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社会

2009年03月14日

ボシュンドラ火事・続報

ボシュンドラ・シティでの火事はなんとか昨夜9時ごろおさまったようです。今朝の新聞によるとこの火事で少なくとも7名が死亡、20名負傷ということです。8階以下のショッピングモールには火は回らずにすみましたが、ボシュンドラ・グループのオフィスが入っていたオフィス棟の6階分が燃えてしまいました。

きのうのブログに「ショッピングモールは休みだった」と書きましたが、それは間違いで、モールはやってたみたいですね。お店にも映画館やフードコートにもたくさん人はいたけれど脱出したようです。かなりパニック状態だったようですが、映画館にもたくさん人はいたにもかかわらず、脱出時に将棋倒しになるような事故が起こらなかったのは本当によかったです。

それにしても昨日ボシュンドラ・シティを取り囲んだ見物人のすごかったこと。何千人、何万人という人が道に溢れていました。家族や自分の店を心配して見守っていた人ももちろんたくさんいたはずですが、大半は野次馬です。携帯片手に写真を撮る人も。ボシュンドラ・シティ前の道路、Panta Pathは人の海で、消火や救助のための車両が駆けつけるのにも支障を来たす始末。

そして後からわかったのは、ボシュンドラ・シティのビルの中にはちゃんと自動消火装置はついていたのだけれど、スプリンクラーに給水するタンクに水が入っていなかったため作動しなかったということ。どんな立派な装置をつけても水が入ってなきゃ意味がないじゃないか!これを機にショッピングモールの消火装置の点検が厳しくなるといいんですが。

ショッピングモールは焼けずにすみ、バングラデシュ最初のマルチ・シネプレックスも無事でしたが、モールは2日間休業するそうです。

2009年03月13日

ボシュンドラ・シティ炎上

今日は金曜日で休みの日ですが、仕事があって朝からノルシンディ県のパートナー団体のPAPRIに行っていました。2時半過ぎ、PAPRIの事務所の食堂で昼ごはんを食べていたら、「ダッカのボシュンドラ・シティが火事だってよ」とのニュース。(新聞サイトのBreaking Newsは→こちら)ええっ?と普通以上に驚いたのは、明日の土曜日、このボシュンドラ・シティの中にある映画館に内山駐在員と二人で映画を見に行く予定にしていたからです。

ボシュンドラ・シティ(Bashundhara City)は2004年にオープンしたダッカ最大のショッピング・モールで、南アジア最大とも言われています。場所は5つ星ホテルのショナルガオン・ホテルからもすぐ近くで、初めてバングラデシュに来た人が見たら、こんなものがバングラデシュにあるなんて!とびっくりするような吹き抜けの巨大ショッピングモールです。店舗のほか、映画館、フィットネス・センター、 フードコートなども入っており、ビルは21階まであります。(ショッピングモールはそのうち8階まで)

夕方家に帰ってきてテレビのLIVE映像を見ていますが、火が出たのはオフィス棟の17階で、17~21階はほぼ焼き尽くされ、今12階ぐらいまで火が降りてきているとのこと。火の勢いはまだ衰えることなく、バングラデシュ時間19時現在、夕闇の中で今も激しく燃え続けています。夕方ダンモンディを通って家に帰る途中、ダンモンディ・レイクにかかる橋の上からも燃えるビルのオレンジ色の炎が見えました。

不幸中の幸いだったのは今日は金曜日でショッピング・モールも会社も休みだったこと。それでもこれまでにボシュンドラ・グループの消防員1名が亡くなり、50名が火傷を負ったとのことです。以前、カウンラン・バザールのTV局などが入っているビルの火災でもそうだったのですが、バングラデシュには11~12階以上に届くようなはしご車も無く、高いところまで水が届くようなポンプ車も無く、消防隊員が着る消防服さえ満足に無い状態で、このような高層ビルで火災が起きるとまったくお手上げなのです。軍のヘリコプターも出動して鎮火に当たっていますが、とても手に負えそうにありません。下手に軽装備の消防隊員が中に入っても自ら被害に遭ってしまうだけでしょう。そもそもこんな火事が起こったら消火できる設備もないのに、高層ビルをどんどん建ててしまうこと自体が問題です。

この火事がショッピング・モールが開店している日に起こったら?と思うとぞっとします。大変な大惨事になったでしょう。明日起こっていたら私たち駐在員二人とも巻き込まれていたかもしれません。

火災の原因はまだわかりません。ビルの中にどれぐらい人がいたのか、ということもよくわかりません。これ以上被害者が出ることなく、早く火が治まるといいのですが...。今のところまだ火はショッピングモールまで降りてきていませんが、このままだとダッカで一番いい映画館も灰になってしまうかもしれません。

ああ、つくづくセキュリティの問題だらけのダッカです。政府もビジネスセクターもNGOも市民ももっと真剣に都市の防災について考えなければ、このまま高層建築ラッシュが続いたらもうどうにもならなくなるでしょう。洪水やサイクロンなど自然災害についての防災も重要だけど、都市の防災のほうがもしかしたら緊急度は高いのかもしれません。

2009年03月12日

やっぱりJMB

BDR本部での虐殺事件の捜査を一括して担当することが数日前に発表された商業大臣のファルーク・カーンが今日、捜査の結果、今回のBDR事件にイスラム過激派のジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(以下JMB)が関わっていることがわかった、と発表しました。(→新聞記事)やっぱりね...。ちなみにこのファルーク・カーンという人は退役軍人です。事件後の政府の軍への気の遣いようは相当なものがあり、捜査の責任者に彼を据えたのも、軍人たちを納得させるためでしょう。

これに伴い、独立記念日である3月26日のパレードも中止されることが決定。次に狙われるとしたら独立記念日のパレードだよなあ、と思っていたので、中止の決定を聞いてよかった、と思いました。それにしても、叩いても叩いても2~3年するとまたはびこってくるJMB。ゴキブリのようなしぶとさです。何をしでかすかわからない連中が関わっているとわかっただけに、徹底した捜査と事件に絡むJMBメンバーらの一刻も早い逮捕が望まれます。

2006年のJMBの首領逮捕に功績を残したグルザール大佐は、身元不明だった遺体のDNA鑑定により、死亡が確認されました。こういう優秀な人も亡くなっちゃったし、今後のJMB狩りは大変でしょう。

それにしてもシェイク・ハシナ首相率いる新政府、立ち上がってわずか2ヶ月足らずでなんと大きな試練に見舞われたことか。でもここでどうにか踏ん張ってほしいです。バングラデシュが平和なよりよい国になっていくためには、国際社会も現政権が潰れないように、とにかく支えていくしかないと思います。

2009年03月10日

「ピルカナの悲劇」その後-2

今日はヒジュラ暦(イスラームの暦)の3月12日、預言者ムハンマドの生誕祭ということで祝日です。このところ忙しかったのでどうも疲れ気味。朝からゴロゴロしながらひたすら新聞を読んでいます。3月に入ってから日に日に暑くなってきて、日中の室内の気温は30度近く。今日は曇っているからまだいいですが、日差しの強い日は30度を超えます。停電も増えてきて1回1時間程度の停電が1日4-5回。今からこんな調子じゃ本格的に暑くなる頃どうなるんでしょう。うんざり。

BDR本部での事件について、調査団が報告を出すまでにあと1週間かかるということですが、新聞には既にかなりの情報が載っていて、なんとなく背後にあるものについての想像はついてきた、という感じです。アメリカからFBIの捜査官も2名到着。明日にはスコットランド・ヤードからも捜査官が来るとか。一方で昨日ヘリコプターの墜落でジョソールの軍の高官が死亡したり、BDR本部内で自殺者が出たり、という事件も起こっています。

