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2008年01月一覧
2008年01月26日
昨日もお伝えした年に一度のイスラム教徒の大集会、ビッショ・イジュテマですが、冷たい雨の続く悪天候のため少なくとも3人の死者が出たため、日曜日に予定されていた締めくくりのお祈りを金曜の夜のうちに終え、1日で終了することになりました。
こんなことはビッショ・イジュテマ始まって以来だそうですが、これ以上お年寄りの巡礼者が亡くなったりしたら大変ですもんね。
ほんとバングラデシュにしては、ここ数日は寒い。私は今日一日腰にホカロン貼ってました...。
- カテゴリ:風物・習慣 2008年01月26日 23:11 |
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2008年01月25日
メッカへの巡礼、ハッジに次ぐ世界第2規模のイスラム教徒集会といわれる「ビッショ・イジュテマ(Biswa Ijtema)」が、ダッカ北方トンギ地区の河原で今日から始まっています。今年は本日1月25日から27日までの3日間。少なくとも世界58カ国から約300万人が集う見込みと言われています。
先週、マイメンシン県に出張したとき、会場の脇を通ったけど、すでにこの数百万人の人たちが集ってお祈りするための巨大なテントが用意されていました。でもほんとーに何にもない、だだっ広いだけの河原なんですよね。なぜここが聖地に選ばれたのかしら。
今朝の新聞記事によればセキュリティにあたる警察官や軍人など、治安部隊の人数だけでも12,000人。ほんとは今日、サイクロンで延期になっていたダッカ日本人会の運動会が予定されてたんですが、このビッショ・イジュテマに警官がみんな行っちゃって、運動会の警備には人を出せないということでまたまた延期になっています。この記事によると開始2日前の水曜日だけですでに53人のスリを捕まえたそうだけど、スリってそんなに早くからスタンバイしてるものなのか。
ビッショ・イジュテマの3日間、空港あたりから会場付近までのエリアはほとんど車の通行は不可能になります。とくに最終日の終了直後は参加者が大挙して移動するため、列車は屋根の上まで鈴なり、道路も歩行者であふれて大変なことに。この間、とくに初日と最終日はダッカより北方向への出張や、空港に行くことは避けるのが賢明です。
今日はこの冬一番の冷え込みの上、冷たい雨が降り続いて最悪の天候。会場となった河原もぬかるんでドロドロになっていて、巡礼の人たちはたいそう苦労しているようです。病人もかなり出るかもしれません。
世界各地からはるばるトンギの河原まで巡礼に来た人々の祈りがアッラーに届きますよう。
- カテゴリ:風物・習慣 2008年01月25日 20:08 |
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2008年01月23日
前回のブログで「今年はあんまり寒くない」と書いたばかりですが、今日はなんだかずいぶん冷え込んできました。20日過ぎに寒波が来る、という予報は本当だったようです。とはいってもダッカではたいしたことないんですが、夕方事務所に電話をかけてきた北部のラルモニアハット県のNGO関係者の話では、今日の最低気温は6度だとか。サッシもじゅうたんも暖房もお湯シャワーもない家で6度、というのは相当寒いですよ。
去年寒波の救援で毛布を配った人たちはどうしているだろう、と思います。ガイバンダ県の堤防沿いの掘っ立て小屋のような小さな家で、ひとりで暮らしていたお年寄り。3人の子どものうち2人が小児麻痺で足に障害があった貧しい一家。寝る直前まで焚き火の前を離れられないと言ってたおばあさん。毛布かぶったってあれでは寒いだろうなあ...。
外で風の音がしています。明日の朝あたりかなりの冷え込みになるかもしれません。布団屋さんには悪いけど、これ以上寒くなりませんように。
- カテゴリ:気候、自然、環境 2008年01月23日 22:10 |
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2008年01月21日
内山駐在員のブログにもありましたが、この季節、ダッカと農村部の温度差はかなり激しいものがあります。内山さんが紹介していたイショルゴンジ郡への出張は私も一緒に行ってたんですが、フリース、厚手のカーディガン、ショール、靴下など持っていっていたにもかかわらず、最近寝不足続きだったのもたたって、風邪引いて洟ずるずるで帰ってきました。(そこは気合で一晩で直しましたけどね)
