活動で目まぐるしい日々を過ごしました。おかげさまで予想を超える額のご寄付が集まったので、救援と復興支援活動は今後も引き続き実施していきます。第1弾から第3弾までの救援活動はほぼ完了し、今は次なる支援活動について現地パートナー団体と共に鋭意検討しているところです。

また、ダッカ事務所では昨年9月に内山新駐在員が赴任、昨年末には小嶋駐在員が2年5ヶ月の任期を終えて家族とともに帰国しました。プログラム・オフィサーも男性オフィサー1人(ロシドゥル・バリ)が去り、女性オフィサー1人(ウンメ・ハビバ)が新しく入ったので、前よりだいぶ女性が多くなりました。

私も2005年5月に赴任してからあっという間に2年7ヶ月が経ちました。今年は(たぶん)駐在最後の年になります。やらなければならないことはたくさんありますが、残りの時間、ひとつひとつしっかりやっていきたいと思います。

シャプラニールの会員・支援者のみなさま、このブログをいつも読んでくださる皆さま、コメントをくださる皆さま、昨年はどうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2007年10月23日

イード明け

長らくご無沙汰しました。イード休み中、日本にちょいと一時帰国し、昨日ダッカに戻ってきました。10日休みがあっても飛行機での行き帰りに時間がかかるので、日本での休暇は正味1週間といったところ。短い時間ではありましたが、さわやかな日本の秋の気候と秋の味覚を満喫しました。夫を置いて単身赴任の身、せめて休みで帰ったときぐらいは家族優先に...とあまり友人たちとも連絡をとれなかったので、「あんた帰ってたんなら連絡ぐらいしなさいよ」とお叱りを受けそうですが、お許しを。だって1週間てほんとにあっという間なんですもん。

昨日ダッカに戻っての私の第一声は「げー、まだこんな暑いのー」で、家に着くなり靴といっしょに靴下を脱ぎ捨てて室内履きの草履に履き替え、Tシャツの上にはおっていた長袖シャツを脱ぎ捨て、エアコンのスイッチを入れたわけなんですが、今朝起きて窓を開けてみたら、「あ、やっぱりこれでもだいぶ涼しくなったんだな」とわかりました。今日わが事務所ではエアコンも入れず扇風機だけですが、ちょうどいい感じ。3月ごろから続いたダッカの長い夏もようやく終盤にさしかかったようです。

イードの前は断食月だったので、スタッフ皆そろって食堂で昼食をとるのも久しぶり。日本の食べ物はもちろんおいしかったけど、10日ぶりに事務所でベンガル料理を食べるとこれはこれで美味しいわねー、とダールのスープをお代わり。今は食後のお茶を飲みつつこのブログを書いているところです。

12月にまた犠牲祭のイードがあるので、もう12月の頭までスケジュールはぎゅうぎゅう詰め。小嶋駐在員も12月で帰っちゃうし、ほんとにこれでなんとかなるんだろうか。まあでもダッカ事務所はベテランスタッフ揃いなんだし、どんどん彼ら・彼女らにやってもらいましょう。よし、またベンガル料理がんがん食べてよく寝て免疫力つけつつがんばるぞー。

2007年10月10日

デング・ニールか

このところ、事務所のスタッフやダッカ事務所を訪れた出張者などにデング熱発症者が続発。事務所の管理運営を預かる者としては頭を抱えております。事務所の周辺を見回って水が溜まっているところがないか調べたり、薬をまいたりしていますが、相変わらず蚊はいるし、なかなか有効な手立てがみつかりません。

今日、休日出勤で午後から事務所に出てきた私のスタイルも、暑い中、長袖のサルワール・カミーズに足は靴下にサンダル履き、自宅から日本製の蚊取り線香とライター持参、一人なのに電気代もったいないけど、部屋は締め切ってエアコンを使う、という完全防備体制です。それでもかかるときはかかるんだろうしなあ。

デング熱って軽ければ風邪かな、と思ってやり過ごしてしまう人もいるらしいんですが、普通は高熱が何日も続いて、食事もとれなくなり、とても消耗する病気です。その上、出血性に移行したり、ショック症状が出たり、と重症となると相当大変です。ダッカ事務所の歴代の日本人駐在員およびその家族は、私が把握しているだけでも6人がデング熱にかかりました。7月に出張してきてデング熱にかかった人も合わせれば、実に日本人8人がかかったことになります。このうち、今の事務所に移ってからかかった人は半数の4人ですが、このほかバングラデシュ人スタッフも数人がかかっています。

多い。多すぎる。やっぱり尋常じゃないですね、これは。

自身も最近デング被害にあった小嶋駐在員は、「シャプラニール(睡蓮の家)」じゃなくて「デングニール(デングの家)」に名前変えたほうがいいんじゃないか、などとブラックなジョークを飛ばすし、先日イフタール・パーティをやったときのスタッフのお祈りも「アッラーよ、私たちをお守りください。とくにデング熱の被害から...」というものでした。なんてこった。

デング熱のウイルスを媒介するシマ蚊の卵は乾燥に強くて、乾季にひからびてもそのまま1年生きながらえて来年の雨季に孵化したりするんだそう。なんてしぶとくっていまいましいんでしょう。デング熱にかかって熱を出している人をシマ蚊が刺すと、その体内で、8-9日のうちにデングウイルスは培養され、その蚊がまた人を刺すと感染するのだそうです。刺されたあと発症するまでの潜伏期間は8-9日。私もイード休み中に熱出すかもしれないなあ。

イード休みが明けたら、また殺虫剤大作戦だ。煙くてもそこら中で蚊取り線香を焚かなくては。旅行などでダッカに見える方もお気をつけくださいね。

2007年08月27日

配給の思い出

わがダッカ事務所のお昼ご飯は、事務所の食堂でみんなで一緒に食べます。昼食時はみんな喋る喋る、食べながらよくこんなに喋るもんだと思うぐらい喋るのですが、そんな中で時々、珍しい話が聞けます。

例えば今日も話に出たのですが、独立戦争前後の混乱の時代の配給の思い出。

スタッフS:昔配給でさあ、大豆油を始めて食べたんだよね。
スタッフD:そうだね、大豆油なんて見たことなかったものな。
S:マスタード油以外の油なんて食えるのかと思ったけど、使ってみたらけっこうおいしくてね。
D:今は大豆油がずいぶん広まったもんだよねえ。
ふじ:その前は大豆油ってなかったの?
S,D:なかったよ。配給で入ったのが最初だったと思うよ。
D:あと椰子油も来たねえ。マレーシアからさ。
S:ああ、あれはあんまりおいしくなかったねえ。
S:あと日本製の布地ねー。シャツ用のさ。
D:券持って並んだよなあ。あの生地もらうのにね。
S:ぼくは子どもだったけど、欲しくておとなと一緒に並んでたらもみくちゃにされてさ。兄貴にしかられたなあ。
ふじ:それって、出来合いのシャツとかじゃなくて布地だったの?
S:そうそう。でもすごく品はいいものだったよ。みんな日本製の布地がほしくて殺到したんだよ。

こんな話をふむふむと聞きながら、いつもお昼を食べています。同じ話をよく繰り返すスタッフもいて、内心、「その話はもう何度も聞いたよ...」と思うこともありますが、貴重な体験をしてると思います。

昔の学校の教科書の話なんかも面白いんですよね。べつの機会に書きます。

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藤岡前駐在員藤岡恵美子
(ふじおかえみこ)
2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。
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