以下、今朝の英字紙、Daily Starの記事より

BDR本部の包囲は不十分だった(BDR HQ hardly cordoned off)
事件当時、BDR本部の周囲は軍や警察の特殊部隊が包囲していましたが、実際には無防備に近かったエリアがあり、そこから多くのBDR隊員が逃走した、ということです。26日のシェイク・ハシナ首相の演説のあと、約6700人のBDR隊員が逃走したとのこと。当日は「反乱軍は武器を捨てて投降した」と伝えられていましたが、実際のところは軍や警察が踏み込んだときには犯行に関わった者はほとんど逃げてしまってもぬけの殻に近かった、ということですね。

450名の隊員が関与(450 BDR men found involved so far)
これまでわかっただけでも450名のBDR隊員が事件に関わっており、そのうち少なくとも12名がいくつかに分かれた彼らのグループを指揮していた、ということです。

ジョソール地域の軍司令官がヘリコプター墜落で死亡(Jessore GOC killed in chopper crash)
亡くなった司令官は階級でいうとMager Generalだから少将?かなり高位の人です。ヘリコプターを操縦していた中佐(Lieutenant Colonel)も亡くなり、もう1人操縦席にいた少佐(Major)も重症です。墜落する前にヘリコプターが電線に接触したことはわかっているのですが、時期が時期だけにただの事故なのかどうか疑問視する声も。

BDR隊員が自殺(BDR subedar 'kills' himself)
ピルカナの本部内の浴室で45歳のBDR隊員が首を吊って死亡しているのが昨日朝みつかりました。この人は事件のとき本部内にいたそうですが、逃げずに投降したそう。親戚は「自殺とは思えない」と語っているとか。

BDR本部内の教育中断されたまま(Education stays shut inside BDR HQ)
BDR本部内には小学校からカレッジまで4つの学校があって、1万人の児童・生徒・学生たちが事件後教育を中断されたままだそうです。あの中にそんなに学校があるとは知りませんでした。そこで学ぶ子どもたちだけで1万人もいるというのも驚きです。しかし、その子どもたちの中でも親が殺された子あり、親に容疑がかかっている子あり、では、事件が解明されない限り容易に普通の授業には戻れないでしょう。血なまぐさい大事件のあった敷地の中にそのまま住み続けていること自体大変なストレスだと思います。ちょうどSSC(中期中等教育修了認定試験)、HSC(後期中等教育修了試験)といった重要な全国共通試験がある時期なだけに、巻き込まれた子どもたちは本当にかわいそうです。

JMB擁護者リンクを捜査中(Probe on to find JMB patron link)
今日一番注目の記事だったのがこれ。ラッシャヒでイスラム過激派ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)のメンバーと今回のBDR事件、そしてJMBのパトロンと目される政治家とのつながりについて捜査が進んでいます。この記事によれば、BNPとジャマテ・イスラミの連立政権下の2004年ごろから複数名のJMBメンバーが地元政治家の推薦でBDR隊員として採用されていたとのこと。そういった政治家の多くは軍に支援された暫定政権の時代に逮捕されたり逃走したりしたそうで、いまだに地下にもぐったままの人もいるそう。これらのJMBメンバーは共産党の地下組織との抗争での働きに対する「ご褒美」としてBDRに採用されていた、というのです。事件後、JMBメンバーのアジトと見られる家に逃げてきたBDR隊員が数名滞在していたが、2日後、BDRに戻るといって去ったとか。JMBメンバーをBDRに推薦して採用させたパトロンとしてBNPの政治家たち(ほとんどが暫定政権時代に逮捕された)の名前が挙がっています。この記事の内容が本当なら、BDRの隊員たちの中に、数年前からすでにJMBのメンバーが入り込んでいたことになります。そうだとするといろいろなことが腑に落ちます。今回の事件にJMBが絡んでいることはほぼ確信できるレベルになってきた感じです。あとはそのパトロン、要するにBNP関係者とのつながりが問題です。Daily Starがアワミ寄りだということを差し引いて考えても、こりゃだいたい筋書きは見えてきたのでは?と思ってしまいます。

今日はすっかり独断的新聞解説になってしいました。内容がマニアックすぎて普通の読者の方にはわけがわからないかも...。でもこのブログを読んでくださっている方はほとんどバングラデシュ関係者みたいだから、ま、いいか。

2009年03月09日

「ピルカナの悲劇」その後

2月25日から26日にかけて起こった国境警備隊(Bangladesh Rifles=以下BDR)での銃撃事件は、結局3月上旬までの発表で74人(うち軍の将校55人)の死者が出る大事件となり(注1)、BDR本部のある場所の地名「ピルカナ(Pilkhana)」から、「ピルカナの悲劇」「ピルカナの虐殺」などと呼ばれることが多くなってきました。

日本でのわずかな報道では何が起こったのかよくわからなかったと思いますが、バングラデシュにおいてはこれは国民の心に大きな傷を残す歴史的な大事件であったといえます。真相の究明に向けて調査団が組織され、近いうちに調査報告が発表されることになっていますが、どうにもこの事件は不可解なことだらけで、今もバングラデシュの多くの人々の胸には、「なぜ、こんなことが起こってしまったのか?」「どうして防げなかったのか?」という疑問と痛みがモヤモヤとしている、という感じです。このモヤモヤは真相が明らかになるまで晴れることはないでしょう。

「BDR本部で銃撃事件」と聞くと、何かひとつの建物の中で事件が起きたのかと思われるかもしれませんが、このBDR本部というのは周囲10キロの広大な場所なのです。この中にBDR隊員や上官である軍の将校たちの住居もあり、バラやユリの花が咲き乱れる庭園やスポーツ施設もありました。広い大学のキャンパスのようなものです。そういう場所なので、事件当時ここに閉じ込められて人質になってしまった人々は軍人だけではありませんでした。女性や子ども、お年寄りを含む軍人やBDR隊員の家族たちも、事件の最中は家から出られず銃声を聞きながら恐怖に震えていたのです。

事件発生当時、ピルカナのBDR敷地内には数千人の人々がいたといいます。しかもピルカナの周囲は密集した住宅街で、北は古くからの高級住宅街のダンモンディに、南はダッカ最大の公務員住宅地アジムプールや常に大勢の人で賑わう商店街のニューマーケットに接しています。バングラデシュの最高学府、ダッカ大学のキャンパスも目と鼻の先です。そんな首都の重要な場所で一昼夜銃声が響き続け、鎮圧のために戦車が住宅地を走り抜け、周囲3キロの住民に避難勧告が出され、あわや市街戦か、という危機一髪のところだったのです。

その最悪の事態をなんとか回避してやれやれと思ったら、ピルカナの敷地の中からBDRのトップ含め数十名の軍の将校たちの無残な遺体が次々と発見されました。30名以上が投げ込まれて埋められた穴や、下水溝に捨てられ川に流れ出た遺体、めちゃめちゃに荒らされて略奪され、血痕が残る軍の将校の住居など、鎮圧後に明らかになったピルカナ内部の状況は凄惨を極め、新聞に掲載された現場写真に背筋が寒くなりました。犯行グループのほとんどは停電中の闇に紛れるなどして塀を乗り越えて逃走し、後には累々たる遺体の山と武器の山、燃やした書類などの灰の山が残されました。ダッカ住民のショックを想像してみてください。

事件が起きた25日の前日、24日はBDR本部で勲章授与式があり、シェイク・ハシナ首相も出席していました。約1週間にわたる行事のために、全国のBDR拠点から軍の将校たちが集まっていました。そういった特別なときに起こった事件でした。銃殺された軍の将校たちはほとんどが25日の朝に殺されたとみられるのですが、その日、TVではBDRの隊員たちが「我々は軍の将校たちに抑圧されている。BDR隊員の待遇は悪すぎる」といったことを訴えていました。その段階では、これほどの数の軍人が既に殺されているとはほとんどの人は思わず、“捨て身で待遇改善を訴えに出た”BDR隊員に同情する人が多かったのです。しかし、事件後の惨状を見て、いまや誰もこの事件が「待遇への不満が爆発」などというレベルのことだったとは思えなくなっています。犯行の主目的は別にあり、「待遇への不満の訴え」は人々の目をくらますための煙幕だったのだろう、と言われています。犯行に関わった“中心メンバーでない”BDR隊員たちも、この煙幕に惑わされ、踊らされてしまったのではないか、とも考えられます。