ダッカは都市熱による温暖化で、10年ぐらい前にくらべてかなり冬の気温が上がっているそうです。それで商売に直撃を受けているのが布団屋さん。先日英字紙Daily Starのダッカ版に出てたんですが、伝統的なお布団(日本の綿の布団と似たようなものです)の売り上げがめっきり落ちてるんだそうです。理由のひとつは以前に比べて暖かくなり、冬でも厚い布団がいらなくなってきたから。もうひとつの理由はフリースなどの安い毛布が出回るようになったからです。布団は洗えないけど、毛布は洗えますしね。
ダッカは圧倒的に暑い季節のほうが長いので、その間布団屋さんは黙々と布団を作りためて冬を待つわけですが、冬になっても布団が売れないので商売あがったりです。昨年のように異例の寒波が来ると、大半の人は困るんですが、布団屋さんにとってはビジネスチャンス。今年はそれほど寒くないので、あまり売れないでしょう。
果たして10年後、ダッカの布団屋さんは何件生き残れるか...。そういう事態になってます。
- カテゴリ:気候、自然、環境 2008年01月21日 01:01 |
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2008年01月16日
昨夜は一晩中唸りながら、シャプラニールの会報2月号の特集原稿を書いていました。とっくに締切を過ぎていたのを担当者に頼んで延ばしてもらっていたもので、日本時間の今朝がほんとにほんとの締切。テーマはサイクロン被災者救援活動の報告です。
今回のサイクロンがどんなだったか、被災地の今の状況、これまでやってきた支援活動と今後のことなどについて3ページ程度にまとめればよく、写真も数点、ということでフツーに書けばたいした量じゃないし、これまでブログや内部の連絡用メーリングリストに山ほど書いてた報告をかいつまんでちゃっちゃとまとめればすむ話なんですが、結局唸って唸って午前3時すぎまで書いたり消したりしてました。
シャプラニールの会報は会員さんや支援者の方に会の活動についてご報告するもので、隔月でお送りしています。ブログやウェブサイトをご覧になっていない方は、この原稿で初めてシャプラニールのサイクロン救援の報告を読まれることになります。そう思うといい加減には書けません。この2ヶ月ぐらいの間に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだけれど、サイクロンや救援活動についての基本的な情報も盛り込まなければいけないし、被災地で見てきたたこと、聞いたことも書きたいし、でもそれがどうしても決められた字数の中に入りきらなくて悪戦苦闘しました。結局、ある程度のところであきらめざるを得ず。最終的には月並みな原稿になってしまったかな...。とほほ。
書きながら、こういった活動の中でよく使われる言葉のいくつかに、自分が違和感や反発を持っていることに気がつきました。たとえば、「復興支援」。普段、英語の「リリーフ・オペレーション」を「救援活動」、「リハビリテーション」を「復興支援」と訳して使っていますが、この「復興支援」という言葉がどうも馴染みがよくない。なんというか、威勢がよすぎる感じがするんですね。「復興支援」というと、すごく「がんばれ、がんばれ」とドーンと花火を打ち上げるような感じがしませんか...。「興」の字のせいかしら。被災地や被災した人たちの今の状況に、この「復興支援」という言葉がなんだか合わない感じがするんです。
あと、使わざるを得ないときもあるけど、なんとなく最近使うことを避けている言葉は「心のケア」。心をケアすることはもちろん必要なんですけど、この「心のケア」という言葉があまりに安易に、ファッションみたいに使われすぎて、なんだか反発したくなるんです。「心のケア」なんてそんなに簡単じゃないよ、って。
被災地での「救援活動」や「復興支援活動」について、なんとなく感じていること、考えていること、たくさんあるのだけどまだ自分の中でまとまらずモヤモヤしています。
そんなとき、関西学院大学教授の野田正彰さんの著書、『災害救援』(岩波新書)を何度も読み返しています。奥尻や阪神大震災の被災地で現地調査を繰り返しながら考察されたことをまとめられたこの本は、国内・海外にかかわらず災害救援にかかわる人には必読の名著だ、と私は思っています。この前一時帰国したときやっと購入したのだけれど、ほんとに買ってダッカに持ってきてよかった。