調査が進むにつれ、BDR隊員の通話記録などから、今回の事件は少なくとも2ヶ月以上前から計画され、BDR内の相当数の人がなんらかの陰謀が進んでいることを知っていたはずだ、といわれています。辛くも虐殺を逃れて生き残った軍の将校は、虐殺の中心メンバーは約20名で、赤や紫などの布で覆面をしていたこと、この覆面グループと顔を出していた(しかし中心メンバーの指図に従って動いていた)BDR隊員メンバーとは明らかに態度が異なっていたことを語っています。BDR隊員の数は非常に多いため、制服は着ていたものの、この覆面メンバーが本当にBDR隊員だったかどうか、居合わせたBDR隊員らもわからなかった、という話もあります。そのため外部の人間だったのではないか、という憶測が飛んでいるのです。イスラム過激派によるものだ、という説、インドの陰謀だ、という説などが流布していますが、真相はわかりません。BDR内にも諜報部門があるのに、なぜこの計画についての情報が事前にキャッチできなかったのか?なぜ上に伝わらなかったのか?ということも今問われています。いずれにしても、現政権を揺さぶるための強烈な嫌がらせである、ということは間違いないように思われます。

覆面メンバーを含め、事件当時の犯行グループメンバーはかなりTVにも映され、写真も撮られています。揃いの布で覆面や鉢巻をしたメンバーたちは確かに眼つきが異様な感じで、顔を出している他の隊員たちとは印象が違います。

他にも様々な「謎」や「手がかり」が報道されています。以下のようなものです。(真偽のほどは保証できませんが広く報道されているものです)

・事件の最中、軍関係のものでもBDR関係のものでもない所属不明の車がピルカナを出入りしていた。
・ピルカナに残された武器の中には、BDRも軍も使用していないものがあった。
・バングラデシュのTVニュースではBDRトップのDirector General(DG)が殺されたことは事件が決着するまで報道されなかったのに、インドのNDTVでは事件が起こった25日の午前中にDGを始めとする主な将校たちが殺されたことが報道されていた。
・犯行の中心メンバーが、事件の最中、「グルザールはどこだ?!」と叫んでいた。グルザール・ウッディン・アフマッド大佐は今も遺体がみつからない5人の将校の1人であり、彼は2年間Rab(警察の特殊部隊)にいた時代、イスラム過激派であるジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)(注2)の首領らの逮捕に中心的役割を果たした。

事件から10日たち、事件当時の政府の対応などをめぐって与野党の非難合戦が始まっています。そんなことをしている場合じゃないだろ!と思いますが、いつもこうなってしまうのが悲しいかなバングラデシュの現実。過去からの因縁は脇におき、与野党が協力して一刻も早く真相を明らかにしてほしいと思うのですが。

ダッカで暮らし、バングラデシュの人々と共に働く私も、事件の真相がわかるまではどうにも気持ちが落ち着きません。事件が起こる前には週末よく買い物に行ったライフル・スクエア(注3)にも当分足が向きそうにありません。


注1:一時は約150名が死亡か、と報道されたのですが、後に訂正されました。情報が混乱しており、その場に軍のオフィサーが何人いたのかすらもなかなか判明しなかったようです。

注2:2005年8月に起きた全国同時爆弾テロの犯行声明を出すなど、バングラデシュ内でももっとも危険と目されていたイスラム過激派グループ。首領アブドゥル・ラーマン、No.2のバングラ・バイら幹部6名は2006年3月に逮捕され、約1年後に死刑に処せられている。

注3:BDR本部のダンモンディ側の門のすぐそばにあるショッピング・モール。スーパー「アゴラ」の1号店、DVD屋やブティック、ファーストフード店などが入り、ダンモンディのショッピング・モールの代表的存在だった。今回の事件中、一時犯行グループに占拠された。

ライフルズ・スクエア.jpg

写真:ライフルズ・スクエア。このモールの前の通りで、BDR敷地内から撃たれた流れ弾に当たった学生やリキシャ引きの男性などが死傷した。この写真は2005年に撮影したもの。

2009年02月26日

続報・国境警備隊発砲事件

昨日お伝えした発砲事件は、その後も反乱を起こした国境警備隊(BDR)兵士たちが立てこもりを続け、今日は一時かなり緊張が高まり、軍とBDRが衝突する最悪の事態になるかと思われましたが、とりあえずそのシナリオは回避されました。

昨日、首相との会談でいったん事態が収束すると思われたところ、午後からまた激しい銃撃戦が勃発。銃撃は今朝になっても続き、ラッシャヒ、シレット、バンドルボンなど全国各地のBDR拠点でも反乱が起きていることが伝えられました。その後、今日午後2時すぎ、シェイク・ハシナ首相がBDR反乱メンバーと国民に呼びかける形でTV演説を行いました。内容は「あなた方の兄弟たちの血を流すのはおやめなさい。今からでも投降すれば恩赦を与えます。BDRの問題について解決するための委員会もつくりました。平和に解決できるよう政府は努力しています。しかし協力しなければより強硬な行動に出るしかありません」といったもので、かなり情緒的に語りかけるような演説でした。

その後もしばらくBDR反乱グループが投降する様子がなかったため、軍は攻撃に備えた体制を敷き、BDR本部の周囲3キロから一般市民は立ち退くように、という呼びかけもされました。私や内山さんの自宅もその範囲内に入ってしまうので、いったん家に帰り、着替えなどを持って一応モハマドプールの事務所に避難。私たちの自宅の目と鼻の先のダンモンディ27番通りからダンモンディ側は完全に立ち入り禁止になり、私たちがよくリキシャに乗って行き来しているシャート・マスジッド・ロードを戦車が走る、という非常に緊張した状況になりました。ダッカとダッカ外の他県との携帯電話のネットワークも不通になり、地方との連絡も取れない状況になっていました。

このまま内戦状態に突入するのでは...と思っていたところ、夜8時ごろ、BDRの反乱グループが武器を捨てて投降し、BDR本部は完全に警察がコントロール下に置いた、という情報が入りました。今はほぼ事態は落ち着いたようで、ダッカと地方との携帯ネットワークも復活しましたが、地方を含め事件の全貌はまだ明らかになっておらず、いったい合計何人が亡くなったのかもよくわかりません。遺体が確認された死者は8名ということですが、BDR本部内に約150名いた軍の上級オフィサーのうち、いまだに134名が行方不明であり、全員殺されている可能性大、とのことです。現在捜索チームが組織され、BDR本部脇を流れる川などの捜索を行っているそうです。

とりあえず今は最悪の危機は回避したようですが、仲間を殺された軍の兵士たちが「恩赦」におとなしく納得できるのかどうか。これで一件落着というほど簡単にはいかないのではないかと思われます。

まだしばらくは状況を注意深く見守りたいと思います。

2009年02月25日

国境警備隊本拠地で発砲事件

今朝、ダンモンディ南部方面にある国境警備隊(BDR)の本拠地内で発砲事件があり、軍が事態の収拾のため周囲に陣取り、付近への立ち入りを禁止しています。少し前、政府の代表団が国境警備隊本拠地の外からマイクで呼びかけをし、今回事件を起こしたBDRのメンバー数名が出てきて首相官邸に向かいました。シェイク・ハシナ首相は直接このBDRのメンバーたちと話をするようです。