奥尻での経験を書かれていることなど、今回私たちが救援活動を行い、今後も「復興支援」活動を行っていく予定のショロンコラ郡で起こっていたこととあまりにもそっくりだし、第1章「災害の構造」の中に書かれた「被災者役割と救援者役割」の箇所など思い当たることが多くてどっきりします。第5章「危機管理の焦点」、第7章「『心のケア』の本質」、第9章「救援の思想」などもとても参考になります。私たちがこれから何をしなければならないのか、考えるヒントになることが散りばめられている本です。
野田さんは以前ダッカ事務所にもいらっしゃったのに、私が不勉強でお会いしたときご著書をロクに読んでいなかったことが悔やまれます。ああ恥ずかしい。後悔先に立たず。
でも、他のときじゃなく、今この時期にこの本に出会えたことはよかったのかもしれません。書かれていることが染み込むようによくわかるから...。皆さんもぜひ読んでみてください。
- カテゴリ:ひとり言 2008年01月16日 00:12 |
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2008年01月11日
ダッカ事務所では毎朝9時から朝のミーティングを行い、その日の予定や仕事の進捗状況などをシェアします。昨日の朝、いつものように2階の会議室に上がっていったら、いつも私が座る席の前のテーブルの上に、赤い薔薇や色とりどりのグラジオラスが入った大きな花束が置いてありました。
おおっ!と驚いていたら、後ろから上がってきたスタッフたちがみんなで、「アパ、お誕生日おめでとう!」
私の誕生日、覚えていてくれたんだね。
こういうところ、ダッカ事務所のスタッフたちは本当に心優しい。誰かが事務所を去るとき、新しい人が入ったときの歓送・歓迎会に何をしようか?何をあげようか?といったことも、みんなかなり気合を入れて考えます。本人に気づかれないようにこそこそとお金を集めて。小嶋駐在員が帰国するときのお別れ会も、イショルゴンジで買って連れて帰ってきた山羊を事務所の庭でさばき、事務所の料理スタッフに山羊カレーをつくってもらってみんなで食べる、というすごいものでした。(日本じゃちょっと考えられませんね)
私の誕生日のサプライズ花束のことも、前日からみんな相談していたそうだけど、まったく気づかなかった。みんなどうもありがとう。スタッフ全員の署名入りのカードもうれしかったです。
私も皆の気持ちに応えるべく、会議のため来ていたPAPRIのスタッフ5人を含め、全員にミシュティ(ベンガルのお菓子)とシンガラ(つぶしたジャガイモを小麦粉の皮で包んで揚げたスナック)を振舞いました。
残りあと何ヶ月ぐらいみんなのボスでいられるのかわからないけど、帰国のその日までがんばって一緒にいい仕事したいと思います。
- カテゴリ:よもやま話 2008年01月11日 16:04 |
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2008年01月10日
8日夕方、選挙管理内閣の顧問(通常の内閣の閣僚にあたる)のうち、主だったメンバー4人が辞職したという情報が入ってきました。何があったんだろう、また国内が荒れるかな、大丈夫かな、とちょっと心配になったのですが、とくに治安が乱れることもなく4人は言葉少なく職務を去り、先月すでに辞任していた教育・文化担当顧問のポストも含め、9日、5人の新たな顧問が着任しました。辞めた顧問たちは「個人的理由での辞職」ということに表向きはなっていますが、どうやら問題発言や国民の不評などを理由に辞めされられたというのが本当のようです。
新顧問の顔ぶれのうち、特筆すべきはシャプラニールもメンバーになっているバングラデシュの教育関係NGOネットワーク、CAMPE(キャンペ)の代表、ラシェダ・チョウドリーさんがその一人に選ばれたこと。ラシェダさんは教育関係のNGOの会議などで、日本にも何度も訪問されている方です。
また、選挙管理内閣のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問は、9日、6人から7人のコンサルタントを2~3日中に任命する、と発表。昨年の非常事態宣言→軍に支えられた現選挙管理内閣樹立から1周年を目前にして、にわかに大きな動きです。
非常事態宣言からちょうど1年目にあたる1月11日を、新たな顔ぶれで迎え、選挙実現までの継続を自信をもってアピールしたかったんでしょうね。
あとはこのコンサルタント・メンバーに誰が入るのか?注目です。