先ほどBDRのメンバーの1人がテレビ局への電話で不満をぶちまけていましたが、どうも軍に対する待遇に比べ、BDR隊員への待遇が低いこと、軍がBDRを押さえ込んでいることが不満の根源としてあるようです。バングラデシュでは軍の特権というのはすごいもので、食糧の配給や住居から始まり、軍人の子弟のための特別なハイレベルの学校やら、車やら、PKOの海外出張やらと、華々しいのですが、国境警備隊員の地位や待遇はだいぶ落ちるらしく、こういった不満を新政権にぶつけたい、ということのようです。

午後外出禁止令が出るかもしれない、という情報もあったので、私たちのダッカ事務所も午後から休みとし、スタッフを皆家に帰しました。家がBDR本拠地すぐ近くの1名は自宅に帰れず、グルシャンの親戚の家へ。折りしも東京事務所から筒井事務局長と菅原職員、カトマンズ事務所から藤崎駐在員と4人のネパール人スタッフが年度末の会議のため出張中でしたが、カトマンズのメンバーもホテルに送り届け、会議もお昼で切り上げになってしまいました。やれやれです。もっとも、こういったことがバングラデシュ以上に多いカトマンズから来たスタッフたちは全然驚きもせず、おっとりしていました。

今のところ外出禁止令が出る事態にはなっていませんが、ダッカ市内のオフィスや学校はほとんど午後は休みになったようです。公立の小中学校は今日はもともと休みだったのでよかったですが、ダンモンディは私立大学の多い地域で、銃撃の危険のため道路が封鎖されてホステルや自宅に戻れなくなった学生が足止めを食っておろおろしているようです。

こういう騒ぎはちょっと久しぶりだなあ。今日中に解決することを期待していますが、どうなるやら...。

2009年01月20日

シニア世代は悲観的?

前々回のこのブログ「信じる者は裏切られるのか?」で、あるNGOの専務理事に「アワミ連盟のマニフェストなんて信じちゃだめよ」と言われたことを書きましたが、この件についてクルナへの出張に同行していたダッカ事務所スタッフに話したところ、こんなことを言ってました。

*以下スタッフ談*

なんでだろ、シニア世代の人たちのほうがすごく悲観的なんだよね。ぼくの知ってる人でも過去に政治活動に関わってた人で、「絶対そんなにうまくいくわけがない」「前と同じようになってしまうに決まってる」みたいなことを言う人、多いよね。これまでずーっと酷すぎる政治状況を見続けてきたから、疑い深くなっちゃったんだろうけど(笑)。

ぼくは割と楽観的だけどね。きっと変わると思うよ、今回は。だって今回、新しい政府が立ち上がってほんの数日で、公約で言ってたとおり、肥料の値段をほとんど半分まで下げたんだからね!(→関連英字新聞記事はコチラ 注:バングラデシュではまさに今が乾期の灌漑稲作の田植えシーズン。今肥料の値段が下がることは農民にとって大きな助け)。今までじゃ全くあり得ないことでしょ。

マニフェストねー、確かに原文をちゃんと読んでる人は少ないかもしれないけど、新聞やテレビのトークショーでずいぶん話題になったからね。正確でなくても、マニフェストに主にどんなことが書いてあるのか、たいていの人は知ってるよね。これまでの選挙とは全然違ったよ。前は政党が選挙の前に公約で何を言ったかなんて、ほんとーに誰も気にしてなかったんだから。僕自身も今回はマニフェストを冊子にして道端で売ってたやつを買ったもんね。これまで一度も買ったことなかったんだけど(笑)

今回は投票者の30%以上が初めて投票する若い世代だったってことも選挙文化が変わってきた理由のひとつだろうね。メディアの役割も大きかったと思うよ。とくにパネル・ディスカッション形式のトークショーね。選挙直前のBNPの集会でカレダ・ジアが「メディアが偏向している」って不満を言ってたけど、確かにトークショーのパネリストたちの論調はアワミに有利なものが多かったね。

*スタッフ談ここまで*

・・・ということで、世代によっても受け止め方はだいぶ違うのかもしれません。

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新年、牛シリーズこれで最終。普通、バングラデシュの牛はこういう感じ。前に写真をご紹介した面白い顔の牛ちゃんは、「ビデシ・ゴルー(外国種の牛)」だそうです。オーストラリアかどこかの子ですと。

2009年01月15日

信じる者は裏切られる、のか?

おととい某パートナー団体とのミーティングで、休憩時間の雑談時に前回このブログにも書いたアワミ連盟のマニフェストの話を持ち出したら、その団体の専務理事に「あ~んなモノは忘れたほうがいいわよ。真に受けちゃダメよ。絶対実現しないから。そもそもほとんど読んでる人なんていないよ」とバッサリ言われてしまいました。うーん、そうなの?でもいいんですか、それで。

確かに読んでる人はヒジョーに少ないでしょうね。ベンガル語版、英語版があるけど、ベンガル語だって読み書きできない人が多い国なんだし、新聞購読してる人なんてごく一部のエリートだけだろうし。ほとんどの人は「米の値段を下げる」という話と「肥料を補助する」という話しか気にもしてないかも。「アワミは米の値段をキロ10タカまで下げると言った」「いや言ってない、それはBNPが言ったんだ」「肥料をタダで提供すると言った」「いや言ってない」とか、そんなやりとりばかりがニュースになってますもんね。ああ、あと「デジタル・バングラデシュ」はキャッチーだからけっこうみんな冗談まじりに口にしてますけどね。

それから、今日の昼休みにうちのスタッフの政治好き2人に、前回このブログで触れたDaily Starの記事(1名を除きクリーンな内閣メンバーだ、と書いてあったこと)と、私が前に飛行機で隣り合った人のことを聞いたら、2人とも飛行機の人は確かにビジネス長者だけど比較的クリーンなイイ人で、Daily Starが言ってるのはべつの人のことだろう、っていうんですよね。そうなのかなあ。

あのマニフェスト、しばらくたって気がついたらすーっとアワミ連盟のウェブサイトから消えてたりするのかしら。デキ、キーホベ。

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前回と同じ牛ちゃんドアップ。撮ってたらびよーんと接近。カメラに鼻くっつけないで~。

2009年01月11日

ハシナ新政権発足

選挙で圧勝したアワミ連盟総裁のシェイク・ハシナが1月6日に首相として宣誓し(→新聞記事)、新閣僚メンバーも発表されました(→新聞記事)。ハシナの今回の閣僚の人選は、前もって本人が予告していた通りかなり大胆で、長老たちを排し、多くは初めて閣僚になる、という面々。中でも、外務大臣と内務大臣という重要ポストにそれぞれ閣僚経験のない女性を据えたことは目を引きます。新聞の論調などを見ても、とくに「汚職にまみれていない清潔な人たち」という点ではかなり高得点の人選のよう。(注:この点、Daily Starには「1人を除いて」と書かれてましたが、それが誰かは書いてませんでした。ちなみに私は2年ほど前に飛行機でそれらしき方の隣に座ったことがあります→過去ブログご参照(笑))。ただし、閣僚としての経験は少ない人が多いので、今後どれだけ政治的手腕を揮えるか、というところは未知数ですと。ベンガル語で言うなら、「デキ、キーホベ(見ましょ、どうなるか)」といった感じですね。「汚職のない政府」「ジェンダー・センシティブな政府」ということを内閣の顔ぶれでアピールするのにはまず成功したけれど、これはかなり思い切った賭けであるようです。

昨日1月10日は、独立戦争時にパキスタンに囚われていたハシナの父、シェイク・ムジブル・ラーマンが解放され、独立を果たしたバングラデシュに帰還した日(1972年)。この日、シェイク・ハシナは父の故郷のゴパルゴンジ県トゥンギパラでシェイク・ムジブの墓に詣で、彼女が率いる政府は「我々に投票してくれた人も、そうでない人も分け隔てなく、全ての人に平等な開発を目指す」と延べました。