- カテゴリ:社会 2008年01月10日 02:02 |
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2008年01月08日
バングラデシュでは年明け早々から米の値段が高騰し、1週間でキロ25タカの米が30タカ(1タカ=約1.7円)にまで上がってしまうような状況で、大騒ぎになっていました。2度の洪水やサイクロンで国内の米の生産が減った上、備蓄していた米が流されたり、大量の食糧救援が必要になったりで、米が足りなくなるだろうというのは皆が心配していたことだったのですが、ちょっと前まで政府はのほほんとしていたのです。
年明け早々からあまりのスピードで米価が急上昇し、国境警備隊(Bangladesh Rifles、BDRと略される)が直営する屋外マーケットに人々が早朝から長蛇の列をつくる状況が続いていました。ここ数日やっと政府がこの件についての諮問委員会を開いてタイやベトナムからの大量の米の輸入を決めたことを発表したり、市場の米価格を治安部隊が見回るようになったりしたため、昨日あたりからようやく米の値段が落ち着いてきたようです。
ちなみにバングラデシュ国境警備隊(BDR)は、主に国境警備にあたる準・軍組織なのですが、国境警備以外にも治安維持のための活動をいろいろやっています。現在は、その名も「オペレーション・ダール・バート(ダール=ダール豆、バート=米)」と名づけられた任務の一環として、米・ダール豆・食用油・塩などを安価に販売するBDRマーケットをダッカ市内の約200箇所で実施中。これは、物価の高騰で選挙管理内閣への非難が高まる中、断食月に入る直前の昨年9月1日から始まったもので、それほど質のいいものを売っているわけではないですが安いので、貧しい人たちは列に並んでここから米や豆などを買っています。
BDRマーケットでは1日に一人頭米3kgまでしか買えないことになっているので、年明けの米値上げパニックのピーク時には、貧しい女性たちが子どもを何人も連れて列に並んだりしていました。BDRの隊員は米を売った後、買った人の腕にペンで番号を書き込んだりします。同じ人が1日に何度も買えないように、です。
すでにインドの米は大量に輸入されていて、シャプラニールがサイクロンの食糧救援の際に現地パートナー団体を通じて配った現地調達の米も、かなりがインド米でした。これからベトナムやタイのお米が入ってきますが、果たして米パニックはおさまるかどうか。
政府はすでにサイクロン被災地の260万世帯にVGF(Vulnerable Group Feeding)カードを配って数ヶ月の米配給をすることになっていますが、これに加えてそれ以外の57万世帯の貧困家庭にVGFカードを配布し、5ヵ月の米配給をすることが発表されました。
カードを配った後で、米が足りなくなって配給が途中で滞る、ということだけはないようにしてもらいたいものです。
- カテゴリ:社会 2008年01月08日 03:03 |
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2008年01月06日
バングラデシュの教育制度は5-5-2制です。5年間の初等教育のあと、5年間の中等教育、その上に2年間の上級中等教育があります。日本では中学1年生、とか高校2年生、といった言い方をしますが、バングラデシュでは中等教育(High School)に行っている生徒の学年を言うとき、初等教育の学年から続けて、7年生とか10年生、という言い方をするのが普通です。
5年間の中等教育、つまり10年生の課程を終了すると、「SSC試験」と呼ばれる全国共通試験があります。S.S.C.はSecondary School Certificate(中等教育修了証)の略。SSC試験に受かるとこの修了証がもらえるのですが、この試験に受かるかどうか、またどんな成績で受かるか、ということは子ども本人にとってはもちろん、家族にとっても一大事で、試験初日はたいてい親が会場まで付き添い、合格発表の日は親も朝からそわそわと結果を待ちます。子どもにとっては相当プレッシャーのかかる試験らしく、試験に失敗して自殺する子が毎年数人出ます。
このSSC試験に受かると、カレッジと呼ばれる2年間の上級中等教育に進む資格ができます。カレッジでの11年生、12年生を終えたあとは、今度は「H.S.C.(Higher Secondary Certificate)試験」という共通試験があり、これに受かるとまたこの修了証をもらえます。大学教育を受けるためには、HSCを取得していなければなりません。
SSC取得、HSC取得は履歴書に書ける資格で、これらの試験に受かるかどうかは、進学するにせよ、就職するにせよ、その子の今後の人生に大きな影響を及ぼします。ハイスクールやカレッジの生徒たちは、これらの共通試験のために何ヶ月も必死で受験勉強をします。1年目に受からず、2年目に再挑戦する子も少なくありません。受験料や参考書代が払えず、働いてお金を貯めてから試験を受ける、という子もいます。
今回サイクロンで被災した地域にも、当然ながらこのSSCやHSCに向けて、必死で勉強していた生徒たちが大勢いました。しかし、高潮で家や家財が流されてしまった家庭では、この子どもたちの試験準備の参考書も流されたり、水に濡れたりして失われました。
シャプラニールでは、今後も継続していく救援・復興支援活動のひとつとして、被害の大きかったバゲルハット県ショロンコラ郡で、SSC試験受験生500名に英語・数学の試験準備参考書とノートを、HSC試験の受験生120名に同じく英語・数学の参考書とノートを配布することにしました。ショロンコラ郡では被災した一般児童や生徒が学校で学ぶための教科書は政府から配布されるそうですが、受験生のための参考書は対象にならないため、配布を決めたものです。
今年のSSC試験は当初2月27日から始まる予定でしたが、サイクロンの影響を考慮して1ヶ月延期され、3月27日から始まることになりました(試験は1日では終わらず、数日続きます)。HSCの試験はSSCよりだいぶ後になります。
SSC試験まであと2ヶ月半。被災地の受験生たちにも、最後まであきらめずがんばってもらいたいと思います。
- カテゴリ:サイクロン 2008年01月06日 01:01 |
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2008年01月01日
みなさま、明けましておめでとうございます。お正月をいかがお過ごしでしょうか?
バングラデシュでは西暦の年末年始はとくに休みではないので、ダッカ事務所も今日は平日、通常どおり朝から仕事をしています。昨年12月中旬から後半にかけて、イスラム教の犠牲祭のイード(Eid-ul-Azha)の休みとクリスマス休みがあったので、10日ほど日本に一時帰国していたのですが、クリスマス・イブには日本を出てダッカに戻ってきました。
昨年、2007年はバングラデシュにとって本当にいろいろあった1年でした。軍をバックにした選挙管理内閣が大物汚職政治家を片っ端から逮捕したり、ダッカ大学から波及した政府への抗議行動で外出禁止令が出たりと、政治的にもいろいろありましたが、自然災害の多い年でもありました。年のはじめの寒波、2度の洪水、そして11月半ばの大型サイクロンの襲撃では多くの犠牲者が出、被災した人たちは今も厳しい状況におかれています。
シャプラニールダッカ事務所も昨年度の後半はサイクロン被災者の救援活動で目まぐるしい日々を過ごしました。おかげさまで予想を超える額のご寄付が集まったので、救援と復興支援活動は今後も引き続き実施していきます。第1弾から第3弾までの救援活動はほぼ完了し、今は次なる支援活動について現地パートナー団体と共に鋭意検討しているところです。
また、ダッカ事務所では昨年9月に内山新駐在員が赴任、昨年末には小嶋駐在員が2年5ヶ月の任期を終えて家族とともに帰国しました。プログラム・オフィサーも男性オフィサー1人(ロシドゥル・バリ)が去り、女性オフィサー1人(ウンメ・ハビバ)が新しく入ったので、前よりだいぶ女性が多くなりました。
私も2005年5月に赴任してからあっという間に2年7ヶ月が経ちました。今年は(たぶん)駐在最後の年になります。やらなければならないことはたくさんありますが、残りの時間、ひとつひとつしっかりやっていきたいと思います。
シャプラニールの会員・支援者のみなさま、このブログをいつも読んでくださる皆さま、コメントをくださる皆さま、昨年はどうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
- カテゴリ:よもやま話 2008年01月01日 12:12 |
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プロファイル
藤岡恵美子(ふじおかえみこ)
2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。