そんなの普通なら当たり前のことなんですが、今までそうじゃなかったんですよね。例えばこのトゥンギパラなどはBNP政権のときは徹底的に行政から無視され、新しい道路はその間一本もできなかったというし、アワミ連盟だって前に政権についていたときは似たようなものでした。全国各地の橋も道路も、ライバル政党の政権のときに計画されたものは政権が替わったら工事は中止になってほったらかし、というケースがざら。この悪習は本当に改善してほしいものです。

アワミ連盟は選挙前にバングラデシュ独立50年となる2021年までに達成することを目標とした「Vision 2021」というマニフェストを発表しており、その中で5つの優先事項(1.物価高騰への対応、2.汚職対策、3.電気とエネルギー対策、4.貧困と不平等の撲滅、5.よい統治(Good Governance)の実現)を含む23項目に取り組むことを公約としています。その中には農業施策やインフラ整備などに加え、「児童労働を全てのセクターから次第に無くしていく」とか、「1997年に結ばれたチッタゴン丘陵地帯(CHT)和平協定を完全実施する」といった内容も。

このマニフェスト、今後の政府への働きかけや政府との協働について考えていくため、私たちバングラデシュに関わるNGO関係者もよく読んで今後の動きをウォッチしていく必要がありますね。

2021年というとずいぶん先なようですが、数えてみればあと12年先。建国50年か...。シャプラニールも2022年には活動開始から50年になるんだなあ。うへ~あと13年でゴールデン・ジュビリーか...。そのとき私はいくつになってるんだろ?相当いい年だよな(ってすぐだろうけど)。

シャプラニールも現行の中期方針(2007-2011)の次は10年単位の「ビジョン2022」が必要かも?(なーんて今3年先までの計画作るんでも四苦八苦してるのに、余計なこと言っちゃいかん。自分の首が絞まる(汗)。5年ずつやろー5年ずつ(笑)。)

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新年牛シリーズ第2弾。ポイラで先週出会ったちょっとオマヌケ顔の牛ちゃん。

2008年12月30日

アワミ連盟圧勝

バングラデシュ総選挙の開票結果が発表されました。結果はアワミ連盟率いるグランド・アライアンスの圧勝。bdnews24.comの速報によると、299議席中、グランド・アライアンス262議席、BNP率いる4党アライアンスが32議席、その他の独立政党が5議席を獲得。アワミ連盟は単独で230議席、なんと約77%を占めるという圧倒的な勝利です。

昨夜わりと早い時点からアワミが優勢、というのは伝えられていて、昨夜のうちにアワミ連盟党首のシェイク・ハシナが「正式な結果が出るまで勝利のラリーなどは控えるように」と支持者に呼びかけるような状況でした。

朝事務所に来てうちのスタッフたちと話をすると、手放しで喜んでいるスタッフもいる一方で、「アワミが勝つだろうとは思ったが、ここまで圧勝になるとは予測していなかった。アワミの独裁状態にならないよう、BNPが100議席ぐらいとるとバランスがよかったのだが...」といった意見も。たしかにね。

今回の選挙は、投票者IDカードを持っているのに投票所に行ったらリストに名前がなかった、といった問題は多少発生したものの、全体的にはこれまでになくフェアに行われた、というのがすでに公の認識。BNPもこの結果について異議の唱えようがないでしょう。個別にみると前財務大臣のサイフル・ラーマンが議席を失い、シレットでBNPの議席がひとつもなくなったり、アライアンスを組んだイスラム政党、ジャマテ・イスラミのトップ3人が負けるなど、4党連合は本当にボロボロでした。

圧勝したアワミ連盟がこれからどんな政治をするのか。汚職は少しでも減るのか。マニフェストで唱えた約束ごとは本当に実現するのか。それにバングラデシュの未来がかかっています。

2008年12月29日

選挙当日

いよいよ7年ぶりのバングラデシュ総選挙当日。今日は晴れて日差しも暖かく、よい投票日和になりました。投票時間は今朝8時から午後4時まで。今回の選挙の有権者の数は全国で約8100万人、うち男性が約3982万人、女性が約4124万人。全国約35,000ヶ所の会場には現地NGOスタッフなど約20万人が選挙監視員として配置され、海外からの選挙監視団員も約500名が参加。シャプラニールの大橋正明前代表理事も日本政府の選挙監視団の一員としておとといの夜到着。今日は早朝からガジプールの選挙会場の方に行かれているはずです。

選挙監視のお仕事には関わっていない私。朝からのんびりとテレビで選挙中継を見ていましたが、どの投票会場でも整然と平穏に投票が行われている様子。選挙管理内閣のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問もダッカで投票し、「これでバングラデシュは前進すると思う」と取材陣にニコニコ答えていました。もうすぐやっと重い肩の荷が下りる、という安堵感が顔に出てましたね。

私も昼過ぎから近くの選挙会場にのこのこ出かけていきました。

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こちらはダッカ13区の会場のひとつ、ラルマティア女子カレッジ。私の自宅から歩いて5分ぐらいです。門は閉じたまま、投票する人は守衛さんが立っている狭い通用口から中に入ります。

守衛さんに「投票者じゃないけど中が見たいんですけどー」と言ったら、「あそこにいる警察のオフィサーと話をしてください」と言われ、緑の制服とベレー坊でライフルを持った警官に「タダのガイジンなんですけど、どんな風に選挙が行われているか見たいんですがー」と相談。警察官氏は穏やかな人で、「アナタは選挙管理委員会の許可がないから写真は撮られると困るけど、見るだけならいいですよ」と中に入れてくれ、しかもずっと付き添いながら解説してくれました。

私が見せてもらったのは女性の投票会場になっている教室(投票会場は男女別です)。教室の中には選挙管理委員が教壇の机に2人座っていて、そこで投票する人は投票者IDカードと整理券を見せます。選挙管理委員の手元には写真入りの投票者リストがあって、それで投票者の顔写真、氏名、住所を確認し、投票用紙と選挙管理委員会のハンコを投票者に渡します。私が行ったときは、10人ぐらいの女性が並んでいました。(今日は結局投票所への携帯電話持込を禁止するかわりに携帯のネットワークそのものは閉鎖されないことになったのだけど、教室に入ってもまだ携帯で喋っている女の子が1人いて、誰も注意してませんでした。そのへんけっこうテキトー)

この投票用紙はペローッと縦長のもので、そこに四角い枠の中に入った各政党のシンボルマークが縦に並んでおり、それぞれのシンボルマークの横にハンコを押す欄があります。投票する人はこの紙とハンコを持って教室の窓側の衝立の中に行き、そこで投票したい政党のシンボルの横にハンコを押して、その用紙を透明な投票箱に入れ、ハンコを返す、というシステム。字を読んだり書いたりする必要はありません。

会場となっている教室の、入ってすぐ左側の壁際には選挙管理委員とは別に何やらリストを持って机に並んで座っている女性たちが3人ほどいました。

私「あの人たちは誰です?」
警察官氏「あの人たちは各政党のボランティアです。手元にあるのは投票者のリスト。顔写真はないけど、氏名と住所が書いてあります」
私「はあ、じゃ投票した人は帰りにあのデスクにも寄って名前を言うんですか?」
警察官氏「いや、選挙管理委員のデスクで投票者の名前とか住所を照らし合わせて読み上げるでしょ。それを聞きながらチェックしてるんです」

なるほど、各政党からも不正がないか監視するために会場内に座ることが許されているわけね。

私「投票に来る人は女性と男性どちらが多いですか」
警察官氏「んー、バングラデシュの投票者人口は女性のほうがちょっと多いですからね。ここもそんな感じですよ」

私が見たところ、けっこう若い女性が多いな、と思いました。今回の選挙は7年ぶりということもあって、初めて投票する人が多いのがひとつの特徴です。今朝の新聞によると選挙人口の32%が今回初めて選挙権を持った人だそう。うちの事務所に先月から入った若いプログラム・アシスタントのサビハも選挙は今回が初めてで、昨日帰り際に年上の同僚たちから選挙会場での投票の仕方を教わっていました。サビハみたいな若者が今日はたくさん投票に行ったはずです。

案内をしてくれた警察官氏に礼を言って外に出ると、投票会場の前には胸に政党のステッカーを貼った人たち(主に若者)が何人か立っています。

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胸にノウカ(小舟=アワミ連盟のシンボル)のステッカーを貼った若者たちに聞いてみました。

私「あなたたち、何の仕事をしてるんですか?」
若者たち「僕たちは政党のエージェントです。これから投票する人にボランティアとして、選挙のやり方などを教えてあげるんです」
私「ふーん。あなたたちはアワミ連盟のエージェントってわけなのね。あ、で、あっちに立ってる人はBNPのエージェントなんだ」
若者たち「はい、そうです。各政党から全部来てますよ」
私「どう、今回の選挙は?今まで見たところどんな感じ?」
若者たち「すごくスムースにうまく行ってると思います。今のところなんの問題も起きてないし」

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こちらはBNPのエージェントたちが座ってるテーブル。投票会場の外の路上に、こういうテーブルがいくつか見られます。ここにもボランティアの若者たちが。写真では小さくてよくわからないと思いますが、左手に座っている女の子にモテそうな茶色いジャケットの若者は襟元に金色の稲穂のブローチをつけていました。けっこうこれがコジャレてて「へーこんな小物もあるのか」って感じ。

私「あななたちは何をしてるんですか?」
若者たち「僕たちは政党からのボランティアです。ここで整理券を配るんです。投票する人はこれに名前と投票者IDカードの番号と住所なんかを書いてIDカードを見せるときに一緒に出すんです。ここはBNPのブースだけど、他の政党もみんなブースを出してて、投票者はどこで整理券をもらってもいいんです」

そこで配られていた整理券はこれ。投票会場を書く欄もあります。これはBNPのブースで配られていた整理券だから左側にBNP候補者や党首の顔やシンボルの稲穂が印刷され、「稲穂マークに投票しよう」と書かれてますね。

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んー、確かに投票会場の中で見たとき、みんなこの整理券を持っていたけど、左側の宣伝部分はもぎってあったな。どこで左側をもぎってたんだろ?投票する人はどの政党のブースに行って整理券をもらってもいいわけだけど、たいてい自分が投票したい政党のところに行くだろうから、それで各政党が整理券の左側のもぎった部分の数を数えて、自分の党に投票した人のだいたいの数を把握する、というシステムなのかな。たぶん投票会場の入り口でこれにスタンプで通し番号を押してもらい、左側をもぎったのを持って中に入る、というふうになってたんでしょうね。

投票会場から家に歩いて戻ってきたら、近所の立ち飲み茶屋兼雑貨屋の兄ちゃんが「アパー、投票した?」と聞いてきました。「私はガイジンでここの選挙権はないから投票しないよ、見てきただけ。あなたはどこの党に投票したの?」と私も聞いてみましたが、店の前で茶を飲んでいた人たちの顔をちらちら見ながら当惑した笑顔で答えてくれず。「人前じゃ言えないか(笑)。秘密?」と聞いたら「はい...秘密です」ということでした。

開票は夕方から始まります。正式な結果が出るのは明日になるでしょうが、今日の夜中にはだいたいわかるはず。各テレビ局も今夜は特別番組を組んでいます。私もワインとチーズなどちびちびやりながら開票結果を見るつもり。

2008年12月27日

選挙2日前

前のブログで「今回は夜中に選挙演説がうるさくて眠れないこともナシ」と書きましたが、甘かったです...。昨夜うちの近所では夜11時頃から街宣車のようなもの(たぶんスピーカーを積んだリキシャ)がアジ演説(肉声か録音かは不明)を流しながら回りだし、そのうち場所を定めてマイクを通したダミ声演説が響き続けること数時間。何言ってるんだかはよく聞き取れずさっぱりわからないけど、とにかくうるさい。ようやくそれが終了したのが夜中の2時...。勘弁してくれ!って感じでした。「警察でも軍でもいい、早くあのうるさい連中をひっ捕らえてくれ~」とベッドの上で念じていましたが、誰に捕らえられる様子もなく、演説は周囲の眠りを破って快調に響き続けていました。

それにしても、人が眠りたい時間に夜中の2時までラウドスピーカーで演説流してなんの効果があるんだろう??私だったら眠りを妨げられたっていうそれだけで、もうその候補者に投票するのやめるけどな。

選挙運動は28日0時、つまり今日の夜中の12時で終了することになっているので、今日が最後の追い込みです。今も音が割れて何言ってんだかわからない街宣車がうるさく回ってます。今日はBNPのダッカでの最後の大集会があるそう。(アワミ連盟は昨日でした)

明日の夜12時(29日午前0時)からあさって夜12時(30日午前0時)までは選挙に関する車両、選挙監視団の車両以外、自家用車、タクシー、CNG、バスの一般道の走行も禁止となります。携帯も使えなくなる可能性大。選挙当日はダッカ事務所も休みにします。スタッフたちも投票に行かないといけないし、家が遠いスタッフは事務所に来る交通手段もないし。

私は選挙の日は家にこもって大掃除かな...。それかカメラ持って近くの選挙会場を見に行ってみようかな。この日のテレビってどうなるんだろ。中継とかするのかしら。開票はどれぐらい時間がかかるんだろう?

どっちが勝っても負けたほうが結果を不服として連続ホルタル(ゼネスト)などを呼びかける可能性は大いにあります。今のうちに正月の食糧の買出しでもしておきましょう。

2008年12月24日

選挙5日前

皆さまお久しぶりです。そしてメリー・クリスマス。12月初旬にちょっと一時帰国していたのと、戻ってきてから下の写真のように霧に閉ざされた白~くて薄ら寒いダッカで、「家族や友達と離れて過ごす年末年始も4年目だなあ」なんて考えていたら気が滅入ってしまい、ブログをすっかりご無沙汰してしまいました。

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これは12月18日の朝7時ごろ撮ったもの。1週間ぐらい朝から夕方までこういう状況でした。霧のせいで飛行機がずいぶんキャンセルされたり時間変更になったりし、私が日本から戻る時に乗ったマレーシア航空も夜間のKL-ダッカ便が飛ばず、クアラルンプールで一晩足止めされました。

今日からダッカ事務所は4連休(クリスマス休みが2日+週末)。24日は普通は休みじゃないんですが、クリスチャンが4人いるわが事務所としては、他の宗教のスタッフとの公平性を期すためにも別の休みを削ってクリスマス休みを増やしています。ここ1週間ほど霧でどんよりしていたのが今日は少し日が出てきてほっとしています。

さて、バングラデシュは29日の総選挙まであと5日と迫りました。非常事態宣言も先週解除され、各政党の選挙運動がしきりに行われています。昨日BNPの党首、カレダ・ジアのコミラでの演説会会場近くで手榴弾がみつかったり、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナの命を狙う自爆テロリストが放たれた、という噂があったりしてますが、今のところまあ平穏です。2006年の非常事態宣言発令前、交通封鎖やホルタルが連発され、ダッカ中心部でレンガ投げ合いの暴動が起きたりしていた大揉めの事態から比べると、今回は選挙運動もずいぶんと秩序が保たれている感じです。

以下の写真は出張していた南部の都市ボリシャルで3日ほど前に撮ったもの。

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ちょうどこの日はBNP党首のカレダ・ジアがボリシャル方面に来ることになっていたので、ボリシャルに向かう道の途中ではあちこちで政治集会の人ごみが。でも群集が道をふさいでしまうことはなく、クラクションを鳴らせばたいていよけてくれました。

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道路でラリーを行うBNP支持者たち。

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こんな行列が次から次へと。この日は結局10グループ以上のラリーを見たのでは。手前の子どもが持っている稲穂はBNPのシンボルマークです。対するアワミ連盟のシンボルはノウカ(小舟)。

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ボリシャル中心部に張り巡らされた候補者のポスター。各ポスターには候補者の顔と名前、党首の顔、政党のシンボルマークなどが印刷されています。今年は候補者のカラー巨大看板を商店街に出したり、カラーポスターを壁にベタベタ貼ったりすることが禁止され、ポスターはすべて白黒でこのようにヒモで張り巡らすことだけが許可されており、ダッカの光景もだいたい似たような感じです。拡声器使用も時間を限って許可されているので、2年前のように夜遅くまで演説がうるさくて眠れない、ということもナシ。けっこうなことです。

さて、この選挙の結果はいったいどうなりますか。平和に選挙が終わり、これまでよりまともな政治が行われるようになるといいんですが...。

2008年11月28日

ムンバイ炎上―ニュース番組への視聴者メッセージ

出張で今日からインドのコルカタに来ています。ムンバイでの同時多発テロはインド独立以来最悪と言われるような悲惨なものになってしまいました。今もゲストハウスの部屋でテレビに貼りついてニュースを見ているんですが、これらの番組ではBREAKING NEWSのサインと共に“War on Mumbai”“India's 9/11”といった見出しが出て、ムンバイからのLIVE映像を前に様々な専門家やジャーナリストが今回のテロについて口から泡を飛ばす勢いで論じ合っています。

現地時間の27日夜10時半現在、確認された死者は125名、すでにタージマハルホテルにいたテロリストは全員が死亡するか捕らえられ、残っていた人質の人たちは避難したようですが、ホテルの建物からはまだ炎が上がっています。オベロイホテルではまだ30~40人の宿泊客が人質にとられており、人質解放のための作戦が続いている模様。警察官はすでに銃撃戦で14人が死亡、テロ対策部隊のチーフも死亡したと伝えられています。

約20人のテロリストがムンバイに潜入していたとみられるということですが、番組によってはこれほどの武器がどうやってムンバイの最大の中心地に持ち込まれたのか、どこからどう入ってきたのか、という分析が始まっています。犯人集団はいくつかのボートに分乗して海から入ってきたという話。

インドのニュース番組はこういった大事件があったとき、視聴者からのメールや電話のメッセージを画面にテロップで流すような工夫をしているものが最近多くなっているようですが、今見ているNDTVの画面に流れている視聴者メッセージにはインドの人々の今の気持ちが現れていて興味深く見ています。「今は非難合戦をしているときではない、皆の気持ちをひとつにしなければ」「政治家たちの日頃の言動は忘れよう。今はテロとの戦いに集中するときだ」「テロリストにインド人の精神をぶち壊されてたまるか」「これは新たな独立戦争だ-テロに打ち勝つための」といった内容がもっとも多くみられます。

分離独立時の暴力から始まり、こういったテロに端を発した宗教間対立の修羅場を数多く経験してきたインドの良識ある市民は、こういった事件がより根深い宗教対立に発展してしまうことをいつも心配しているのだと思います。「この事件を宗教間対立に火を注ぐ新たな機会にしてはならない、そんなことになってはテロリストの思う壺だ」というメッセージも見られます。

セキュリティへの不安・不満を表すメッセージも。「なぜタージマハルホテルやオベロイホテルのようなソフト・ターゲットがこんなに簡単に標的になってしまったのか?」「沿岸警備隊は何をしていたのか?」「もうたくさんだ!私は安心して暮らしたい」--それが多くの普通の市民の本音でしょう。

「政府よ目を覚ませ、インドは輝いてなどいない。苦い内戦の中にあるのだ」「これは世界の新興経済勢力に対する挑戦だ」「インドは本当に新興勢力(Emerging Power)なのか?」というものも。経済の中心地であるムンバイの、それもインド資本による5つ星ホテルであるタージマハルホテルやオベロイホテルは、いわば現代インドの自信のシンボル。とくにタージマハルホテルの特徴ある屋根はニューヨークの貿易センタービル同様、一種のアイコンといってよいかと思います。そこがもろに攻撃を受けた今回の事件で「インドの発展」「新興経済パワー」といったイメージに自ら疑問を投げかけたくなっている人も少なくないのでしょう。とくにムンバイ市民にとっては大きなトラウマになるでしょう。

さて、テレビ画面のムンバイからちょっと離れてコルカタの様子はというと、いたってのんびりしたもので平常どおりです。テレビだけ見ているとインド中が厳戒態勢にあるのか、といった気がしてしまいますが、今日コルカタに到着してみて全然そうでないことがわかりました。空港の警官の数も出入口付近に数人座っているだけでこれもいつもと同じだし、町の中でもほとんど警官の姿はありません。やっぱりインドは大きな国で、ムンバイはコルカタからはずいぶんと遠いんだよなーと思います。同じ国だけれどコルカタの人たちにとって今回のテロは全然身近な出来事ではないんだな、という感じです。

もっとも、よくあるパターンだと、テロが一段落したところでコルカタでも共産党政権である西ベンガル州政府与党、もしくは野党の呼びかけにより、「テロへの抗議のゼネスト」などが実施される可能性はあります。そうなったらコルカタっ子たちも「非常時モード」になるのかもしれません。

先ほど39人の人質がオベロイホテルから無事脱出、というテロップが出たのですが、あとで17人に訂正されました。まだ多くの人たちがホテルの中にとらわれているようです。TVニュースの情報も混乱しています。ユダヤ教関連施設が入っているビル、ナリマン・ハウスにもテロリストが立てこもっているとのこと。人質にとられた全ての人々が一刻も早く解放されますように切に祈ります。

2008年11月23日

総選挙12月29日に

12月18日と発表されていたものの二大政党のひとつBNPが難色を示し、交渉が続いていた総選挙のあらたな日程が今日発表されました。12月29日に総選挙、1月22日に郡選挙、だそうです。さんざんあーだこーだとやり合ったあとの妥協策なので、さすがにもう変更はないでしょう。(あってほしくない...)

それにしても、BNPが総選挙の日程を10日ずらせと主張していた理由は「ハッジ(メッカへの巡礼)にいった人が選挙に参加できないから」だったんですよね。イスラム暦ではちょうど巡礼の時期にあたり、サウジへハッジに行った人の大半は12月28日ぐらいまでに帰ってくるんだとか。

それで結局12月29日。しかし、「ハッジが...」というのはどう考えても時間稼ぎのこじつけとしか思えません。たった10日延期しただけで何が変わるのかBNPよ。

これで私たちも12月末に予定していたワークショップの日程をずらさなければならないハメに。日本からの選挙監視団の方もこれじゃ年明けに間に合うように日本に帰れるのかな?って感じですね。ご苦労様です。

2008年11月08日

え?選挙の日は携帯使えないの?

昨日選挙管理委員会のメンバーが昨日語ったところによると、バングラデシュ総選挙が行われる予定の12月18日、選挙が公正に行われ、よけいな「影響」が及ぼされるのを防ぐため、朝から夕方まで携帯のネットワークが止められるようです。→bdnews24.com

そんなのってアリ?人の生活は選挙だけじゃないんだぞ。その日に急病人が出るかもしれないし、事故にあって緊急連絡する必要が生じるかもしれないし、困るじゃないか?

昨年、ダッカ大学に端を発した学生たちの軍への抗議デモが広がったときも、携帯のネットワークが急に閉鎖されました。一方、暫定政権発足丸1年の日にはなんだかよくわからない祝賀メッセージのようなのが携帯に一斉配信されました。

携帯のネットワークを当たり前のように操作する政府。非常事態宣言下にあるってのはそういうことなのか、とあらためて「国民の基本的な権利が保障されていない状態」にあることを思い出します。一方でそれだけバングラデシュ国内で携帯電話の影響力が大きくなっているんだな、ということも感じます。

選挙日に携帯が使えないことになると日本や世界各国からみえる選挙監視団の皆さんも当日不便でしょうね。みんなが反発して取り下げられるといいですが。

2008年09月13日

カレダ・ジア前首相仮釈放

日本でもテレビニュースなどで報道されたようですが、おととい11日、汚職事件で拘留されていた前与党BNPの党首カレダ・ジア前首相が仮釈放されました。昨年9月に逮捕されてから1年ぶり。自由の身になったジア前首相は党事務所のバルコニーから支持者の声援に応え、夫の故ジアウル・ラーマン元大統領の墓に詣で、入院中の長男でBNP幹事長のタリク・ラーマンを見舞い、母と息子の病室での再会や涙するジア前首相の様子が報道されました。母との再会を果たした息子タリクは治療のためロンドンへ行き、当分政治からは遠ざかるとのこと。

カレダ・ジア前首相の長年のライバル、アワミ連盟の党首シェイク・ハシナ元首相も、病気治療のためひと足先に6月に仮釈放され、今はアメリカに滞在中です。近いうちに帰ってくるという話。

今朝の新聞によれば、ジア前首相は「党内から悪い要素を廃し、シェイク・ハシナ元首相と共に公正な選挙に向けた話し合いのテーブルに着く」ことに同意した、とのこと。

非常事態宣言下、軍をバックにした暫定政権がバングラデシュを支配していたこの18ヶ月間、二大政党の2人の女性党首を国外に追い出そうとする動きや、グラミン銀行のユヌスさんが新党をつくろうとした動きなどいろいろあったけど、結局のところ、新たなリーダーも現れなかったし、二大政党なしには選挙も成立しないということで元の状態に戻ったような感じ。

汚職一掃を掲げていたこの暫定政権の期間中、いったい何が変わったんだろう?と思います。大物政治家はどんどん逮捕されたけど、結局一番の大物たちは出てきたし、巷の役所などの汚職はちょっとよくなっていたのは最初だけ。そのうち前よりもっと酷くなって元の木阿弥でした。そして公正な裁きもないまま逮捕された人は数万人に及び、治安部隊に命を奪われた人は少なくとも279人、と人権団体が発表しています。物価上昇は甚だしく、とくに食品の物価上昇率は12%以上。昨年から今年にかけてあらたに40万人が貧困線以下に落ちたと言われます。物価高騰は暫定政権のせいだけではなく、世界的な動きではあるけれど。

よかったことといえば何があるんだろう?思い出せるのはサイクロンSIDRの来襲時に軍がよく動いたこと、昨年の冬季灌漑米のシーズンの稲作促進策がそこそこ効果を現したことぐらいか...。ああ、そうか、選挙人名簿とIDカードの作成、というのがあった。これが現政権のやった仕事としては一番大きいですかね。これが出来る前は人によっては2つも3つもダブって投票権持ってたりして滅茶苦茶でしたもんね。

当地の新聞などもこの二大政党両党主仮釈放の動きを歓迎しています。これでやっと選挙ができる、と。結局暫定政権がやったことは最悪の事態を回避して約2年間、時間稼ぎをしたに過ぎなかったのか。これでテープを巻き戻すみたいに、2年前の状況に戻るのかな。

選挙後もあまり変化は期待できないけど、国民に選ばれたのでもない暫定政権が国を治め続けるのはもう限界が来ていると皆が感じています。とにかく平和裏に選挙を実現してもらいたい。そして選ばれた政党は痛い目にあったことを薬としてこれまでより賢い政治をしてもらいたいものです。

選挙実施予定の12月に向け、今後バングラデシュはどうなっていくのでしょう。あんまりぐちゃぐちゃになりませんように。

2008年08月22日

8月3-4週

普段と変わらぬ暑くて平和な金曜日。このまま何事もなく8月が終わってくれればいいな、と思います。

というのは、ここ数年、8月の3週から4週にかけて、バングラデシュでは何かと「事件」が起こることが多いのです。これまで以下のような事件がこの時期にありました。

*2004年8月21日  アワミ連盟ハシナ総裁暗殺未遂。デモ行進中のアワミ連盟の行列に爆弾が投げ込まれ、24名が死亡、500名が重軽傷。

*2005年8月17日  バングラデシュ全国の64県のうち、63県で計459の爆弾がほぼ同時に爆発。2名が死亡、約100名が怪我。イスラム過激派ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)が犯行声明。

*2007年8月20日  ダッカ大学の学生がキャンパス内に駐屯している軍と衝突。その後、軍への抗議行動が他大学にも飛び火し、外出禁止令が出る騒ぎに。

この8月後半は日本の夏休みにあたり、毎年スタディツアーが来る時期。それだけに、こういう「事件」が起きると気が気じゃありません。しかし、なぜこの時期にいつも暴力騒動が起きるんですかね。人々の頭に血が上りやすい時期なのか?

今年は8月27日にBNP率いる4党連合がジア総裁解放、非常事態宣言解除などを求めて全国で「人間の鎖プログラム」を実施する、ということですが、そんなにキナ臭い感じもなく、このままいけば大丈夫そうな感じ。スタディツアー一行も無事農村部から戻ってきて、今日の午後ダッカで振り返りミーティングとお疲れさま夕食会をして、明日には帰国の予定です。

ツアーが帰るまで何もありませんように。このまま平穏な8月でありますように。(最近、祈ることが多いな...)

2008年08月16日

インドのCSRとNGO

情報収集のためインドのNGOのウェブサイトを時々ネットサーフィンして見てるんですが、いやーインドのNGOの状況もだいぶ変わってきたもんだなーとつくづく。とくに変化を感じるのはインドのCSR(企業の社会的責任)とNGOを結びつけようという動きが出てきていること。

私は1998年から2001年までニューデリーに住んでいたんですが、その後既にほぼ10年が経ちました。その頃からすでにバンガロールのIT産業などは脚光を浴び始めていましたが、当時はまだ多国籍企業にしろ、国内企業にしろ、インドの国内に拠点を置く企業が社会貢献の一環としてNGOに寄付する、といったことは(小規模なレベルではあったかもしれませんが)ほとんど耳にしませんでした。

でも、今はインド国内のいろんな大企業がCSRの一環としてNGOに寄付したり、独自に社会貢献活動をする時代なんですね。インドのNGO-JICAジャパンデスクのウェブサイトでも紹介されていましたが、イギリスに本部を置くCAF(Charities Aid Foundation)Indiaのサイトを久しぶりに見たら、活動が10年前とすっかり様変わりしていました。ウェブサイトにはドナー向け、企業向け、NGO向け(チャリティ団体、という言葉が使われてますが)のページがあり、社会貢献のために寄付先を探している企業の相談に乗ったり、教育、医療、生計向上などテーマごとにCAFがファンドをつくって、そこに寄付を募り、CAFが選んだNGOに配分する、といったこともしています。ウェブサイトに載っている「CAFの企業パートナー」のリストを見たら、マイクロソフト、コカ・コーラIndia、ベネトンなどの多国籍企業や、TATA、Bajajなどインドの大企業がずらり。うーん、こういう動きはバングラデシュではまだまだだけど、これから必要だよなあ。

ムンバイベースのKarmayogという団体のサイトには、インドの大企業500社のCSR番付、などというリストも掲載されていて、日本とインドの合弁と思われる企業の名前もちらほら。

バングラデシュでも食品や生活用品を扱う多国籍企業はもちろん、衣料メーカーの縫製工場もたくさんできています。これからバングラデシュ国内で活動する企業セクターとNGOセクターを結び付ける仕事も必要になっていくでしょう。この分野ではだいぶ先を走っているインドの状況から学べることもいろいろありそうです。

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藤岡前駐在員藤岡恵美子
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2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。
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